ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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プロローグ

 

「いやぁ、楽しみっすねぇ!ミホノブルボンの菊花賞!!」

「トウカイテイオーに続く無敗の二冠ウマ娘の、無敗の三冠ウマ娘になる瞬間、かもしれないからな」

 

 自らがキーボードをたたく音の間から、竹中さんと杉原の会話が聞こえてくる。職務中だというのに、竹中さんや杉原以外のトレーナーも落ち着かず、どこか浮ついた空気が充満しているトレーナー室。僕は手元のカレンダーに目をやった。

 

 日本ダービー、もうそんな時期なのか。

 

「いやもう確実ですよ!この前黒沼さんのトレーニング見たんですけど、長距離でもいい時計出してましたから」

「きっちり仕上げてきてるよな。潰れないか見てて不安になるトレーニングだったが」

 

 ミホノブルボン。

 恵まれた強靭な肢体に爆発的な瞬発力、トレーナーじゃなくたって、ちょっと知識を齧った人間なら、だれしも彼女がスプリンター(短距離走者)であると分かるだろう。

 そんな彼女が、菊花賞。

 最初期は無茶無謀だといわれていた三冠挑戦も、今ではその評価を完全にひっくり返して見せた。

 

「絶対に見に行きますよ俺。歴史的瞬間ってやつですからねぇ。安藤も行くだろ?」

「ん?ああ、いや、俺は……」

 

 ……。

 

「どうした?」

「いや、……俺は、ラックリーターのレースが近いから、遠慮しとくよ」

「おお、そうか悪いな」

 

 僕は杉原の返事には答えず、彼の後ろの方に目を向けた。

 

 ()()

 

 頭痛という兆候があった。あの時、バールで頭を殴られた日から、僕は頻繁に突発性の頭痛に襲われるようになった。そして、頭痛が起こった後は、決まって彼らが現れる。

 

 幻影。

 

 彼女らは僕の目の前に度々現れ、囁き、取り憑き、僕を介して自らの運命を変えようとする。彼女らの正体が何なのか、何故僕の目の前に現れるのか。それはわからない。

 だけど、彼女らの存在は、そして彼女らとの交流が、少しずつ僕を変えていっている気がする。それがいい傾向なのかは、わからない。

 僕は、この力を前向きにとらえようと思っている。少なくとも、この力のおかげで救えたものがあると感じているからだ。

 

 今僕の目の前に現れた幻影を見て、僕は面食らった。

 

 彼女は見たことがある。たしか、名前はサクラバクシンオー。

 

 僕が面食らったのは、彼女が楽しそうにトレーナー室を空中遊泳していたからだった。幻影は僕と目が合うと「いやぁー、よくわからないですけど、楽しいです!!」と叫んだ。

 

「……」

「ん、なんだ?虫でも飛んでるのか?」

 

 幻影を目で追っていた僕を勘違いした杉原が、そんなことを言った。

 毎度のことながら、頭が痛くなってきた。

 

 

 

 

 

 

「ちょわっ!!?なんで閉めるんですか、開けてくださーいっ!」

 

 今しがた閉めたばかりのトレーナー室の扉の向こう側から幻影の悲痛な叫びが聞こえた。

 

「……」

 

 仕方なく扉を開けると、中から幻影がひょっこりと顔を出してくる。ため息を吐いて顔を上げると、先ほど一緒にトレーナー室を出た杉原が、異様な目でじっとこちらを見ているのに気が付いた。

 ぬかった。完全に失念していた。きっと杉原の目には、僕が扉を開け閉めしてド下手なパントマイムに勤しんでいるように写っただろう。

 彼の視線を避けるようにしてなるべく早足でその場を後にする。

 まだ背中に杉原の視線が刺さっているような気がしたが気にしないようにして、後ろからついてきた幻影に話しかける。

 

「で、お前はなんで俺の前に現れたんだ?」

「ズバリ、わからないでしょう!!」

「……はぁ?」

 

 思わず立ち止まって、改めて幻影の顔をまじまじと見つめる。

 

「どゆこと?」

「私がどうしてここにいるのか、それがわからないんですよ」

 

 ……。

 

「はぁ!?」

 

 えーっと、ちょっと待って。今まで何度も幻影を相手にしてきたけれど、このケースはさすがに初めてで困惑している。

 

「ていうか、どうなってるんですかこれ?安藤さんは何か知ってるんですよね?」

「知らないよ……」

「ええっ!!?そんなぁ」

 

 幻影はがっくりと項垂れた。それはこちらのセリフだけどな。

 

「こ、こうなれば、私がなぜこんなことになっているのか、なんのためにいるかわかるまでとことん調べましょうね、安藤さん!!」

「ええ~……」

 

 今までのとは経路の違う幻影に、僕はただただ戸惑っていた。後ろで杉原が、穴が開くほどこちらを凝視しているのにも気が付かないほどには。

 

「やってやりましょう安藤さん!!」

「やだ」

「ええっ!!?」

 

 気付けは自然とそう口にしていた。多分疲れているからだった。

 

「いやいややりましょうよ」

「やだよ……」

「バクシンしましょうよぉ~」

「やだよぉ~」

 

 僕はにじり寄ってくる幻影をひたすら避け続けながら、よろよろと学園の廊下を後にした。

 

 

 

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