ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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 ミホノブルボンは、その圧倒的なパフォーマンスに、『三冠確実』『偉業まであと一歩』と世間の目は日に日に高まっていった。となると当然、花の蜜に群がる蝶のごとく、何人ものミーハーなウマ娘が現れてはミホノブルボンに対してサインだの握手だのをねだる、といった事態が度々起こってしまっていた。トレーナーとしては、学園の生徒としてもっと節操のある行動を心がけてもらいたいのだが。

 

「ミホノブルボンさん!握手してください!」

「私もサインしてください!」

「俺にもサイン頼む」

 

 ミホノブルボン以外の、その場にいたほぼ全員がこちらを振り向いた。

 

「はい、わかりました」

「すまん。じゃあ……これに」

「これは……?」

「俺が作った、オムライスだ。これにこのケチャップでサインを描いてくれ」

 

 皿ごとのオムライスを手渡すと、ミホノブルボンは律儀にサインをオムライスの上に、言われた通りにケチャップで描いてくれた。

 

「温かい内に持ってかないとな……ん?」

 

 ふと気配がして僕が振り返ると、竹中さんと杉原が後ろに立っていた。

 

「お前、ファンだったんだな……」

 

 杉原は生暖かい目を僕に向けてきた。

 

「トレーナーとして、いや大人として最低限節度は守れよ安藤。それと、たづなさんとルドルフ会長から「後で生徒会室に来るように」とのことだ」

 

 そう言って竹中さんは杉原を連れてその場を立ち去った。

 

「……」

「出来ました」

 

 周囲の唖然とした視線を一身に受ける中、サインを描き終えたらしいミホノブルボンに、オムライスを手渡された僕は空を仰いだ。空は見渡す限り憂鬱の青一色に染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、もらってきてやったぞ、あいつのサイン。オムライスに」

 

 僕は机の上に半ばやけくそでオムライスを置き、それから手近な椅子に腰を掛ける。するとすぐにバクシンオーの幻影が目の前に現れた。

 

「わぁ!やりましたね安藤さん!」

「ああ、やっちまったよ」

「ありがとうございます、私今の今までブルボンさんのサインもらってなかったんですよね!」

 

 じゃあせめて普通のサインじゃダメだったのだろうか。今現在僕は手首を痛めているのだから、これ作るのも一苦労だったのだけど。

 

「いやぁ、楽しみです、ブルボンさんのサイン入り、安藤オムライスが!!」

「安藤オムライス……?まあいいけど。ていうか、お前ってそもそもこれ食べられるの?」

 

「えっ?」幻影はオムライスを食べようとしたが、スプーンすら持ち上げることができなかった。

 

「あっ」

「あっ、じゃねぇよ!!なんだったんだよこの茶番は!!」

「まあ、サインは見ることができたのでよしとしましょうっ!!」

 

 僕は机に突っ伏して涙を流した。

 

「……まあ、もういいけどさ。とにかく、頼みを聞いてやったんだ、これで協力してくれるんだよな」

「はい、それはもちろん!」

 

 バクシンオーはそれから、僕の隣の椅子に腰を下ろした。

 

「しかし、それでも私が安藤さんの望み通り、無事に消えることができるかはわかりませんけど」

「……」

 

 消える、か。

 一瞬「このまま彼女が消えなくても別にいいかもしれない」などと思ってしまった僕はどうかしてしまったのだろう。

 

「でも、お前がクラシック路線で、メジャーなレースで活躍したかったってのは俺の見当違いじゃないんだろ?」

「ブルボンさんに惨敗してから短距離路線に進んだことを歯がゆく思っていなかった、と言えば嘘になりますね。学級委員長として、すべてのG1レースをバクシンしたかったのは事実ですから」

「トレーナーに言わなかったのか。短距離以外のレースも走りたいって」

「もちろん言いましたよ。そしてトレーナーさんも、私の願いをかなえるために色々試行錯誤してくれてました。多分」

 

 バクシンオーと話している間に、すでに冷めつつあるオムライスを口に運んだ。うん、我ながら味は悪くない。生徒会室に呼び出されてまで作る価値はなさそうだけども。

 

「俺が見る限り、あのトレーナーにお前をメジャーなレースに出す意思は感じられないけど」

「ええ、結局トレーナーさんは、私を中長距離のレースには出してくれませんでした。約束してくれてたんですけどね」

「トレーナーのこと、恨んでたりする?」

「いえ、トレーナーさんを恨んでいるだなんて滅相もない!トレーナーさんのおかげで私は各シリーズで実績を残すことができたのですから。それに、トレーナーさんは体が弱く寝込みがちだった私をずっとそばで支え続けてくれました。彼女のおかげで今の完全無欠な私がいるのです」

 

 身体が弱い?

 そんな風には全く見えないけど。

 

「トレーナーさんは私を信じてくれていました。だから、私もトレーナーを信じることにしたのです!」

「そうか……」

「私が学級委員長になったのも、当時は何者でもなかったこの私に、私が学級委員長に相応しいウマ娘だと言ってくれた、私を信じてくれた人がいたからです!!」

「……」

「私は、私の期待に応えたい。それが私の夢だった。結果的に私の願いはかないませんでしたが、夢を叶えることはできました。私を支えてくれたトレーナーさん方は、私に夢を魅せてくれたのです」

 

 期待に応えたい。それが彼女の夢で、走る理由なのか。自らの願望の実現と、夢の実現は似て非なるものなのかもしれない。

 僕は今まで、ただ彼女たちの願いを叶えようとしただけだった。しかし、それらは果たして、本当に彼女たちのためになっていただろうか。

 今だってそうだ。僕はただ彼女の中のわだかまりや悔恨を解消することだけだけを考えていた。しかし、バクシンオーの気持ちを汲むのなら、僕がするべきことは本当にただ「ミホノブルボンと長距離で競わせる」だけなのだろうか。

 わからない。

 わからないが、バクシンオーのためを思って僕にできることがあるとすればそれは。

 

「ところで、安藤さん。件のレースはいつ頃の予定で?」

「ああ、それは……いや、その前に」

 

 僕は立ち上がると、懐からストップウォッチを取り出した。

 

「一度、長距離のタイムを測ろう。変幻状態にも慣らす必要があるだろうしな。それからミホノブルボンのレースを見て、立てられそうな対策を考えよう」

「はぇ?」

 

 バクシンオーは目から目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いてこちらを見た。それから心底不思議そうに僕に尋ねた。

 

「えーっと、何故でしょうか?安藤さんに何か得があるとは思えないのですが」

「そうだけど、でも」

 

 僕はそう言ってバクシンオーに笑いかけた。

 

「やるからには、全力で勝ちに行こうぜ」

「……っ!!はい、もちろんですとも!!」

 

 それから僕たちはこの数日間、ラックリーターの最終調整の傍ら、夜遅くまでミホノブルボンとの対決に備えトレーニングに励むのだった。

 

 

 

 

 

 

「やぁ、トレーナー君」

 

 僕がトラックにて手元の時計を気にしていると、アグネスタキオンが向こうからやってきて僕に手を振った。

 

「あれ、まだ集合時間の五分前だけど」

「時間に余裕をもたせた行動は社会人の基本だろう?何を言ってるんだいトレーナー君」

「そ、そうだな……」

 

 お前、社会人になるつもりだったんだな……。だったら日ごろからそれを心がけた行動をとってくれよ。

 

「こんにちは……トレーナーさん」

「ああ、よく来てくれたな」

 

 タキオンの後ろについて歩いてきたウマ娘、マンハッタンカフェにも声をかける。少し事情は複雑なのだが、彼女も一応、僕の担当ウマ娘だ。彼女は、有体に言うなら霊感を持っている不思議ちゃんだ。僕も似たようなもんなので彼女には一方的に親近感を覚えている。担当を引き受けたのも半ばそれが理由だった。

 そして、今回の本命でもある。

 

「悪いな、二人とも、いきなりの模擬レースで」

「構わないとも、私としても、彼女は中々興味深い研究対象だからね」

「ヘンな薬盛ったりするなよ」

「はっはっはっはっは……そんなことはしないさ」

 

 間が気になるんだよなぁ。

 

「大丈夫です……私が、見張っておくので」

 

 マンハッタンカフェの頼もしい言葉に鷹揚に頷く。そんな中、僕の後ろにいたもう一人のウマ娘、サードステージが恐る恐るといった体で話に入ってくる。

 

「あの……本当に私も走るんですか?」

「ああ。クラシック三冠を目指してるんだろ?だったら今日のレースは必ず糧になるはずだ」

「でも、まともに競り合える自信ないですよ……」

「あれ、でもその割にお前、昨日LINEで「別に勝っちゃっても構わないんですよね?」とか言ってなかった?」

「わぁぁーーー!!それは言わないでくださいっ」

 

 手をぶんぶんと振って話を遮るサードステージ。いやまぁ、今回のメンツの実力からしてまず勝ち目はないだろうけどさ。何事も経験だ。

 と、身内でわちゃわちゃしていると、ようやく主役の二人がこちらへやってきたのが見えた。

 目を見張る優れた体躯のウマ娘。

 ミホノブルボン。

 そしてそのトレーナーである黒沼さん。背中に龍を背負ってそうな物凄い気迫を感じる、凄腕のトレーナーだ。スパルタでも有名である。あと最近何やら妙な事件に関わっているとのうわさも聞く。

 

「すまない、待たせたな」

 

「いえ」僕は黒沼さんに軽く頭を下げる。「今日はよろしくお願いします」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 それにしても、渋い声だな。ウマ娘と戦っても勝っちゃいそうなくらいデカい身体だし、本当にトレーナーなのかな、この人。

 

 

 

 

 

 

「それにしても急な話だったな」

 

 付き添いに来ていた杉原と僕は、トラックでレースの準備運動を始めている参加者たちを眺めていた。

 

「なんでまた、ミホノブルボンとの模擬レースを?」

「今がいいチャンスだと思ったんだよ。菊花賞で結果を残してるマンハッタンカフェと、リハビリ中とはいえ同じ二冠のタキオンとなら、ミホノブルボンの方も模擬レースに参加してくれるんじゃないかってな」

「クラシック三冠が目標のサードステージにとっては、今ちょうどクラシック路線を走っているミホノブルボンとのレースはいい経験になる、か」

 

 杉原は納得しているような、していないような、そんな微妙な顔をしていた。今回のレースは僕が半ば強引にセッティングしたものなのだ。僕の持ち得るすべての人脈を総動員して。

 それもこれも、すべてはバクシンオーと共にミホノブルボンに挑戦するため。

 

「もうすぐ始まるな……」

「悪い、ちょっとトイレに行ってくる、みんなのこと見ておいてくれ」

 

 僕は静かに立ち上がると、その場を後にした。

 

「はぁ!?おいもう始まるぞ!……ほんとにいっちゃったよ」

 

 杉原は、茫然と歩き去る僕の姿を目で追った。

 

 だが僕は、瞬きもしない内に彼の前から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 レースが始まって間もなく、ミホノブルボンは今まで感じたことのない悪寒が背中に走るのを感じていた。

 

 いるのだ。

 いないはずの、四人目の走者が。

 

 目を向けなくてもわかる(というより怖くて目を向けられない)。途轍もない速さで自分を追走する影の存在が。

 

 真昼間からまさかの幽霊出現である。

 

 予想だにしない事態の遭遇に、ミホノブルボンの脳内ネットワークに深刻なエラーが発生していた。

 

 しかし、そんな精神状態でも、体は機械のように正確に走行を続けていく。ミホノブルボンは、このまま何も起こらずにレースを終えられるよう、心の中で父に祈りをささげた。

 

 

 

 

 

 

 1800mを通過した時点で、なるべくスピードを押さえて走っていたにもかかわらず、足が急速に重くなっていくのを如実に感じつつあった。

 適性の差が、これほどのものだったとは。もはや空気ですら、目の前に立ちはだかる分厚い壁のように思えてくる。

 もっと気持ちよく走っているのだと、勝手に思っていた。そうでもなければ、どうして彼女たちウマ娘が走っているのか、理解できないからだ。

 しかし、彼女たちを知ろうとすればするほど、わからなくなっていく。近づけば近づくほどその姿が消えてしまう帚木のように。

 

 わからない。

 

 わからないが、叫び声が聞こえてくるのだ。僕と交わっているもう一つの魂から、もっと速く走れる、という声が。

 

 僕はその声に導かれるままに足を動かして、

 

 バクシンオーの心と心が共鳴したような錯覚と共に、僕たちは突如何もかもから解放されたかのように、目の前の景色を置き去りに加速した。

 

 目の前を走っていたミホノブルボンとすれ違う瞬間、彼女と目が合った。が、それも一瞬。

 気が付くと、僕とバクシンオーは後続を圧倒的に引き離して3000mを完走していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 模擬レースから、しばらく時間がたった。

 

 そして今日はついに、ミホノブルボンの無敗三冠がかかった菊花賞その当日。杉原と竹中さんはそれを観戦しに行ったが、僕はラックリーターのレースも近いので、トレーナー室にて最終調整を行っていた。

 

「今日は安藤さんおひとりですか。寂しいですね」

「いや、全然寂しくないな」

 

 仕事の手を休め、後ろを振り向くと、見慣れたバクシンオーの間抜けた顔がそこにあった。

 

「お前がいるからな」

「……ちょわっ!!?どういう意味ですかそれは!?まさか、この私に惚れたんですか?だったら不可抗力ですから仕方がないですね!!」

「静かじゃないって意味な」

「しかしいくら私が超絶容姿端麗完璧美少女学級委員長だとしても、安藤さんとはお付き合いできません、ごめんなさい!!」

「はぁ……」

 

 僕はいつもの調子のバクシンオーに呆れてため息を吐いたが、苦笑を隠し切れず結局笑ってしまった。

 

「で、なんでまだいるの、お前」

 

 ミホノブルボンとのレースを終え、すべてをやり切った達成感に包まれていた僕だったが、予想に反してバクシンオーが姿を消すことはなかった。以降どうする術も思い浮かばないのでもう放置している、というわけだ。

 

「いやぁ、私が土壇場で覚醒してブルボンさんに圧勝したのはいいんですけど、どうも圧勝過ぎて勝ちごたえがなかったといいますか、ていうか、いくら私でもあのスピードはなんか可笑しくないですか?」

「知らないよ……」

 

 まあ、僕の力にはまだまだ未知の部分が多く残っているということだろう。或いはこの力は成長しているのかもわからない。

 

「まあそれは冗談で、実は、何故かこうしてまだここにいられるみたいですし、折角ですからブルボンさんの菊花賞、見ておこうと思いましてね」

 

 「テレビつけてくださーい」というバクシンオーに、仕方なく据え置きのテレビのリモコンを手に取る。

 

「あれ?でも、お前なら結果は知ってるんじゃないのか?」

「結果は知ってますけど、レースは見てなかったんですよね。それが心残りで……」

「へぇ、意外だな」

「認めたくなかったのかもしれません、ブルボンさんが……」

 

 同じスプリンターであるミホノブルボンが、クラシック三冠を取る。クラシック路線を諦めた彼女にとってそれは、或いは受け入れがたいことだったのかもしれない。

 

「あの時は、ブルボンさんが憧れで、羨ましくて……」

「……」

 

 僕は思わずバクシンオーに顔を向けた。彼女は寂しそうに笑っていた。

 

「でも、今ならはっきりと言えます。ブルボンさんは私の、ヒーローだって」

「……そうか」

 

 スプリンターとして圧倒的な実力をもっているバクシンオーは、いつか短距離レースを席巻する覇者となるだろう。が、それは見方を変えればライバル不在の孤独の王様になるということだ。

 彼女にとって、ミホノブルボンは、どれだけスピードを極めても、憧れすら追いつかない彼方の人物だったのかもしれない。でも、僕は思う。歩む道は違えども彼女とミホノブルボンの目指す場所は同じ。ふたりはライバルだと。

 そうやって、数多の願望の果てにある、ある種の境地が「夢」というやつなのかもしれない。

 

 テレビが付くと、ちょうど菊花賞の始まりを告げるファンファーレが鳴り響いていた。会場の熱気がテレビ越しに伝わってくるようだ。

 

「私、自分がなんでここにこうしているのか未だによくわかりませんが、それでも安藤さんと過ごした日々はとても楽しかったです」

 

 バクシンオーはそう言って、横に座っていた僕にぺこりと頭を下げる。

 

「本当にありがとうございました、安藤さん」

「なんだよ急に、いいよお礼なんて。それに、別にもうお前がいて迷惑だなんて思ってないよ」

 

 テレビの中継を見ながら、話を続ける。

 

「それで、結局この菊花賞はミホノブルボンが勝ったのか?」

 

 ……。

 

「バクシンオー?」

 

 僕は隣を見た。バクシンオーは、バクシンオーの幻影はまるで始めからそうであったかのようにその姿を消していた。彼女が今までここにいたという、何の痕跡も残さずに。

 

「……」

 

 一気に部屋中が静かになってしまった。テレビの音だけが虚しく響く。

 ある種のもの悲しさから僕はテレビを消そうとリモコンを手に取って、やっぱり思いとどまってそれを置いた。

 

「せっかくお前が付けてくれたんだ。最後まで、見ていくよ」

 

 もう誰もいない隣に向かってそう言い、再び視線を向けたテレビには次々とゲートに入ってくウマ娘。その中にミホノブルボンがいる。

 

 みんなの願いを、期待を、夢を背負って。

 

 その願いの中にバクシンオーもいるはずだ。

 

「……頑張れ、ミホノブルボン」

 

 お前は、バクシンオーのヒーローなんだから。

 テレビの向こうで、ようやくゲートが勢いよく開いて、レースが始まる。大丈夫、きっと彼女は勝ってくれる。

 

 

 

 不意に、涙が頬を流れ落ちた。

 

 

 




やっと折り返しまで描くことができました。お気に入りや評価を入れてくださった方、ここまで読んで下さった方々、本当に有難うございます。
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