新宿駅を出ると、多くの人で賑わいを見せていた。
改札を出て、辺りを見渡して、お目当ての人をすぐに見つけることが出来たのは、背筋を伸ばし清楚で気品ある佇まいで目を引いたからである。
「レンレン!」
私、唐可可が目当ての人物の名前を叫びなら近づくと、落ち着いた様子で可愛げに手を振りかえしてくれた。
「おはようございますクゥクゥさん」
同じスクールアイドルグループLiellaで活動している葉月恋ことレンレンは、そう言って頭を下げる仕草は落ち着きがあり絵になる。
ごった返す駅から外に出て少し歩くと、大きな映画館が見えてきた。
今日の目的地であるそこに2人で談笑をしながら入っていく。
今日はレンレンに映画に誘ってもらった。
練習も休みだしという事で、皆んなで行こうという事になったのだけれど、かのんは家の手伝い、千砂都もすみれもバイトらしいので、2人で行く事になった。
しかし今となっては、それで良かったとも思っている。
かのんと千砂都とすみれの関係に、どうにも違和感を感じているという様な状況で、その理由がクゥクゥの推察通りなら、更に3人の心情をかき乱してしまう様な気がしたから。
その理由と言えば、映画の内容が恋愛だからである。
券売機で予め予約しておいた席のチケットを買うと、映画館の醍醐味の一つでもあるポップコーン売り場に並んだ。
私が注文したのは塩味でバターを掛けたものとオレンジジュース。レンレンは、キャラメルポップコーンにアイスコーヒーだ。
上映10分前に、シアタールームに入り席に着くと上映前の予告集が流れる。
私はこの時間が好きだったりする。映画の前に、この映画面白そうだとか、前のやつの続きがやるんだとか、更にまた映画に来たくなるのだが、今回はさほど面白そうなのとは出逢えなかったようだ。
映画が始まる。
若くして余命幾許も無い少女が、人生の節に恋愛をする話。
恋愛とは何か、愛とか恋とか、そう言ったものを掘り下げながら、結ばれて。それでも、待ち受けるのは死という逃れられない運命が、絶望を運んでくる。
それでも、結ばれた少年との時間を愛しみ、真っ直ぐに一秒を生きて、明日へもがき進む。
少女は死に、残された少年の視点に変わる。
思い出に涙して、無力だと自分を戒めても変わらない現実に絶望して、その心を癒そうと別の愛に彷徨おうとする。でも、少女の居ない愛が想像もつかずに踏み出せず、また泣いて絶望する。
朝起きて、全部嘘だったよと言って笑って出てきてくれる様な叶いもしないものに取り憑かれて、日々だけが過ぎていく。
そんな中、少年は思い出す。
余命幾許な程辛い中、その辛さを見せずに自分に向けて笑ってくれた少女の意思を。
愛おしかった筈の少女との思い出を辛いものに変えて、自分勝手に自暴している事に。
少年は決意する。
少女との思い出を、少しづつ消費しながら、死ぬまで真っ直ぐ生きていく事を。
少女の居ない世界を、生きていく。
映画が終わると、反射的に隣のレンレン見た。
頬に涙の筋を残しながら、満足気に最後のポップコーンを口に入れていた。
彼女の様子が気になったのは、自分の今の気持ちが彼女と同じなのかそうでは無いのか。
私の視線に気づいたレンレンは、少しはにかんで
「美しかったです」
そう言って、席から立ち上がった。
映画館を出て、食事を摂り、新宿から原宿方面への電車に乗る。
表参道方面のレンレンが、余韻に浸りながらゆっくり帰りたいと言って、私と同じ原宿行きの電車に乗った。
食事をしている時も、映画の話を楽しそうにしていたので余程気に入ったのだろう。
私の映画の感想といえば、よく分からないという、なんとも表現し難いものだった。
感動はしたけれど、美しいとも思ったけれど、どうしてか共感できなかった。
愛や恋、そんなありふれた題材の書籍や映像は何度も観てきたつもりだ。
だからこそ、そういうものには疎くなく、他人のそう言った感情に敏感なのもその影響からであろう。
実際そのせいもあって、クゥクゥは今、Liellaの関係性がギクシャクしてしまっている事に、勝手に頭を悩ませているのだけれど。
映画を観ながら、私ならどうするかと考えていた。
私が少女の立場なら、少年への恋心は持っていたとしても、絶対に伝えないし悟らせないように努める。余命までの余生を、自分よがりで楽しめたとしても、居なくなった後、少年を苦しめてしまう事になるから。
私が少年の立場なら、同じように少女への恋心を抑え込む。少女が自分への好意に気付いたとしても同じ事をする。少女が居なくなった後、苦しみたくないから。成就して仕舞えば、残された自分は苦しい時間を後に過ごす事になるから。
美しいと感じても、共感ができなかった。
だから、レンレンとの温度差が違うのかもしれない。
私には分からない。
「さっきの映画、クゥクゥさんはどうでした?」
「え」
電車に揺られながら、私に映画の感想を聞いたきたそのタイミングの良さに思わず声が漏れた。
映画を観てから、レンレンの感想はずっと聞いていたけれど、私がレンレンに話すことはしなかった。
「面白かったです。でも、…」
「?」
「苦しいなって。綺麗で眩しくてでも悲しくて苦しい」
その理由は語らずとも、レンレンには伝わった様で、前を見た。
共感できないと言ってしまうことは、恥ずかしい事で、レンレンとは違うと思われたくなかったから。
「確かに、結ばれた事で、後に少年を苦しめてしまっているのかもしれません」
実際そうだと、何度も心中で反駁する。
映画の中での出来事で、それを言って仕舞えばおしまいなのかもしれないけれど。
「愛って、恋って、幸せなものであって然るべきだけれど、時には映画のシーンの様に残酷なものも含んでいるものかもしれません」
愛も恋もした事がない私にとって、その未体験な正体不明の感情が、気味悪さを引き立てているのかもしれない。
書籍や映画でたくさん観て聞いて、知識や敏感さは、人よりあると自負しているのだけれど。
「けれど、そんなのは承知です」
私は視線を吊り革に捕まりながら見ていた窓の景色から、隣のレンレンの顔へと向けた。
レンレンは前の窓を見ながら、無情の口ぶり、当たり前だとでもいう様に話を続ける。
「承知で、恋をするんだと思います」
「どうして」
思わず聞き返す。
なんの障害もない恋愛なら納得できるが、そうも行かない事だってある。
「心が勝手に、色々な方向に揺さぶられるだけです。それに楽しいと感じる人もいれば、苦しいと感じる人も勿論います」
「だったら…」
「恋愛する権利は、皆んな平等にあります。何一つとして、特別でもないです」
レンレンは私の気持ちを他所に、淡白にそれを言った。
「でも、関係が変わっちゃうこともあります」
映画も、成就はしたけれど、少年は少女を失った後の変化に苦しむ事になった。
例えば、どんなに仲が良かった人でも、恋愛という変化を経て、上手くいかなかったとき、やっぱり違ったで、関係そのものが終わってしまうかもしれない。
例えば、仲の良かった人と同じ人を好きになった時に、成就する事で、その関係も環境もごっそり変わってしまうかもしれない。
そこまでで、原宿に着いた。
「出ましょう」
レンレンがそう言うと、扉の方へと足を向ける。私は慌ててその背中を追う。
改札を出ると、新宿同様に人で溢れていた。
「さっきの話…」
信号待ちをしていると、レンレンがそう切り出した。
「確かに、苦しいこともありますが、いい側面の方が多いとも感じます」
「え?」
「恋をすると、例えば、気づかなかった人の優しさに気付いたり、いつもの帰り道が何故か鮮やかに見えたり、今まで無関心だったものが輝いて見えたり。空の青さとか、夕日の美しさとか、道端の花だとか、そう言うものに、綺麗だなと思えたりする…、そんな形容し難い感情に、不思議と心地よくなる…そう言うものだと思います」
一言一句が、私の中に溶けていく感覚がする。
周りの喧騒が、何一つ聞こえないと錯覚するほどに、レンレンの言葉に大きな意味がある気がして、逃すまいと耳を澄ましている。
「変わってしまう関係もあれば、変わらずに続く関係もあります。それは、恋愛に限らずですけど…」
信号が青になる。
歩みを進めて、竹下通りの中へと足を踏み入れる。
「私たちLiellaの関係は、例え何か揺れ動いて変わってしまうことがあっても、大きな本質の部分は変わらずに続いてくれると思っています」
「レンレン、それって」
そこまで言って、レンレンは私を一瞥した。
その目に、何も言うなと言われた気がした。
でも、優しく包み込む様な、暖かい目。
大丈夫だよと、私に伝えている様な。
「───あ」
レンレンは突然、そう言って歩みを緩めたかと思うと、口角を少しだけ上に上げていた。
「どうしました?」
「───圭太さんです」
その名前にどきりと脈打った。
辺りを見渡しても、どこにも圭太さんは見当たらない。
しかし、レンレンは歩きながらも視線は一点に向けられていた。
その視線の先、じっと見ても圭太さんは見つけられなかったが、人が少しだけはけた時に、遠い向こうから、圭太さんが何か片手にぶら下げて歩いてきているのがようやく分かった。
暫くして、向こうもこちらの存在に気づいたのか、笑って小さく手を上げてくれた。
「奇遇だね。2人はお出かけ?」
私たちの前に来ると、少し道を横に逸れて話す。
「ええ、クゥクゥさんに映画についてきてもらって」
「へー、どんな映画?」
2人は談笑する。
映画の内容とか、食事が美味しかったとか、そんな内容の話をしながら、圭太さんもレンレンも私に話を振って、私もそれに応じると言う構図が出来上がる。
「圭太さんもお出かけ?」
「いやー、この前葉月さんが紹介してくれたドーナツの店あったでしょ?あの話を姉にしたら、買ってこいってうるさくて」
「そうだったんですか。本当にあそこのドーナツは美味しいですからね」
レンレンは、ドーナツの話をしている。
私は反射的に、彼の持つ袋に目を向けたが、レンレンは、微動も圭太さんの顔から視線を動かさなかった。
その、レンレンの表情を見て、心臓が大きく跳ねた。
慈愛に満ちた、愛しむその瞳は、好きなスイーツを語る時のものとはまた別物だった。
彼の言葉、彼の表情を逃さない様に。
彼との時間を、大切にする様に。
───私は、また気付いてしまった様だ。
得体の知れない感情を、本や映像で見て、今となっては分かったつもりでいた、なまじ敏感になったその目で。
悩みの種が、さらに大きくなる…とも考えたけれど、不思議と、昨日よりはスッキリしている気がした。
深く考え過ぎていたのかもしれないと、今では感じられる。
考えてみれば、確かに少しぎこちない気もするけれど、何か大きく本質が変化したわけでは無いだろうからと。
きっとそれは、さっきレンレンがそう言ってくれたから…と言うのもあるのだろうけれど。
でも1番は、もう今はそんなことはどうでも良いと感じてしまうほどに、目の前の少女の表情が、"美しい"から。
分かった様なふりをしていただけなのかもしれない。
分かった様なふりをして、分かったいると勘違いをして、一丁前に、私の大切な人たちのその感情を蔑ろにしようとしていたのだと考えると、なんで愚かなのだと自分を戒めた。
先程まで気にならなかった周りの音がうるさく聞こえる。そしてそれ以上に、私の心音が私の中で煩わしいほどに轟音を響かせている。
目の前の少女は、持っているのだ。
一丁前に知識だけを持ち合わせて、他人のそれに敏感に気づく様にだけになった私の、知り及ばないその感情の本質と正体。
目の前の少女は、知っているのだ。
私の知らない、その感情越しの世界を。
眩しくて、綺麗で、美しくて、それでいて残酷で苦しいその世界を。
知らなかったものの核に少しだけ触れてしまった様な、未知の感覚。
知りたいと、思ったけれど、でもまだ怖いと感じる。
きっと、初めて日本で納豆を食べようとした時に似た様な、未知の恐怖に似た感情だ。
少し、違う気もするけれど、でも、それ以外にこの感情の置き所が分からない。
でも、その未知の感情は、悪いことでは無いと、少しだけ分かった気がした。
────何故なら、レンレンはこんなにも、美しい表情をしているのだから。
だからこそ、知ってみたい。
怖さもあるけれど、それでも知ってみたい。
そう思えた。
喧騒をかき消すほどの自分の鼓動を感じながら、私は葉月恋ちゃんのその表情をまぶたに焼き付けた。
これからの…自分の為に。
湿った風が竹下通りを吹き抜けた。
長袖だと、汗ばむ季節になった。
もうすぐで、夏休みも始まる。
季節と同様に、私たちの関係も少しずつ変わるのだ。
でもきっと、本質は変わらない。