期末試験が終わり、僕の学校内では既に夏休みの雰囲気があちこちに漂っていた。
夏休みは何処へ行こうだの部活があるだの、青い春真っ只中の高校生は浮ついた気持ちを隠そうとせずに大いに盛り上がっていた。
僕としても、夏休みは大変ありがたい。
起きる時間なんて考えなくても良いし毎日学校に行かなくても良いのだ。それだけで十分に夏休みというイベントは悦ばしいものだ。
特に今年は、お金というものが発生している。
バイトを始めて早3ヶ月。中学校の時とは考えられないほどの量のお金を僕は自分で稼いでいるわけで、定期代も夏休みは必要ないので、自分のことに使えるのだ。
何に使おうか、漫画を大人買いというものもしてみたいし新作ゲームも欲しい。
それらを買って、涼しい所でアイスを齧りながら夏休みを謳歌する。うん実に愉快。
あの一件から穏やかに日々は過ぎ去り、すみれさんとの関係も特段疑われる事もなく進んでいた。
新井先輩は学校に復帰して真面目に勉強をしているらしいのだが、先日廊下ですれ違った時には不快感を露わにしていたので、あまり反省はしていなさそうである。
そんな事を考えながら原宿駅の表参道改札を出ると、途轍もない熱気が僕の体を刺激する。
夏休みは良いけれど、この暑さはどうにかならないものかとどうする事もできない気温に晒されてながら、いつもの帰り道を歩いている。
明治神宮前駅を越えて表参道ヒルズを抜け、家の近くの妙円寺付近に差し掛かる所で、足が止まった。
そこには2人の女子高生がいた。
思わず立ち止まってしまったという表現の方が正しいのかもしれない。
何故なら、溢れ出る華やかで快活なオーラに心が引き寄せられてしまったから。
そして僕がその2人に見惚れていると、2人は視線に気がついたのかこちらを振り向いた。
紫掛かった長い黒地の髪を綺麗に真ん中で分け、大人びた雰囲気を持つ美女と、少しクセ味のある茶髪を後ろで纏めた明朗快活な雰囲気を持つ美女。
その顔を見て僕の記憶から、ある情景が引き出された。
それは、かのんとクゥクゥさんが歌ったイベントの記憶。そこに大トリとして出て来た、スクールアイドルグループだった筈…と、僕と目が合う2人を見ながら記憶を弄っている時に、僕はやってしまったと後悔した。
完全のこりゃ不審者だなと。
見ず知らずの男が、女子高生を凝視しているのだ。
「すみません」
そう言って足早に去ろうとすると、
「待って」
と、恐れていた反応が返ってきた。
僕はその場に留まると、2人は僕の方へとゆっくり歩んでくる。
不審者だと、警察に突き出されるか、キモいだの変態だのと罵られるか。
そんな最悪な状況を想像していると、僕の目の前に立った二人のうちの、明朗快活な美女の方が今度は僕を凝視して首を傾げた。
「きみ、何処かで会ったことあるよね」
「え?」
予想だにしない言葉に思わず声が出る。
「うーん、ほらやっぱりきみ、先月の代々木のイベントに来てたでしょ。スクールアイドルの」
その言葉が影響して、僕の記憶からまた更にあの日の情報が引き出された。
「サニーパッション」
そう思わず僕の口から出たのは、スクールアイドルのグループの名前だった。
あの代々木のイベントで一際大きな歓声と注目を集めて、優勝の2文字を攫って行ったグループ。
素人目にも、凄いということが分かるパフォーマンスに、華やかさと快活さが混ざり合い、美しく可憐で見るものを見惚れさせ、それでいて眩しいほどの快活さと明るさで見るものを今度は笑顔にさせる、そんなスクールアイドルグループ。
あの日僕が圧倒され、心から魅せられてしまったグループ……サニーパッション。
「あれ、私たちの事知ってる?」
「やっぱりそうだよ摩央!ほら、あの子、かのんちゃんとイベント終わり一緒に話してた男の子だよ!」
「悠奈よく覚えてるね」
「私、人の顔とか覚えるの得意なんだぁ!」
盛り上がる2人に、僕は目を丸くして立っていることしかできなかった。
「悠奈、自己紹介しといたほうがいいよ」
そうだね!と言うと、僕の方にもう一度向き直ると、
「改めまして、聖澤悠奈です!」
僕の方へと手を伸ばす。
どうやら握手を求められているようなので、僕はその手を取る。
すると、聖澤さんのもう一方の手も伸びててきて、僕の手を包むように握る。
「よろしくね!パァ!」
「パ、パァ……?」
聖澤さんは大きく上下に僕と握った手を振った。
あまりにも大きく振るせいで体も少し揺れる。
「柊摩央です」
もう1人の美女がそう言って空いた僕の空いたもう一方の手を優しく取り握った。
両手を2人に握られる状態になる。
「キミの名前は?」
聖澤さんが両手でしっかりと僕の手を握りながら質問してくる。
「鈴鹿圭太です」
「よろしく圭太くん」
「圭太くん!よろしくよろしく!」
いきなり2人に下の名で呼ばれると、一度収まった聖澤さんと僕の腕の揺れがまた一段と大きくなる。
柊さんはと言うと僕の手を握りながらそれを微笑ましく見つめている。
「私たちの事、しってるの?」
「え?」
「さっきサニーパッションって」
「え、えぇ。仰る通り代々木のイベントでお二人を見て覚えていたので」
「ありがとう!とっても嬉しいよ!」
また大きく上下に手が揺れる。
柊さんもありがとうと呟いて僕の掌をにぎにぎと押すように握っている。
手の握り方で、嬉しいという気持ちが2人から分かる。
なるほど、2人の距離の詰め方は独特なようだ。少々距離感が…というよりかなり距離感が近い。特に聖澤さんはそれが顕著だ。
自己紹介も終わり、握手も終わるかと思いきや、2人は手を離すことはなく次の会話へと移行した。
「圭太くんに聞きたい事があるんだ!」
「な、なんでしょう」
「クーカーに会わせてほしいの」
「は、はぁ…」
「結ヶ丘高校って所だって聞いてたから、学校の前に行って聞き込みしてたら、同じクラスだって子に会ってね、その子がかのんちゃんの家だっていうカフェの場所を教えてくれたから来てみたんだけど道が入り組んでてわからなくてね」
「なるほど…」
「圭太くん、知り合いでしょ?イベント終わりにクーカーの2人と話してる所見たから!」
「聖澤さんと柊さんは…」
「悠奈って呼んで!」
「摩央って呼んで」
「………悠奈さんと摩央さんは、かのん達にどのような用事で…?」
「お願いがあって来たのよ」
「お願い?」
「私たちの島に来て欲しいってね」
そう言って2人は微笑んだ。
恐らくスクールアイドルのことなのだろうと僕の中で予測を立てて、分かりましたと2人に頷いた。
僕はサニーパッションの2人にかのんの家を案内する事になった。
「ここです」
2人と出会った場所から歩いてすぐの所、かのんの家もといカフェの前着くなり、僕は立ち止まった。
2人はというと、僕の手を掴んだまま離してくれなかった。
両サイドから親に手を繋がれる子どものような構図になってしまっているのだけれど、このままではかのんの家のドアが開けられない。
「あのー、そろそろ手を…」
「あー!ごめんね!」
2人は同時に手を離す。
ずっと握られていたせいか、違和感のある手でカフェのドアを押すと、そこから賑やかな声が溢れて来た。
聞き慣れた声、かのんや千砂都達の声だ。
それを聞いてホッと安心した。
かのん達が居なかった場合のことを考えていなかったから。
ここにくる前に電話でもしようかと思ったのだけれど、思いの外2人がなかなか手を離してくれず、2人を片方ずつで手を繋いでしまっていたので、携帯を持つことも出来なかった上に、歩けばすぐそこの場所だった為、考える間もなく現場に着いてしまったのだ。
「あ、いらっしゃいま……」
「こんにちは」
「パー!やっぱりここに居た!」
「サニーパッション?!」
店に入るなり、かのん達は大盛り上がりの様相を見せる。
クゥクゥさんは我を忘れて母国語までが出てしまっている始末。
そしてそこには千砂都も居て、ぽかんと口を開けていた。
サニーパッションの2人は自己紹介をして、今日この場所にやって来た理由である、お願いとやらを皆んなに説明した。
内容は、毎年夏休みに2人の故郷の神津島という所でライブをしているという事、そして今年のゲストに結ヶ丘のスクールアイドルグループとしてお招きしたいという内容だった。
そのお願いにクゥクゥさんやかのんがヤケに畏まった様子で嬉しそうに受け答えしているのをみて、僕は思わず横にいる千砂都に耳打ちをした。
「ねぇ、サニーパッションってやっぱり凄いグループなの?」
「うん、去年のラブライブの東京代表だよ」
ラブライブ、という名は耳にした事もあるし、かのん達がスクールアイドルを始めてから少し調べた事もあった。
野球でいう甲子園。サッカーでいう選手権。スクールアイドルはラブライブ。という様な位置付けの、日本全国のトップを決める大きな大会の事だ。
スクールアイドルど素人の僕でも、記憶に残り心に刻まれたあのイベントでのパフォーマンス。そのラブライブという大きな大会の東京代表というのも素人目にも納得できた。
かのん達があれ程嬉しそうに話すのも理解できる。
やっぱりオーラもさることながら、もの凄い人達だったのだ。
その2人は、その島で行われるライブの概要について説明をしていた。
順位を決める様なものではなく、あくまで島を盛り上げるという目的だそう。かのん達は、二つ返事で了承をしていた。
素晴らしい事だと思う。
かのん達のパフォーマンスが認められて、こんなに凄い人達に一緒にライブをしようとオファーを頂いてるのだから。
「ほら言ったでしょ!直談判が一番だって!」
「それはこんな所まで押しかけて来たら誰も断れませんよ」
了承を得たサニーパッションの2人は嬉しそうに笑っている。
「ところで、よく私の家分かりましたね」
と、かのんが2人に質問をした。
その質問に悠奈さんと摩央さんは僕の方に視線を向けた。
「圭太くんが連れて来てくれたのよ」
「そうそう!優しく手を引いてね!」
その瞬間、横から千砂都に右腕をつねられた。
反射的に振り返ると、刺す様な冷たい目線を僕に向けていた。どうしてそんな怖い顔するのさ…。
「あんた…」
その言葉と同時に今度は逆側にいたすみれさんに左足を踏まれる。
反射的にすみれさんの方へと向くと、座った僕に対して立ったすみれさんは冷たい目で蔑む様に僕を見下ろす。怖い、すみれさんも怖い。
「私というものがありながらあんたは…」
「え、なんか誤解してる気がする…」
「すみれ達のそれはフリなんじゃなかったんデスか」
クゥクゥさんが僕の助け舟を出してくれた。
「フリとはいえよ、フリとはいえね。許されるものじゃないわよねぇ、圭太くぅーん?」
鬼の形相で僕を見下す。僕の左足を踏みつける力が強くなってる気がする。
助けてと、クゥクゥさんの方を見ると、クゥクゥさんも蔑む目で僕を見ている。なんで、助けてくれるんじゃなかったの?
「えー、なになに!そんな感じなの?」
「痴情のもつれ…」
「摩央と私と圭太くん3人でで手繋いでここに来たもんね?圭太くん」
面白がる聖澤さんは満面の笑みで追い打ちをかける様に僕に確認を求めてくる。やめて、更につねる力と踏む力と蔑む目線が強くなった気がするの。
「この世の終わり…コノヨノオワリ…あぅぅ…」
かのんは目の横に涙を溜めて放心状態になっていた。
「待ってよ、なんでこんな事になってるのさ」
「聞きたいのはこっちよ。なによ、しかも下の名前で呼ばれちゃって」
「本当にさっきそこであったばかりなんだって」
その返答に納得がいかないのか、更には腕までも組み出した。完全に怒る親に怒られる子、という様な構図になっている。
「手を繋いでっていうのは…?」
「ヒッ…」
氷の様な目で僕を睨みつける千砂都はドスの効いた声を僕に向けた。
「そこで自己紹介をして、握手をして…その流れで…」
「ふぅーーーーーーん」
「千砂都さん、怖いです」
「そりゃあねぇ、」
「聖澤さん、この状況なんとかしてください!」
僕は堪らず聖澤さんに助けを求めた。
「えー、さっきは悠奈って呼んでくれたのなぁ…」
「……」
「悠奈って呼んで♡」
凍りつくカフェ店内。
千砂都からは禍々しいオーラがしとどに溢れ、すみれさんは鬼の形相をし、クゥクゥさんからは呆れられ、かのんは魂が抜けている。
もう地獄である。カオスである。
なぜこうなってしまっているのか分からないけれど、この世の終末の様な様子である。
「あは、ちょっと揶揄いすぎちゃったかな」
その後すぐ、僕のいう事が正しいと言うことを聖澤さんと柊さんが2人で証明してしてくれた。
理解はするとも納得せず。
という、すみれさんかのん千砂都の様子。
クゥクゥさんはというと、今度は哀れみの目で僕を見つめていた。
その後というもの、練習の時間だというサニーパッションの2人に僕のバイト先もといすみれさんの家である隠田神社へと向かった。僕も今日はバイトがあったのでそのまま一緒になって行くことにした。
2人は運動着に着替えると、クゥクゥさんの要望に応えて曲に合わせて振り付けをしていた。
僕は作業用の白袴に着替えて、竹箒を持ち掃除を始める。数ヶ月で慣れた作業だ。
幾らかの時間が経過するとランニングに行くと言う2人に、かのんクゥクゥさんすみれさんの3人はそれに付いて行った。
スクールアイドル活動をしていない千砂都は、その場に残って僕の仕事をジッと見ていた。
「付いてかなかくてよかったの?」
「うん、私は関係ないから」
そう言って笑う千砂都は少し寂しそうに見えた。
その後の千砂都は、ベンチに腰掛けずっと僕の仕事ぶりを眺めていた。
「普段、どんな仕事してるの?」
「んー、掃除とかおみくじ作ったりとか荷物運んだりとか、その時によって違うかなぁ」
「それ、似合ってるよ」
「案外涼しいんだよこれ」
そんなふうに他愛もない会話をしながら仕事をする。
こうやって千砂都と話すときはいつも落ち着いていられる気がする。長年の付き合いだからだろうか、居心地が良いのは、千砂都という人間の成せる技なのだろう。
笑った顔が可愛いくて穏やかで優しくて。気も配れて、僕とかのんの事も気にかけてくれる。
普段から僕らのことを考えてくれているのは肌で感じているし、感謝もしている。だから千砂都には、幸せになって欲しい。心からそう思う。
だから、
「千砂都って、誰か好きな人とか居ないの?」
僕は千砂都にそんな踏み込んだ質問をしてみた。
したことのない恋バナというもの。
今までしてこなかったので、どんな人が好みなのかも知らない。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「こういう話ってしたことなかったなあって。ほら、僕とすみれさんがフリとは言え恋人同士ってことになったりとか、色々と考える機会とかがあってね。純粋に気になったっていうか」
千砂都は、表情ひとつ変えることなく、言い放った。
「───いるよ」
千砂都のその答えは、中学の時に僕が偶然みてしまった、千砂都が同じクラスメートの告白を断っていた返答と同じだった。
好きな人がいる。
千砂都の紛れもないその答えは、僕の胸にこびり付いてしまった。
千砂都の好みも知らない僕は、その人がどんな人なのだろうかと色々と思慮巡らせてみたけれど、直ぐにその思考を放棄する事にした。
今まで何も気にならなかった蝉の声や夏の熱射、そして青過ぎる空が途端に煩わしく感じた。
「上手くいくといいね」
そう、言い放つしか出来なかった。
すれ違って拗らせて