自分は幸せになってはいけないと思い込んでるアイドルvsなんとか普通の幸せを与えようとしてくる事務所のみんな 作:エンゼ
本当に突然、あの子は変わった。
『哀』の次に『喜』を習得して、だけど本質は変わっていない、そんな変化を。
多分きっかけは、学校へ行ったこと。そしてその後に、クラリスさんのところで、歌を歌ったこと。
具体的にどんな歌を歌っていたのかは、奇跡的に動画に収めてくれたクラリスさんのお陰で知ることが出来た。
もうほとんど完璧にモノにできていた。本格的に、第一段階は終了したのかもしれない。
さらに最近の桜子ちゃんは様子も変わった。前に比べて、少し余裕が出来たように感じたんだ。
前みたいに『哀』を引き出そうとはせず、その時その時に心を傾けるようになった。
具体的には食事。美味しいということを、ちゃんと受け取っていくようになったらしい。まぁこれは正直ちゃんと見たわけじゃなくて、千川さんから聞いたことではあるんだけども。ずるい。
まぁとにかく、桜子ちゃんは良い変化をした。『喜』を覚えて、心に少し余裕が出来てきた。これで大きくトップアイドルへ踏み出せた。
なら、次の段階へ踏み出すのは今なのかもしれない。
今までは事務所でのみの自己肯定感の向上をやってきた。まだ外部との接触は桜子ちゃんには早いと判断して、少人数で慣れてから次へ進むという流れで。
それで今回、桜子ちゃんは見事成長した。だったらそろそろ外部──ファンとの交流や取材、番組出演などをしてみてもいいかもしれない。
ネット上でも時々桜子ちゃんのことが話題に上がっていたりする。さらに多くのファンを獲得するなら今がチャンスだろう。
それに桜子ちゃんにも必要なことのはずだ。
今までは歓声という形でファンからの声を受け取っていた。だけど直に交流することで、さらに自己肯定感を上げさせることができるかもしれない。
そこで企画したのが、握手会。桜子ちゃんのCDが発売されることを記念して行うもの。あわよくばCDを買ってもらおうという欲望も兼ねている。
桜子ちゃんにとっては最初のCDデビュー。曲も今の強みである『喜』を主体にした明るい曲。今の桜子ちゃんに合っていて、素晴らしい曲だ。
だけど、正直そこまで売れるとは考えてない。この握手会にやってくるお客さんもそんなに居ないと思う。
でも、それでいい。
成長したとはいえ、桜子ちゃんのキャパがぐんと大きくなったと言われればそうではないと思う。それに数少ないファンだからこそ、一人一人の言葉をきっちり感じ取れる。
徐々に増えていけばいい。桜子ちゃんが完璧になる時に、多くのファンが付くことは確定してるんだから。
「……当日の概要はこんな感じね。何か気になることとかある?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「うん、いい返事。でも分からないことが出てきたらいつでも聞いてね? じゃあ、当日はファンとの交流、楽しみましょうね」
「はい」
あぁ、早くこの子が完璧になるところを見たい。だから、私が頑張らないと。
──このとき、私はもっと慎重になるべきだった。
気が付くべきだった。世の中には多くの人がいることを。どう感じるのかは、人によっては違うことを。
そして、桜子ちゃんの心はまだそれを受け止めるには幼すぎたことを。
────────
初めてのCDデビュー、初めての握手会。一気に初めてのことが二つ重なり、上手く出来るのか心配ではあったけれど、とりあえず無事に収録はなんとかいけた。
今のわたしの価値を全面に出している、そんな曲。
やっぱり、求められてるのはこの価値なんだ。必要なのは今のわたしなんだと、強く感じる。
ただプロデューサー曰く、最初だしそこまで知名度はまだまだ高くないらしいから、期待はしないでとのこと。期待し過ぎた結果、潰れそうになったアイドルがかつていたことから、される警告だったみたい。
それを聞いたわたしが感じたことは一つ。当然、だ。
大事なのは数ではなく、その人たちが求める価値だ。わたしのファンたちは、わたしに価値を求めてる。それに応えなくちゃいけない。
つまり、何も関係ない。ライブはあのようにやっていけばいい。前の価値じゃない。今の価値で。それだけだ。
──そのまま、特に緊張することなく本番の日を迎えた。
プロデューサーに車で送ってもらい、そこで発売するCDの曲を軽く目の前でお披露目、そして握手会と販売会、この流れで行われる。
この日はありがたいことに、人が来てくれていた。そのままミニライブもやり終わり、今は握手会のために待機してる。
ライブは良い感じにこなせたと思う。歓声も貰えたから。
だけど敢えて出しきらないように歌ってみた。ただのライブじゃなくて、販促のためのライブ。そこで満足させちゃダメだろうから。
という感じに、ライブは最近じゃ結構心に余裕が持てている気がする。前までは全力でやるしか出来なかったけど、それをコントロール出来るようになってきてるから。
今回それ以上にどきどきし始めてるのは、握手会だ。
聞いた感じだと、一人辺りの時間はかなり短い。だけど握手会としては結構長い方らしい。さらにいくつか言葉を交わすんだとか。
それまではなんともなかったのに、いざ本番が近付くと心臓の音が速くなる。
……どんな人が来るのだろう。わたしの価値を認めてくれてる人たちなのは間違いないだろうけど。
そんな時、控室のドアがノックされる。返事をすると、プロデューサーが入ってきた。
「桜子ちゃん。そろそろだけど、大丈夫?」
「あ、はい」
もう、そんな時間か。
反射的に返してしまったけど、あんまり余裕がなかった。
わたし自身、あんまり話すのは得意じゃない。たった数秒、されど数秒。ここでもきっちりと価値を提供出来るかどうかが勝負だ。
ファンたちが求める価値を、提供していかなくてはいけないんだ。
精一杯、努力しよう。なんとか頑張ろう。……幸せになるために。
「……よしっ、いけます!」
「そんなに張り切らなくてもいいのよ……?」
控室を出て、待機場所に向かう。今回側でプロデューサーも見てくれるらしいから、なんて言えばいいのか分からないという最悪の場合、プロデューサーから判断を貰えばいい。
「そういえば、大体何人くらい来てくださってるんですか?」
「ざっと十人……くらい。多いほうだと思うわ」
「そうなんですね……!」
十人。そんなに来てくれたのか。まだ新人なのに。
それにこれは良い機会でもあるはずだ。求められている価値を深く知ることが出来るかもしれない。
うん、頑張ろう。一度、深く呼吸。
同時に、握手会開始の合図が聞こえた。
────
「はじめまして! あの、いつも応援してます!」
「あ、ありがとう、ございます。あの、わたしのどんなところを気に入ってくださったのですか?」
「はい! その、今日みたいに心にグッとくるといいますか、ライブを見て好きになりました!」
「あ、そうでしたか。本当にありがとうございます」
「こうして交流できる機会が今までなかったので、こうして会えて本当に嬉しいです! ますますファンになっちゃいました!」
「ありがとうございます。また、来てくださると嬉しいです」
────
「あの、はじめまして!」
「は、はい。はじめまして。来てくれてありがとうございます」
「あの、私アイドルとか興味なかったんですけど、さっきのライブを見てファンになったばかりなんです!」
「あ、ありがとうございます。いやでも、先ほどまでは興味がなかったんでしたよね……? わざわざ見に来てくださったのですか?」
「今日は友達に誘われてきたんですけど、友達が来れなくなっちゃって。でも折角だし見に行ってみようって思って」
「あ、そうだったんですね。ファンになってくれて、本当にありがとうございます」
「はい! 次は大きいライブ、絶対見に行きますね!」
「はい、ぜひ」
────
「初めまして」
「は、初めまして。来てくれてありがとうございます」
「本日は、お礼を言うためにここに来させていただきました」
「お礼、ですか?」
「はい。少し私事になるのですが、実は最近仕事が忙しく、疲れから何も楽しめなくなっていたんです」
「だ、大丈夫なんですか……?」
「当時は大丈夫ではなかったのですが、そんな時に貴女のライブを見たのです。率直に言って、魅力されました」
「! 本当ですか」
「えぇ。お陰で久しぶりに、食事の楽しさを思い出せたんです。人生が少し明るくなりました。本当にありがとうございます。貴女は恩人です。これからも陰ながら、応援させていただきますね」
「そ、そんな。こちらこそ、私を見つけてくださりありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
───
意外と、話せてる。
自分でも驚いてる。言葉が出てこないんじゃないかって思ってたけど、向こうのほうから話題を振ってくれたおかげか、会話が出来た。内心、すごくほっとしてる。
それに、色んな話を聞けた。どれもわたしの価値に言及してくれたものばかり。
皆このわたしを見てくれてる。これでいいんだと築かれていく。
「桜子ちゃん、これから来る人が最後の一人みたい。いける?」
「いけます」
これまでは皆こっちに話を振ってくれてた。だから最後こそ、わたしから話を振ってみよう。こっちから始める会話の練習にもなるかもしれないから。
姿が見えた。手を出し、待ちの姿勢。
出された手を握る。さぁ、会話開始だ。
「あの、今日はきてくださり──」
「あのッ!」
突然の大声、思わず動けなくなってしまった。
「あの、以前のようにはもう歌われないんですかッ?!」
どこか必死そうに、そして強く手を握ってきている。少し、痛い。
「私、正直前のあなたの方が好きでッ! あの深く心にぐさって刺しにきていたあの歌が大好きだったんです!!」
まだわたしは動けなかった。目の前で語り続ける人を、ただ見ていた。
「どうして変わってしまったんですか!? 絶対、前の方が良かったですよ! 今なんかより、前の感じを続けていてほしかった!!」
「──はい時間です。お帰りください」
「え、ちょ、何するんですか! まだ言いたいことが!」
プロデューサーがその人を引きはがして出口のほうに追いやってる。
「これは私だけじゃないです! 絶対皆も思ってることですからッ!!」
「これ以上叫ばないでください! ほら、時間ですから……っ!」
「私、待ってますからッ! 今のあなたは『守谷桜子』じゃないってことを知ってくれるまでッ!!!」
見えなくなった。きっと、プロデューサーに連れていかれたから。
そして気が付けば、終わっていた。同時に段々と、さっき起こったことが現実だったんだと分かり始めた。
──否定、された。今のわたしが。
今のわたしは、『守谷桜子』じゃない? 前のほうがよかった? ……もしかして、そうなの?
みんなほんとうは、もやもやしてたわたしのほうが、いいって思ってるの?
「──桜子ちゃん! 大丈夫?!」
「プロ、デューサー」
「気にしなくていいわ。世の中にはね、色んな人がいるの。たまたまあの人がそう思った、それだけなのよ」
「……」
でも、あの人は"みんな"って言った。ということは、本当は色んな人がそう思ってるのかもしれない。
だって、わたしは少なくともその一人を、知ってるから。
「……まえに、橘さんからも、おんなじこと言われました」
「!」
その日は、すごく苦しかった。さっきみたいに直接じゃなかったけど、まるで言葉の外でそう言ってるようにしか思えなくて。でもそんなことを言われたのは、あの日が初めて。
だから、意識しないようにしてた。たまたまだと思いたかった。
橘さんもあの人も、同じ考えをしてる。だから、その人だけってのはあり得ない。他にも同じように思ってる人もいるかもしれない。
「で、でも今の桜子ちゃんもとっても素敵よ! だって、他のお客さんもめちゃくちゃ褒めてくれてたじゃない! 今の桜子ちゃんが、あれらを引き出したのよ!」
「……」
確かに、そうだ。でもそのお客さんの中には、前のわたしを知らないような人もいた。
もしその人たちが、前のわたしを知ったら? ……前の方がよかったって思うんじゃないの?
なら前の価値を出せばいいだけなのかもしれない。でも、今のわたしにあの価値は出せない。だから無価値。
──わたしは、どうすればいいの?
この問いに、答えは出てこなかった。
守谷桜子。
初めて(本人的には二回目)の非難を受け、病む。
築き上げたものが崩れ始めた。