ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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 飯田さんに連絡を取って再び会い、酒の席で事の経緯を一から彼に話して聞かせた、その帰りの夜の街。僕と飯田さんは、徐々にともり始める街灯の灯りを避けるようにして、どんどん夜闇の深いところへ潜るように道を選んで歩いていた。

 

「久しぶりだったな、誰かと飲んだのは」

「お忙しかったのですか」

「まあな。家族ができたからかな」

 

 彼の言葉の節々に、彼が本当に家族のことを大事にしているのだ、という思いが込められているように感じた。

 

「家族のために頑張っているんですね」

 

 家族か。

 ついこの前まで学生だった僕も、気付けばこうしてトレーナーとして働いている。もう結婚してもおかしくはない歳にもなってしまった。僕に全く結婚願望はないわけだけれど。

 

「俺だって安藤と同じくらいの時は、結婚なんて考えてなかったさ。でも今は、こうして結婚して、子供にも恵まれた」

「……」

 

 飯田さんは立ち止まった。飯田さんの斜め後ろを歩いていた僕も、つられて足を止めた。

 

「今日は色々教えてくれて、ありがとう」

「……それで、どうするつもりなんですか」

 

 飯田さんの表情は、夜闇に紛れてよくわからない。

 

「このままでは何も解決しません」

「……」

「シンボリルドルフとの和解に協力してください。それが無理だというなら、せめて娘さんにあなたの口から事情を全て話した上で、どうにか彼女を立ち直らせてみてください」

「……シンボリルドルフは、俺のことを許しはしないだろう。あの娘は、あいつによく懐いていたからな」

 

 あいつ。

 シンボリルドルフの元トレーナーのことだろうか。

 

「それだけじゃない。海外遠征の件も、俺たちのいざこざにあの娘を巻き込んだ挙句の結果だ。俺たちがちゃんと彼女をフォローしていれば、彼女にあんな思いをさせることはなかっただろう」

「どうして元トレーナーと揉めたんですか」

「シンボリルドルフのスケジュールプランについて、上からのお達しがあってな。でも俺はあいつを説得することができなかった。心情的には俺もあいつに協力してやりたかったが、俺は家族のためにも、上に逆らって仕事を失うようないらぬリスクを負うことはできなかった」

「……」

 

 そうか。

 家族のためか。

 それだったら、仕方ないかもしれない。

 でも、……それは卑怯だろ。理由があったら、生徒を陥れて良いというのか。已むに已まれぬ事情があれば、他人を傷つけていいというのか。実は他の人間の指示で、本意ではなかったから許されるのか。

 飯田さんには悪いが、それとこれとは話が別だ。

 

「その話、僕じゃなくてシンボリルドルフに話してやってくださいよ。それで心から許してもらえると思うなら、ですけど」

 

 飯田さんは大きく息を吐いた。もう外はすっかり冬を感じさせる寒さだったが、吐かれた息が白く変わる程の寒さでもなかった。

 

「どれだけ言葉を重ねようと、彼女が心の底から納得することはない。だから、俺は彼女に「形のある誠意」を見せる必要がある」

 

 暫く立ってから、飯田さんは決意めいた様子で話し始めた。

 

「示談金のようなものを用意するというですか?でも金じゃ……」

「金のほかにあと一つ、用意できるものがある。あいつには悪いと思うが、娘のことを思えば背に腹は代えられない」

「あいつ?」

 

 ……。

 

「えっ?まさか……」

「シンボリルドルフの元トレーナーの行方を俺は知っているし、定期的に連絡も取っている」

 

 シンボリルドルフという難攻不落の要塞に対し、意外な突破口が開けた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 舞台のセッティングは竹中さんと東条さんが全面的に協力してくれた。場所は貸し切った生徒会室。飯田さんとシンボリルドルフの二人はそこで因縁の再開を遂げることとなったのだった。

 

「竹中さん」

「なんだ」

 

 生徒会室の入り口で、僕と竹中さんはそろってタイキしていた。生徒会室にいるのはシンボリルドルフと飯田さん、それから二人と一応顔なじみらしい東条さんの三人。僕たちは何かと色々手引きしたとはいえシンボリルドルフと飯田さんの件に関しては部外者もいいところなので、こうして部屋の外で事の成り行きを待っているというわけだ。

 生徒会室の扉の向こうから時折くぐもった声が漏れてくるものの、具体的に何を言っているのかは判別がつかない。僕たちは結局、手持無沙汰に駄弁っているか、廊下の窓の外の景色を眺めるしかなかった。

 外は鉛色のような色の土砂降りで、景色を堪能もあったものではないのだが、僕は早々に飽きて今はスマホの液晶に目を落としている竹中さんとは違い、頻繁に視線を送っていた。

 雨で染まりきっているはずの窓の奥の景色に、青白く光る人影がこちらをじっと見ていたからだった。

 

「……竹中さん。飯田さんのこと、竹中さんは許せますか」

「なんだよ藪から棒に……まあ、そうだなぁ」

 

 竹中さんはスマホから目を離して、少しだけ考え込んでから、あけっぴろげに答えた。

 

「許すとか以前に、俺は飯田さんがしたことを否定しない」

「否定しない、ですか」

「要するに、飯田さんにとってはシンボリルドルフよりも、妻子と仕事が大事だったわけだ。下手に上に逆らえばシンボリルドルフの元トレーナーのように干されてしまうのだから、飯田さんの対応はしょうがなかったと思うぞ」

「それはそうですけど……。でも許される行為ではないでしょう」

「確かにフェアじゃない。だけど、飯田さんのしようとしたことは、結果的にはシンボリルドルフとその元トレーナーを守ることにもなったはずなんだ。もちろんシンボリルドルフはある程度不当に苦汁をなめることになっただろうけど、元トレーナーが反発しなければあそこまで事態がこじれることもなかったんだ。飯田さんは許されないことをしたかもしれないが、それはシンボリルドルフと自分と家族のための、最善の策だった」

 

 フェアに徹することが、必ずしもウマ娘のためになるというわけじゃない、ということだろうか。竹中さんが言いたいことというのは。

 

「でもそれって、「足の速いウマ娘に、その分だけ斤量を課す」みたいな感じで、見てて気持ちのいいものじゃないですよ」

「でも世の中ってのはそういうものだろ」

 

 そう、かもしれない。

 何が正しくて、何が正しくないのか。どちらが悪くて、どちらが悪くないのか。人の心が多様で複雑だから、それだけ物事の境界線も多様で複雑なのだ。

 

「だから社会のルールや、最低限守られるべきマナーがあるんじゃないんですか。それを破るのはやっぱりどうかと思うんですよ」

「……お前は自分が破っていないと思っているのか?」

「僕が、ですか」

「俺はお前がそのルールやマナーを破ってないか、これから破ることにならないか心配だけどな。今回の件だって、お前は少し首を突っ込み過ぎてる。その内とんでもない転び方をするんじゃないかって」

 

 首を突っ込み過ぎている、か。それは、幻影が僕にそれを強要しているからだ。その内、幻影が姿を現さなくなれば、僕は人様の面倒ごとにわざわざ首を突っ込もうとはしない。

 

 ……。

 

 だけど、竹中さんやシンボリルドルフの幻影が言っていたように。

 いつか幻影に関係なく、社会のルールを逸脱して、生徒のために動くようなことがあるのかもしれない。

 

「……あ」

「ン?どうした」

「あ、いや……」

 

 窓の外の幻影が、音もなく、影も形も消した。今の消え方は、ただ姿を消したのとは違う。幻影との間にあった繋がりがなくなった喪失感が胸の内に残るこの感覚は、幻影が完全に僕の前から姿を消した証だ。

 

 そして、それに呼応するかのように、生徒会室から途轍もない怒号が響いた。僕と竹中さんはそろって身を竦ませた。まるでライオンの咆哮。大の大人二人を震え上がらせるほどの威圧感がその声には籠っていた。

 

「おいおいおい、大丈夫かよ」

「飯田さんが殺されていないことを祈るばかりですね」

 

 しかし言葉とは裏腹に、僕は大丈夫だろうと高をくくっていた。なぜなら幻影が姿を消した、ということは、幻影の目的が達成されたということなのだから。きっと大丈夫だ。幻影の真の目的が「飯田さんの殺害」とかでない限りは。

 

 などという一抹の不安を他所に、話し合いはそれから一時間ほど続き、ほどなくして三人は生徒会室から出てきた。

 

「上手く話し合いは終わったんですね」

「ええ、まあ……」

 

 すっかり疲れ切った顔の東条さんが、ひび割れた声で応える。

 

「すまない、安藤トレーナー。随分待たせてしまった」

「いや、別に……。それよりも、飯田さんとはちゃんと和解できたのか」

「彼を全て許そうとは思わない。しかし、彼は私に精一杯の誠意を示してくれた。清濁併吞

、それならば私も彼を、同じ志を抱く同志として受け入れようと思う」

「そうか。よかったですね、飯田さん」

 

 飯田さんもすっかり頬がやつれてはいるが、五体満足の状態だ。よかったよかった。

 

「それじゃあ、お疲れの二人には申し訳ないけど、あともう一つだけ頼まれてくれるかな」

「もちろん、さっそく飯田さんの愛娘、サードステージの元へはせ参じようではないか」

 

 そういうことだ。和解状態の二人をサードステージに合わせて、それで彼女を安心させようというのが僕の最終的な目的だったのだから。

 

 

 

 

 

 

「よかったぁ!じゃあお父さんと会長さんはもう仲直りしていて、今は二人とも仲良しなんですね!」

 

 サードステージは事情を掻い摘んで説明してやると、あっさり元気を取り戻して顔に笑みを浮かべた。

 

「あの会長さんに恨まれてると思うと夜も眠れなかったんですけど、これで安心しました」

 

 繊細なんだか図太いんだかがイマイチ釈然としないウマ娘だった。

 

「それで、結局二人のいざこざのことはどうやって知ったんだ。誰かが話してたのを盗み聞きしたのか」

「いえ、教えてもらったんです」

「教えてもらった?誰に?」

「女の人で、歳はよくわからなかったんですけど、トレーナーバッジをつけてましたから「あ、トレーナーなんだ」って思いました」

「東条さんじゃないのか」

「リギルのトレーナーとは違いました」

 

 うーむ。

 いったい誰から聞いたのか、話を聞けばわかると思っていたんだが……。まあ、わからないのだったら仕方がない。

 

「チームはどうするんだ。前の所に戻ってもいいんだぞ」

「いえ、今さら戻るのも気まずいんで、レグルスにこのままお世話になろうかなぁって思ってます」

「そ、そうか……」

「はい。というわけでお父さん、この人が私の新しい担当トレーナーだから」

 

「そうかそうか」飯田さんはうんうんと頷いていた。「安藤なら安心して任せられるな」

 

「うむ、安藤トレーナーなら安心だ」シンボリルドルフも飯田さんに合わせてうんうんと頷く。

 

 二人ともなぞに僕に対する信頼度が高かった。

 

「でも、本当に意外っていうか、ちょっと信じられません。会長さんとお父さんがこんなに仲良しだっただなんて」

 

 サードステージのその言葉に、僕は苦々しい顔で後ろの二人を見やった。

 僕がサードステージの寮に連れてきた二人は、笑顔で互いに肩を組んでいる。シンボリルドルフは満面の笑みを、そして飯田さんは少しひきつった笑顔を浮かべていた。

 確かになるべく仲がいい様子を演じてくれとは言ったが、なんというか、これじゃない感覚がすごかった。

 

「いったい何がきっかけで仲良くなったんですか?」

 

 そんなことを考えていると、唐突にサードステージがそんなことを言い出した。それを聞いた僕と飯田さんに緊張が走った。

 あまり根掘り葉掘り聞かないでくれ。いつボロが出てもおかしくないんだから。

 

「ああ、それはだな……」

 

 シンボリルドルフがそれにすぐさま答えたことで、僕はひそかに胸をなでおろした。彼女なら突然のアドリブにも対応できるだろう、と。そう思った矢先のことだった。

 

「実は、彼とはかねてよりジョークの研究に付き合ってもらっていてね!」

「……ん?」

 

 ジョーク、というシンボリルドルフの言葉に僕と飯田さんは内心で頭を傾げた。何を言い出したんだ、こいつは。

 

「ジョーク……ですか?」

「私は、ほら、どうにも威圧感があるというか、四角四面な印象を相手に与えてしまう節があるだろう?そこで、軽妙洒脱な冗談の一つでも浮かぶようであればと思ってだな」

「そう……なんですか?お父さんが……ジョーク?って、私ちょっとピンと来ないんですけど」

 

 首を傾げるサードステージと僕と飯田さんを置いて、シンボリルドルフは楽しそうにしゃべる。

 

「よし、ではひとつ聞かせようじゃないか。飯田さんと二人で編み出した、とっておきのジョークを!」

 

 そう前置いてからシンボリルドルフは、

 

「あれは先日の早朝のことだった。普段から朝食とお昼の弁当を自炊している私は、その時も弁当に入れるおかずと、朝食を作っていたのだが……。つい手元が狂って、フライパンの中を全てひっくり返してしまった。

 そこで私は思わずこう叫んだ……。

 

 

 

()()落として、()()()()()!』

 

 

ーーどうだった、私のジョークは!?」

 

 

「「……」」

 

 暫く部屋中を沈黙の妖精が飛び回り、たっぷり数十秒が経過した後、口をぽっかりと開けて呆けていたサードステージがようやくたった一文字だけ呟いた。

 

 

「……は?」

 

 

 僕の中でシンボリルドルフ株が大暴落した瞬間であった。

 

 

 

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