巫女レスラー   作:陸 理明

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第9試合 江戸の夜桜
光る眼


 

 

 没頭していた趣味が一段落ついたので、和田雅史(わだまさし)は手元のミネラルウォーターのペットボトルに口をつけた。

 だが、中身はほとんど残っておらず、喉の渇きを完全に潤すことは叶わなかった。

 かといって、近所のコンビニまで出掛けるのは億劫だ。

 階下の台所まで取りに行くも面倒。

 趣味のせいで両手も随分と汚れているし、せめて母親が寝入ってからにしないと、何をしているのかがバレてしまうからだ。

 親とはいえ、知られたくない趣味というものはあるのだ。

 とはいえ、下手に一口だけ水分を飲んでしまったせいで耐え難いものになりつつあった。

 

「しょうがねえ。行くか」  

 

 和田は床から立ち上がった。

 広げたシートを踏まないように部屋の外に出ようしたとき、いきなり戸がすっと開いた。

 五センチほどの隙間が生まれ、廊下の電灯の明かりが差し込んでくる。

 自然に開いた訳ではない。

 誰かが戸を開けたのだ。

 慌ててその前に立つ。

 部屋の中は薄暗いとはいえ、趣味の品を見られるわけにはいかない。

 

「おい、ふざけんな。ノックぐらいしろよ!!」

 

 和田が凄む。

 この家には彼と年老いた母親しかいないのだから、消去法で開けたのは一人しかいない。

 外では小さく縮こまるしかできない根性なしの彼でも、老母相手ならばいくらでも居丈高になれる。

 

『……ごめんなさい、雅史ちゃん』

 

 二十数年聞き慣れた母親の声だった。

 なのに、なぜかぞっとした。

 一瞬、別人のものかと思うほどに。

 

「謝るくれえならすんなよ、ババア! 何の用だよ!?」

『そんな怒鳴らなくても……』

「怒鳴られるような真似をするてめーが悪いんだっての!」

 

 自分より弱い立場にいるものとばかり思っていた母親に怯えかけたという屈辱が、和田をいつもより興奮させていた。

 このまま戸を開いて、母親を殴りつけたくなる衝動に駆られる。

 だが、全開にして万が一にでも見られようものなら、かなりマズいことになる。

 さすがの気弱な母親でも何らかのリアクションを起こすであろうことは明白だ。

 だから、耐えた。

 二十歳を越えてからかなり制御できなくなっている激昂する癖をギリギリのところで堪える。

 

「……なんだよ。用がねえなら、さっさと下へ行けよ」

『雅史ちゃん』

 

 息子をいつまでもちゃん付けで呼ぶ、いらつくババアだった。

 

『……()()()()()()()

 

 いつもの母親ならば決してしてこない詮索をしてきた。

 また怒鳴りつけてやろうとした時、和田は戸の隙間からこちらを覗き込む眼に気がついた。

 母親が見ていた。

 隙間にぴったりと顔をつけるようにして。

 まるで眼だけが浮かび上がるように。

 和田は思わず一歩引いた。

 不気味だったからだ。

 

「な、なにをしているんだ、ババア!」

『雅史ちゃんこそ、部屋にこもってなにをしているの? お仕事? お勉強? それともお遊び?』

「……てめーに言う必要はねえよ!」

『そんなことを言わないで。ねえ、お母さんに教えてちょうだい。電気もつけないで、いったい何に熱中しているの?』

「うるせえ!」

 

 和田は戸を蹴りで閉めた。

 監視するように覗いている母親の顔にぶつかるかもしれないという心配はまったくしなかった。

 それよりも、いきなりこんな気持ちの悪いことをしてきた母親を隔離したかった。

 

『……酷いじゃない、雅史ちゃん。お母さん、顔をぶつけちゃったわ』

 

 そんな手応えはなかった。

 同情を誘うにしてももっとましな嘘をつけ。

 

「うるせえ、白々しいぞ! さっさと下に戻れよ!」

 

 かなり大きな声で喚き散らしたが、今日に限って異常な行動をとる母親には効き目がなかったようだ。

 気配でわかる。

 まだ、廊下にいるのだと。

 

『雅史ちゃん、もっとお外に出ないと身体に悪いわ。昨日みたいに、夜遅く出歩いて悪い人にでも絡まれたらどうするの? お母さん、助けてあげられないのよ……』

「てめーの助けなんか借りねえよ。いいから、戻れ。話しかけんな!」

『お母さんは雅史ちゃんが心配で……』

「いい加減にしやがれ!」

 

 完全にキレた和田は、部屋の中が見えないように身体でブロックしつつ、戸を開けて廊下へ飛び出した。

 もう怒った。

 殴ってやる。

 

「てめぇ……!!」

 

 だが、部屋から出た瞬間、和田は硬直した。

 廊下の隅から自分を見つめる母親の姿を見た時。

 見たこともない微笑みを浮かべた、見慣れた母親の顔を拝んだ時。

 

「ひいっ」

 

 恐怖が走った。

 背筋が凍り付いた。

 なぜなら、そこにいたのは、闇からじっと彼を凝視しているのは……。

 

「どうしたの、雅史ちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 飛び跳ねるように和田は自分の部屋に逃げ戻った。

 これ以上、あの母親と向き合ってはいられなかった。

 だって、そうだろう。

 

 ……廊下の電灯のかすかな光を反射して黄色くなった瞳は恐ろしすぎたのだ。

 

 

          ◇◆◇

 

 

「……実家の車がいつも猫の溜まり場に使われていて困る、と?」

「そうッス。で、どうすればいいかなあと考えていたら、京一君のことを思い出した訳ッスよ」

「蒼はバカだから話がまとまらないの」

「酷いッス! 親友をバカ呼ばわりするなんて!」

「―――蒼は愚鈍だから仕方ないの」

「もっと感じ悪っ!!」

 

 僕と御子内さんは久しぶりに〈ぬりかべ〉事件のときに知り合った女子高生たちと遊んでいた。

 退魔巫女なんていうニッチな職業をしている御子内さんにとって、彼女の裏を知っている同年代の普通の友人の存在は貴重で、あのあともマメに連絡を取り合っていたらしい。

 御子内さんは高校では退魔巫女であることは伏せているのだそうだ。

 自称、普通のJKということである。

 同じ部活に入っている妹からの情報によると、まあ巫女であることはバレていないけれどトップクラスの変わり者という評価ではあるようだ。

 学内での変人十傑の一人らしい。

 というか、御子内さんクラスが十人もいる学校には通いたくないね。

 

「いやあ、でも或子ちゃんも歌上手いッスねえ」

「……うん。或子、上手」

「カラオケなんて久しぶりだよ」

「いやいや、キャラ的に選曲も外してくるかなと思っていたら、フツーに直球でいきものがかりとか。巫女さんキャラなんだからもっと狙わないと!」

「なんだい、それは? ボクだって年がら年中巫女をやっているわけじゃあないよ。ねえ、京一。いかにもJKっぽいこともしているよね」

 

 女子三人とカラオケに行っただけでお疲れの僕に振らないでほしい。

 正直、御子内さんは言うまでもなく、残りの二人の体力もハンパではなく、三時間ずっと歌って食べておしゃべりして、なおかつ踊り続けたのに平然としているのだ。

 しかも、だよ。

 踊りといっても、モンキーダンスのように手を上下させる程度のものではなく、ツイスト並みに派手に身体を捻ったりするものばかり。

 クラブかよ、と突っ込みたくなるレベルの運動量なのだ。

 少なくとも僕の記憶にあるカラオケはもうちょっと慎ましやかなもののはずである。

 僕でさえ、ほとんどずっとマラカスとタンバリンを叩いていたし。

 やかましいことこの上ない時間であった。

 

「……無理して若い子ぶらなくていいから」

「ちょっと待てぃ! ボクが年齢をサバよんでいるような言い方はやめてくれないか! こう見えても花も実もあるピチピチなんだよ!」

 

 ファストフード店で抹茶を飲もうとしていたことを忘れているらしい。

 今でもメールもまともに使えないくせに、もう。

 

「或子は変だから」

「―――切子までそういうことをいうのかい!」

「言われないと思っているところが凄いッスよね。尊敬するッス! そこに痺れる憧れるぅ!」

 

 この三人は仲が良い。

 まあ、基本的に御子内さんはコミュニケーション能力は高いし、同年代の女子には好かれやすいタイプなのだ。

 そのくせ、仲間の退魔巫女とはギスギスしているのは仕様だろうか?

 

「で、話を戻すと、蒼はどうしたいんだい? その車の猫溜まりの件について」

「うーん、困るんスよね。お父さんが朝起きると、いつも車のボンネットが猫の足跡だらけになっていて。会社まで車通勤だから」

「猫はモフモフしてて好き」

「だったら、シートをかければいいじゃないか」

「何度もやったんスけど、今度はシートが糞塗れになってしまったんスよ。それで買い替えることになってしまって。だったら、すぐに洗車できる方がいいとシート作戦は中止になったんス」

「……結構、深刻。猫は躾しないとどこにでもフンをするから」

「水の入ったペットボトルを置くとかはどうだい?」

「ダメダメ。あんなの効かないッス」

「はあ、厄介だねえ」

「そこで京一くんに良い知恵はないかと聞こうと思った訳ッス」

 

 なるほど、話の筋はわかった。

 でも、そんな実家のご近所トラブルの話を僕に振られても……。

 

「そんなに毎日なの?」

「そうッス。かれこれ二月ぐらい」

「二ヶ月かあ。蒼さんの家の傍って猫屋敷とかがあったりして、猫の糞害とかが話題に昇ったりする?」

「野良ネコは結構多い方だけど、そういうのは聞いたことがないッスね。月極駐車場にだから他にも車はあるけど、うちが一番深刻ッスね」

「車種は?」

「あ、これが写真ッス」

 

 スマホに映し出された写真はBMWだった。

 まさかの金持ち一家なのか、大地家は?

 ただ、汚れの目立ちやすい黒だし、猫の足跡なんかがついていたら格好がまったくつかないな。

 そりゃあ悩みにもなるか。

 毎日、月極駐車場で猫の足跡を拭いてから出掛けるのも面倒くさいだろうし。

 ん、ちょっと待て。

 

「……蒼さんの家には、駐車スペースがないの?」

「あるッスよ。でも、ちょっと工事する予定で使えないんス」

「二ヶ月も?」

「お隣さんと、さらにそのお隣さんと話し合いしなきゃならないんスよ。でも、お父さんが忙しくてなかなか進まないんス」

 

 お金持ちのお嬢さんっぽいのに、蒼さんは気さくだな。

 

「あ、もしかしたら……」

 

 ちょっと思いついたことがあるので披露しようと思った時、御子内さんがスマホを見て、立ち上がった。

 

「すまない、用事ができた。ボクと京一は行かなくちゃならないみたいだ」

「いきなりどうしたの?」

「びっくりしたッス」

 

 休日の御子内さんに呼び出しがかかった上、僕まで連れていこうとするとなると、用事というのは決まっているね。

 

「巫女の仕事?」

「うん。しかも、かなり緊急のものだ」

「へえー。どんな妖怪ッスか? あ、聞いちゃ駄目だった」

「そういう規則はないけれど、あまりペラペラしゃべらない方がいいというのは確かだね。とはいえ、キミらをすっぽかして行くわけだから多少の説明は必要かな」

「気にはなるけど、或子の迷惑になるならいい」

 

 二人に気を遣われた御子内さんは苦笑いをして、

 

「さっきの話とちょっとリンクするかもしれないね」

「?」

「……今回はどうも化け猫が絡んでいるらしいのさ」

 

 化け猫とはまた面倒くさそうなものがきたね、と僕は素直にそう思った。 

 

 

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