ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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プロローグ

 

 

 小学校の帰り道、私の目の前に母親が降ってきた。

 

 私は、母の血が顔に飛び散ってきたその時ですら、身動き一つとることができなかった。ただ震えながら、母の身体が冷たくなっていくのを待っていた。

 子どもながらに考えた。何故母は自殺したのだろう。はっきりとしたことはわからない。だけど、親戚の人や、父には大方見当がついていたみたいだった。

 母はウマ娘の子供が欲しかったらしい。お酒の席で、祖父が私に言った。「お前がウマ娘に生まれてくれれば死なずに済んだ」のだと。

 ウマ娘の娘は通常ウマ娘。しかし、中には何故がヒトの娘しか産むことのできないウマ娘も稀にいた。母がその数少ない一人だった。

 

 母はトレセン学園の生徒で、トゥインクルシリーズを駆けた凡百のウマ娘の一人だった。お世辞にもあまりいい成績を残せたとは言えなかった。そして母はそれが許せなかったらしい。母の中で鬱屈としていたその屈辱感や劣等感はいつしか、自分の娘に注がれた。母は親子二代での雪辱を望んだのだ。

 しかし、生まれてきたのはただのヒトである私。

 母は自らの特異な体質を知ったことで、日に日にに絶望し、壊れていったのだ。そしてあの日、母の中の正気と狂気の均衡が崩れ、母はマンションの屋上から身を投げた。

 

 以上の話は、結局のところ事情を知っていた周りの人間の憶測でしかない。母の部屋をいくら探しても遺書は見つからなかったし、もっと別の理由での自殺、或いは自殺に見せかけら殺人だった可能性もある。でも、少なくとも父と母方の祖父母は、この憶測を真だと決めつけていた節があった。子供ながらにその空気を感じることができたのだ。

 

 私は知りたかった。

 母がなぜ死んだのか。母を絶望と狂気に侵したレースの世界を。そして、私がなることのできなかった「ウマ娘」を。

 

 だから私は、福良月火はトレーナーとして、トレセン学園にやってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 久方ぶりの母の墓参りを終えた私は、トレセン学園にいつものように勤務していた。

 冬も明けたとはいえ、まだまだ寒さの残る時分だった。しかし、トレセン学園のトレーナー室はそんな寒さを吹き飛ばしかねない熱気に包まれている。

 さすがエリートであるトレセン学園のトレーナーは寒さに負けず仕事に活気があってさすがねと言いたいところなのだが、実情は全く違う。

 

 というのも、男性トレーナー共がバレンタインでチョコが云々とかアホなことで盛り上がっているのだ。

 やれ担当にもらっただの、やれ同期にもらっただの。そして更に質の悪いことに、その熱を受けてか、不甲斐ないことに女性トレーナーたちまで浮ついた空気を醸し出している。

 度し難い。

 自然と握りこぶしに力が入っていくのが分かる。

 

 私はずんずんと、むさ苦しい熱気をかき分けるように歩いて自分のデスクにたどり着くと、音を立てて荷物を下ろした。

 椅子に座ると、位置関係と声量の問題で必ず聞こえてくる、あの男の声が聞こえてきた。

 

「いやぁ、俺もらっちゃったんだよなぁ!」

 

 杉原瑞樹。私と同じ中央のトレーナーだが、あほだ。こいつに中央のライセンスを与えたURAトレーナーライセンス取得委員会に、今すぐ殴り込みに行きたいくらいのあほだ。それであほなだけだったら私も鼻で笑って許してやるのだが、杉原はなぜが生意気だとか難癖付けて私に突っかかってくる。

 

「……一体何をもらったんだ?」

「わかんないかぁ~っ。チョコだよチョコ!俺の教え子が、俺に!!」

 

 ほら、また馬鹿なことで騒いでる。

 

「義理とかではなくて?」

「見ろよこれ。この包装、丁寧過ぎる。本命だ」

 

 私はちらりと、あほの掲げる本命とやらに目をやった。確かにガワだけ見れば丁寧な包だけど、女の私にはわかる。あれは義理どころが義務チョコだ、と。見る人が見れば、「知り合いからは極力もらいたくないもの」だとわかるだろう。

 

「確かにガワは丁寧だけど……いや、やっぱ何でもない」

 

 あほと一緒に話していた男は何か悟り言い淀んだが、嬉しそうに話すあほの顔をみてうっかり吐き出そうとしていた言葉をグッと飲み込んだようだった。

 彼はあほと私の同僚で、同じ中央のトレーナー、安藤日華。安藤君、彼は少し変わっている。

 彼は私の海外研修で肥えた眼から見ても、トレーナーとしてとても優秀だ。だけど、少し優秀過ぎるというか、ある種異様と感じるほどの観察力を持っている。明らかに他のトレーナーとは着眼点が違う。

 何より、一度スイッチが入ると、起爆剤を投与されたかのような、普段の彼からは考えられないような、そんなとんでもない行動力を時折見せることがある。あと、集中すると周りが見えなくなる癖でもあるのか、妙に独り言が多い。というわけで彼は変わっているのだ。

 一体何が彼を突き動かしているのか。

 実は、私は彼のことが少々気になっている。……気になっているというのは異性として気になっているということではなく、純粋に、トレーナーとしての彼に少し興味があるということだ。

 

「お前はもらったのかよ?」

「生徒からもらえるわけないだろ……お前のが例外なんだよ」

「だよなぁ~」

 

 杉原が、間違えたあほがバンバンと安藤君の肩を叩く。

 

「あ、トイレ行ってくるわ」

「おう」

 

 あほが席を離れたすきに、私は安藤君の方に近づいて話しかけた。先ほどの会話で疑問に思ったことがあったからだ。

 

「ねぇ、安藤君」

「福良さん、どうした?」

「アンタ、本当はどれくらいもらってるのよ」

「……何を?」

「とぼけないで、チョコよ。どうせ本当はもらってるんでしょ」

 

 安藤君は少しだけ困った風に眉をゆがめ、それから後頭部を指で掻いた。

 

「別に言いふらしたりしないから。個人的に気になってるだけ」

「……ラックリーターにはこっそり渡された」

「それで?」

「……サードステージにも」

「ふうん」

「あと、タキオンとマンハッタンカフェからは、何入ってるか知れないもんを渡された。それからスカイとフラワー、フクキタル、ロブロイ、ゴールドシチー、ユキノ、殿下とシリウス……のはカウントしなくていいか。後シャカールには逆に俺が渡した」

「……」

 

 事件の報せが来たのは、そんな間抜けな会話に興じていた矢先のことだった。

 

「行方不明?小林さんが?」

「ああ、ここ一週間顔を出さなくてな。部屋にいっても留守だし」

 

 竹中さんと杉原が、そんなことを話しながら席に戻ってきた。

 

「行方不明ですか」

 

 私はつい竹中さんにそう尋ねた。

 

「あいつは俺の後輩だし、連絡先にもかけてみたんだがな」

 

 電話に出る気配すらなかった、と言って竹中さんは頭を掻きむしっていた。

 行方不明……。

 私は、ふと安藤君の方へ眼を向ける。彼ならどんな反応を示すだろう。すぐにでも探しに行きましょう、とか何食わぬ顔で言い出したりしないだろうか。

 しかし、彼の反応は存外鈍かった。どうやら今はスイッチが入っていないようだ。

 

「大丈夫ですかね」

「わからねぇな。一応届け出は出したんだが……」

 

 小林さんが行方不明。

 

 別に特に親しかったわけでもない。トレーナーとして尊敬できるところもなかった。でも、確か彼の担当ウマ娘は……。

 

 一昔前まではこんなこと、気にすることはなかった。ここに来てからの私は、来る前の私と比べて、何かが変わった。

 私だけじゃない。

 杉原も、竹中さんも、少し歯車がずれたような、むしろかみ合い過ぎているような、そんな違和感をどこかに感じていた。

 

 安藤君。なんとなく彼がその変化の中心にいる気がした。

 

 

 

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