巫女レスラー   作:陸 理明

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設営準備待ったなし

 御子内さんが妹相手に事情聴取している間に、僕と涼花が今日は学校を休むことを両親に告げ、無理やり承知させた。

 もうなりふりかまってはいられない。

 御子内さんのことも、デタラメ並べて土下座することでごまかした。

 今日一日が勝負なのだ。

 僕にできることは御子内さんが動きやすいように状況を整えることだけ。

 あとは彼女に任せるしかない。

 

「……あ、京一。ちょっと出掛けるから、ついてきて」

 

 部屋に戻ろうとしたら、御子内さんに誘われた。

 涼花の様子を見てからというと、「安心したのか寝ちゃった」と言われた。

 なんでも昨日はほとんど一睡もできなかったらしい。

 ウトウトしてしまった僕と違って、どうやら一晩中、〈高女〉からの嫌がらせみたいな口撃を受けていたようだ。

 ただ、そんな目にあったというのに御子内さんとちょっと話しただけで安心できるなんて、やっぱり巫女さんは違うな。

 

「多分、それだけじゃないね。君が必死に立ち回っていてくれるからだろうさ。絶対に信じられる味方がひとりいるだけで人間というのはタフになれるものだからね」

 

 御子内さんに気を遣わせてしまった。

 僕なんかほとんど何もしていないというのに。

 それから、僕たちが向かったのは昨日の稲荷神社の境内だった。

 いつもの神主さんはいなかったが、御子内さんがいるだけで随分と印象が違う。

 本当に神様の聖域という感じがするのだ。

 繁った葉の隙間から漏れてくる陽光と、神社に相応しい清々しい空気。人の世界の雑音がほとんど聞こえてこない静謐さ。玉砂利と石板の発する無機質さも、コンクリートなどに比べものにならないほどに心地いい。

 普段、よく遊びに来ていた場所と同じところとは思えなかった。

 すべてが、御子内さんという巫女さんがいるおかげなのかもしれない。

 ただ、ちょっとだけ首を捻らざるを得ないのは、境内の隅にまとめられた運動会のテントみたいな設営機材の存在だった。

 ブルーシートに巻かれたロープみたいな輪っかが幾つも見えた。

 昨日、僕がここに来た時にはなかったものだ。

 

「あれ、なんでしょうか?」

 

 と僕が訊いても御子内さんは応えず、

 

「よし、きちんと届けておいてくれたみたいだね。久しぶりにいい仕事したじゃない、運送班」

 

 そのまま、設営機材のもとにいって、リュックから取り出したファイルのようなものと見比べ始める。

 多分、数が足りているかどうかの検品作業なのだろう。

 でも、これは一体何に使うものなのだろう。

 御子内さんの関係ということは、妖怪を調伏するための儀式に使う護摩壇のようなものだろうか。

 それにしては板みたいなものがやたらに多いけど……。

 しばらく様子を見ていたら、御子内さんが僕を手招きした。

 

「これが設計図だ」

「設計図?」

「初めての作業だし力仕事だから時間がかかると思うが、夕暮れまでには組み上げてくれ。任せたぞ」

「……はい?」

 

 彼女の言っていることはさっぱりだったが、とりあえずいいつけの通りに僕は設計図片手に作業を始めた。

 まず、境内の広い部分を確保してゴミなんかを取り除く。

次に、まとめてあったブルーシートを敷いて、6メートル四方に鉄製の柱を立てる。柱の下には木の板を置いて、さらに梁を掛けて固定する。これで柱は倒れない。

 それから、また木の板とマットレスを交互に敷き四つ折りになっていたキャンパス的なものを重ねる。

 鉄の柱には器具が取り付けられていたので、それを使って輪になっていた三本のロープを張る。その際、緊張(テンション)が均等になるようにちょっとした器具を使うのがコツらしい。

 あとは、体育の授業で使用するようなマットをそれぞれ四方に配置して出来上がりということだ。

 しかし、だ。

 えっと、これって……

 

「リング……だよね」

 

 どう考えても、これはプロレスとかで使用されるリング以外の何者でもない。

 ロープの数が三本というのも、四本が基本のボクシングのものと違っていることがわかる。

 僕はいつのまに新日本プロレスのお手伝いさんになったのだろう。

 だが、設置している最中に疑問をもって手を休めていると監督している御子内さんに、「こら、真面目にやれっ!」とどやされた。

 おかしい。

 何がどうして僕はプロレスリングの設置をすることになってしまったのだろう。

 

 ……昼ごはんも食べずにみっちりと作業して、もうすぐ夕方という頃になって、ようやくリングは完成した。

 場外に敷いたマットの上で急激な筋肉痛に喘いで寝そべっていた僕は、完成したリングの上で受身をとったりロープのテンションを確認する作業したりする御子内さんを、横目で眺めていた。

 この肉体労働のおかげで、余計なことはまったく考えられなかったが、やっぱり思うことはある。

 

「これ、何の意味があるの……」

 

 すると、御子内さんがそれを聞きつけたのか、なにやら語りだした。

 

「去年の秋口に、ここからそう遠くない奥多摩で巨大なムカデの目撃情報があった」

「ムカデですか?」

「ああ、そうだ。あのゲジゲジとしたムカデさ。目撃者の話では二十メートルはあったらしい」

「でかいですね……。見たらすぐ逃げ出しちゃいそうです」

 

 御子内さんはくくっと笑った。

 素敵な笑顔だ。

 馬鹿にしてるというのではなく、同意の笑顔っといったところか。

 

「ボクでもちょっと逃げるかもな。で、そのムカデはやっぱり化け物だったらしくてな、近所の神社仏閣の幾つかを荒らしまくって悪さをしまくった。ボクたち、巫女にも退治依頼がきたぐらいだ」

「御子内さんがやっつけたんですか?」

「いや、そいつは別の人が弓矢で退治したんだけど、本題はそこじゃないんだ。そのムカデの大暴れで幾つかの由緒ある地蔵菩薩像が破壊されたことが、大問題だったんだよ」

「はあ、お地蔵様が……」

 

 何か、引っかかった。

 お地蔵様?

 

「わからないかい? 地蔵菩薩といえば、君が見せてくれたサイトに載っていただろう」

 

 もしかして、八尺様を小さな村に封印していたという……

 お地蔵様なのか。

 

「そうだ。気がついたようだね。君の妹さんを魅入った〈高女〉はね、おそらくその地蔵菩薩像によって封じられていたものなんだよ」

「だから、ここにその〈高女〉が……」

「ああ。どういうルートを辿ったかは知らないが、たぶん、ボクの推測通りだと新青梅街道を上ってきたんだろう。それなら、ここから近いしね」

 

 涼花が襲われたことは単に運が悪かったということだとしても、八尺様―――妖怪〈高女〉がどうしてこんな町にいるかについてはわかった。

 ただの通りすがりなのかもしれない。

 なんて迷惑な妖怪なんだろう。

 

「じゃあ、御子内さんがここにすぐに来れたのは……」

「〈高女〉について警戒していたその筋の人がボクを派遣したんだよ。まあ、ボク自身、結構そばに住んでいるということもあるけどね」

「えっ、御子内さんって伊勢神宮とかそちらの有名な場所の巫女なんだとばかり思っていましたけど」

「まさか。ボクはそんなに格が高い巫女じやないよ。たとえ、立ち技最強のボクでも血統とかには逆らえないしね。……ボクはすぐそこの武蔵立川に住んでいるんだ」

「……わりと近くですね。自転車で行けるじゃないですか?」

「ああ。ボクだって普段はこれでも高校生なんだよ」

 

 驚いた。

 御子内さんが女子高生?

 似合わないというよりも、理解できない。

 こんな可愛くて不思議な巫女さんが、制服を着てスマホ持って「きゃっきゃうふふ」しているってのか!

 ありえなくない?

 

「なんだい、その顔は? あとでボクの高校に来るかい? 正真正銘の武蔵立川高校二年生なんだからね」

「武蔵立川!」

 

 なんたることだ。

 武蔵立川っていったら、涼花の志望校じゃないか。

 もしあいつが受かったら、御子内さんの先輩・後輩になるのか。

 しかも二年生だって?

 僕と同い年じゃないか!

 

「なんというか、君はちょっと失礼だね。健気で一生懸命なのは好感持てるけどさ。……さて、じゃあ、そろそろ君の家に戻ろうか。涼花ちゃんを連れに行かないと……」

「えっ、今、なんて?」

「涼花ちゃんを連れに戻る」

「どうしてですか? あいつを外に連れだしたら、〈高女〉に襲われます。あの妖怪は昼間だって現れるんですよ」

「仕方ないんだよ。いくらボクでも何もない場所では妖怪相手には手も足も出ない。でも、ここにある結界の上なら違う。ここでならば、ボクはボクのやり方でどんな妖怪とだって渡り合える」

 

 御子内さんは足元のマットをどんどんと蹴った。

 そして、胸を張って言う。

 

「この四角い結界の中でなら、巫女は無敵なんだ。そして、ボクは巫女の中の巫女、チャンピオンなんだよ!」

 

 人差し指と小指を立てた独特の指型で、腕を天高く突き上げた御子内さんは自信満々に宣言した。

 アイドルよりも上なんじゃないかっていうぐらい可愛くて凛々しい巫女の姿を、僕は陶然として見つめた。

 一目惚れしちゃうかもしれないほどに綺麗だった。


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