葉月さんの家での一件からほんの数日が経った土曜日。バイトが終わるや否や、
「買い物に付き合いなさい」
と言って僕の腕を掴んだすみれさんに連れられて、表参道まで来ていた。
「靴が欲しいのよ、動きやすいやつ」
と言って何点か見て回った結果、東急プラザのスポーツ用品店の物を買った。
その後すぐに、服が見たいと言うので、表参道駅近くの高級衣料品店へと踏み入れた。
「え、値段おかしい」
入るなり、セールと書かれた服の値段を見てみると想像していたものの数倍のお値打ちになっていて、思わず口に出てしまった。
「それでも安い方よ」
「すみれさん、いつもこういう服買って着てるの?」
「おバカ。こんなのバイト代だけで買える訳ないでしょ」
「じゃあ、何しにきたのさ」
「ウィンドウショッピングって知ってる?」
「なんか聞いたことあるような無いような」
「要は、見るだけならタダってことよ」
服装というものの流行りには敏感な方ではない。寧ろ鈍い方だ。
いつもは、心春の買い物の荷物持ちついでに、心春のアドバイスを貰いながらそれ相応のものを買って着ている。
ただ、以前すみれさんと仮の恋人同士だった時、出かける服装が、心春という女性の立場の目線で買っていた服装が幾つかあったという事で助かったと安堵したこともあった。
そして今、自分で選んで着こなせ、と言われた時どんな服装になってしまうか想像して見たけれど、夏だからTシャツにデニムに動きやすいスニーカーという、ありふれたものになってしまった。
すみれさんや千砂都やかのんなんかは、可愛くてお洒落でそれぞれに合った個性の服装なので、それを含めて考えると、皆んな凄いなと感心してしまった。
「流行とか、そういうのもチェックしておくのがイケてる女なのよ」
そう言ってすみれさんはウインクをした。
「心春も同じこと言いそう」
「そう?」
「うん。同じセリフを言ってるのが想像できた」
「心春なら確かに言いそうかも」
そう言って笑うすみれさん。しかしその会話に少し違和感を覚えた。
「心春って、あれすみれさん、僕の家に来た時しか会ったことないよね」
「実はあの時メッセージ交換してて」
「え、初耳なんだけど」
「仲良くして貰って、この前カラオケ行ったのよ」
「知らない、そんな情報…」
僕の知らぬ間に、知らない繋がりが出来ていた。
「今度圭太のあんなことやこんな事聞いちゃおうかな」
「そうなれば僕も心春のあんなことやこんな事で応酬してやる」
そんな会話をしながら、一通り見終えると店を出た。近くのコンビニで冷たい飲み物を買って喉を潤す。
携帯の時刻を見ると、午後1時になろうとするところだった。
すると唐突にすみれさんが声を漏らした。
「あれ、葉月さんよね」
目線の先には、結ヶ丘の制服に身を包んだ葉月さんが交差点の信号を待っていた。
「なんで制服?」
「さぁ、生徒会か何かかしら。あ、部活とか?」
今日は土曜日。
僕の疑問に対するすみれさんの回答は至極当然でなんの疑いも無かったのだけれど、どうしてか気になった。
以前招待して貰った家と今歩き出した葉月さんの方向とは少し方向が違う。
向かっている先は、地下鉄へと続く階段に見えた。
「すみれさん」
「なに?」
「僕は今日はこの辺で」
そう言って、葉月さんの後を僕は走って追いかけた。
「え、あっちょっと」
唐突に理由も無くそう切り出したので、すみれさんがまだ話していたけれど、それを聞く時間すらも惜しかった。
葉月さんが見えなくなってしまいそうだっから。
あの虚な横顔を見てしまったから。
追いかけなくちゃと思ったから。
走って葉月さんが渡った横断歩道を点滅ギリギリで渡りきり、入っていくのが見えた地下鉄へと降りていく。
一瞬見失ったかと思ったけれど、券売機の前で路線図を見上げている葉月さんをすぐに発見できた。
葉月さんはカバンから財布を取り出すと、どこかへ行く切符を買って改札の方へと向かった。
僕は、携帯カバーに刺していた定期券を翳して、後を追う。
するとちょうど電車がホームにやってきて、葉月さんが乗り込むのを確認し、僕も発車を知らせる音と同時に葉月さんが乗る隣の車両に飛び乗った。
連結部分の扉の横で、葉月さんの様子を確認しながら、メッセージアプリを開いた。
「埋め合わせはまた絶対にします」
と、すみれさんにメッセージを打つと、すぐに確認マークがついた。
突然走り去ったのを不思議に思っていたのかもしれない。
「それはいいけど」
と続いて、
「葉月さん?」
そうメッセージが来たので、
「うん」
と返した。
「また、葉月さんの事で何か分かったら教えて」
と、すぐに返信が来たので
「もちろん」
と、返す。
それ以降、すみれさんからのメッセージは無くなったので、取り敢えずは理解はしてくれたのだろう。
そんな事をしていると、すぐに葉月さんは電車を降りた。僕もそれに続いて後を追う。
降りるとすぐ同じホームで止まった。駅名を見ると、赤坂見附と書かれている。
葉月さんに見つかってしまわない様に、少しまた距離を取った。
それでも、絶対に見失わないちょうどの距離。
すぐに電車がやってきた。それに乗り込んで、また連結部分の近くで様子を伺う。
またすぐに葉月さんは降りた。それに続いてまた僕も降りる。
場所は東京駅だった。
土曜日の東京駅は想像よりは人は混雑していなかった。
目立つ白い制服の葉月さんの数メートル後ろを歩く。
葉月さんは、定まらない足取りで周りをキョロキョロとしながら、また券売機に着くと、上の路線図を見上げた。
切符を買うとまた改札に入っていくので、僕も定期を翳してホームへと入っていく。
路線図を見ると、ここはJRの横須賀線だった。電車はすでに停まっていて、葉月さんが乗り込むのを確認して、僕も隣の車両に乗り込む。
数分して、発車の音が鳴ると、電車がゆっくりと走り出した。
葉月さんは、何処へ向かっているのだろう。
と、そこまで考えて僕は自分の行動に思わず頭を抱えた。だってこれ、紛う事なきストーカーの行動だからだ。
声をかけて、ついていくならまだしも、ただただ後ろを付けているだけの変質者。
何をしてるんだろうと頭を抱える。
ここからすぐ降りて引き返してもいいけれど、じゃあ僕はなんでこんな所まで後をつけるような事までしているのか。
僕はそんなことを考えながら横の車両を覗き見た。
しかしそこに答えがある。言語化できない答え。
先程の定まらない足取りといい、じっと路線図を見る姿と言い、何か何処か目的地があって移動している様には見えなかった。
気のせいと言われればそうかもしれないけれど。
でも今隣の車両で、外の景色を虚な目で流し見ている彼女を見ると、そういう風に感じ取れた。
このまま、何処か遠くへ行ってしまうんじゃないかと。
横断歩道であの横顔を見た時に感じた違和感が、更に色濃く増していくのだ。
そして葉月さんは、何処にも降りずに終着駅まで到着してしまった。
携帯の時刻は午後3時を刺していた。
途中で、声をかけようかとも思ったけれど、葉月さんが何をするのかが気になって、それが出来ずにいる。
だんだんと少なくなって行ったほかの乗客たちはその終着駅である久里浜駅でみんな降りて行った。
葉月さんは、みんなが降りていくのを見ると、渋々と言った感じでゆっくりとした足取りで電車を降りた。
僕もまたそれに続いて降りる。
冷房の効いた電車から降りると、湿気を含んだ空気が肌にまとわりついた。
葉月さんのゆっくりとした足取りに合わせて、その数メートル後ろから僕も歩く。
しかし、みんな既に降りてしまったこのJR横須賀線の終着駅のホームでは、人らしい人は数えるほどしか居なかった。
ここまで来ると流石に変質者なので、
「葉月さん」
と、後ろから声をかけた。
「───あ、」
と、言うと振り返って目を見開いていた。
こうなった後のことを考えておけば良かったと、後悔したけれどもう遅いので、
「すみません。途中で葉月さんを見かけて、声を掛けようとしたんですけど…」
と、濁した。
目をぱちぱちと大きく瞬きをさせると、少し表情を柔らかくして、
「そうでしたか」
と言うと、続けて
「適当に知らない場所に行って、自分見つめてみようと思いまして」
そう言って笑った。
僕が何故ここまで葉月の後を追ってきたのかは問うてこなかった。
それは、葉月さんなりになにか心当たりがあったのか、想像がついたのか、それは彼女にしか分からない。
もしかしたら、別にどうでも良かったのかもしれない。
僕が隣に来るのを待っているのか、立ち止まってじっと僕を見ている葉月さんの間を小走りで詰めて、一緒に改札を出ようとしたところで、改札に弾かれた。icカードの残高は残り僅かになっていた。
乗り越し精算機でお金を入れて待っている葉月さんのそばにまた小走りで詰めると、今度こそ一緒に改札口を出る。
駅を出るとそこには、タクシーが一台止まっているだけの小さなロータリーがあった。人は少なくまばらだった。
「行き先は決まっているの?」
僕がそう聞くと葉月さんは首を振った。
僕は携帯を取り出して地図アプリを開いた。
久里浜という名でなんと無く想像はついていたけれど、やっぱり近くに海がある様だ。
「海、近いですけどどうしまふ?」
そう聞くと、
「行きたいです」
風に流されそうな声で、彼女は頷いた。
〜〜〜
久里浜駅を出て、平作川沿いの道をゆっくり歩く。
川には漁船の船着場があり、多くの小型漁船が停まっていた。
吹く風は湿気と粘り気のあった。
潮の香りが鼻腔を擽り、海が近い事を五感が教えてくれている。
そんなことを感じる時間が、ゆっくりと流れる。
「圭太さん」
「はい」
それまで静かだった葉月さんがか細く声を出す。
「スクールアイドルのこと、どう思いますか」
具体的に聞こえて、抽象的な質問だった。
どう思うの、どうの所に何が含まれているのだろう。
ありきたりな言葉で返していいものなのかと考えたけれど、僕が、僕以外の彼女達も気にしていたことを質問で返すことにした。
「嫌いですか?」
葉月さんの表情を一瞥する。
少しだけ、さっきより柔らかくなっている気がした。
「やっぱり、そう思われてしまいますよね」
その答えで、かのん達が心配していた事は杞憂だったと確信できた。
だから、それ以上の事は深掘らない事にした。
「嵐さん達から色々聞いていますか?」
「はい」
偽りなく、正直に答えることにする。なんと無く、今はそういう時間だと感じ取ったから。
「なら、嫌われても仕方ありませんね」
「どうして?」
「あなたの大切なお友達の活動を、邪魔しているから」
その答えに、葉月さんの人となりが全て詰まっている気がした。
葉月さん自身で、独りになろうとしている。それは、あまりにも酷じゃ無かろうか。
「僕にとって、葉月さんも大切な友達ですよ」
少し語気が強くなってしまったと後悔する。それでも、言わずにはいられなかった。
葉月さんは驚いた顔で僕を見ている。僕は敢えて目を合わせずまっすぐ前だけを見た。
僕はこれから先、葉月さんともいい関係を築けたらと切に思っている。
これから先、という未来。僕の未来は、そうあって欲しいと願う事しか出来ないけれど。
未来なんて、誰にも分からない。
かのんと喧嘩してしまうかもしれない。
千砂都に嫌われてしまうかもしれない。
すみれさんとの関係も切れてしまうかもしれない。
でも、かのんや千砂都、すみれさんともいい関係が続いていけるかもしれない。
明日以降の事は、何がどうなるかなんて分からない。何が待ち受けているかも分からない。
けれど葉月さんは、葉月さんが見る未来に自身で打ちひしがれているのだろう。
葉月さんのお母さんがそこに居たというかけがえの無い愛おしい過去。そこからの未来は、お母さんを亡くして、お母さんから引き継いだ結ヶ丘という学校をも無くしてしまいそうになっている。
そして、それをなんとかしようと、独りに孤独になっていく。
あまりにも重くて、あまりにも残酷だ。
「あ」
葉月さんは、そう声を漏らした。俯きがちに歩いていた僕は顔を上げる。
海が見えた。
青い海。
水平線の向こうにゆっくりと流れる雲と共に。
海岸の砂浜に腰掛ける。
葉月さんは、うーんと声を漏らしながら大きく伸びをしていた。
ぼくも釣られて、背中を伸ばす。
潮風が心地いい。
まだ、気温は汗ばむ程度には暑いけれど。
それでも、心地よいと、五感が言っている。
隣に座る葉月さんもそう感じているのか、また少し表情が柔らかくなっていた。
「海ってどうして青いかしってますか?」
しばらく見つめていると、ふと葉月さんがそう切り出した。
「空が反射しているんですよね、確か」
「いい線です」
「答えは?」
「太陽光が関係しています。太陽光って、虹みたいに何色も色が重なっていてそれが海の水に当たって吸収されて、水に吸収されにくい青色だけが取り残されて残って、青く見えるんです」
「物知りですね」
「何処かの本で読みました」
そう言うと、葉月さんは続けた。
「私みたいだな、取り残された青って」
消え入る様な声でそう呟いた。僕はそれを逃さない様にしっかりと聞き取った。
お母さんが居た愛おしい過去。
そこに置いて行かれているいるかのような、愛しむような切ない目で水平線を見ている。
「青、いいじゃないですか」
「え、」
急な返答の内容に動揺したのか葉月さんは僕の方を見た。
「だって今、あんなに輝いて綺麗だから」
僕は海を見て言う。すると葉月さんも、また海へ視線を戻した。
「葉月さんには、今を生きて欲しい」
彼女と出逢って、彼女の過去と想いを知った。
僕と同じ年で彼女自身が背負うにはあまりにも重すぎる彼女の過去と想いは、今を生きる彼女にとって足枷になっているのかもしれない。
「今を楽しいって、今を嬉しいって、そう思って欲しい」
「……」
辛そうな顔で俯くと、少し間を置いて口を開いた。
「もう、手遅れです」
「そう?」
「自分の都合で、いろいろな人の想いを犠牲にしてしまったから…澁谷さん達の想いも…」
「まだ遅くはないんじゃない?」
「私は決めてしまったから。決心したから。こうやって他人の気持ちを踏み躙ってお母さんの学校を繋いで行くって。これが私の、自分の気持ちだからって」
「大丈夫だよ」
「どうしてそんな事…」
「だって今、それが間違っている事だって自分で理解してるから」
葉月さんは口を閉じた。僕に驚きと動揺を含んだ眼差しを向けている。
「気持ちとか決心とか、そう言うものって案外朧げなものだよ」
些細なことで、気持ちや決心なんて大きく変化する。
感情というものはそう言うものだ。
思っていた気持ちが、ある情報ひとつで考えがまるきり変わってしまうなんてことだってあるわけで。
スクールアイドルを大雑把にしか知らず興味もなかった僕が、友達をきっかけにスクールアイドルの魅力を知れたように。
そしてそのきっかけなんて、そんな些細なことに過ぎない。
「独りになろうとしないで欲しい」
「でも、これは私個人の問題で…」
「じゃあこれから、友達として僕が少しでも背負うよ」
「え、」
「無責任って思われてもいい。愚痴も嫌味も苛立ちも辛さも僕に何もかも無条件でぶち撒けていい。だから独りにならないで、僕にちょっとでもいいから背負わせてよ」
葉月さんは大きく目を開く。そして僕の顔を見るなり、視線をまた海の方へ戻した。
彼女は否定も肯定もしなかった。でも、それでも良かった。
伝えたい事は伝えられたから。
「また、考えてみます」
「うん…というか、僕が嫌ならかのん達でも良いんだよ?葉月さんのこと心配してたし」
実際そうだ。葉月さんの跡をつけて家に押しかけるほどには彼女達も気にかけている。
「彼女達にも、もう一度考えて話してみます」
そう言って葉月さんは立ち上がった。
「少し、すっきりしました」
そう言う彼女の目は、電車の中で見ていた時よりも澄んでいるように感じた。
「なら良かった」
僕も立ち上がって葉月さんに並んだ。
空を見た。
まだ日が暮れる、と言うような模様では無かった。
時刻は午後4時を過ぎたところを表示していた。
「そろそろ帰りましょうか」
僕の言葉にこくりと葉月さんは頷いて来た道へと体を向けた。
僕は葉月さんに続く前にもう一度、目の前の海を見た。
それは、青く光り輝いていた。