「進むべき方向は間違っていない、か」
やはり今子細を追っている飯田さんとシンボリルドルフとの因縁が、今回の幻影出現、そしてサードステージの精神的不調に大きくかかわっているとみて間違いないだろう。だが、当の本人たちや幻影から直接事情が聞けない現状ではどん詰まりだ。問題解決のための解法が提示されていないのだったら解決しようがない。
そういえば、幻影は「ヒントはすでに提示されている」と言っていた。それを突き詰めれば、もしかしたら糸口を得ることができるかもしれない。
今までに出てきたヒントらしいヒントと言えば……。
〇
「なぁ、『源氏に睨まれた』って、なんのことかわかるか?」
「はぁ?」
その日の夜、押しても引いてもお構いなしになだれ込んでくる仕事の山に、気が滅入っていたせいだろうか。あろうことか、よりにもよって杉原に助け船を求めてしまうという愚行に走ってしまった。
「源氏?なんだそれ、歴史の授業か?」
案の定杉原は出てくる言葉は、全く役に立ちそうになかった。だいたい杉原も仕事に追われる身で、疲労からか目の下に隈が浮かんでおり、思考力がかなり減衰いることが伺える。平時からあまり相談相手に適さない杉原が、今だとなおさら相談相手として役立つはずもなかった。
しかし往々にして、悩みとは誰にでもいいから一度口に出してみるのがいい、というもので、それで気持ちを整理できることもあるかもしれないし、思わぬところから助け船が出てくる可能性もある。
「もしかしてそれって、源氏物語じゃない?」
「えっ?」
どうやらたまたま近くにいたらしい福良さんが、僕たちの会話を丁度立ち聞きしていたらしい。
「源氏物語って、あの紫式部の?」
「うん。何のことだかよくわからないけど、源氏に睨まれたって言うのは、源氏物語の登場人物の一人の「柏木」のことよ。調べてみればすぐわかるから」
「それじゃ」と手を振りながら立ち去っていく福良さんを見送る暇もなく、僕はスマホを取り出してすぐに検索をかけた。
「……」
柏木。
源氏物語において、当時世をときめく刻の権力者であった光源氏の、嫁の一人であった女三宮と密通。その後女三宮は懐妊し、なんやかんやあって光源氏に二人の関係が漏れてしまう。下手したら当時の天皇よりも権力を有していたといっても過言でない、光源氏の不興を買ったと知り恐れ慄いた柏木は、あまりの心痛に病に伏し、結局それが元で急逝してしまった。
『源氏に睨まれた』というのは、光源氏の嫁に手を出し不興を買った柏木が、病に倒れるという、源氏物語のエピソードの一つだったというわけだ。
隣で小さないびき声が聞こえてきたが、僕は構わなかった。
もしサードステージがこのことを言いたかったのだとすれば、この話に当てはめて考えると彼女は「光源氏」に睨まれた「柏木」、ということになる。そうすると病に臥せっているサードステージと柏木には、一応共通点があるわけだ。
では、光源氏は誰か。
これまでの経緯からして、考える間でもない。トレセン学園において、当時をときめく光源氏に該当するのは、現生徒会会長のシンボリルドルフを置いて他ならない。
まとめると、源氏物語における「柏木」がサードステージで、「光源氏」がシンボリルドルフだとして話に当てはめるとすると、サードステージはシンボリルドルフの不興を買ったことを気に病んでいるために体調を崩している、ということになる。
そこまで考えたところで、僕は頭を抱えた。
そんなことはわかっているのだ。
これまでのことから、サードステージがシンボリルドルフと飯田さんとのことで悩んでいる、ということは大方予想できていた。いまさらそんなことが判明したことで、結局詳しい事情が分からなければ、振り出しに戻ってしまう。さいころを振って六の目が出たと思った、双六の文字に「振り出しに戻る」と書いてあったかのような気分だった。
進退窮まったと頭を抱えていたわけだったが、その時、ふっと、頭に添えられていた手から力が抜けた。
ある閃きがあった。
サードステージはおそらく、シンボリルドルフと飯田さんとの因縁を知って、それで飯田さんの娘である自分がシンボリルドルフの不興を買っているのではないかと危惧している。
しかし待ってほしい。
サードステージは一体どうやってそのことを知ったのだろうか。
誰が彼女に教えたか。
父親か。
考えられる情報源として、まず飯田さんが上がる。が、父親である彼が娘に話すとは考えにくい。それに、仮に話が伝わっているとして不可解だ。
サードステージは今寮暮らしで親元を離れて暮らしている。サードステージがシンボリルドルフと飯田さんの因縁について知ったと思われる時期は怪我をするほんの数日前だと思われるが、離れて暮らしている飯田さんからついうっかり漏れるとはあまり考えられない。それに少なくとも僕の見た感じでは、飯田さんはサードステージの悩みについて本当に思い当たる節がないような様子だった。もし彼が不意に口を滑らせた結果だったとしたら、僕に中途半端に相談なんかせずに自らの手で解決しようとするのではないだろうか。
誰が彼女に教えたか。
シンボリルドルフか?
それこそ考えられない。彼女は僕が教えるまでサードステージと飯田さんの関係性も把握していない様子だった。それに彼女の性格からして、過去に飯田さんと何があったか知らないが、わざわざそれでサードステージに突っかかるとは思えない。
誰が彼女に教えたか。
友人か。
研修時代も含め数年トレセン学園に勤めている僕や、シンボリルドルフが硬く口を閉ざすほどの事情。それを新入生であるクラスメイトやチームメイトが知っているだろうか。それにもし何か知っているなら、僕が聞き込みに行ったときに何かしら話してくれてもよかったはずだ。
誰が彼女に教えたか。
心当たりがあと一つだけある。
シンボリルドルフと飯田さんの事情を知っている可能性があるもの。かつ、サードステージとある程度接点のあるもの。
シンボリルドルフと飯田さんに何があったかはわからない。しかし、飯田さんは元トレーナーでシンボリルドルフはその時トゥインクルシリーズに参加していた。ということは、二人との事情をトレセン学園の関係者が把握していた可能性は高い。
その中でサードステージと関わりの深いもの、それは同業者、トレーナーだ。特に前任が怪しい。彼が直接彼女に話した……というのはちょっと考えにくいから、たまたま噂していたのを彼女に立ち聞きされたか。
もう一度会って話を聞きたいところだが、果たして素直に話してくれるかわからない。彼とはあまり親しくないし、それに確実に知っているとは限らない。
それよりももっと知っている可能性が高いベテランのトレーナー、かつ事情を話せば素直に話してくれそうな相手。
……。
僕はウトウトと舟を漕ぎ始めていた杉原を起こさないようそっと部屋を出て、竹中さんの所へ向かった。
〇
「あの当時飯田さんとシンボリルドルフの担当トレーナーが何やら揉めていた、というのは俺たちの間でもちきりの語り草ではあった。あいつと飯田さんは実際何度も衝突してたしな。だが、俺にも詳しい事情は分からない。知ってそうなのは……東条くらいかなぁ」
「東条って、あの、リギルの?」
「ああ。シンボリルドルフのトレーナーとあいつは研修時代の間柄で懇意にしてたからな。シンボリルドルフがリギルにいるのもその義理からだろう」
竹中さんにすぐさま確認を取ったところ、以上の返答があった。しかし竹中さんですら詳しい事情を知らないとは、前任が知っているという線はかなり薄くなってしまった。
「アイツか?いや、「揉めてた」くらいは知ってたとしても、詳しい事情までは分かってないと思うぞ。あの当時あいつサブトレーナーだったし、俺や他のみんなが聞いてないようなことをあいつだけが知ってるとは考えられない」
「やっぱりそうですか。となると、サードステージはいったい誰から事情を聴いたのでしょう」
「わからんな。詳細を知ってそうで今も学園に残っている者、と言ったら東条とあともう二人くらいしか思いつかないが、あいつらがおいそれと口にするとも思えん」
結局わからずじまいか。しかし今はそれでいい。誰から聞いたかはサードステージに聞けばいいのだ。今は東条さんに事情を聴きに行くのが先決だ。
というわけで東条さん率いるリギルの元へ向かった。
リギルは学園内のトラックにてトレーニングに勤しんでいた。さすがリギルというわけか、広々とトラックを使っていた。少人数精鋭のチームだというのに、堂々とトラックの大部分を占拠している。
錚々たる顔ぶれのリギルメンバーに、周囲の他チームの生徒たちはどこか委縮してしまっているようにように見えた。
「リギルも生徒に自主的にトレーニングさせてるみたいですね」
リギルの、すでにドリームに移行している高等部の生徒たちは、東条さんの管理外で各々好きに動いているみたいだった。東条さんが集中しているのは一部の生徒、トゥインクルシリーズに参加している若い生徒のみ。
「方針がレグルスと似てますね……」
「そうだな」
竹中さんは僕にトラックの端で待つように言い、一人で東条さんの元へ向かった。
待っている間手持無沙汰な僕は、リギルの練習風景をそれとなく眺めた。
さすがリギルなだけあって、生徒一人一人の実力がレグルスとは比べ物にならない。全員が第一線で戦うエリート。
横へ横へと視線を送っていくと、奥の方でシンボリルドルフが走っているのが見えた。軽く流しているのだろうが、それでもキレのある走りが見るものに彼女の底知れない速さを彷彿とさせた。
きっと入学当時は多くのトレーナーが彼女の元に殺到しただろう。それとも、あまりの才能に並みのトレーナーは怖気づいて近づかなかったかもしれない。とにかくそんな彼女にも紆余曲折あって担当のトレーナーができた。
それから彼女は順当に勝ち抜いていって……。もちろん、すべてが順当だったというわけではないが、それでも彼女はトゥインクルシリーズで圧倒的な結果を残した。担当トレーナーとともに。
そのトレーナーが飯田さんと何やら揉めていた、らしい。彼は今どこにいるのだろうか。まだトレーナーを続けているのだろうか。シンボリルドルフがリギルに移籍した、ということは……。
「安藤!」
竹中さんに呼ばれて振り返ると、竹中さんと東条さんが向こうで手招きしていた。どうやら話が付いたらしい。僕はもう一度だけシンボリルドルフに視線をやってから、二人の元へ向かった。
彼女はトレーニングに集中していたのか、一度もこちらへは顔を向けることはなかったのだった。
〇
「事情は分かった。だがあまり面白い話ではないから、なるべく生徒の耳に入れたくはない。場所を変えよう」
というわけで東条さんにリギルのチームハウスへ招待された。さすが第一級のチームだけあってチームハウスは所々に据え置かれているようなボロのプレハブ小屋ではなかった。広さも快適さも防音性も十分の素晴らしい物件だ。台所もあるし、ここなら住んでもいい。
適当に据え置かれていたソファーに座らされた後、東条さんは満を持して僕と竹中さんに話を始めた。
「シンボリルドルフの元トレーナーは、私が研修を受け持っていた奴でな。若いが優秀なトレーナーだった」
中央のライセンスを若くして取得している時点でそれなりに優秀なのだろうけど、東条さんの言いたいことは、その中でも飛び切りその彼が優秀だった、ということなのだろう。
「飯田元トレーナーは、その彼が研修を終えた後所属していたチームのチーフトレーナーだったの」
「僕と竹中さんみたいな関係だった、ってことですか」
僕の相槌に東条さんが軽く首肯する。「飯田元トレーナーも優秀なトレーナーだった。彼の元でシンボリルドルフとそのトレーナーは順当に、というにはあまりにも華やかな戦績を打ち立てていったわ。シンボリルドルフの才能を鑑みれば当たり前、と皮肉る同業者もいたが、ルドルフの功績は彼の手腕によるところが大きかった。飯田元トレーナーもよくルドルフと彼を気にかけてくれていた」
「それでは、二人の仲は良好だったということですか?」
「ええ、海外遠征の話が出るまでは、ね」
海外遠征。
皇帝シンボリルドルフ唯一といっていい泣き所。もちろんシンボリルドルフとて常勝だったわけではない。日本にいた頃にも何度か辛酸をなめさせられたことも、もちろんあるわけだが、それでも入着は決して外さなかった。
しかし、シンボリルドルフの海外遠征はレース中の故障による敗着、しかもそれが彼女のトゥインクルシリーズにおける実質的なラストランになってしまったのだった。
「海外遠征の話はそれ以前にもあったわ。結局ルドルフの体調不良を察したトレーナーが、出走を取り消したから実現しなかったけれど。そしてその時から飯田元トレーナーとルドルフのトレーナーの仲は険悪になっていった」
「二人の間で意見の食い違いがあった、ってことですね」
当時の記憶を朧気ながら想起させていると、確かにルドルフ陣営は「シンボリルドルフ引退」といった話題が俎上に載せられるなど、かなりごたついていたように思える。
「あの時は、ルドルフの活躍を妬んだ他陣営からの妨害があったんじゃないかっていう陰謀論が実しやかに囁かれていたまでありましたけど、実際は単なる内輪もめが原因だったんですね」
「あの時飯田さんに何らかの「取引」が持ちかけられていて、それで飯田さんはルドルフのトレーナーと対立せざるを得なかった、というのが当時一部のトレーナーの間で専らの通説だったわ」
「……」
陰謀論、当たってんじゃねーか。
「俺の陣営の所にルドルフ関連の情報が回ってこなかったのはそういうわけか。てっきりルドルフを他陣営のスパイから守るための作戦かと思ってたぜ」
竹中さんが当時を懐かしむかのような、感慨深げな唸り声をあげる。
「あの、ルドルフがトゥインクルシリーズを走ってたのって、ほんの数年前ですよね?彼女は現在では高等部なわけだし」
「ん?そうだったかな」
「あの、今もあるんですか、さっきみたいな話」
「ない、とは言わないわね。めっきり減ったけど」
東条さんの返答に辟易してしまう。時代錯誤も甚だしい話だ。ていうか、東条さんの「めっきり減った」って「隠すのがうまくなった」の間違いじゃないんだよな。頼むからそうであってくれ。黒い職場で働きたくないんだ。
「つまり、その飯田さんとルドルフのトレーナーのいざこざが因縁の正体、ということでいいんでしょうか」
「いざこざで済めばよかったんだけどね……。対立が激化した結果、ルドルフの渡米前にルドルフのトレーナーはこの界隈を追われたわ」
「えっ」
「それに呼応するかのように飯田さんは謎の大出世を遂げ、お前が研修に来た頃にはURAでの好待遇ポストが用意されていたわけだ」
「ふえ~」
思わず間抜けな声が口から漏れた。道理で飯田さんは「シンボリルドルフ」という単語に後ろめたいわけだ。
「あの後ルドルフの元トレーナーがどうなったかはわからないわね。連絡先にもつながらなくなったし、事実上の失踪ね。あの当時はルドルフも相当意気消沈していたわ。私が無理やり引っ張ってこなかったら、アメリカで文字通り沈んで戻ってこなかったかもしれない」
なるほど、ルドルフにとって飯田さんは文字通り仇ってわけだ。
「で、どうする?」
「シンボリルドルフはこのこと、知っているんですか?」
彼女のこれままでの態度から、質問の結果は察するに余りあるのだが、聞かないというわけにもいかなかった。
「おそらくは。彼女は今やURAにおいて生徒会長の枠組みを逸脱する権威を得ているわ。おそらくURA内部の裏事情にも精通しているはず。まして、自分のトレーナーが追放された要因を彼女が探らないわけもないわね」
「ですよね。となると、拙いですね。僕はすでに彼女にサードステージが飯田さんの娘であることを伝えちゃっているわけですし」
「彼女なら、私情を飲み込んでサードステージの誤解を解く、ではないわね……安心させる、に協力してくれないこともないと思うけど」
「……」
形だけでの和解、か。それは彼女が、彼女の幻影が本当に望んでいるのことなのか。
「……僕としては、サードステージに二人の「ちゃんとした和解」した状態を見せて安心させてやりたいです」
「そりゃそれが一番だろうがな。でも、和解なんて土台無理な話だぞ」
竹中さんの言葉に、東条さんも同意の意を示す。
「和解とはとどのつまり互譲、お互いに譲歩することによって成立するもの。どちらだが悪いとか、悪くないとかを有耶無耶にして問題を解決するということ。今回のケースだとルドルフが己の非を認めるなどありえないし、飯田元トレーナーが全面的に非を認めて謝罪したところで、彼女は果たしてその謝罪を飲むかしら。彼がどれだけ謝罪したところで過去は何も変わらない。結局、いくら謝られたところで、それで心の底からわだかまりが解消される、なんてことはないのよ」
それはそうだ。謝って済むならそれが一番だけど、実際は、例え加害者に土下座されたところで素直に溜飲を下げる被害者などそういないのだ。
「こういう場合誠意の証明としてお金で解決するのが一番だろうけど、ルドルフ相手にそれは通用しないと思う。そこら辺のサラリーマンよりよっぽど稼いでるわけだし、あの娘」
「なんか妙に生々しいですね……」
「私の知り合いが前に一度、セクハラで生徒に訴えられたのよ。その時も弁護士を付けて何とか訴訟を避けて示談に持ち込んだけど、知り合いは結局相当の金額をその生徒に支払ったわ」
「ああ、……そう、ですか」
「それでも双方のトラブルが根本から解決されたっていうわけじゃないんから」
自分のテンションが一気に下がっていくのが分かる。
「あの時彼は、件の生徒に一度も顔を合わせることなく示談を進めたわ。下手に対面で謝罪しようと顔を突き合せたりしたら、余計に話がこじれるに決まってるもの」
それはそうかもしれない。謝罪のために設けた場にて、シンボリルドルフと飯田さんが顔を合わせる。シンボリルドルフ、逆上する。飯田さん殴られる。目も当てられない最悪のケースの一例だ。
顔を合わせるまでは上手くいっていた和解が、いざ対面すると両者或いは片方がヒートアップして結果すべてがご破算になる、なんてことはいくらでもあり得る。ていうか、ウマ娘が暴れでもしたら、最悪死人が出る。シンボリルドルフに限ってそのようなことはありえない、と信じたいけども。
「あくまでも両者の和解は形式的なものに留め、彼らが和解済みであるという物的証拠か何かをサードステージに見せて、それで納得してもらう、というのが一番じゃないのか。根本的な解決になっているかはわからんが、それでひとまずサードステージの方の問題は収まるかもしれないじゃないか」
「……」
それが一番リスクが低い。かつ得られる結果も順当だ。とりあえず、一時的にでもサードステージの問題が片付く可能性が十二分にある。
しかし、それでいいのか?幻影がこの結末に納得するだろうか。
僕自身も、これでいいと考えているだろうか。
……。
「……すみません、二人とも。一度飯田さんと相談してから、改めで考えさせてもらっても、いいでしょうか」
結局僕は、その場で決断を下すことができなかった。
〇