クラス転移の特典が俺だけ「サキュバス化」だった 作:緑茶わいん
レンの部屋から聞こえ始めた物音と声に、フーリは「始まったかあ……」と呟いた。
「今日はアイリスちゃん、気合い入ってたもんね」
多少押し殺した感じはあるものの、壁の厚さ的にきっちり聞こえなくするのは難しい。お互い様なので大目に見てあげよう。
窓を開けてしばらく星を眺めていると、部屋のドアがノックされた。
「少し、お酒に付き合っていただけませんか?」
ワインのボトルとグラスを手にマリアベルが入ってくる。どういうわけかメイもその後に続いていた。
もちろん、部屋に招き入れるのは構わないのだけれど。
「メイちゃんも飲むの?」
「いえ、私は付き添いというか賑やかしのようなものです。どうせ飲むのであればアルコール度数の高いものが良いですね。燃やせば身体を温められそうですし」
「それ、お酒っていうよりむしろ燃料だよね?」
マリアベルが用意したワインは白。透き通った液体がグラスの七分目程度まで満ちたところで、軽く触れ合わせて乾杯する。
口に含むと芳醇な香りが鼻を通り抜けて幸せがこみ上げてくる。
お返しにおつまみ用のナッツを取り出して振る舞うと、殻に入ったままのそれをメイが甲斐甲斐しく剥いてくれる。「ありがとう」を言ってからひとつを口に運んで、
「もしかして、メイちゃんも眠れなかった感じ?」
「いえ。私の場合は記憶の整理やボディの調整がメインですので、その状態でも聞こうと思えば周囲の音を拾うことが可能です。なので気にならないと申しますか、むしろ是非やってくれと」
「そうなんだ。……って、もしかして私のも聞いてたり?」
「ノーコメントでお願いします」
露骨に視線を逸らされた。
どうにか忘れさせる方法はないか、そう思いつつメイを睨んでいると、マリアベルがくすくすと笑って、
「落ち着いていらっしゃるようで安心しました」
どうやら心配されていたらしい。フーリは「あはは」と苦笑するとグラスへ視線を落として、
「これくらいで嫉妬したりしないですよ。レンを独り占めするつもりもないですし」
「……確かに、私が心配する話でもなかったかもしれませんね」
マリアベルもたまにレンへちょっかいかけている。嫉妬というなら彼女だって対象になるはずだが、フーリは特に悪意を持っていない。
「でも、来てくれたのは嬉しいです。美味しいお酒も飲めましたし」
「そう言っていただけると幸いです。フーリさんとはこれからも仲良くさせていただきたいですから」
「そうですね。私もです」
人と話していると外の音も気にならない。一人で静かにしていたらどうしても気になって変な気分になっただろうからとても助かる。
「レンには早いとこ音を消す魔法を憶えて欲しいなあ」
「いっそのこと
吸音石というマジックアイテムで、魔力を籠めると一定範囲の音を吸収して外に漏らさないようにしてくれるらしい。
密談や、聞かれたくない声を出す時にはもってこいの品だ。
「それいいですね。借りても大丈夫なんですか?」
「予備がありますので、関係者権限で持ち出すことは可能です。……壊したら弁償していただくことになりますが」
「うわあ。マジックアイテムの弁償とか私たちの収入でできるかなあ」
借金なんていうことにならないよう細心の注意を持って扱わないといけない。それでも借りる価値はありそうである。……お互いに。
声をひそめながらではあるものの、これもひとつの女子会というやつか。
(この家にはもともと女子しかいないが)
「……前から疑問だったのですが、フーリさんはどうしてそこまで大らかでいられるのですか?」
「マリアさんこそ」
一杯目のワインを飲み終わったので二杯目を注いでもらい、こちらも注ぎ返して、
「私はもともと本命になるつもりがありませんから。レンさんには人恋しさを埋めていただければ十分なんです」
「私も似たようなもの……っていうのはちょっと違うか。私の場合もちょっと特殊なんですよねー」
お酒の勢いを借りられてちょうどいいかもしれない。どこか興味津々な様子で視線を送ってきているメイには後で口止めをしよう。
「ほら、私とレンって転移する前からの付き合いじゃないですか」
「ええ。以前からアプローチを受けていたとレンさんからも伺っています」
「レンってば、そんなこと言ったんですか?」
嬉しいような照れくさいような。もちろん、正確にはきっと「ちょっかいをかけられた」みたいな言い方だったのだろうが。
ただまあ、正解。
当時から好きだったのだろうと今となっては思うけれど、あの頃のフーリが抱いていたのはまだ淡い想い。からかうと面白いやつ、くらいのノリであって深刻なものではなかった。
「そんな時にこっちに来ることになって、レンがあんなふうになったじゃないですか。その時に私、考えたんですよ」
これからも彼女──彼と今までのような関係を続けていくのか。
環境ががらりと変わったのだから関係をリセットする手もあった。
それでも続けることにした時点で、フーリは覚悟を決めていたのだ。
「レンが中途半端な状態のままでも、完璧に女になっちゃっても別にいいって。これからもこいつに付きまとってやろう、って」
実際、恋心は今でも変わっていない。
女子同士になって遠慮がいらなくなり、むしろ付き合いやすくなった。案外、今の関係が向いているかもしれないと思う。
「だから、いいんです。私はマリアさんやアイリスちゃんのことも好きですし。このままで」
「……そうですか」
マリアベルはふっ、と、大人の笑みを浮かべて、
「では、たまにはフーリさんにもお相手をしていただいても?」
「いや。そういう好きじゃないんですけど」
「フーリさん。私のことも好きだと言っていただけませんか?」
「あ、うん。もちろんメイちゃんのことも好きだよ。仲間外れにしたわけじゃないからね?」
エナジードレインみたいなものでも済むらしいので、そもそも「恋敵かどうか」考える必要もなかっただけだ。
そうやってしばらくワインを傾け、談笑しているといい感じに眠くなってきて、マリアたちと解散した後もぐっすりと眠れた。
◆ ◆ ◆
「マナボルト」
強化された魔力光が
レンは自身に迫りつつあった二体目を同じように片付けると、やや遅れてやってきた三体目の攻撃を後ろに跳んで回避。同じくブースト付きのマナボルトで消滅させた。
「うん、なんとかなるな」
「お疲れ様です、ご主人様」
「メイこそ。悪いな、休みの日にわざわざ付き合わせて」
「いえ。私はほぼ同行しているだけですので」
ダンジョン一階。
休日である今日、レンはメイを連れて二人だけで探索をしていた。ステータスが上がってきたのとスキルが増えたお陰でゴブリンなら一撃で倒せるようになったからだ。
罠はメイに踏み越えてもらい、もしダメージが入ったら「ヒール」する。戦闘は基本的にレンが一人で切り抜け、倒しきれなかった場合だけメイにぶっ飛ばしてもらう。
今のところ敵三体くらいならどうにかなっているのでこのやり方はなかなか良いかもしれない。
「ご主人様。その代わり約束の物をお願いします」
「わかってる。その分のストレージは確保してあるから」
メイへの報酬は石である。
攻撃魔法を土属性に変換すれば石が出せるし、それを壁にぶつければレンでも砕ける。この方法を使えばメイの食料を余分に調達することが可能だ。
ボディの維持だけでなく強化にも使うらしいので多めにあって困ることはない。
「ですが、どうして急に自主トレなど始めたのですか?」
「急に、ってわけでもないぞ。前から考えてはいたんだ。ただ、今まではさすがに危険だったからな」
目的は当然レベルアップだ。
攻略を少しでも楽にするためにもレンの成長は必須。ただ魔法を使うよりモンスターを倒す方が経験値の入りもいいし多少なりとも金になるのでこの方法を試してみたわけだ。
欲を言うと一人で潜れるようになりたいものの、罠の対処と緊急時の安全確保がネック。さすがに二人が限界か。
するとメイはわざとらしく肩を竦めて、
「ご主人様も相当に頑張り屋さんですね」
「頑張り屋さん、ってなんかちょっと可愛いな」
「別にそういう話ではないのですが」
二人だけだと移動中もいつもより静かだ。
交互に喋り続けていないと静まり返ってしまって少し寂しい。それはそれでプロっぽくて悪くはないが。
「アイリスさんの目的を一日でも早く達成させてあげたい、とか考えているのでしょう」
「……なんでわかるんだよ」
「それくらいはわかります。お二人ともわかりやすいですから」
先日、レンはアイリスとの関係を先に進めた。付き合うとか結婚するとかそういう話をしたわけではなく、実質的な変化はアイリスが前よりも甘えてくるようになった……という程度。
女同士なので少女を傷物にしたわけでもないのだが、それでもレンに出来る範囲で責任を取ってやりたいと思っている。
「アイリスさんの方はむしろ肩の力を抜いているというか、ご主人様に従う姿勢だと思うのですが」
「だからだよ。余計になんとかしてやりたいだろ」
「……あの少年たちに偉そうなことを言っておいて、ご主人様本人がこれですか」
「俺はちゃんと安全を考えてるぞ。疲れだってヒールとエナジードレインでなんとかなるし」
効率だけを考えたら十階あたりに行っている。よほどうまくやらない限り怪我が絶えないだろうから実際にはやらないが。
メイは相変わらず淡々とした声で、
「まあ、そうですね。無茶をさせないために私がついてきているわけですし」
「感謝してるよ。メイがいなかったらマリアさんにお願いしないといけなかった」
疲労という概念の薄いゴーレムの少女ならレンと共にスムーズな行動が可能だ。
サキュバス化して以来、トイレに行く必要すらなくなってしまったため、パーティで動いているとついつい配慮に欠けた行動をしてしまいそうになる。この二人だけならそういう心配がない。
レンたちはさらに何度かの戦闘を繰り返して、
「なあ、メイ。お前もやっぱり子供は欲しいんだよな?」
何気なくレンは尋ねてみる。
すると返答は迷いなく、
「ええ。種の保存、というか子機の生産はゴーレムの本能のようですので」
「子機って」
「特別、母に私への強制命令権があるわけではないのですが、生産の過程上、私たちの子供は半分以上自分のコピーになるのです」
プログラムをコピペするようなものなのか、それとも魂が宿っているのかはわからないものの、メイたちの場合、母親から子へ引き継がれるものが非常に大きい。
性格もある程度似通るらしく、その中に「本能」も含まれる。
「人間であれば猶更なのではありませんか? 自分の子、という以上に『相手の子』でもあるわけですから」
「相手の子、か」
「私の父は子供が自分に似ていないことを時折嘆いていますが」
「……それはちょっと可哀想だな」
遺伝子を与えているわけではない以上、仕方がないとはいえ。
「それなんだよなあ。俺はともかく、フーリたちまで子供を作れなくなるっていうのは駄目だろ」
「本人が納得済みならいいと思いますが」
「いや、いつか日本に帰るつもりだし」
異世界でなら許されるとしても日本ではそうもいかない。
メイは少し返答に間を置いてから、
「今のご主人様には男性器がありませんからね」
「直球で言ったな、おい」
「ちなみに形だけなら私でも再現できますが」
「意味あるのかそれ」
ジト目でツッコミを入れた後、レンはため息をついて、
「実はさ、俺、生やすスキルを取れるようになったんだよ」
「初耳なのですが」
「この前出てきたばかりだからな」
きっかけとしては「ドレインキッス」を取ったことだろう。
サキュバスらしいスキルを増やしたことによってさらなる可能性が生まれた、といったところか。
染まれば染まるほど性的なスキルが増え、そのお陰がこれだと思うと複雑である。
「というか、そんなものがあるのなら取得すればいいのでは?」
「まあそうなんだけど、戦闘の役にはまったく立たないだろ?」
せっかくのスキルポイントが勿体ないのではと思ってしまう。
別に後に回してもいいだけだし、急いで取らなくても、と。
「ふむ。……ひょっとして、ご主人様は少しずつ、好みのタイプが男性にシフトしているのでは?」
「怖いこと言うなよ!?」
断じてそんなことはない。ないはずだ。
男性、などというフレーズから賢者やショウたちの顔を思い浮かべてしまったレンは、嫌な想像を振り払うためにも件のスキルを取得しようと心に決めた。