「これは困った。考えてなかったな」
パソコンのモニターに映る地図をじっと見て山本大和が嘆いていた。
トレーナー復帰計画は、開始初手から手詰まりが起きていたのだった。
大会まではあと3週間。参加受付終了までは後1週間後。トレーナー試験は土日を除いて午前の部、午後の部と2回ある。
試験の日程は問題ない。ただし、その試験会場に向かうルートに問題があった。
「運行バスが一時閉鎖中だとは思わなかった。復旧目途が1週間じゃあ間に合わない」
一番近くの試験会場までは電車で1時間、そこからバスで1時間半行った先にある会場だ。住民登録している関係で基本その試験会場で受けることになる。しかし、その会場までの足がない。歩いていける距離ではない。大和は車を持っていなかった。
「タクシーは……げ、こんな高いのか」
と仰向けに倒れた。片道2万である。行き帰りで4万、資格試験料が1万。1回の試験で必要な金額が5万円に迫っていた。
流石に交通費4万は辛いと天井を見上げていた。
「アクションフィールドのせいなのか、もっと近くに試験会場できないのかよ」
天井の染みに愚痴をこぼしている。
「遊園地とかでやれよな。あの立体映像つかって。いやあれでお化け屋敷とかやられたらトラウマものだけど」
一瞬にして空が赤く染まった記憶を思い出し、今頃になって背筋が冷っと震えた。
そのまま横に顔を倒す。視線の先にウマ娘人形のダイワスカーレットがいた。スマホでウマ娘のレース動画とライブ動画を見ている。
レース動画の時にはわいわいと応援を繰り返し、ライブ動画になれば自分も一緒に踊りだしている。
くるりと体を回した拍子に、スカートが遠心力でふわりと舞い上がっている。
ため息をつくと大和は上体を起こした。下半身は寝転んだまま、ダイワスカーレットの見ているスマホを取り上げる。
「今いいところだったのに」
「電話したいんだ。ちょっと貸してくれ」
「電話?」
スマホを持ったまま今度は胡坐をして座りなおす。ダイワスカーレットが背中から肩に乗った。大和の耳に小さな手をかけて覗き込んでいる。少々くすぐったいが、すでに慣れたものだった。
無料通話アプリを開く。交友関連の一覧を上から通話ボタンを押した。音声のみの通話だ。
1人目が電話に出る。
「今週予定開いてないか」
「予定を探す予定があるから無理だ。半年は埋まっている」
「いや暇だろお前、悪いがちょっと車……切りやがった」
めげずに2人目に電話をかける。
「おう、この前はありがとなアッテナ、ウマ娘人形見てくれて。それで今日は別の用件なんだけど。車使わせて欲しいんだ」
「車は売った」
「売った? いつ」
「昨日。ウマ娘ライブの軍資金のために」
「アホだろお前」
3人目だ。
「ー・ー ー・ ーー・ー・」
「電話でモールス信号やめてくれ。……切れたし」
4人目。
「……電話に出ねぇ」
次々に轟沈していく。
大和は床にスマホを放り投げて横になった。
西ノ宮ていと約束した手前、大会に出る必要がある。大会は公式レースだ。今回出場するためには地方トレーナーが条件になっている。
放り投げたスマホをダイワスカーレットが覗き込み通話アプリをいじっている。大和は指でとんとんと床を叩いていた。
ダイワスカーレットのウマ耳がピクリと動いた。
「ヤマトー、この人には電話してないみたいよ。ボタン押していい? いいよね?」
「残っている奴……いや、ちょっと待て。それは」
大和は制止しようと上体を起こす。しかし、時すでに遅し。ダイワスカーレットは通話開始のボタンを押していた。名前の欄には小道真白と書いてある。
取り消そうと慌ててスマホに手を伸ばす。通話が繋がった。モニターに顔が映っている。ビデオ通話をダイワスカーレットが押していたのだった。
モニターに映った顔を見てびくりと尻尾が反り立つと、ダイワスカーレットが走って大和の足の裏に隠れた。
「あら、私に電話してくるなんて。ついに観念したのかしら」
銀髪をかき上げて、ジド目をしながらにやりと笑う女性の姿があった。6年以上交流がなかったにもかかわらず、大和からしたら見た目に変化がない。それ以上に性格に変化がないようだった。
「時効にはなんないのか」
「私の記憶から消えたらかしらね」
「小学生からの記憶持っているお前に、忘れるってことがあるのかよ」
「さぁね」
真白の尾てい骨から尻尾が生えていたら、確実にゆらりと悪魔のように振っているだろう絵が見える笑顔をしている。
大和は手短に、それはもう本当に無駄なことを省いて用件を伝えた。
「へぇ。もう一度トレーナーやるのね」
「なんだよ。何か言いたそうな目しやがって」
「別にないわ。あの時はあれだけ言い訳並べて『引退だー』って言ってたのに、と思ってね。飲めないお酒朝まで煽っていっぱい吐いて」
「人がせっかく忘れていたことを……だからこいつに電話するの嫌だったんだ」
こっそりと大和の足の裏から顔をのぞかせて、ダイワスカーレットがスマホを見る。画面に映るその真白の目は久しぶりのおもちゃを見つけた子供のような、獲物をいたぶる猫のような気配があると感じていた。
「『こいつ、別の意味でヤバイやつね。アンタの周りってこんなのばっかなの』」
「『言わないでくれ。泣けてくる』」
「『類は友を呼ぶってやつね。きっと』」
「『その筆頭はスカーレット、お前だな』」
大和は思いっきり足裏を抓られた。
そのまま、話が進み、車を出してもらう運びとなった。
「いいわ。ドライブしてあげる。私も予定あるから、日程は私の都合でいいかしら」
「ああ、今週中にできれば十分だ」
「じゃあまた会いましょう。大和」
ビデオ通話が切れた。
盛大に大和はため息をつくと、全身の力が抜けて畳に横になった。
「疲れた。寝る」
と言い残し、そのまま朝まで大和は寝ることにした。
次の日の早朝にインターホンが鳴った。目覚まし時計よりも早い時間だった。
大和は寝ぼけ眼のまま玄関まで歩いていった。この時間に無遠慮にインターホンを慣らすのは大家のおばさんぐらいだ。今回もそうだろうと思っている。動物の件だなとドアを開けた。反対の手は寝ぐせを掻いていた。ドアを完全に開けた時、その手が氷のように固まった。
「来ちゃった」
と、小道真白の姿があった。ほんのりと頬を赤らめて俯き加減に、目は上目気味に大和を見ている。
暫く呆然として、そして、大和は一度ドアを閉めた。
頭を整理するために深呼吸を2度ほど行い、もう一度ドアを開けた。
「……来ちゃった」
と繰り返す小道真白の姿があった。今度は銀髪をいじりながら、ちらりと見ている。
もう一度ドアを閉める。
「どうしたの、ヤマト~」
籠のベットの中からピンクのパジャマを着たウマ娘人形が出てくる。
そのままひょいと大和の肩に乗ると、覗き窓から外を見た。
「『うひゃい』」
と肩から落ちかけている。
「『なんであの女がいるのよ』」
「『俺、まだ夢見ているようだ。おやすみ』」
「『いや、いるから。外にいるから』」
観念して三度ドアを開けた。
「流石に三度目はないわね」
「なんでいるんだよ。予定あるって言ってたじゃないか」
「そうよ。都合あるから今日来たんじゃない。さ、行きましょ」
胸を張って真白は答えた。その眼が大和の肩に乗っているウマ娘人形に向いた。
「この子が貴方をトレーナーの道に戻そうとしているウマ娘人形ね」
「いや、拾ったとしか言ってないんだが」
「似たようなものよ」
と真白が言うや肩からさりげなくウマ娘人形を手に取った。ダイワスカーレットの目を見るとにやりと笑みを零した。
ダイワスカーレットは動かない。しかしその眼が大和に訴えている。
数瞬考えた大和が、シュタッと手を上げる。
「着替えてくるから、ちょっとの間頼むわ」
「『置いていくつもり、薄情者ーっ』」
とドアを閉めた。
ドアから真白は目を離し、両手で持つウマ娘人形を凝視した。
「怪しいわね」
真白が一言つぶやいた。
ウマ娘人形の肩を指でなぞる。裏返しにしては服の生地の感触を確かめる。朝の太陽に生地が煌めいている。
「しっかりとした造りの服ね。人形にこんなおしゃれな服買うような奴じゃない。しかも何、朝だからパジャマを着させているの? そんなキッチリしている性格じゃなかったはず」
栗色のツインテールを指でかき上げる。毎日櫛を通しているかのようにダイワスカーレットの髪はさらりときめ細やかな肌触りをしていた。指が抜けた後によどみなく髪が滑り落ちる。
尻尾に振れた。尻尾も同様の感触だ。やや癖がついているのか毛先が曲がっている。
「あいつなら無地のシャツでも着せて終わりなはずだわ。髪も櫛を通してそうだし。……女でも出来たのかしら。でもなんか違和感あるのよね」
ジド目でダイワスカーレットの赤い瞳を見る。
「怪しい」
「『早く来なさいよバカヤマト』」
猛禽類に睨まれているかのような錯覚を、大和がドアを開けるまでダイワスカーレットは感じ続けていた。
それから大和が支度の準備を終えて出た後、動いていないはずのウマ娘人形がげっそりとした雰囲気を漂わせていた。
「じゃあ行きましょう」
と小道真白の運転する車で出発した。
トレーナー試験会場の中は十数人の受験者たちの姿があった。
エントランスの奥に試験会場受付の看板が置いてある。大和たちは受付で申し込みを済ませ、案内の通りに控室まで歩いていった。
途中、両サイドがガラス張りの通路を通る。ガラスから見える場所にアクションフィールドで作られたテスト場が浮かび上がっていた。数人が試験を行っている。通路には観客もちらほらと見える。
「へぇ、昔とずいぶん変わったな。やっぱりアクションフィールドの登場ってすげえんだな」
「本当に凄いわ。質量を持った幻像システムなんて。これが高校生の頃にあったらどんなに楽しめたことかしら」
大和が感心すると、隣で歩く真白も頷いた。その表情は立体幻像システムで何ができるかと考えている様子だ。
本当に高校時代にはこの立体幻像システムが存在していなくて良かったと、大和は心の中で胸を撫で下ろしていた。存在していたらどんな悪戯に巻き込まれるか分かったものじゃない。
「あら、主犯のくせに」
「……しれっと心読まないでくれない」
「さぁ、どうしましょうかしら」
くすくすと真白が笑っている。大和が頭を掻いている。ダイワスカーレットはじっとガラスの向こうを見ていた。
そのまま控え室に案内されて30分ほど経つと番号が呼ばれた。大和の試験番号だ。
肩にウマ娘人形を乗せたまま、試験場へと歩いていく。後ろで真白がひらひらと手を振っていた。
トレーナー試験は技能試験である。用意された試験用ウマ娘を操作して2つのテストをパスすることで公式な地方トレーナーとしての証とトレーナーバッジを手に入れられる。持ち込んだウマ娘で試験を行うことも認められていた。
最初の試験は姿勢制御のバランス感覚を評価する板渡りだ。
1mほどの高さの台が2つあり、そこに板が設置されている。幅はウマ娘の肩幅とほぼ同じぐらいだ。それが3m分の長さがあり、板の中央はたわんでいる。
「『こいつを渡れってことね』」
とダイワスカーレットが物珍しそうに見ている。
「『今日はお前お休みだぞ、俺のトレーナー試験なんだから』」
「『いやよ。こんな面白そうなの、やらせなさいよアタシに』」
「『それって不正になるんじゃないのか、勝手に走るウマ娘を制御しろっていうテストなのに。流石にていちゃんに申し開きできんぞ』」
「『勝手に走っても落ちなきゃいいのよ』」
肩に乗るウマ娘人形はやる気満々だ。説得を諦めた大和は試験管に自分のウマ娘で試験を行うように連絡をした。
試験管からの了承を受けると、試験管の指示の下、ウマ娘人形をスタート地点の台に乗せた。
「『いいか、これはレースじゃない。もしお前がテストに失敗しそうになったら俺の指示聞いてもらうからな』」
「『安心しなさい。このアタシに任せておけばオールオッケーなんだから』」
板渡りの試験が開始となった。
この試験はただ板を渡るだけの非常にシンプルなものだ。しかし達成率は30%以下と非常に難しい難易度になっている。
理由は簡単で、ウマ娘人形に歩かせることを要求する思念操作を継続させることが中々に辛いことだからだ。思念が途切れればすぐにでも走りだすのがウマ娘人形。走っても板の序盤・終盤ならば取り返しが効くが、中盤のたわみが大きな場所では強力な脚を持つウマ娘の走りの振動で大きく板がブレる。そのまま落下して失敗となるケースが非常に多い。
更に歩かせたとしても、ウマ娘視点で真っすぐに3m歩かせなければいけない。肩幅とはいえ徐々に橋の中心から足がずれていけばそのうち落ちてしまう。たわみでは特にまっすぐ歩くことに集中力が試される。
走らせないこと。中央のたわみの攻略をどうするか。その思念操作と空間認識能力と判断力をテストされる。
「『おお、ふにょふにょして面白~い』」
「『落ちるなよ』」
「『落ちるわけないじゃない』」
軽快なフットワークでダイワスカーレットが橋を進んでいく。その光景に試験管が驚いていた。通常、試験に来たトレーナーは走ることは得意だが繊細な操作がおぼつかない。
一歩足を出させるのにも極度に意識を傾けさせる者が非常に多い。
にもかかわらず、大和は特に意識をせずにウマ娘を進ませている。ウマ娘が3m渡り切る間に試験管にはチェックする項目があるのだが、しばしチェックをすることを忘れるほどだった。
通路側面にあるガラスの向こうから見ていた小道真白も目を見張っている。
「あいつ、あんな才能あったっだ。操作盤で頑張っていた時よりスムーズじゃない。本当に生きているみたいに歩かせるのね」
ダイワスカーレットがまるで鼻歌交じりに歩いていく姿にしばし呆気に取られていた。真白から見える位置には他にも試験者が数人いるが、そちらは全員が苦戦しているようだ。
そのまま危なげなく板を渡り切った。台の上でダイワスカーレットが片手を腰に手を当てて、もう片手でピースをしている。
大和が手を伸ばすと、その手を伝って肩に登っていった。特殊フィールドから出ると、いつも通り肩にのるウマ娘人形の姿になった。
「次の試験まで控室でお待ちください。準備ができ次第番号をお呼びいたします」
と試験管に誘導されて控室に戻ってきた。
真白が出迎えた。
「やるのね貴方。8年のブランクでどんな失敗するのか楽しみにしていたのに」
「せめて応援してくれよ」
「安心して。試験に落ちたら笑ってあげるわ」
「追い打ちかけてくれるなよ」
「あら、それをご所望で私に電話したんじゃないの?」
真白が口元に手を当てて笑っている。
大和はいやいやと手を振っている。そうしてしばらくするとまた番号が呼ばれた。
もう一つのテストは切り株ジャンプだ。次々に切り株を跳んで移動する。切り株の高さはまちまちであり、どこのルートを通ればいいかはおのずと決まってくる。
ゴールまでのルートを通るように指示を出しつつ、ウマ娘の脚力を計算に入れ、跳びすぎないように調整しなければいけない。これも空間認識能力が試される。さらに3次元的な動きを制御できるかも評価される。
「『こっちはもっと楽勝ね。だってもっとやばいの経験しているし』」
「『一度だけな』」
ダイワスカーレットが一番下にある切り株の上に立った。スタートである。ゴールは彼女から仰ぎ見るほど高く伸びた先にある。
飛んでくる傘に向かって着地しなくていい分、気が楽だ。ダイワスカーレットがぐるりと肩を回している。
「『どっちの切り株に跳べばいいかはこっちから見えているからな、その指示ぐらいは聞けよ』」
「『しょうがないわね。まあ無理やり走らされるよりはまだましって所ね』」
そうして切り株を次々に攻略していった。
「『右、右、つぎは前、左、右……なんか技でそうだな』」
「『変なこと考えていないで次は』」
「『前、前、左、前、右、右、あとは右前の螺旋になっているのを進めばゴールだ』」
と、切り株の方も危なげなく制覇した。
控室まで戻り、真白と合流すると、エントランスにあった受付のさらに奥の結果発表場所に移動した。
パイプ椅子が整然と並んでいる。その一つに腰を下ろしてまった。
1時間後、結果発表の電光版に大和の番号があった。
そのままライセンス発行を待つ。窓口で地方トレーナー証とトレーナーバッジを受け取った。
「おめでとう。じゃあお祝いにお昼行きましょ」
ぱちぱちと真白は拍手をしていた。そのまま車へと移動を開始する。
「もうそんな時間か、真白は何食べたい」
「貴方のおごりなら何でもいいわ」
「あれ、お祝いじゃないのか」
「そうよ。お祝いに大和が私にお昼をおごるの」
「……理不尽な」
車に乗り込むと、そのまま近くのファミレスへと向かった。
席についてオーダーをした。あんみつを一つプラスで頼んでいる。
「まだ甘いの好きだったんだ」
と真白が感想を口にした。
「最近特に、な」
曖昧な返事で大和は返す。
そうしてオーダーした品が着くと、真白の目を盗んで椅子の上にあんみつを置いた。
大和のポケットの影からにゅるりと出てきた小さな手があんみつを掴んでいた。