これからもウマ娘というコンテンツに敬意を忘れずに、拙いながらも真摯に完走目指して駆け抜けていけたらと思います。
(2023年2月9日)
「まだ一週間先は大丈夫だったんじゃないのか!?」
タマモクロスの恩師、錦田さんの病室へ駆け足で向かいつつ、僕は人目も憚らずに幻影にそう怒鳴った。
「そのはずや!」
タマモクロスの幻影は負けず劣らずの、いや僕の声の数倍大きな声で怒鳴り返す。病院だからもう少しボリュームを落とせと言いたいところだが、うるさいのは今のところおそらく僕だけなのだろう。
僕は焦っていた。幻影に声を上げるくらいには。普段は幻影じゃなくたって安易に怒鳴ったりはしないというのに。
理由はわかっている。
錦田さんの容態の急変が、幻影の記憶よりもずっと早くなった。恐れていたイレギュラー、『食い違い』が発生したのだ。そして僕の中にはある懸念があった。もしかしたら、『食い違い』が発生するのは、僕の行動が原因なのではないか、という。
バタフライエフェクトのごとく、僕の行動がこの世界の運命に何かしらの影響を与えてしまっている、というのは些か不遜かつ突拍子のない考えかもしれないが、なぜか未来に起こる出来事をある程度把握している幻影の声を聴いて、僕がそれに従事することで曲りなりにも未来を変えてしまっている、ということは間違いないはず。だとすれば『食い違い』というのは、僕の行動が起こす、予測することのできない未来の変化なのではないか。
もしかしたら。
錦田さんの寿命が、幻影の知るものよりも少し短くなってしまったのは僕の行動の結果なのではないのか?
「俺のせいなのか?」
冷や汗が流れた。と同時に鈍い頭痛も。
人間だれしも生きていれば、知らずのうちに他人の生き死にに関わることも、少しはあるだろう。しかし自らの行動の結果他人の命を削ってしまった、という実感を得る機会は少ない。僕は、それをやってしまったのか?やめてくれよ。僕が人様の命をどうこうするするなんて、そんなの考えたくもない。
なんてそうこうしているうちに、僕は気が付けばスタッフに教えられた彼の病室までたどり着いてしまっていた。扉の前で、僕は一瞬開けるのを躊躇した。何せ僕は錦田さんとは完全なる無関係、部外者だ。ここには彼の家族や友人などの関係者も時期に集まってくるはずだし、僕がその中に交じっている「お前誰?」みたいな状態になるのは目に見えている。
「おっちゃん!!」
しかしタマモクロスはこちらの事情なんか知ったこっちゃないといわんばかりに勢いよく扉をあけ放った。おいおい。
「……」
……あれ?ていうか、お前今
「おっちゃん!!」
僕の一抹の疑念は、タマモクロスの幻影が病室に寝ている男に駆け寄る姿を前に霧散した。おそらく「おっちゃん」であろう錦田さんの近くにいる医師と看護師は、まるで当然と言わんばかりに、駆け寄っている幻影には目もくれない。代わりに勢いよく開かれたドアの前に立ち尽くす僕に顔を向けた。
「……ああ、ご親戚の方ですか」
「あ、いえ、彼の……友人です」
中にいた医師に尋ねられて、とっさにそう嘯いた。それから彼らにそれとなく誘導されて、病人の前に連れられた。
「……」
錦田さんは、本当に今にも亡くなりそうな、弱弱しい様子だった。僕は思わず息を止めた。おそらくこの人は、もう間もなく死んでしまう、とそう感じた。
今までに死人を見る機会は何度かあった。祖母と、いとこの二人だ。それにしたって見たのは死んだ後の、荼毘に付される前の遺体だったし、こうして死の直前を、それもほとんど、というか完全に初対面の人間の臨終を目撃する羽目になるとは、思いもしなかった。
「あの、ご家族の方は?」
僕が隣にいた看護師に尋ねると、看護師は首を振る。
「錦田さんのご家族はいらっしゃらないみたいで」
「そうですか……」
ということは、ここに駆けつけてきそうなのは、タマモクロスくらいか。今頃ロケは終わっているだろうから、大阪にいる今なら、もしかしたら間に合うかもしれない。
しかし、もはや呼吸の乱れている錦田さんの様子は、素人から見てもそう長くは持ちそうにないことがわかる。
人って、こうやって死んでいくのか。
彼は酷く辛そうだった。そしてその苦しみは彼一人のもので、周りにいる誰とも共有されない、孤独なものだった。
正直、見ているのも嫌だった。人が苦しみに喘ぎながら死んでいく様は、見るに堪えない。いますぐにでもこの部屋から出たかった。実際、僕はこの人とはほぼ無関係なわけだし。
しかしタマモクロスの慟哭を聞いていると、その場から少しも動くことができなかった。看護師たちはせわしなく義務的に動きつつも、時折、無言でただ突っ立っている僕に「何やってんだこいつ」という疑念の混じった目線が時折向けられる。それは僕が聞きたいくらいだ。なんでいるんだろうね。なにもすることがない、いや、何もできることはないのに。
惜しむらくは、彼女を、タマモクロスを彼と引き合わせてやることができなかったことだ。彼女がどれだけ泣いて縋っても、錦田さんには一つも届いていない。
一ミリでも、彼女の意思を、彼女の想いを彼に伝えてやりたい。
僕はそんな思いで、何を思ったか飯田さんの冬の枯れた木の枝のような手に、気が付くと触れようとしていた。普段だったら、全く知らない人に触ることなんて、それどころか知り合いとすら触れ合い機会のない僕が、こんなことをするなんて信じられなかった。
でも、その時はなぜだか知りもしないはずの錦田さんに、謎の親近感を感じていた。まるで、幼少のころから彼を知っていたかのような感覚が。
「……ぁ」
手に触れた途端のことだった。鈍い頭痛が突然僕を襲った。そして、それに呼応するかのように、錦田さんが薄く目を開けて、僕の方を見た。
いや、違う。
正確には
「おっちゃん……?」
幻影の、信じられないといった口調に、錦田さんは確かに反応した。僕は信じられなかった。錦田さんが幻影を認知していることに、ではない。僕が涙を流していることが、だ。僕の中に、存在しない記憶があった。おっちゃんとともに駆けていた幼少の頃の思い出が。
錦田さんが、何かを言おうとしている。最後の気力を振り絞って、タマモクロス、彼女に何かを伝えようとしていた。タマモクロスは、彼の手を握って、それを確かに聞いた。
「ぉー……」
それからしばらくたった後、錦田さんは息を引き取った。
〇
タマモクロスが病室に駆けつけたのは、錦田さんが亡くなってから数十分後だった。僕が病室を出てすぐの廊下の突き当りに待機していると、間もなく何人かが病室から出てきた。オグリキャップと、彼女のトレーナーらしき人物だろう。タマモクロスの姿は見当たらなかった。
「あの……」
僕が彼らに近づくと、トレーナーらしき人物が反応する。確か、北原とかいう名前だったはずだ。あまり学園にいないが、何度か雑誌やテレビで目にしたことがある。
「えーと、……悪い、誰だ」
「錦田さんの知り合いというか……、タマモクロスさんは、まだ病室に?」
「あ、ああ」
彼はそう言いつつ、僕の襟元に目を向けていた。おそらく僕のつけているトレーナーバッチが気になるのだろう。
僕はそれを無視して、軽く断わりを入れてから病室の中に再び入った。
タマモクロスは、錦田さんの隣に座り込んでいた。彼女は見るからに萎えていた。いつかテレビやレースの映像でみた気迫はみじんも感じられない。
僕はタマモクロスたちの方に近づいた。近づくとタマモクロスは、耳だけ反応したものの、頭はピクリとも動かなかった。
「タマモクロス」
「……誰や」
僕がタマモクロスにそう呼びかけると、彼女はたったそれだけの言葉を口にした。
「錦田さんの知り合いだ。彼の臨終に立ち会った」
タマモクロスは僕の言葉に握りこぶしを固める。
「なんでや……なんでウチは……」
「……」
「わかっとったはずやのに。ずっと前から、こうなることはわかっとったはずやのに。おっちゃん、意外に元気やったから失念してもうてたわ」
「……」
「ウチは、肝心なところで、いっつもこんなしょーもないことしてまうんや」
タマモクロスは、始終俯いて僕に語った。誰かも知らない僕に。
僕は錦田さんに歩み寄った。
タマモクロスは、僕に構わずに、その胸の内の悔恨を口にする。
「ウチは間に合わんかった。約束、守れへんかった」
「そんなことはないよ」
「適当云うなっ!」
初めて、タマモクロスの叫びが、稲妻のような力強く鋭い叱咤が飛んできた。
「ウチはもう、会えへんのや。おっちゃんに会えへんかったんや!」
「いいや、あの人は確かに、お前に会ってたよ」
僕は懐からスマホを取り出して、錦田さんの枕元に置いた。そして、録音していた幻影と錦田さんの最後の会話記録を再生した。
「……っ!」
「錦田さんはお前と会って話してた。お前は間に合ってたんだ」
嘘じゃない。慰めでもない。お前は錦田さんのそばにいた。本当なんだよ。他の人間には、錦田さんがうわごとを言っていただけなんだろうけどな。
僕は声の流れ続けるスマホをその場に置いて、病室を後にした。
「あの……」
僕が病室を出てすぐ、オグリキャップが心配そうな様子でこちらに話しかけてきた。
「タマは、その……」
「彼女は多分、大丈夫だと思うよ」
錦田さんと話し終えた幻影は間もなく姿を消した。だからきっと、大丈夫なのだろう。
「そうか、よかった」
「……あ、こんな時になんだけど、君にちょっと相談があるんだ」
「私に?」
「ああ、……北原さんにも聞いておいてほしいんですがーー」
それから、僕は二人に例の提案を持ち掛けた。本当はこの後すぐに帰って、チームのミーティングに参加しなければいけないのでこんなことをしている場合ではないのだけど、まあいいだろう。竹中さんにどやされても構わない。
どうせ、しばらくスマホは回収できないわけだし。
〇
竹中さんにこってり絞られた数日後。
遠征も終盤に差し掛かり、いよいよ大詰めといったところで、元気盛りの生徒たちもさすがに疲れが見え始めてきた今日のこの頃、僕はといえば、また再びチームは少しばかり離れ、とあるバス停の近くに置かれたベンチにて、オグリキャップの所属するチームのトレーナーである北原さんと隣り合わせに座っていた。
僕たちの視線はバス停にいる二つの影、オグリキャップとその父親に集中していた。
「ぶっちゃけ驚いたぜ。父親に会ってみないか、なんて言ってきたときにはよ」
「すみません、急な申し出で」
「オグリが乗り気じゃなかったら、断ってた。俺もある程度は事情を知ってるしな」
北原さんはため息を吐いた。きっと彼も、オグリキャップトレーナーとして、父親に一家言あるのだろう。
「ていうか、なんでお前はこんなことまで知ってるんだよ」
「たまたまですよ」
嘘じゃないんやで、ホントやで。うん。
「ま、いいけどな。……いい機会だとは思うし。……安藤、だったよな」
「はい?」
「お前……」と北原さんは何かを言いかけて、「いや、やっぱり何でもない」とすぐに発言を取り下げてしまった。
「……あ、終わったみたいですね」
バス停を離れていく影と、留まる影がみえた。
スマホの充電がなくなるまでしつこくリピートしまくってた奴の時とは違い、随分短くそっ気のない終わりだった。とても「親子感動の再会」といった感じではなかった。
「……」
僕たちはオグリキャップを迎えに行った。
「おう、話はちゃんとできたか?」
「……」
オグリキャップは、父親の消えていった方角をじっと眺めていた。神経の図太そうな彼女だが、やはり少しは堪えたのかもしれない。彼女にかける言葉を、僕も北原さんも見つけることができない……なーんて思っていた時だった。
ぐぅぅ~、とオグリキャップのお腹が大きく鳴り響いた。
「……飯でも食いに行くか」
「……っ!ああ、そうしよう!」
やれやれと北原はあきれたように笑いながらそう提案し、オグリキャップが気を取り直したように元気にそれに応じる。僕はこめかみに痛みが走った。思わず「新たな幻影か!?」と辺りを見回したくらいだ。しかし、どうやらちゃんとした普通の頭痛なようで安心した。
「お前も来いよ、安藤。おごってやるぜ」
「いいんですか?」
「ああ、もちろん」
「タマも誘っていいか北原」
「おう、誘え誘え!」
二人が前を歩き出し、僕もそのあとに続く。
その時、また再び頭痛が走った。僕が後ろを振り返ると、あの二人が僕を見送りにきていた。
タマモクロスがこちらに手を振っている。てっきりもう彼女はいなくなっていたものだと思っていたが、もしかしたら友人を待っていたのかもしれない。友人想いの彼女らしい。
オグリキャップも、こちらに小さく手を振っている。
その光景を見た僕は、自然と顔に笑みが浮かんだ。僕もわざわざ見送りに来てくれた彼女たちに労うつもりで、大きく手を振って応えてやった。
それから、少しだけ距離の離れた北原さんとオグリキャップを追って歩き出した。
〇
その後の二人がどうなったか、僕は推し量ることしかできない。
という風になると思ったが、実際は彼女たちから割と頻繁にその後の近況報告のようなものが送られてくるので、どうやら元気そうで何よりという感じだ。タマモクロスも持ち前の気丈さで立ち直っているみたいだし、オグリキャップもどうやらめげずに父親と連絡を取っているらしい。
或いはそれらは皆建前で、タマモクロスは未だに大きな喪失に囚われているかもしれないし、オグリキャップも父との確執に気を滅入らせているかもしれないが、幻影の居なくなった今、僕は今再び彼女たちの心を見透かすことはできないし、しようとも思わない。もう僕がいなくても、彼女たちなら問題ないだろう。
でももし彼女たちが僕にまた助けを求めるなら、それもやぶさかではない。
僕がしたことが、決して無駄ではなかったと、価値のあるものだと思いたいから。
ところで、現在は日曜日の昼。こんな休日にもなぜか足しげく出勤してトレーナー室に屯している僕たちトレーナーも、昼休憩。トレーナー室に据え置かれた中型のテレビの前に僕は座っていた。
もうすぐ、「オグリのグルメ シーズン9」が始まるからだ。
と、近くを通りかかった福良さんが、ふと立ち止まって、それから僕の近くの椅子に腰を下ろした。
「そういえばそろそろ始まる時間だったね」
「あれ、福良さんも見るのか?」
「ダメなわけ?」
「いや、別にいいけどさ」
テレビの前には、僕と福良さんしかいない。どうにも気拙い、というよりは気恥ずかしい感じがする。なぜだ。
「ねぇ」
「ン、何だ?」
「ありがとうね、二人のこと」
「は?」
思わず振り向くと、福良さんは笑顔を浮かべながら、顔をテレビに向けていた。
それと時を同じくして、トレーナー室に杉原が駆けつけてきた。
「間に合ったぁー!!」
騒がしい様子でテレビに近づいてきた杉原はそこで、僕と福良さんを認めてはたと騒がしいのをやめた。
「……どうしたんだ、ふたりで」
「あーあ、テレビ見ようとしてたら鬱陶しいのが来た」
「誰が鬱陶しいだ!!」
しかしそれも一瞬のことで、再び杉原は持ち前の煩さをいかんなく発揮し始める。
いつもの調子を取り戻し始めたトレーナー室に、僕はいつしか安堵を覚えるようになっていた。
人は変わる。僕もその例外じゃない。トレーナーにも、幻影の出現にも、僕はこの生活に馴染み始めている。それがいいことなのかどうかはわからないけれど。
いいことなのだと思いたい。仕事にも、人生にも、前向きなのがいいに決まっているのだから。
そんな僕の想いも知らないで、ようやく「オグリのグルメ」が始まる。始まりは主人公オグリとその友人タマモクロスが笑顔で街を歩くシーンから。
テレビの前に集まって眺めている、そんな僕らを、机の上に置かれた二人のぬいぐるみが微笑まし気に見守っているのだった。