クラス転移の特典が俺だけ「サキュバス化」だった 作:緑茶わいん
「ウォーター」
ちゃぷちゃぷと浴槽に水が溜まる。
「ファイア」
炎が投下されるたびに水の温度が上がり、やがて風呂が沸く。
「フリーズ」
湯の温度が下がり、やがて凍る。
「ファイア」
以下繰り返し。
「うーん。やっぱりもの凄く地味だなこれ」
えんえんと魔法を使って経験値を稼ぐ方法。
思いついたので試してみたものの、なかなかに地道な作業である。ゲームのレベル上げは苦にならないタイプだが、これはさすがに精神に来る。
余らせておくよりは確実にいいのが逆に困りものである。
ステータスを表示し、一回ごとの経験値上昇値を眺めつつしばらく続けていると、
「お疲れ様です、レンさん」
「アイリス」
ぴと、と頬に柔らかな手が当てられ、金髪の美少女がレンの隣にしゃがみこんだ。
触れ合った部分から少女の生命力がほんのり流れ込んできて心地いい。
「どうですか?」
「めちゃくちゃ地味だな」
熱して凍らせてを繰り返していると「意味あるのかこれ?」という気分になる。
回数を減らすために
反復練習は何事においても基礎の基礎ということか。
「昼間修行するならともかく、寝る前にMP使いたいだけならこの部屋に明かり設置しまくる方がいいかもな」
浴室は入浴時しか使わない上に中が隠れるので明かりがいっぱいでも支障はない。変にブーストしなければ朝までには光も消える。
寝ている間にエナジードレインすれば消費したMPが回復できて一石二鳥である。
「じゃあ、また一緒に寝てもいいですか?」
「ああ、もちろん」
「嬉しい」
肩が触れ合うような距離で微笑むアイリス。
距離が近くなったな、と思う。抱き合って寝たり抱き合って飛んだりしていたのだから当然と言えば当然なのだが。
「だんだんダンジョンが厳しくなってきましたね」
「ああ。敵もそうだけど、だんだん広くなってるんだよなあ……」
レンたちはダンジョンの構造確認を攻略本に頼っている。
一階の地図は一ページにあっさり収まって余白がだいぶあったものの、直近で攻略した十二階の地図は一ページにみっちり詰まっていた。
全部探索した場合の労力はもちろん跳ね上がる。
マッピングの手間がなく、迷う心配もしなくていいだけで相当楽をしてはいるのだが。
「三回で一階攻略に切り替えた方がいいかもな」
一回目と二回目でその階をくまなく回り、三回目でボスを倒す。
これなら一回ごとの労力を以前のレベルに戻せる。
「それがいいかもしれませんね。皆さんにも相談してみましょう」
「悪いな。またペースが遅くなって」
「そんな。私だって大事なことがなにかくらいわかってるんですよ?」
「ああ。アイリスのことは頼りにしてる」
ちなみに、マップ情報があるのにくまなく探索するのは何故か、と言えばもちろん「宝と経験値のため」である。最短ルートでボス部屋に向かえば時短にはなるものの、戦力的な余裕はどんどんなくなっていくだろう。
経験値稼ぎのために同じ階を周回する羽目になるくらいなら最初から全部回っても問題ない。
「アイリスたちが『祝福』を受けられるまで、それかマリアさんが本格参戦できるようになるまでは俺が頑張らないとな」
となればクラスも得てスキル数の増えたレンが活躍するべきだ。
アイリスは目を細め「ありがとうございます」と囁いた後で尋ねてきた。
「今度はどんなスキルを取るんですか?」
「んー、クラスの方は順調に強化すればいいと思うんだけど、サキュバスの方が悩ましいんだよな」
せっかくなのでスキル一覧を表示してみる。
最近、サキュバスのレベルアップで取ったのは「ドレインマジック(攻撃魔法に微量のエナジードレイン効果を付与)の2レベルめ」と「キュア(状態異常回復+微量のHP回復)」である。
スキルの取得状況やサキュバスの種族レベル等を条件に増えるスキルもあるため、次に何を取ろうかなかなかに悩ましい。
素直に考えるとMP効率をさらに上げるか最大MPを増やすかなのだが、
「……あの、レンさん。これって」
アイリスの指がひとつのスキルに触れる。
画面が切り替わり、そのスキル──「ドレインキッス」の詳細が表示された。
「あー……。そこにも書いてあるけど、キスした時に
「すごいエナジードレイン……」
「すごいって言っても吸収スピードと変換効率の話だぞ。吸い取るHPの量自体は変わらないっぽいから危険はないはず」
レンは慌てて弁解した。いや、別にそれを取るとは一言も口にしていないのだが。元男だった身として女子にこの手の話をするのは躊躇してしまう。
だというのに。
「これを使えば簡単にレンさんのMPが回復できるんですか……?」
少女は顔を横に向けてレンの瞳を覗き込んできた。
「まあ、今までよりは格段に早くなると思う。色々問題があるけど」
「いいんじゃないでしょうか、これ」
「……いいのか?」
正直、一番抵抗がありそうなのがアイリスだ。
フーリは今更嫌がらないだろうし、メイも同様。マリアベルもおそらく快諾してくれるだろう。ただ、アイリスは恥ずかしがると思っていた。
しかし、
「レンさんは嫌ですか? 私とキスするの」
「そういうこと言うと今すぐキスするぞ」
「いい、ですよ?」
レンは右手を持ち上げるとアイリスの手を取り、一緒にウィンドウを操作した。
ドレインキッスの取得を確定。
「……取っちゃいましたね」
「取っちゃったな」
青い綺麗な瞳が少しずつ潤いを増していく。
それが悲しみや恐怖からくるものではないとわかっているレンは、アイリスの唇にそっと顔を近づけた。
「……んっ」
ほんの二、三秒。
唇を離すと、アイリスは息を我慢していたのか「はぁっ」と大きく呼吸をした。
彼女は頬を紅潮させたまま至近距離からじっとレンを見つめて、
「しちゃいました」
「しちゃったな」
「……責任、取ってくれますか?」
責任。
あいにく、女になってしまった身としては安易に「結婚する」とも言えないし、フーリたちとの触れ合いを止めることもできそうにないのだが。
レンは真っすぐに少女の瞳を見つめ返しながら答えた。
「もし、どこかのパーティから『アイリスが欲しい』って言われたら絶対に嫌だって言うよ」
「じゃあ、これからもずっと一緒ですね」
その言葉にレンは笑って、
「ああ。いつか、ダンジョンをクリアするまでな」
◆ ◆ ◆
可愛くて清潔な下着を身に着けながら、アイリスは以前母と話したことを思い出した。
『私は、レンさんにならアイリスを任せてもいいと思っているわ』
当時の自分はそれを聞いて物凄く慌てた。
母親とはいえ──いや、母親だからこそ、だろうか──恋のことでストレートなアドバイスをされるのは恥ずかしかった。経験のないアイリスにとって「それ」は未知の世界で、だからこそ踏み出すのが怖かった、というのもある。
けれど、話自体を「やめよう」と言い出すのももったいなくて。
おずおずと、小さな声で母に尋ねた。
『どうして、レンさんならいいの?』
『一番は、きっと彼女も私と同じで長く生きられる種族だから』
純粋なエルフである母は四十を超えても少女のように若い。若々しい、ではなく、本当にまだ老けるような年齢に達していないのだ。最近では父と並ぶとまるで親子のようにさえ見える。
具体的にエルフが何年生きるのかはわからない。
ただ、母の血を引いているアイリスも人よりは確実に長生きする。
人間と結ばれれば、伴侶の老衰を見送らないといけない。
『サキュバスは生理的な機能でも人間より優れているのでしょう? それはきっと肉体に縛られる度合いが人間よりも低いということ。長く若い身体と心を保って生き続けることができる』
『レンさんとなら、ずっと一緒にいられる』
『そう。そうすれば、私のようにあの人を見送らなくて済むでしょう?』
言って母は少し寂しそうに笑った。
ダンジョンでモンスターに殺されでもしない限り、母が取り残されるのは確かな未来だ。
好きな人が自分を残して逝ってしまった後もずっと生き続けなければいけない。
想像したアイリスはあまりの恐ろしさにぶるっと震えた。母はそんな様子を見て微笑み、
『アイリスたちには私と同じ思いはして欲しくない。だから、長生きする相手を選んでくれたら嬉しい。……もちろん、それだけじゃないけれど』
母はレンの性格自体も気に入ってくれている。
妹たちも懐いており、遊びに行くたびに「相手をしてくれ」と強請っている。アイリスが(若干の嫉妬を交えた)注意をしても直る様子はない。
外傷もなく生命力だけを奪う攻撃魔法、宙に浮いて手の届かない場所にアクセスする能力、魅了によって悪い輩を懐柔できる可能性。能力面でも将来森に住むのにうってつけだ。
『それに、好きなんでしょう?』
『……うん。でも、私たちは女同士だし』
きっと子供は作れない。
暗にそう告げると、母は「別にいいじゃない」とあっさり言った。
『もちろん、アイリスの気持ち次第だけど。賢者さまの言うことなら気にしなくていいわ。どうしてもって言うならなんとかする魔法なりアイテムを探してみてもいいしね』
『そんな方法、あるのかな?』
『なかったら、アイリスは諦めるの?』
下着の上から寝間着を纏って、きゅっと手を握りしめる。
「……諦めたくない」
廊下に出ると家の中は静かだった。
夜に活動しようとすると明かりがいる。蝋燭にしてもオイルにしてもお金がかかるので、多くの家が早い時間に活動を終える。レンたちのパーティは明かりの魔法を使える者がいるので比較的自由が利くものの、夕食を終えて風呂に入った後は自室で静かに過ごすのがせいぜいだ。
今はまさに「後は寝るだけ」という時間。既に浴室はレンの使った明かりの魔法でいっぱいになっている。
アイリスはなるべく足音を殺しながらレンの部屋の前までたどり着くと、ドアを軽くノックした。
「レンさん、入ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
優しくて穏やかな声。
軽く唾を飲み込んでからドアを開く。
レンは下着姿でベッドに腰をかけ、足を所在なくぶらぶらさせていた。目が合うとにこりと微笑んだ後、不思議そうに首を傾げた。
「……どうした? なんか緊張してるけど」
「いえ、その」
出会った頃から綺麗だったけれど、一緒に冒険するようになってからレンはますます綺麗になった。
会った頃にはまだ残っていた男性らしさが消えて、今はすっかり美しい女性。服や下着も女性ものを身に着けるようになり、アイリスたちに肌を見られても極端に恥ずかしがったりもしなくなっている。
こうやって無防備な姿を見せてくれて嬉しい反面、好きな人の姿だと思うとどきどきしてしまう。普段なら「そういう場面じゃない」と意識を逸らせるけれど、今は「そういうつもり」で来ているわけで。
「隣、座ってもいいですか?」
尋ねると「もちろん」と返事があった。
少し脇にずれてくれるレンに「ありがとうございます」とお礼を言って、ちょこんと座る。肩を触れ合わせながら軽くもたれかかると、既に高鳴っていた心臓がさらにうるさくなる。もしかしたらレンにも聞こえてしまうのではないか、とさえ思えた。
「アイリス?」
「レンさん」
答える代わりに彼の名を呼んで、目を見つめる。
「フーリさんやマリアさんと、夜、どんなことをしているんですか?」
「っ。いや、その」
レンは夜ごと代わる代わる仲間たちと眠っている。
今のところメイは「まだその時ではないと思いますので」と遠慮しているものの、他の二人はむしろ積極的だ。
いったいどんなことをしているのだろう。
アイリスだって無知ではない。ある程度の想像はつくけれど、それでも細部はわからない。知りたいと思う気持ちも実際にある。
レンは頬を染めて目を逸らし、
「……恥ずかしいから言いづらい」
小さく告げてくる彼女を「可愛い」と思った。
同時に「きっと気を遣ってくれているんだ」とも。
だから、勇気を出して自分から一歩踏み込む。
「私だって、子供じゃないんですよ?」
近いほうの手を相手の手と重ねると、ちいさくぴくんと震えるのがわかった。
「責任、取ってくれるんですよね……?」
「アイリス」
ふぅっ、と。
息を吐き出したレンの濃紫の瞳がまっすぐにアイリスを見つめて、
「ごめん、女の子にそこまで言わせたら駄目だよな」
「ふふっ。レンさんだって女の子じゃないですか」
笑ったら少し緊張が解れる。
優しく上半身が倒されるのを感じながら、アイリスは昼間触れ合ったばかりの唇が下りてくるのを見つめ、ゆっくりと目を閉じた。