巫女レスラー   作:陸 理明

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中国巫術事情

 

 

 雑居ビルの入り口で僕たちの対応をしたのは、ごく普通の太ったオジサンだった。

 少し眼が細いのがちょっと中国人ぽいと失礼なことを考える。

 ただ、入口のところとここに来るまでの路上に、幾つもの監視カメラが隠されていることにからすると、やっぱり普通ではないのかもしれない。

 ちなみに、カメラを見つけたのは音子さんだ。

 視線と歩きながらのライントークで教えてくれた。

 

「ようこそ、えと、日本(はぽん)の道士様でございますかな?」

「シィ。―――京いっちゃん、まかせた」

「……はい、そうです」

 

 音子さんが面倒くさがって交渉をさぼりだしたので、僕が表に立つことになった。

 そんなに長い付き合いではないけれど、彼女や御子内さんの生態について僕はだいぶ詳しくなっている。

 

「あんたは?」

「僕は〈社務所〉から派遣された、退魔巫女の助手です」

「おう。内弟子ですかな。よくぞ参られた。老師がお待ちしております」

 

 オジサンは僕らを奥まで連れて行こうとする。

 外はいかにもどこにでもありそうな雑居ビルという様子なのに、内部はかなり広めの廊下と高級そうな壁紙が張られていたりして、立派な造りをしていた。

 かなりのお金をかけているのは明らかだ。

 監視カメラといい、室内の装飾といい、予想以上に贅沢な場所である。

 あと、鼻につく甘い香りはなんだろう。

 

「こちらです。―――老師、日本の道士様とその内弟子の方をお連れいたしました」

「入れ」

 

 案内されたのは、突き当りにある金色と赤の装飾が施された両開きの扉だった。

 ゲームならばラスボスが待っていそうな感がある。

 オジサンが開けてくれたので、そのまま中に入った。

 僕と違って、音子さんは躊躇いもしない。

 美貌にわずかな怯みもなかった。

 本当に胆が据わっているんだなあ。

 

「ようこそ、拝亭盆へ」

 

 竜や虎をあしらった彫刻がいたるところに施された豪奢な部屋だった。

 ところどころに派手な刺繍を施されたタペストリーのようなものがぶらさがっていて、室内に軽いお香の匂いが漂っている。

 例の甘い香りの出どころはここのようだ。

 

「……京いっちゃん」

「初めまして、こちらは僕の―――いえ、〈社務所〉から派遣されました退魔巫女の神宮女音子です。僕はその助手をしています」

「そうか。わしは元 華(ユン・ワー)だ。そこの街で黒社会(ヘイシャーホェイ)の真似事の元締めのようなことをやらせてもらっている」

 

 元 華(ユン・ワー)と名乗ったのは、細い口ひげを生やし、髪もちょっと薄くて後退しているが渋みのある中年男性だった。

 ただ目つきが鋭く、とても堅気には見えない。

 口元が笑っても全体で見ると絶対に笑顔ではないという感じだ。

 案内してくれた太った人と並ぶと、どちらも生粋の日本人ではないと思われた。

 名前のとおりに中国人なのだろう。

 

「二人とも随分と若いな。高校生ぐらいか?」

「はい、そうです」

「……」

 

 まあ、僕はさておくとして、音子さんなんかも退魔の仕事をしているようには見えないから仕方ないか。

 この手の若さへの偏見からも彼女たちは戦う運命にあるのだろう。

 

「いや、気にしないでくれ。道教の道士様がお若い姿なのはよくあることだからな。別に年齢で君らを疑っている訳ではない」

 

 黙っていると、勝手に向こうからフォローがやってきた。

 多少慌てている。

 ダンディーな中国人男性の慌てるさまはなかなかに面白い。

 

「君らはこの国の道士なのだろう?」

「えっと、道士というものとはちょっと違いますが、こちらの音子さんは日本神道の退魔巫女の仕事に就いています。身内でいうのは自慢のようで憚られますが、一、二を争う腕利きだと断言できます」

「……シィ」

「うむ。では、事情を説明させてもらおう。実のところ、こちらとしても困っていてね。ワシらのような黒社会が日本人にものを頼むのはあまり歓迎されないのだが、贅沢をいってられる余裕はない状況なのだ」

 

 すると、さっきのデブの人が椅子を二脚用意してくれた。

 

「よろしい、胖三(ぱん・さん)。おまえは地下に行って、準備をしておけ」

「えっ俺がですか? 嫌ですよ。あいつら薄気味が悪くて……!」

「仕方あるまい。ここで止めるしか道はないのだ。あんなものを横浜に解き放ってみろ。ワシらがこの国にいられなくなる!」

「は、はい、わかりました老師!」

「早く行け!」

 

 何やら叱られたらしいデブの人が弾かれたように、部屋の外へ駆け出して行った。

 途中であまりに急いでいたのか扉に頭をぶつけて、「くぅ~」と押さえながら小走りになる姿はなんだか面白い。

 やりとりが非常にコミカルで芝居でもみているかのようだ。

 

「……失礼した。あいつは胖三(ぱん・さん)といってワシの会社で小間使いをやらせている。いい年をして愚鈍な男で困っているのだ」

「そういうの、いいから。さっさと説明してくれる?」

 

 いい加減、焦れてきたらしい音子さんが話を促がしてきた。

 彼女は意外と気が早い。

 いらち、というものかもしれない。

 

「わかった。……〈社務所〉には、〈殭尸(キョンシー)〉退治だと伝えておいたはずですな、道士様」

「シィ」

「では、〈殭尸〉がどういうものかも調べてきているんでしょう」

「一通りはね。だから、あたしが来た」

「なるほど。では、すべてをお任せするとしよう、神宮女道士。こちらを見てください」

 

元華さんは僕たちに一枚の写真を渡した。

映っているのは二十代後半ぐらいの、これもファッションセンスからすぐに中国人とわかるような男性だった。

僕にも見慣れた成田空港での記念写真のようだ。

同郷の人たちとともに楽しそうにポーズをとっている。

 

「この人は?」

林 光榮(リン・グァンロン)。北京から来た観光客だ。そいつが歌舞伎町を観光しているときに、突然、死んだ。死因はわからん。ただ、倒れて病院に行った直後には死んでしまった」

「もしかして、この人が?」

「そうだ。そいつが〈殭尸〉として甦った。で、今、ここの地下に閉じ込めてある」

 

 閉じ込めてあるということは、もうほとんど片がついているのと同様なのじゃないだろうか。

 どうして退魔巫女の力が必要なんだろう。

 それに、そもそもどうして、この林という青年は〈殭尸〉なんていう化け物になってしまったんだ?

 

「そいつはな、北京の共産党幹部の息子なんだよ。しかも、今のご時世、日本にまで観光になんて絶対に来させちゃいけない立場の幹部のな」

 

 共産党の幹部の子供?

 

「ああ。だから、本名も出せないし、旅先で死んだからといって、死体を故郷に戻すように要請することも難しかった。通常の手続きでは帰国させられそうもなかった。―――そこで、北京から一人の男が送られてきた」

 

 そういって、もう一枚の写真が出てきた。

 こちらはパスポートの写真をそのままカラーコピーしたもので、かなり丸い顔をしていた。

 

「―――誰?」

「道教の道士だ。とりあえず宗教色は薄めようとしている北京でも、実際に力のある道士の一人や二人は飼っている。その中の一人だ」

「どうして、そんな人を?」

 

 今度、元華さんが取り出したのは、木製の剣の形をした玩具だった。

 いや、出来が良すぎるから玩具とは言えないかも。

 なんだか丁寧に扱っているし。

 あと、赤い紐を中心に通した古銭の束に刃がついたものもあった。

 どちらも日本のものとは思えない。

 

「これはその道士の持ち物なのだが、桃の木を削りだして作られた桃剣(とうけん)だ。あとは金銭剣(きんせんけん)。どちらも特定の術を使用するためと、ある化け物を退治するために用意されるものだ。当然、わかるよな」

「〈殭尸〉退治ですか?」

「ああ。正確にいうと、この道士は〈殭尸〉を法術によって産みだして、故郷に送り届けるという道長(どうちょう)の役割をもったものなんだ」

「どういうことですか?」

 

 ……元華さんのいうことによると、自分の息子の死体を国に戻すことができないと悟ったその共産党の幹部は、自分の息のかかった道士を日本へと派遣した。

 それは、死んだ息子を生きている死体―――〈殭尸〉に仕立て上げて、まるで生きているかのように錯覚させて飛行機で帰国させるためだった。

 日本に来た道士は、そのまま病院で身元不明の死体になっていた林 光榮(リン・グァンロン)に秘術を行使して〈殭尸〉にする。

 そして、そのまま高跳びするはずだったのだが……

 

「噛まれちまったんだよ、この道士が。しかも、この横浜でな」

「……そうなると、どうなるんです?」

「簡単だ、ゾンビと同じよ。ゾンビに噛まれたものがゾンビになるように、〈殭尸〉に噛まれたものは〈殭尸〉になる。ドジ踏んだ道士は、なんとか林の死体の〈殭尸〉と自分をこのビルの地下に閉じ込めたが、その傷が悪化して死んじまい、お揃いの化け物になって仲良く騒いでいる」

 

 ……ということは、もしかして、

 

「そいつらを斃せばいいの? あたしが?」

「あたりだ、日本の道士様よ。あんたに依頼したいのはその二匹の〈殭尸〉退治だ」

「シィ」

 

 ものわかりのいい音子さんはそれでいいかもしれないけど、僕はちょっと不満だった。

 

「ちょっと待ってください? どうして、中国の道士の方をまた呼んだりしないんです? 北京だけじゃなくて、今も中国にはたくさんいるんでしょ?」

 

 元華さんは少し考えて、

 

「ほとんどいねえんだよ、今の北京に道教の術者は。加えて、〈殭尸〉の術を使える奴はもっとすくねえ。大陸全土を探してもそんなにいないだろうな」

「どうしてです?」

「文革であらかた狩られちまったんだよ。しかも、わずかな生き残りは香港か台湾に逃げ出しちまって帰ってこない。林の親父もその辺に号令下せるほどの力はなかったんだろう。だから、次の道士を用意することもできないって寸法よ」

 

 なるほど、偏った知識しかないけど、道教も宗教の一種だし、あの文化大革命のおりに弾圧されてしまっていのか。

 それでもなんとか細々と続けてはいたが、人的資源は極端に少なくなっていたということだね。

 ただ、もう一つわからないことがある。

 

「この横浜にはいないんですか? 横浜だけでなくてもいいですけど、〈殭尸〉を退治できそうな人は?」

「いねえんだ」

「どうして?」

「そりゃあ、簡単だ。〈殭尸〉は生前の技術をほとんどそのまま受け継いでいる。例えば、身につけた武術とかもな。―――で、ここが問題なんだが、道教の道士と呼ばれる領域に達したものは()()()()()()()()()なんだ」

 

 耳にした途端、音子さんの顔が強張った。

 御子内さんもよく似た同様の顔色を浮かべたりするが、さすがは親友というところだろうか。

 

「つまり―――このビルに幽閉されている〈殭尸〉を倒せる人材がいないってことでいいんですか?」

「ああ、そうだ。〈殭尸〉の驚異的な身体能力と怪力、そして異常な跳躍力を持ち合わせた、拳法の達人相手に勝てるものなんて、日本の華僑には一人もいない。大陸から呼び寄せればなんとかなるかもしれないが、そんな時間はない。幽閉から脱獄されたら、この横浜は地獄に変わる」

「だから、日本の退魔巫女に頼むということ?」

「うむ」

 

 事情はわかった。

 なるほど、ただの退魔の仕事ではなく、素手での実力も試されるかもしれない。

 そういうことで〈社務所〉が選ばれ、中でも特に身軽でアクロバティックな戦い方を身上とする神宮女音子が推挙された、ということか。

 音子さんは黙ったまま立ち上がった。

 白皙の美貌に朱が差す。

 興奮している。

 戦いの血潮が燃え上ったことで。

 

「不安じゃないの、音子さん?」

「ノ。――― Estoy bien(エストイ ビエン)

「そう。でも、無理しちゃだめだよ」

「シィ。ポル ケ ヨー ソイ フエルテ……」

 

 熱くなっている。

 戦う気が満々なのだ。

 

「―――なあ、助手の子」

「なんですか?」

「この道士様は日本の巫女なんだよな」

「そうですけど、それがなにか?」

「今、なんて言ったんだ?」

 

 僕は簡単に通訳してあげた。

 巫女レスラーとして最高のルチャドーラ、神宮女音子は高らかに言い放ったのだ。

 

 

「平気だよ。なぜなら、あたしは強いから」

 

 

 と。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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