巫女レスラー   作:陸 理明

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〈殺人現象〉

 

 

 御子内或子の見たところ、〈殺人サンタ〉なる妖魅は間違いなく〈殺人現象(フェノメノン)〉と称される類いにあたる。

 日本ではまずお目にかからない妖魅なのだが、或子自身が遭遇するのはこれでもう二度目だ。

 最初に見かけたのは夏の終わりに千葉県にある廃工場跡地であったから、まだ二ヶ月と経っていない。

 もともと人間であった殺人鬼が妖魅に変貌を遂げたものであり、その過程で超常の能力を得てしまった存在と言えばいいのであろうか。

 妖怪の持つ秘儀と似たようなものだと解せばいい。

 工場跡地で戦った〈J〉は或子を怯ませるほどの不死身さと特有のバタフライ・エフェクト的悪運を有していた。

 眼前の〈殺人サンタ〉は強力な指の力があるだけではなく、他にも何かがあると思われる。

 とはいえ、どんな能力を持っていようと友達を執拗に狙う化け物を野放しにしていい理由はない。

 或子はいつものように構えた。

〈殺人サンタ〉の武器は右手に握ったナタ。

 左手は背中に回され、白い袋を担いでいる。

 サンタクロースらしいといえばらしいが、あの袋の中にプレゼントならぬどんなものが納められているか油断はできない。

 ぐぐと睨みあったのち、或子は仕掛けた。

 後の先は御子内或子の闘法ではない。

 烈火のごとき先の先、先制攻撃からの完全制圧こそが彼女が好む最強の戦いだ。

 ナタの一撃を避けるように身を逸らしてのローキック。

 当たったら、もう一度蹴る。

 当然のこととして、〈殺人サンタ〉の反撃があるが、それは彼女からしたら欠伸が出るほどに遅い。

 ただの人間相手ならば効果があるかもしれないが、百戦錬磨の退魔巫女に通じるものではない。

 三度目のローキックで〈殺人サンタ〉の膝が落ちた。

 すると、身長差のおかげで顔面がいいところにやってくる。

 そのまま、或子は得意のハイキックを叩きこんだ。

 

『Shit!!!』

 

〈殺人サンタ〉は喚いた。

 言葉が通じる。

 それだけで妖魅の神秘性は薄れ、剥き出しになった下品な本性だけが曝け出される。

 こいつは〈J〉よりも小者だ。

 或子はそう判断した。

 座り込んだままナタを横に振るってくるが、簡単にスウェーバックして躱すと、手をとってそのまま懐に潜り込んで一本背負いで投げ飛ばす。

 両ひざをついているので重いはずの〈殺人サンタ〉をやや寝転ばす形で投げた。

 巨体がマンションの屋上のコンクリートに叩き付けられる。

 近づくと、据えた汗と小便の臭いがして不快だったが、腐りかけの妖怪が発する瘴気に比べればどういうことはない。

 大の字になった〈殺人サンタ〉に棒立ちの姿勢からエルボードロップを敢行した。

 それでさらに傷みつける。

 妖魅としての力は薄い。

〈護摩台〉なしでも戦える相手だということだ。

 とはいえ、用心のために本来ならば〈護摩台〉の結界があった方がいいし、あれがないと封印という手段が使えない。

 プロレスリングみたいだなどと京一がぶつくさ言うこともあるが、或子としてはあの舞台は結界としての最適解だと思っているので問題はなかった。

 だから、それがない場所での戦いというのはやや不安な面がある。

 完全に武力で制圧するのは、いくら力の差があっても厄介なのに変わりはないからだ。

 

「或子!!」

 

 普段、決して声を張り上げない切子の応援が背中に当たる。

 頼もしい。

 応援のエールは元気を与えてくれる。

 あれがあれば戦える。

 

「でりゃああ!!」

 

 立ち上がろうとした〈殺人サンタ〉に高い位置のドロップキックを放った。

 高い鼻の折れる感触がした。

 

『Who are fuck you!!』

 

 或子には英語はわからない。

 だが、言いたいことはわかる。

 

「ボクは御子内或子! キミらみたいなのをぶっ潰す退魔の巫女(デモンベイン)さ!」

 

 斜めに袈裟切りをする手刀を放ち、肩口を破壊する。

〈殺人サンタ〉の右腕がだらんと落ちた。

 いける。

 或子が更に嵩にかけて攻めたてるため、飛び膝蹴りを放とうとしたとき、左に背負った白い袋が付きつけられた。

 ぎゅっと紐で縛られた口が開く。

 何か黒いものが蠢いた。

 次の瞬間、白い袋の内部から獣臭い匂いとともに長い顔が或子の肩に噛みついた。

 白い袋そのもののサイズからは決してでてこない大きさの獣の頭であった。

 頭から生えた放射状の捩子くれた角を二本持ち、耳まで裂けた口からは草食獣のものらしい臼状の厚い歯と長い舌が出ていた。

 馬のものよりも毛皮が豊かで濃い顔は―――トナカイのものであった。

 肩に食い込んだ歯は犬歯のように尖っていないからか、白衣を貫いてまで或子の皮膚を傷つけることはなかったが、それでも万力レベルの力がかかれば激痛がくる。

 或子は油断してはいなかった。

 仲間の誰よりも御子内或子は油断という言葉を辞書から消している。

 いけると判断したのは、油断からではなくこれまでの戦いの経験からでた勘であり、まさかというものでさえはなかった。 

 袋の中から鼻づらをつきだしたトナカイは、いかにもサンタクロースを象徴する生き物であるが、今までどこにも存在がなかったので警戒できなかったともいえる。

 だから、まさか……

 

「プレゼントならぬトナカイって……!!」

 

 袋からでてきたトナカイは、絶対に元のサイズや重量を考えればありえないことであったが、それは人の世界の理だ。

〈殺人サンタ〉の世界では当然のことなのだ。

 そこを見誤ったのが或子の失敗だった。

 トナカイの恐るべき馬力が或子を引きずり回し、回転させ、癇癪を起した幼児が嫌いな人形を投げ捨てて遊ぶように退魔巫女を弄んだ。

 そして、解放された瞬間にコンクリートの上をバウンドしながら転げ回った。

 受け身も一切とれない落ち方だった。

 見守っていた二人が息を飲むほどに酷い落下だった。

 

「或子おお!!」

「或子ちゃん!!」

 

 絶叫が屋上に響き渡る。

 彼女たちの大事な友達に起きた痛々しい出来事が我知らず叫ばせたのだ。

 だが、御子内或子はぴくりとも動かなかった。

 地球上でもっとも危険なのは、トラや獅子などのような肉食獣ではなく成長しきった草食獣だと言われている。

 なぜなら、草食獣の大半は牛や馬のように巨大に成長し、シマウマなどはライオンなどに飛びかかられても弾き飛ばせる強い筋力を備えているからである。

 それがわかっているからこそ、子供を守るために戦うゾウやキリンなどには、よほど飢えない限り肉食獣は近づかないのだ。

 或子はその膨大な膂力をすべて叩きつけられたのである。

 無事でいられる訳がなかった。

 それをわかっていてか、〈殺人サンタ〉は屋上に伏した退魔巫女には目もくれず、切子たちの方に向かってきた。

 普段の〈殺人サンタ〉ならば邪魔をする障害物はすべて排除してから、ターゲットをバラバラにする。

 自分を守るものが為すすべもなくやられる姿を見せつけてからの方が、泣きわめく子供の絶望がさらに深くなるからであった。

 ただ、今回ばかりは〈殺人サンタ〉もやや余裕をなくしていた。

 或子にやられた部分が打撲となっていたからだ。

 だから、すでにトナカイの馬力で投げ捨てられ動かなくなった或子よりも、まず彼に手紙を送ってきた異国の子供を手にかけるほうを優先した。

 もう抵抗されることもないだろう。

 あれだけ強力な守護者がいなくなった以上、子供にあるのはもう絶望しかありえないはずだから。

〈殺人サンタ〉はにたりと嫌らしく嗤った。

 右手は動かないので、左手にナタを持つ。

 これで足を切断して動かなくしてやろう。

 それよりも隣にいるチリチリ髪の友達から始末してやろうか。

 また子供の返り血で服が赤く染まることを想像すると、勃起する。

 性的衝動が抑えられない。

 まあ、抑える必要などないのだけれど。

 

『Hey,pretty girl. Did finished the prayer to God?』

 

〈殺人サンタ〉はターゲットとした子供をさらに絶望の淵に叩き落すために、猫なで声で話しかけた。

 へい、可愛い子猫ちゃん。神さまへのお祈りは済んだかい? でも助けなんてもうこないんだけどね。君はこのまま神に召される―――いや地獄にいくんだよ。

 ふと気がついた。

 屋上の柵を乗り越えた先にいる二人の女の子の目にはどんな意味での絶望が映っていないということに。

 変だな、と感じた。

 これまでのおぞましい活動の数々において、こんな反応をされたことはなかった。

 幾らなんでもここまで追い詰めればどんな子供だって顔をしわくちゃにして泣き腫らすはずなのに。

 

『Why?』

 

 すると、日本人形のような女の子が口を開いた。

 

「―――まだ終わってない」

「そうッスね」

「まだまだ」

「ッスよ」

 

 ただの強がりではない。

 彼が与える絶望と同じぐらいの―――それ以上の希望が彼女たちを支えているのだ。

 しかし、その希望はどこからくるのか。

 びくん、と〈殺人サンタ〉は背筋に寒いものを感じ取った。

 冬の冷気ではない。

 あえて例えるなら熱くて熱くて仕方のない炎に焦がされたかのようだった。

 後ろに何かいる。

 振り向いてみるのを怖れさせるような何かが。

 躊躇っていても仕方ないと〈殺人サンタ〉は意を決して振り向いた。

 

 いた。

 

 一人いた。

 

 俯きながらも拳を握り雄々しく立ち上がろうとしている巫女が。

 

『Who are you?』

 

 思わず、問うた。

 

「……ボクはまだ死んでいないよ」

 

 答えは明瞭。

 御子内或子はまだ戦えるということだけを雄弁に立ち姿だけで語っていた。 

 

 


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