巫女レスラー   作:陸 理明

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ヒーロー錯乱

 

 

 勇太くんの病室は、難病の手術を控えているため、個室になっている。

 ただし、子供ということもあって、完全に消灯されることもなく、一部が点いたままなのだそうだ。

 問題の蘭条友彦が現われたのは真夜中。

 ふとしたことで目が覚めた彼は、病室の入り口で自分を見ている男の姿を発見した。

 最初は薄暗いこともありわからなかったが、眼が慣れてくるにつれて、そいつが若い男であり、しかも見覚えのある人物であることに気がついた。

 特徴的なピーコートを羽織った最終回直前の頃の蘭条友彦その人だということに。

 悪の組織グアディライとの最終決戦までの数話は何度も見返していたから、見間違えるはずがない。

 勇太くんはそれが蘭条友彦だと確信した。

 だが、蘭条友彦はしばらく彼を睨みつけるだけだった。

 まだ子供の彼は現実でそこまでの強い憎しみを叩きつけられたことがない。

 世界のすべての人が自分を愛していてくれると思えるのは子供の特権であるから当然かもしれない。

 だから、その蘭条友彦が音もたてずに歩いてきて、ばっと手を伸ばし、彼の首に手をかけたときも意味がわからなかった。

 ぐぐっと喉が締め付けられる。

 勇太くんは呼吸ができなくなるのを感じた。

 呼吸器官を潰されようとしているのだから当たり前だ。

 このまま殺されると思った時、ふと口に出た言葉が彼を救った。

 

「やめて……GA……」

 

 その瞬間、蘭条友彦は顔をしかめ、勇太くんを突き飛ばした。

 そして、一言だけ喚くように叫ぶと闇の中に消えていったそうだ。

 病室には咽喉を絞められたせいで咳き込む勇太くんと静寂だけが残った。

 僕が、何を叫んだのかわかるかいと聞くと、勇太くんは首をひねって、

 

「うんとね、俺は炸裂ファイターなんて二度とやらないって……」

 

 この言葉も勇太くんにはショックだったらしい。

 彼ぐらいの年頃の子供にはまだ劇中の炸裂ファイターと演じている役者の区別がつかない。

 例の蘭条友彦がどんなつもりで口に出していたとしても、それは()()()()()()()()()()()のものに他ならないのだ。

 大好きなヒーローによる自己否定の言葉は彼を傷つけた。

 勇太くん自身が殺されかけたということ以上に。

 そして、彼は幼い考えで自分を責めた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()G()A()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 と。

 僕はそれを否定した。

 だが、一度思い込んでしまった子供の思考はすぐには変えられない。

 傷ついた子供の心を言葉で癒すことはできない。

 僕はかつて子供であった大人もどきとしてそのことを深く理解していた。

 いつだって小さな男の子を救うことができるのは、大好きなヒーローの振る舞いだけなのだということを。

 

「そんなことはない」

 

 僕が何百篇の言葉を費やしても勇太くんを助けることはできやしなかった。

 

「ぼくが悪い子だからだ……」

 

 勇太くんは手術が近いということも忘れてしまうぐらいに大きく塞ぎこんでしまっていた。

 

 

        ◇◆◇

 

 

 しかし、問題はその日に留まらなかった。

 勇太くんは翌日も、さらに翌日も、蘭条友彦に殺されかけた。

 首を絞められ続けた。

 さすがに異変に気がついた看護師さんたちが廊下で見張っていても、その視線を掻い潜るようにして、蘭条友彦は病室に侵入してきた。

 病室内で直に一緒にいたとしても同じことだった。

 気がついたら看護師さんたちは眠ってしまっていて(夜勤慣れした彼女たちがそんな風に居眠りしてしまうことは普通ない)、その間に蘭条友彦は勇太くんの首を絞め続けていた。

 どの日も勇太くんが必死に赦しを請うと、彼は手を放してくれるそうだが、その情けがいつまで続くかはわからない。

 牡丹灯籠のように夜な夜な忍び寄ってくる蘭条友彦の影がいつ彼を殺してしまわないとも限らない。

 それ以前に、ただでさえ病弱な彼の健康が害され、手術に必要な体力がなくなり、死んでしまわないという保証はないのだ。

 しかし、勇太くんを転院させることはできないだろう。

 彼のドナー手術はこの病院でしかできないし、お化けがでるということで病院側のスケジュールが変更できるはずもない。

 勇太くんの手術の日は迫っている。

 ただ、蘭条友彦による襲撃がいつ子供の命を奪わないとも限らない状態が続いているという事実だけがあるのだ。

 日々やつれている彼のために、僕は病室にまでお見舞いにいった。

 勇太くんはもう談話スペースに来ることもできなくなっていた。

 たった数日で、罹患している病気に悪い意味で相応しい姿に変貌してしまっていたからだ。

 おかげでもう炸裂ファイターのDVDすら見られなくなっているらしい。

 ただ、お気に入りのGAが怖くて見られないのだからそれは当然かもしれないけど。

 

「……そろそろ、帰るね」

「ごめんね。お兄ちゃん」

「気にしないで」

「ううん。ぼくは悪い子だから、お兄ちゃんにもいやな思いをさせてごめんね」

 

 僕はそんな勇太くんの頭を撫でた。

 涙ぐむ男の子を慰める方法を、僕はこれともう一つしか知らない。

 

「『例え何があろうと、子供達の夢を守り、希望の光を照らし続ける―――それがヒーローの務め、俺はそう思います』ってね」

「えっ?」

「君の夢は何かな?」

「―――炸裂ファイターみたいになりたい。もう駄目みたいだけど……」

「ふふ。そんなことはないね」

 

 僕は身近にいる最強のヒロインの口癖を真似て言った。

 

「僕がその務めを果たしてあげる」

 

 きょとんとした彼をおいて、僕は病室を出た。

 そのまま、スマホの使える場所にまで出向き、おもむろに一つの番号にかける。

 すぐに相手は出た。

 

『―――どうしたのお兄ちゃん』

「僕の部屋から持ってきて欲しいものがあるんだ」

『明日、退院なんでしょ。別にもういらないじゃん。面倒くさいから、一日ぐらい我慢してよー』

 

 涼花はなんだか反抗的だ。

 とはいえ、二日に一回は見舞いに来てくれる愛すべき妹ではあるのだけれど。

 

「そう言わないで頼むよ。今日、必要なんだ」

『……珍しいね。―――ううん、違うか。昔からよく聞いたっけ。お兄ちゃんのそういう話し方は』

「何のことだよ」

『あたしがあの八尺様もどきに襲われた時にも聞いたよね。……わかった、今すぐに準備するよ。何を持っていけばいいの?』

「僕の部屋にあるものなんだけど……」

 

 いつも整理整頓してあるから探し出すのはそんなに大変じゃないと思う。

 涼花もすぐに見当がついたらしい。

 出来る限り早く持っていくと約束してくれた。

 よし、あれがあればなんとかなる。

 

 僕はちょっと身体を捻ってみた。

 少し筋肉が硬い。

 五日間寝っぱなしだから仕方がない。

 ほぐすことも兼ねてストレッチを開始する。

 

 イチニサンシ……

 

 しばらくすると、担当の看護師さんがやってきた。

 

「あら、退院の準備?」

「はい、だいぶ鈍ってますしね」

「いいことね。でも、お腹は手術したばかりだから傷口が開かないように派手な運動をしてはいけないわよ。傷が開いたら元も子もないから」

「……気を付けます」

 

 それから検診のための体温を測った。

 続いていた微熱も収まっていた。

 無理をすれば激しい運動もできなくはないね。

 

「しっかし、見た感じもやしっ子みたいなのに、君は結構いい身体してんだよね。何か運動とかやっているの?」

「いえ、帰宅部ですよ。たまに肉体労働系のバイト……みたいなことをしているだけで」

「へえ。ガテン系なんだ。いっがいー。しかも、なんだか明日退院だからか知らないけれど凄い気合入っちゃっているし。そんなに嬉しいの?」

 

 気合入っているようには見えるのか。

 まあ、入っていないと困るけどね。

 

「特に嬉しいとかはないですけど。でも、お世話になりました」

「いいよー。若い子の担当って楽しいしね。君は巫女さんが見舞いに来たりする有名人だし」

「ははは」

 

 そうだ、熊埜御堂さんにあとでメールで聞いてみよう。

 少しでもいいから役に立つ情報が貰えるかもしれない。

 せっかく退魔巫女の友達がいるのだから活用しないと。

 

「お兄ちゃーん、お待たせー」

 

 病室の入り口に涼花がやってきた。

 頼んでおいたものの入った、長いケースとカバンを手にしている。

 

「こっちだよ」

 

 ケースの中を覗き込むと、今の僕にとって必要なものが入っていた。

 よし、これがあれば何とかなる。

 

「ねえ、それ、何? 夏休みの前にはお兄ちゃんの部屋にあったよね」

 

 好奇心丸出しで覗き込んでくる涼花のために、ケースの中から取り出してやった。

 それは木で造られた剣の形をしていた。

 

「……何、これ? 木刀なの?」

「いや、桃の木でできた剣だから、木刀とはちょっと違うかな」

「こんなの、何に使うのかな」

「決まっているだろ」

 

 僕は少し前に元華(ユン・ワー)さんにもらった桃剣(とうけん)を手にして言った。

 

 

 

「ちょっとしたお化け退治さ」

 

 

 

 

 


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