決勝戦を伝えるファンファーレの音が止み、場内は耳鳴りがするほど静まり返っていた。
ゲートインしたウマ娘たちが上体を前に倒し、腰を落とし、足を構える。思念で操作するトレーナーたちも息を止めて開始の時を待つ。
決勝は2400mのコースだ。このレースの1着には賞金と賞品が与えられる。勝者は1人。最後の大勝負だ。
山本大和のウマ娘であるダイワスカーレットがゲートの12番に入っている。法上院凛のウマ娘であるキングヘイローが1番だった。
大和がモニター越しにダイワスカーレットを見ている。瞳の赤みがさらに増し、メラメラと燃える闘志が見えた。
「『アッテナの弔い合戦よ』」
ウマ娘からの思念が大和の頭に直接響く。少々震えを帯びて荒っぽい声色だ。
「『そうだな。だがちょっと落ち着こうか』」
「『がるるっ』」
「『聞いちゃいない』」
まるで野生に還ったかのように威嚇の念を込めているダイワスカーレットだった。そのまま姿勢を低く構えている。
そして、ゲートが開く音が会場に反響した。各ウマ娘が一斉にスタートを切った。
法上院凛のキングヘイローが変わらず先頭を進んでいる。ぐんと後続を引き離して一人前を走っていた。ダイワスカーレットが4番手、そのすぐ後ろに形部なぎこのウマ娘であるミットライセンが位置付けていた。
第一コーナーを抜けて早くもダイワスカーレットが前に行こうとペースを速めた。それでも2番手、3番手のウマ娘と差が縮まらない。明らかにハイペースだった。
「『おい、スカーレット、ペース落とせ!』」
「『……』」
と大和の言葉がもはや聞こえていない。掛かっている。このままでは流石のダイワスカーレットといえどスタミナが持たない。相手はスキル連打で回復できるキングヘイローだ。
胸もとのトレーナーバッジに右手を伸ばす。指先が触れた。その状態で大和は唇を噛んだ。肩がこわばって上がり、無理な力が入っている。
掛かり気味のウマ娘はスタミナ消費が激しい。トレーナーバッジの思念で無理やり手綱を引いてでも抑えるべきかどうかを大和は悩んでいる。
負けることはできない1戦だ。バッチに触れた指先がうっすら汗ばんでいる。
5秒程度そのままの姿勢でいたものの、ふぅと息を吐くと肩の力を抜いてバッジから手を離した。
「『任せたぞ、スカーレット』」
大和はウマ娘の意のままに走らせることを選んだ。代わりに一つ、最後に無理をしてもらう事にした。
第二コーナーを抜けて直線になった。3番手のウマ娘にダイワスカーレットが追い迫る。並んだ。
同時にダイワスカーレットの身体に黒い靄がかかる。背中に他のウマ娘人形が覆いかぶさったかのような錯覚を覚えた。足が重くなった。
「『なにこれ。重い』」
やや後方、形部なぎこのウマ娘であるミッドライセンから黒い靄の帯が伸びている。ダイワスカーレットの胸から下腹部にかけて靄が巻き付いていた。互いに絡まるような恰好をして走っていく。3番手だったウマ娘がまた前に出た。ダイワスカーレットが現在4番手で走っている。
「『ヤマト、これって』」
「『妨害スキルだ』」
黒い靄の帯は使用中、対象者のスタミナを減らしペースを落とす効果のあるスキルだ。しかしこのスキルには致命的な欠点がいくつかある。使用者も同じくスタミナを減らしてしまう。諸刃の剣だった。
「『まるで自爆特攻だな。好かれているなスカーレット』」
「『人気者は辛いわね。ほんと』」
第二コーナーから直線を挟み、第三コーナーに差し掛かってなお形部なぎこは執拗にスキルを使用し続けている。このままでいればミッドライセンのスタミナは最終コーナーまで持たない。それでも使用しているのには理由があった。法上院凛との取引だ。決勝前、大ケヤキの下で最後の交渉がされていた。大和と凛が会う前だ。内容はスキルによる大和のウマ娘のスタミナ奪取をすること。
自分のウマ娘の勝利を捨てて、形部なぎこが従ったのは、自分がこの面子の中で勝てる可能性が無いことを悟ったからであった。
ダイワスカーレットが肩越しに後ろを向いた。ミッドライセンが離れない。無理をしてでもついてきている。
既に先頭のキングヘイローとの間に10馬身以上差があった。大差だ。これ以上離されては届かなくなる。
「『ねえ、ヤマト』」
とダイワスカーレットが声を出す。声に冷静さを取り戻していた。
「『このままだと追いつけない。どう走ればあのウマ娘に勝てる。教えて?』」
第三コーナーを曲がった。すでにキングヘイローは第四コーナーに差し掛かっている。
状況を分析したダイワスカーレットが、唇を少し噛みながら、大和に指示を仰いだ。
「『分かった。脚はどんな感じだ』」
「『脚? 思ったより使ってないわね』」
訝しながら自分の状態をダイワスカーレットは確認していた。最初速いペースだったにもかかわらず、末脚は十分に残っている。いやみなぎっているといっても良かった。
形部なぎこが使ったスキルの副作用だった。ペースを落とすスキルはその分、相手の脚に力をためる。約直線一本分スキルで制限されていたダイワスカーレットの脚が今、爆発力のある末脚となっていた。
「『よし、その脚なら何とかなりそうだ』」
「『勝手にアタシの身体を操らないでよ。指示だけ。それも納得しないと聞かないから』」
「『……ホント。いい性格しているよお前』」
そういうと、大和は条件で発動可能なオート入力のスキルを発動した。スキル光がウマ娘の身体に集まってくる。続けざまにマニュアルスキルを使用する。
同時スキルだ。1度のタイミングしかスキル使用を許さないダイワスカーレットっであっても、効果発動が重なれば問題にならない。走力に影響は生じない。
使用したスキルはスタミナ回復だ。1度のタイミングで2つの異なるスタミナ回復を発動した。赤と青の光がダイワスカーレットを柔らかく包み込んだ。
奪われたスタミナが戻り、足が少し軽くなった。仕掛けに使う体力が十二分に満ちている。
「『よし、これなら』」
ダイワスカーレットが脚に力を込めた。仕掛けた。ぐんと速度を増して第四コーナーに迫った。
しかし、ミットライセンが縋り付く。形部なぎこが意地を見せていた。黒い靄の帯が、蛇のようにダイワスカーレットの身体にとぐろを巻いている。食い下がる。
大和の頭に「だめか」と考えが横切った時、観客席から声があった。
「おじさん! 頑張れっ!」
西ノ宮ていの声だ。背中をドンと押されたような錯覚を大和は覚えた。ダイワスカーレットの耳にも届いている。声にアッテナの匂いを感じていた。
口元が笑った。大和も、ダイワスカーレットも同じ表情をしていた。
「『スカーレット』」
と大和は名前だけを呼んだ。
「『ええ、あの女の子とアッテナにカッコ悪いとこ見せられないわ』」
より一層低い姿勢になったダイワスカーレットが、野生を解放するがごとく、更に鋭く伸びた。スタミナが最後まで持つかどうかという理性をかなぐり捨てた捨て身の走りだ。
黒い靄の帯がちぎれ飛んだ。ミットライセンのスキル効果範囲外まで差を広げた。
「『うあぁ!』」
と咆哮に似た思いを滾らせて、キングヘイローへと迫っていく。
法上院凛が猛烈な勢いで走りこんでくるダイワスカーレットを見て、なお笑った。
「ようやくですか。来ないのかと心配していましたわ」
手すりに片手を振れるように置く。コースを這うように駆けるダイワスカーレットを観察している。
このペースで進まれれば、ゴール板前にダイワスカーレットとキングヘイローが並ぶ。とはいえ凛にはこれ以上スキルで加速させることも速度を後押しすることもできない。キングヘイローの脚質は差しだ。逃げ足を選んだ今、使えるスキルはほとんどない。ここから伸びる脚はもう残ってはいなかった。
「少々侮っておりました。実際に脚を合わせてみないとわかりませんわね」
ちらりと正面を見る。真剣な目で見守る大和の姿が映った。
凛にとって、大和が誘いを即決しなかった事は好印象だった。お金に惑わされない人物はすぐに余所に靡くことがないからだ。
「色よい返事をおまちしておりますわ」
レースの後にどう訪れようかと思いを一度馳せると、レース場へ向き直った。
すでにゴールまで100mを切った。1馬身差までダイワスカーレットが迫っていた。
半馬身、頭差まで迫った時、山本大和が動いた。
ダイワスカーレットの身体がぐんと慣性を無視したように動いた。スキルだ。
「『こいつで決めるぞ。ていちゃんと戦ったスキルで』」
「『ちょっと! 2回目のスキルはっ』」
「『ああ、多分すごく気持ち悪くなると思うが我慢してくれ。ゴール板さえ横切ればこっちのものだ』」
「『っ! ああ、もう、覚えていなさいよ』」
ラストダンスが最後の距離を縮める。ダイワスカーレットがそのまま駆けるよりも遥かに速い。しかし、凛は笑っている。
キングヘイローの身体も先ほどのダイワスカーレットと同様に、慣性を無視して前に出た。
「おじ様の切り札は読んでいました。ラストダンスは移動距離も速度もどのウマ娘が使用しても同じもの。キングヘイローも持っているのですわ。ラストダンスを」
ラストダンスは発動難易度の高いスキルであるが、脚質に関係なく発動可能なスキルの一種だ。ゴール板の手前、発動してしまえば差が縮まることが無い。キングヘイローはダイワスカーレットよりやや前に出ている。スキルの特性上この差は埋まらない。
法上院凛は勝ちを確信して目を細めた。そこに声が聞こえた。
「そいつはどうかな」
と正面に立つ大和の声だ。
ダイワスカーレットとキングヘイローの差が縮まっていく。ゴール板まであと半歩の距離で並んだ。大和はラストダンスをオートとマニュアル操作の重ね掛けをしていたのだった。重ね掛けされた大和のラストダンスは、移動距離こそ変わらないものの到達するまでの速度が加算されていた。
キングヘイローを追い抜いた。そのままゴール板を横切った。
ダイワスカーレットが1着。キングヘイローが2着だ。ハナ差であった。
わあっと会場が湧きだった。
法上院凛が呆然とレース場を眺めている。目が見開いていた。手すりに置いていた手がいつの間にか握りこぶしを作っている。その手が震えている。
あり得ない、と口から洩れることすら出来ない状態だった。トレーナーの思念の手綱から解放されたキングヘイローがレース場を勝手に走り回っている。
ダイワスカーレットがコース上で立ち止まり、見上げた。トレーナー席が浮いている。形部なぎこは歯を食いしばっていた。他のトレーナーたちも勝負が終わり、集中力が途切れたのか、手すりに寄りかかっているのが見えた。
そして、大和と目があった。笑っていた。
閉会式で山本大和が賞金と賞品であるウマ娘の因子を受け取る。大会仕様の特別精錬されたレア因子だ。暫く関係者たちの話が続いた後、大会が終了となった。終始、法上院凛の姿はなかった。
ぞろぞろと人々が外に出ている。その流れに乗って外に出た大和たちが、大会会場入口近くにある芝生の上で一旦足を止めた。
周りには小道真白と西ノ宮ていとその母親西ノ宮梓の姿がある。
「んんっ」
真白が両手を組んで頭の上に持ち上げ、背中からわき腹、ふくらはぎからつま先にかけて全身をぐいっと伸ばしている。一気に脱力して腕を振り落とした。
「なかなか刺激的な1日だったわ」
にこやかに振り向いた。視線の先には大和がいる。大和の目は泳いでいた。
「で、お姉さんに分かるよーに教えてほしいのだけど大和くん。こんな可愛い女の子と何時どこで仲良くなったのかな」
「ウマ娘の練習中に。おもちゃ屋で」
「へー。ほー。ふーん」
どぎまぎしながらも、粗がでないよう簡素に答える大和であった。絡めとるような視線で真白が追い詰めていく。
「あの」
横で西ノ宮ていが何かを言いかけた唇に、軽く人差し指を真白が当てる。真白にとって真実は必要なかった。これほど上質なからかいのネタを触らずにはいられない。彼女の目的は、ただただいじることだけだった。
大和もそれが分かっているからこそ、はぐらかすことに全力を回していた。
「『やっぱりこいつが1番ヤバいやつね』」
と胸ポケットからダイワスカーレットがこっそりとため息をついていた。
ていがその二人の様子をじっと見ている。その手には大会仕様の因子の入ったケースがあった。