巫女レスラー   作:陸 理明

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無駄じゃあないさ

 

「……レイ、起きなよ。レイ」

 

 マットの上で失神しているレイさんを御子内さんが揺すっていた。

 意識を失っている人間を無理矢理起こすのは良くないといったのに、「ボクらはよくやるよ」と意に介さないで、ゆさゆさと肩を押す。

 普通ならばそんなことでは眼を覚まさない。

 だが、レイさんは、すぐに、

 

「うう……」

 

 と呻いて、顔をしかめつつ立ち上がった。

 頭を押さえてはいるが、振ったりするようなことはしない。

 失神状態からの回復に慣れているということがそれだけでわかる。

 つまりは、御子内さんの言う通りということだ。

 僕なんかとは鍛え方が違う。

 

「なんだ、或子か」

「ボクのことはわかるんだね。で、何があったかは覚えているかい?」

「―――負かしたやつに優しく声をかけんじゃねえよ。おまえのそういうところ、心底、腹が立つわ」

「レイの力が必要なんだよ。ちょっと京一だけでは労働力が不足していてね。今年のボクは経営者と搾取の理論を展開することにしたんだ」

「……つまり、負けたやつは奴隷になって働け、か?」

「人聞きが悪い。文句を言わずに言われるままの力を提供してほしいというだけのことだよ」

 

(―――うん、それは奴隷労働そのものだね)

 

 内心でツッコミをいれてみたが、口には出さなかった。

 だって、僕だって同じ立場だからね。

 

「しょーがねーなあ。何をすればいいんだよ……」

 

 さっきまでのギラギラしたところが消え、なんというか年下への面倒見が良さそうなお姉さんという感じになっていた。

 そういえば、僕が最初に見かけた時は、彼女は何の関係もない女の子を悪霊から助けていたよね。

 退魔巫女として働きだしてからの何かしらのストレスのようなものが、彼女に悪いプレッシャーでも与えていたのだろうか。

 御子内さんに敗れたことで心境の変化があったのかもしれない。

 おそらく、こっちの方がきっと素の彼女なのだろう。

 

「こっちです」

 

 僕とは二人を連れて、武家屋敷の庭へと赴いた。

 そこは他と同様に雑草が生い茂り、元々は庭園であったと思われるのに、ただの荒れ地となっている場所だった。

 よく見ると、中央に深い穴が空いている。

 

「なんだ、これ?」

「古井戸……かな」

「どうして、こんなものがあるんだ? 危なくないかよ」

「すぐ先に茶室があって、そこで使う水を汲みだしていたんだ」

「ほお」

 

 中を覗き込んだレイさんがずばっとのけ反る。

 それも当たり前。

 井戸の中から〈うわん〉が現われたからだ。

 

「こいつ……!」

「待て待て。ボクの言うことを聞く約束だろ。その〈うわん〉を退治するのは禁止だ。―――で、これを持っていろ」

 

 御子内さんがレイさんにリングに使うロープの予備の先端を手渡した。

 

「なんだよ、これ?」

「じゃあ、京一も頼んだよ」

 

 そう軽やかに言い放つと、御子内さんはロープの反対側を持って井戸の中にするすると降りて行ってしまう。

 予想していない行動に驚いたレイさんだが、ロープにかかる友人の全体重を感じるとすぐに〈神腕〉の力も行使して、支え始めた。

 僕も微力ながら手伝わせてもらう。

 もともと僕一人では御子内さんを支えられないためにレイさんを起こしたのだから、少し気が咎めてしまうのだが。

 

「よーし、いいぞぉ」

 

 井戸の中で御子内さんの声が反響する。

 僕たちは「せーの」という掛け声とともにロープを引っ張り(力の大半はレイさんのものだっだけどね)、無事に古井戸の底に降り立った御子内さんを救出した。

 彼女が背中に背負っている青白い肌の中年女性とともに。

 

「お、おい……。それは……死んでるのかよ?」

 

 背中から女性を下ろし、地面に横たえる。

 おそらくは井戸水で濡れていたのか、びしょびしょだった。

 それだけでなく、まるで氷のように冷たかった。

 

「死んではいないよ。完全に仮死状態―――というよりも半分幽界に入ってしまっていて生命活動そのものがストップしている」

「マジかよ。……どうしてそんな奇跡的な状態で命を取り留めていられるんだ?」

「おそらく冷え切った井戸水に浸かっていたことと、あいつのせいだ」

 

 御子内さんの指は〈うわん〉を示していた。

 

「早い段階で、〈うわん〉がこの彼女から出現したせいで、人と鬼が交わる世界―――幽界に半分入り込んでしまったんだろうね。おかげでおそらく半年以上もこの女性はこのままの状態で井戸の底にいられたということさ。ただ、京一が見つけなければ早晩死んでしまっていたとは思うけど」

「ちょっと待てよ。―――て、ことは?」

「ああ。その〈うわん〉はこの女性の無意識―――もしくは死にたくないという執念が産みだした鬼だったというわけだ。まあ、全部、京一の推理なんだけどね」

 

 ……〈うわん〉というのは、通りすがりの人に向けて「うわん!」と叫んで驚かすだけの妖怪で、鬼の一種だと言われている。

 逆にいえば、「ただ、それだけ」なのだ。

 意味もなければ、必要性もない。

 何かの自然現象が妖異(あやかし)として昇華したものでもない。

 突き詰めれば、謎の存在で正体不明なのだ。

 だが、世の中には完全に意味不明なものなどない。 

 絶対に意味はあるのだ。

 そこで、僕は考えた。

〈うわん〉は江戸時代の妖怪草子などにおいてはお歯黒をつけた妖怪として描写されている。

 平安時代などの発祥の頃はともかくとして、江戸時代以降の近代においては、お歯黒は既婚の女性、もしくは年配の女性のための化粧方法として確立されていた。

 ならば、どんなに恐ろしく見えても〈うわん〉というのは女性だと考えるのが、妥当である。

 さらに鬼が人の負の感情が実体をもったものだとすると、〈うわん〉は特定の女性から産まれたものだと解するのが適当だ。

 だが、〈うわん〉を産んだ負の感情とはなんだろう。

 まさか、人を大声で驚かすことで満たされる感情なんてあるものだろうか。

 ここでその名前の由来まで思考を巡らせてみた。

〈うわん〉。

 九州の方でオバケを「わん」と言うことからつけられたという説もあるが、それは〈うわん〉が口にする言葉と「わん」を同一視したからであろう。

 まとめると、〈うわん〉は「うわん」と言うから〈うわん〉なのだ。

 つまり、「うわん」という言葉の意味が問題となる。

 人の感情において「うわん」と叫ぶときはどういう場合であるかを考えてみると答えがでる。

 

「うわーん」

 

 と叫ぶときとは、すなわち「()()()()()()()」ときなのだ。

 そして、通りすがりの人に対して泣き叫ぶときとは、大人でも赤ん坊でもほとんど変わらないだろう、それは一つしかない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 しかないのだ。

 ここで僕は〈うわん〉の正体とは「誰かに助けを求めている年配の女性の思念が鬼となったものではないか」と推理したのだ。

 だから、僕は武家屋敷の中を探して回った。

 もしかしたら、誰かに助けを求めているお歯黒をつけられる年頃の女性がいるのではないかと。

 そして、実際に僕の意図に気がついたらしい〈うわん〉に案内され、古井戸の底に落ちていたこの女性を発見したという訳である。

 

「……京一、その女性(ひと)が手にしている分厚い本はなんだい?」

 

 僕は凍り付いてしまったように、女性が絶対に放さない黒い本を見た。

 

「たぶん、この屋敷の住人が持っていたアルバムだよ」

「アルバム?」

「うん。さっき住人の人のねぐらをみていたときに、本棚から抜き出した跡があった。それがきっとこのアルバムなんだ」

「どうして、そんなものを」

 

 僕は女性がどうしてそんなことをしたのか、推測しかできないけれど、

 

「きっとこの女のひとは、ここの亡くなったご主人の娘さんだったんだよ。確か、相続人が見つかっていないという話だったよね。でも、何か事情があって帰ってこれなくて、親が亡くなっても名乗り出ることができなかった。当然、この屋敷も相続できない。ただ、家族の思い出ぐらいは欲しかったんだろう。このアルバムだけを形見の代わりにでももらっていくことにしたんだよ」

「じゃあ、どうして古井戸(こんなところ)に?」

「それはわからない。事故なのかもしれないし、自殺かもしれない、はたまた誰かに突き落とされたのかも。……でも、死ぬかもしれない瞬間もこのアルバムを大事に抱きしめて、〈うわん〉という妖怪まで産みだしてまでなんとか助かろうともがいていたんだ」

 

 結果として、生命をかろうじて拾ったというところだ。

 

「―――じゃあ、もしも、オレが〈うわん(こいつ)〉を退治していたら……?」

「きっとこの女性は助からなかっただろうね」

 

 僕の説明を聞いて、レイさんが眼を伏せた。

 でも、気に病むことではないよ。

 だってレイさんは知らなかったんだから。

 

「じゃあ、京一がこの女性(ひと)を助けたんだね」

「いいや、違う」

「ん?」

 

 僕は御子内さんを見て、

 

「君がレイさんを説得してくれたから、〈うわん〉の正体を突きとめることができたんだ。御子内さんの戦いのおかげだ」

「―――そんなことはないね」

「御子内さんが一つの避けがたい不幸を防いだんだ。だから、胸を張っていいよ」

 

 巫女レスラーは照れくさそうに微笑んだ。

 可愛くて抱きしめたくなるぐらいに頬を紅くして。

 

「……そうかよ。或子の言っていたのはこういうことなのか」

 

 レイさんがぽつりと呟く。

 彼女からはどこか投げやりな摩耗した雰囲気が醸し出されていた。

 

「オレのやっていたことはなんだったんだろうな。妖怪を退治するだけで、本当に意味があったのか、わからねえや」

 

 でも、僕はそんな自嘲的な言葉を否定した。

 

「そんなことはないよ」

「……なんだと?」

「レイさんは、昨日、通りすがりの女の子に憑りつこうとしていた悪霊から、彼女を助けていたじゃないか」

「どうして、それを……」

「偶然だけど、見ていたからね。そして、その女の子だけでなくて、引き剥がされた悪霊だって、それによって自然と成仏して消えていった。レイさんは女の子と悪に染まりかけた霊の二つを救ったんだ。それは誇るべきことだと思う」

 

 僕は訥々と言った。

 心の底から。

 

「レイさんのしてきた戦いも絶対に無駄じゃあないんだよ。渇きも空洞も、きっと本当はなかったんだ」

 

 すると、彼女からは今度こそ何かの憑き物が落ちた。

 剣呑さはもうどこにもない。

 

「……そっかあ。そうだったのかよ」

 

 そんな彼女を、御子内さんと―――本体が助かったことで役目を果たしたのか、徐々に消えゆく〈うわん〉が見守っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

参考・引用文献

 「江戸の怪奇譚」 氏家幹人 講談社

 「河童とはなにか」 常光徹 岩田書院


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