教室の外に出ると不快指数の高い蒸し暑さが残る廊下を顔を顰めながら歩く。
夏休みも終わり、新学期が始まってまだ少ししか経っていないけれど、この暑さだけはまだ残り続けていた。
9月と言えば秋というイメージが湧くのは僕だけなのだろうか。
いいや、そんな筈はない。
だって家のカレンダーに秋のイラストが描かれているんだから9月は秋なのだろう。
秋といえば何だろうか。
お月見、読書、食、色々あるけれど、夏終わりの過ごしやすい季節というイメージが一番あるのだが、気温や湿度はそうじゃないのは如何してなのだろうか。
残暑ともいうべきなのだろうが、ここ最近ずっと9月は夏の様相を見せていて、決して秋とは言い難い。
これだけ暑ければバテてしまって食欲の秋どころでは無くなってしまう。
学校が始まって少し経った。
すみれさんとの関係はやはりすぐ噂で出回っているらしく、数人のクラスメートから、「え、お前ら別れたん?」と根掘られる事はあったけれどそこまで支障は出ていない。
すみれさんと準備した理由を説明すると、各人各々の反応は違えど疑われるような事にはなっていない。
しかしまぁ噂というものは怖い。
夏休みを挟んで皆んなの興味が削がれたかと思えば、何処から聞きつけたのか、別れたという情報が僕の学校にまで回ってきているのだから。
恐らく、結ヶ丘に友達がいるとかいう生徒たちの影響なのだろうけれど、すみれさんはそこも上手くやってくれているようで大した騒ぎにもなっていない。
無事に、事態は収束したと言っていいだろう。
そんな事を考えながら駅に着くと、額にかいた汗を袖で拭い電車を待つ。
ホームに電車が来るといの一番に乗り込む。冷気が熱された体を丁度良く冷ましてくれる。
今日はいつもの原宿駅では無く、表参道駅に向かっている。理由は待ち合わせ。
表参道駅に着くと、駅に出てすぐの大きな交差点に出た。
時間はぴったりという所だけれど、こんな大きな交差点で人通も多い場所で果たして会えるだろうかと少し心配していたが、後ろ袖を引っ張られて振り返るとその心配は杞憂に終わった。
「お待たせしました圭太さん」
背筋を上品に真っ直ぐ伸ばした葉月さんがにっこりと笑った。
今日は葉月さんのお誘いで、お家に招待してくれるという流れなのだ。
「いえ、今来た所なんで」
「はい、行きましょう」
そう言うとまた、優しく微笑んで僕の手を取りながら歩き出した。
手を繋ぐ、と言うより、手を掴むという表現の方が正しいのだけれど、それでもやっぱり恥ずかしい。
葉月さんは以前、世間に疎く友達と言える友達は少なかったと言っていた。
その時に、友達と手を繋いでみたいと言って僕に頼んできたことがあった。
その時は、上手くいなしたけれど、今回はサラッとナチュラルに僕の手を掴んできたのでもうどうすることもできない。
もしかすれば本人は手を繋いでいるという意識は無く、友達の手を取って案内しているという考えなのかもしれないけれど、表情などを見るにこれは多分無意識にこうしているのだろうと結論づけた。
ここで無理に拒絶したりすれば葉月さんがどうなるかも分からないので大人しく手を引かれる事にする。
暫く手を引かれていると、大きな門の前で立ち止まった。
門を開けて中に入って更に玄関の扉がある。
思わず見渡してしまうほどの豪邸だった。
葉月さんの気品溢れる仕草なんかが納得いってしまった気がした。
「お帰りなさいお嬢様」
「ただいま帰りました」
「め、メイド…」
絵に描いたようなメイドに思わず声が漏れてしまう。
それに加えて広い玄関。
思わず口を半開きに呆けてしまい、挨拶が遅れてしまった。
「お嬢様のお友達ですね。私は使用人のサヤと申します」
「申し遅れました、鈴鹿です…。お邪魔します」
「ふふ、あなたの事はよくお嬢様から聞いています。どうぞごゆっくり」
そう言うと奥に消えてしまう。
「こっちです」
そう言って葉月さんは僕の手を引きながら家の中へと入って行く。
案内された場所は、客間というよりも生活感が強かったので恐らくここがはづきさんの部屋なのだろう。
友達といえ、異性の部屋に入るのは緊張してさっきから手汗をじっとりかいている。
「寛いでいてください」
そう言って部屋から出て行った。異性の部屋にポツンと1人。
ソワソワして落ち着かないので、キョロキョロと辺りを見回していると、机の上にあった写真に目が止まった。
立ち上がってその写真を覗き込む。まだ少し幼い葉月さんと、もう1人女性が1人写っている。
目元がそっくりなところを見るに、恐らく葉月さんのお母さんなのだろうと推測する。
「気になりますか?」
その言葉に反射的に身体が大きく反応した。
「すみません、勝手に見て」
「いいえ、別に構いません」
そう言って、机の上にお茶とお茶請けのお菓子を置いて僕のそばにつく。
「2年前に、亡くなった母です」
その言葉に、思わず声が漏れてしまった。
「以前言いましたよね。大切な人から受け継いだものをもっと大きなものにしたいと」
「はい」
「その大切な物というのは、今私が通っている学校のことなんです」
そこから話された葉月さんの言葉に僕は言葉を飲むしかなかった。
かつて葉月さんのお母さんが在籍して、もう廃校になっしまった学校の場所に新しい学校を作りたいという事。そして、その学校創設に尽力したあと葉月さんのお母さんが亡くなってしまった事。
その母の遺した学校を継いだこと。
そして、新設校故の、入学希望数などの学校経営の難しさに困り果てているという事。
「母が遺した学校をこれからも続けて行くために、私が頑張らないといけないから」
口を真一文字に締めて眉を寄せるその表情から出る言葉は、とうてい、1人の少女が背負うにはあまりにも重すぎる決意と責。
そう思えるほどに、お母さんとの過去が愛おしかったのだろう。
身近に、人が亡くなってしまうなんて事を体験したことがない僕には到底分からない辛さなのかもしれないけれど、あまりにも1人で重責を背負おうとしている彼女を見て、どうしてか引っかかってしまった。
葉月さんは机の引き出しから封筒を取り出すと、
「すみません、こんな話を長々と。また少しだけここで待っていてください」
そう言ってまた部屋を出て行ってしまった。
僕は立ったまままたその写真を見る。きっとすごく優しい人だったんだろうと思う。
葉月さん自身が、一人でああまでしてその学校を継ごうと思えるほど。
そんな事を考えていると、何やら騒がしい声が部屋の外から聞こえてきた。
気になり部屋を出て、声のした方へ足探りに歩いていると葉月さんと先程のメイドさんに加えて、見知った人たちの顔があり、僕と目を合わすなり、間が悪そうに皆んな視線を逸らした。
そこには、かのん、千砂都、すみれさん、クゥクゥさんがいたのだ。
〜
葉月さんの家を後にした僕たちはゆっくりと帰路についている。僕を先頭にかのん達が後ろからついてきているという構図。
かのん達が葉月さんの家にいた理由は、結ヶ丘の生徒会選挙でいざこざがあった事を皮切りに、葉月さんの事を調べようと後を付けてきていたらしいという事。
そこにたまたま今日、葉月さんの家に招待された僕がいて鉢合わせたのだ。
葉月さんが、結ヶ丘の生徒会長だという事を僕は今日初めて知った。
以前から、スクールアイドル活動を認めてくれない生徒会があるという話は聞いていた。
それを認めさせる為、かのんとクゥクゥさんであの代々木のイベントに出場していたということは知っていた。
そしてあの時、その事でかのんが追い込まれていたという事も。
今日かのん達とたまたま鉢合わせたあの時に、彼女の部屋で写真を見ながら話した事よりもさらに詳しい葉月さんが抱える問題と現状を彼女自身から聞いた。
家のこと、学校経営のこと。
そこには僕らが立ち入ることができない金銭的問題も抱えていた為に、口を閉ざすことしかできなかった。
「圭太と葉月さんってどういう関係」
僕の後ろから声がする。
振り返らなくても分かるその声の主は、かのんだ。その声色は少しだけ、怒気を含んでいる気がした。
表情まで見ていないので、ただの勘違いかもしれない。だって、怒られる理由が分からないんだもの。
「友達」
「ほんとに?」
「何で嘘つかなきゃいけないのさ」
そう言うと、かのんから続きの言葉は聞こえなくなった。
重苦しい雰囲気の中、表参道の道を歩く。
暑いから電車に乗って帰ろうかとも思ったけれど、電車賃がもったいないので歩いて帰る事にした。
葉月さんの家を出た後、彼女達は今日はもう練習はしないと言う事なので、取り敢えず一緒に帰るということになった。と言っても、ここ表参道からすみれさんとクゥクゥさんは原宿駅方面に、僕とかのんは神宮球場方面、千砂都も別の道と、それぞれ方向はバラバラなのだけれど。
しかし、いざ別れ道になっても皆んな帰るそぶりはなく、ただ何と無くフラフラと歩き呆けているという表現に近い。
「圭太、今日バイトは」
「え、今日は無いよ」
「そうね、そうだったわね」
こんなふうに、ぎこちない会話が不均等な感覚で展開されるだけという、なんだか重苦しい雰囲気になってしまっていた。
こんな事をしていてもと、僕たちは自動販売機で飲み物を買って、雑踏から少し外れた日陰のある通りで少し休憩をする事になった。
「どういう経緯であの人と知り合ったのデスか」
僕の隣に居たクゥクゥさんが100%のオレンジジュースを傾けながらそう僕に問う。
「どういう経緯っていうか…」
「なに、言えない事なの」
今度は千砂都が先程のかのんと同様に、喜怒哀楽の怒の方の感情らしきものを含んだ言葉尻で僕に放つ。
「そういう事じゃ無いんだけど」
「じゃあ、あの帰り際に葉月さんが言ってた事の説明をしてくれる」
すみれさんが僕の言葉を若干遮り気味に言い放つ。
「帰り際ってなにさ」
「圭太と葉月さんはどういう関係なのかって聞いたら葉月さん言ってたじゃない、───
────私の大切な人ですって」
確かに言っていた。
言っていたけど、僕もびっくりしちゃったけど、あれは葉月さんの友達としてという意味だろう。
これまで友達と言える人が少なかったと言っていた彼女は、その影響か少しだけ世間に疎く、勘違いしちゃっている部分があるだけで、そんな深い意味はないだろう。
「友達って意味でしょ」
「目がマジデシたよ」
「正直に白状なさい」
「えぇ…」
別に隠しているわけじゃ無いのにどうしてこんな展開になっているのか、と現状を悲観していても何も変わらなさそうなので、あの交差点の歩道橋の階段で葉月さんが僕の上に転がり落ちてきた時の話をすることにした。
「友達…ねぇ」
すみれさんがそう言って腕を組んだ。どうもまだ信じてくれていないようだ。なぜなのだろう。
「友達が、あんな風に手を繋ぐんだ」
「え…」
「繋いでたでしょ、交差点で会った後に」
かのんが白々しく言う。
そこまで聞いて、今日彼女達が葉月さんの後を付けてきて彼女の家を突き止めていた事を思い出した。
という事は、葉月さんが僕を家に案内していた所も当然に見られていたという訳なのだけれど。
「こっそり後をつけるなんてよく無いよ…」
「さっきも言った通り、葉月さんの事を知るためにだったから。そこに圭太が現れたんじゃん」
言い逃れを何とかしようと頭を回転さす。
少し間が空いてから、そもそも何から逃れようとしているのか分からなくなった。
「繋いでたってより、掴まれてたに近いかな」
「一緒デス」
「一緒かなぁ」
「手と手が触れ合ってるなら同じデス」
そもそも本当にそうなのだからどう説明しろと言うのか。
僕自身もあまりのナチュラル手掴みに困惑して、思わずこれが普通なのかとすら勘違いしそうになったのだから。
「友達同士のコミュニケーション的な感じかな?とにかく、やましい事なんて無いんだってほんと」
事実そうだ。
だから別にボロなんてものも出ないし罪悪感なんてものもない。ただちょっと、葉月さんの友達という概念に勘違いしてる部分があるってだけなのだ。
「そんな話より、葉月さんのことでしょ」
「今話してマス」
「いや、もう僕と葉月さんことじゃなくて…。君たちの学校の事だよ」
そう言うと皆んな下に視線を逸らしてしまった。僕は結ヶ丘の現状を知る由もないので分からないけれど、ややこしい事が起きているということだけは、4人の反応と今日の出来事で推測できた。
「色々と…」
暗い顔で話すかのんに続いて千砂都が続く。
「それもこれも生徒会選挙に負けるすみれちゃんが…」
「勝てる訳ないでしょ!」
すみれさんが千砂都に言い返す。
やっぱり、今の4人にとっても良くないことが学校で起きているらしい。
「何ができるか分からないし限られてくると思うけど、僕も少し考えてみるよ」
そう言った後、僕たち5人はそこでそれぞれの帰路に着くことになった。
〜〜〜
「じゃあまた」
「うん」
そう言って共に帰路についていたかのんと別れる。
隣を歩いている時、まだ少しかのんの空気がピリついていた気がした。
何か僕に不満があったのか、僕が気が付かぬ間にかのんの気に触れたか。心当たりが無いのだけれど、だからこそ余計な事を言って更にプリプリさせてしまっては本末転倒であるので、静観する事にした。
大粒の汗を袖で拭う。
残暑とは思えない暑さに顔を歪める。
かのんと帰っている時もできる限り日陰を2人で歩いていたのだけれど、それでも汗が噴き出てくる。
早く冷房の効いた部屋に入りたいと、ここから1分もかからない僕の家を目指してかのんの家もといカフェの前から去ろうとした時、
「圭太さん」
聞き覚えのある声が後ろからして反射的に振り返る。
そこには先程まで一緒にいて別れたはずのクゥクゥさんが立っていた。
「あれ、かのんならもう家に帰ったよ?」
僕がそう言うと、クゥクゥさんは横目でかのんの家を一瞥すると、
「見つかると誤解を生みマス」
と言って僕の腕を掴んでその場から離れた。
影になっていたところから日向に出ると西陽の太陽光が肌に突き刺さる。
少し歩いて、近くにある熊野神社に入り、木陰で足を止めた。慣れた様子で迷わずここに歩いて行ったのはかのんの家に何度も足を運んでいるからだろう。
「どうしてここに?かのん、呼ばなくても良かったの?」
「大丈夫です。用があるのは圭太さんの方です。それで、あそこに居てクゥクゥと圭太さんが2人でいるところを見られでもしたら、かのんだけじゃ無く千砂都やすみれもご立腹してしまいマス」
そう言うと周りをキョロキョロと見回してから、少し落ち着いたのかクゥクゥさんは額の汗をハンカチで拭う。
「圭太さんと話したい事があったので、かのんと2人で帰っている後をつけてきました」
「そんな事しなくても話聞いたよ?」
「かのんに聞かれるとまずいので」
困った顔でクゥクゥさんは笑う。
「かのんと千砂都とは幼馴染と聞いてマス」
「そうだね」
「どれくらいの関係?」
「んー、」
思い返してみる。小学校とかより前くらいだった気がするけど。
「正確に覚えてないけど、もう小学生とかより前だからずっと小さい時からだね」
「圭太さんから見て、何か気づきませんか?」
「何かって?」
「2人の事で何か」
少し間を開けて考えてみた。何か気づくと言うと、変化だろうか。
2人とも最近スクールアイドルを初めた、くらいしか変化はないような気がする。
「わからないや」
「うーん。そうですか」
そう言うと、クゥクゥさんは続ける。
「すみれとは同じバイト先だと聞いてます」
「うん」
「何か気づきませんか?最近のすみれに」
これもまた抽象的な質問だ。
といっても、いつも通りのすみれさんだったし。
「これも分からないなぁ」
「うーん。こうなると厄介ですね」
そう言ってクゥクゥさんは腕を組む。全く質問の意図が分からなく、僕も腕を組む。
「なに、何かあったの」
「そうですね、ややこしくなりそうだなと」
「具体的にお願い」
そう言うと少し間が空く。何かを考え込んでいるようだ。
「クゥクゥから言うと更にややこしくなりそうなので、圭太さんが自分で感じてください」
「分からないんだけど…」
そう言うと、クゥクゥさんはゆっくりと頷いて下ろしていた鞄を拾い上げる。
「時間取らせてすみません」
「え、ほんとに何の話だったの」
「時がくればわかります」
「うわ、一番気になるそれ」
じゃあまた、そう言って手を振ると背中を向けて歩き出す。
その背中を見ていると、数歩歩いたところで立ち止まってまた振り返った。
「話変わりますけど圭太さん」
「なに」
「今度クゥクゥと恋バナしましょう」
「え」
「約束です」
そう言い残すと小走りに神社の敷地の外へと出て背中が見えなくなった。
クゥクゥさんがわざわざ僕に話したい事があると言った数分の会話で得られたものは、なにかややこしくなりそうだと言う抽象的で中身のないものだった。