ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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 昼下がりのトラックを何人ものウマ娘が駆け抜けていく。

 

 僕と杉原は竹中さんのチームの娘の様子を、トラックの外から眺めていた。竹中さんのチーム『レグルス』のチームメンバーは堅実な実力と実績を兼ね備えている。とはいえ特に秀でた能力を持つものも、とびぬけた成果を上げたものもいない。良くも悪くも普通のチームだというのが第一印象だった。

 だが今は違う。この界隈に二年ほど身を置いてわかったことは、チームとして安定した成績を残せるトレーナーはそう多くない、ということだ。たまたま強いウマ娘を担当出来てそれなりに実績を残せるトレーナーは掃いて捨てるほどいるが、安定して勝ち星を上げ続けることのできるトレーナーは稀。それができている竹中さんはトレーナーとしての能力が高いといえるだろう。

 そんなことを頭の隅で考えつつ、遠くで僕の担当、ラックリーターが走っているのを目で追う。

 

「すごいな」

 

 思わずそう口にした。

 

「ん、なにがだ?」

 

 隣であくびしていた杉原が、こちらに顔を寄せる。

 

「ラックリーターの走行フォームが矯正されてる。もしかしてだけど、福良さんが治してくれたんじゃないのか?」

「買い被りだな」

 

 杉原は鼻で笑うと、明後日の方向に顔を向ける。視線の先には福良さんが立っていた。

 

「トレーナーだったら誰でもできることだ」

 

 ……それは遠回しに、今まで矯正できずにいた僕がトレーナー失格だって言ってるのか?

 

「ほら、見てみろよ」

 

 杉原が顎で福良さんの方を示す。福良さんは持参のビデオカメラをずっと構えていた。自らの担当のみならず、他のウマ娘の走りも記録している風だった。

 

「ずっとああして撮ってるんだ。嫌らしい感じだろ?」

「いや、別に……」

「「私今仕事してます」っつうアピールだよ。いけすかねぇ女だ」

「ひねくれ過ぎだろ……」

「いや、あいつは間違いなく性悪だ」

 

 そう言った後福良さんに向かって眼飛ばしている杉原を横目に、僕はトラックをぐるりと見渡した。

 僕たちと同じトレーナー。制服を着た生徒たち。見学の一般人なんかも少数ながらいる。

 その中で、ポツンと一人で立っているウマ娘が目に入って思わず瞠目した。

 アグネスタキオンだ。

 制服姿で、僕たちトレーナーと同じようにトラックを眺めつつ何やらメモを取っているようだった。

 先日の光景が脳裏によみがえってくる。あれが何なのか、未だによくわからない。インターネットでそれらしいオカルトを一通り探ってみたが当然答えなど見つからなかった。ドッペルゲンガー、それが最もあれに近い概念のような気がする。強いて言えばの話だけど。

 ふと強い気配を感じて視線を戻すと、福良さんがこちらを凝視していた。杉原の陰口を耳聡く拾ったのか、それとも……僕を見ているのか。

 慌てて視線をトラックに移す。ラックリーターがコーナーを抜けてこちらに近づいてくる頃合いだった。

 彼女のフォームは確かにある程度矯正されている。だがそれが時計の短縮につながっているかというとそうでもない。走りがきれいになっても、速さが変わらない。

やっぱり思った通りだった。僕はこの時、担当のウマ娘、ラックリーターの能力の限界を明確に悟らざるを得なかった。

 ラックリーターに気づかれないよう小さく、そして深く諦観交じりのため息を吐いた。

 

 

 

 

 パラパラと、機関銃のようなすさまじい速度でノートパソコンのキーボードをたたいている福良さんの横に、そっと缶コーヒーを置く。

 ピタリと手が止まった。

 

「何?」

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」

 

 缶コーヒーが手に取られる。

 

「実は俺もあんたに言っときたいことがあるんだが」

 

 慎重に会話を進めようと画策していた僕と福良さんの間に、全く関係のない杉原が割り込んできた。杉原は無精ひげの生えた厳つい顔を、挑発するように福良さんに近づける。

 

「カメラを回すの、やめてくれませんかねぇ。うちの担当の娘が気にしてトレーニングに集中できないらしいんですよ」

 

 ばたんと、強くノートパソコンが閉じられた。それから福良さんはとてつもない眼光で杉原をあっという間にたじろかせると、きびきびとした動作で席を立った。

 

「待ってください!」

 

 若干背筋を震わせている杉原を置いて、慌てて福良さんの後を追う。職員室を出た廊下の所でようやく彼女に追いついた。

 

「本当に聞きたいことがあるんです、お願いします」

 

 お願いします、の所でようやく福良さんは足を止めた。それからこちらを見ることなくこういった。

 

「敬語なんか使わなくていいよ、多分同い年くらいだし」

 

 

「で、聞きたいことって何?」

 

 適当な部屋の一室を借りて、僕と福良さんは向かい合った。福良さんは僕のあげた缶コーヒーをちびちびと口にしている。

 

「……ラックリーターのことだ。あいつのこともカメラで撮ってたよな」

「悪かったわね」

 

 福良さんがみるみる不機嫌になるのを見て、慌てて被りを振った。

 

「そうじゃなくて……。よければでいいんだけど、そのデータが残ってるなら俺にも見せてもらえないか」

「いいけど、何に使うつもりなの?」

 

 若干埃が被った机に福良さんは手を置いた。あまりこの部屋は使われていないようだった。

 

「それを参考に少しでもあいつの走りが改善されればって思ってな。レースも近いし」

「あの娘才能ないから無駄だと思うけど。あんたもわかってるんでしょ?」

 

 福良さんのあまりの物言いに顎が落ちた。

 

「……」

 

 絶句。

 才能がない。そんなことはもちろんわかってる。でも、まさか担当トレーナーである僕に面と向かってここまではっきり言うとは。なんて人だ。もしかして自分の担当に対してもこんな感じなのだろうか。だとしたら少し同情する。

 ふと、杉原が言っていた言葉を思い出した。確かに、少し変わった人かもしれない。

 

「それだけ?だったら後で動画送っといてあげるけど」

 

 カチカチと、いくつも点いている蛍光灯の内一本が瞬く。

 

「ありがとう……あ、あと」

 

 そのままの勢いで先日の白昼夢についてつい話してしまいそうになり、慌てて押し黙った。あぶない。

 

「あと、なに」

「いや、その、あれだ。アグネスタキオン」

「アグネスタキオン?」

 

 ごまかそうと咄嗟に思いついた名前を口にした。

 

「そういえば今日珍しくトラックに来てたね」

 

 顎に手を当てて思案する福良さん。

 

「いつもは来ないのか?」

「そうね。だいたいいつも部屋に引きこもってる。知名度の割によくわからないウマ娘だわ。その彼女がどうかしたの」

 

 今まで一度も鳴ったことのない火災報知器が、僕と福良さんを見下ろしている。

 

「……奇行が目立つって話をどこかで聞いたんだけど、それって具体的にはどういうものなのかな」

「どうって……どういうこと」

 

 僕は顔を明後日の方に向けた。

 

「例えば、……レースでもないのに派手な勝負服を着て学園内を徘徊してる、とか」

 

 言いながら僕は福良さんの様子を横目で盗み見た。彼女はしきりに首を傾げていた。悪い。妙な質問だとは僕自身でも思う。

 

「そういうのは……聞かないけど。変な薬品を教室で暴発させたっていう噂は耳にしてる」

「そっか……いや何でもないんだ、ちょっとした疑問ていうか。今の話は適当に聞き流して忘れてくれ」

 

 そういってそさくさと部屋を出ようとした僕を、「ちょっと待って」と福良さんは引き留めた。

 振り向くと福良さんは、何か言うべきか迷って、その末にやっぱり話そうと決めた、という感じの、なんというか悩まし気な表情を浮かべていた。

 

「アンタってさ……もしかして親戚にウマ娘がいる?」

 

 妙で唐突な質問だった。

 

「あー……従妹がウマ娘だったけど、なんでわかったんだ?」

「なんか、……アンタからウマ娘と同じ不思議な雰囲気を感じるのよね」

「はぁ?」

 

 福良さんの大真面目な表情がこちらをじっと見つめている。

 

「私の気のせいかもしれないけど、もしかしたらって思って」

「……」

 

 思わずじろじろと不躾に福良さんを眺めまわしてしまった。

 

「何よ」

「いや……確かに変わってるなぁって」

 

 福良さんは僕の言葉に鼻で笑って応えると、空の缶コーヒーを投げ渡して、部屋をさっさと出て行ってしまった。

 空の缶を眺めながら、しばらく福良さんの言葉を頭の中で反芻した。

 ウマ娘と同じ雰囲気。

 なんとなく、ウマ娘の生霊にでも取りつかれたのかな、と思った。なんだそれ。間抜けすぎる考えに一人で笑った。独りの部屋に笑い声がむなしく反響する。

 ……いよいよ本当に頭がおかしくなったかもしれないな。

 

 

 

 

 復帰して数日がたった。

 第二応接室の妙に凝った敷き詰め模様の威圧的なクロスがじっとこちらを見つめてくる。

 この仕事で最も憂鬱な時間が始まった。生徒との面談だ。現状の再確認とか、将来に向けての話とか、まあそんなことを話す時間。 内容が重要な割に互いに実りのない時間だ。

 高級感のあるソファーが鎮座している。見た目はふかふかだが座ってみると期待を裏切る硬さ。きっと年季が入っているのだろう。

 子どもの頃は三者面談かなにかで、ここぞとばかりに嫌な話を振ってくる教師や親が大嫌いだったけど、今は自分がその立場に立っている。つくづく人生はわからない。教職なんてなりたくない職業の筆頭だったのに。

 よっぽどのもの好きじゃない限り、好き好んでこんな仕事に就きたいと思う奴はいないだろう。

 応接室にて、ラックリーターと向かい合わせに僕と竹中さんが座って対面していた。ラックリーターは一見普通を装ってはいたが、不安が嫌でもにじみ出ているようだった。無理もない、ほかでもなく彼女自身が自らの終焉の時を如実に感じ取っているに違いないのだから。

 

「引継ぎは終わったから、これからはまた安藤がお前の担当になる」

 

 ラックリーターの眼球が泳ぐ。

 

「……あの、大丈夫なんでしょうか」

 

 竹中さんの言葉に不安を浮かべるラックリーター。まあ確かに、怪我で長い間休養していた僕がこれからトレーニングを請け負うとなると、色々募る不安も心配もあるだろう。

 

「頭の傷はもうふさがったし、俺のことは心配しなくても大丈夫だよ」

 

 頭をさすって小さく笑みを浮かべる僕。

 

「あ、いや、トレーナーさんのことじゃなくて」

「……」

 

 悪かったな、勘違いして。そっと手を膝の上に戻した。

 

「何か心配事か」

 

 押し黙った僕の代わりに竹中さんがそう尋ねると、ラックリーターはこくりとうなずいた。

 

「次のレースも負けたら、私……その」

 

 ラックリーターの言葉尻が徐々にしぼんで消えると、耳に痛い沈黙が応接室を駆け巡った。 エアコンは冬以降止まったままだし、部屋に特にこれといった雑音はなかった。

 

「そうだな……親御さんとは何か相談したか?」

 

 ラックリーターは竹中さんの質問には答えず、俯いて目の前の机の上に向かって視線を一心に注いでる。

 

「とりあえず今はレースに集中しよう。その後のことはレースが終わってから考えればいいから」

「そうだな」

 

 僕の下手なフォローに、竹中さんがセロハンテープでもって貼りつけたような同意を示すが、ラックリーターは消え入りそうな声で「はい……」と答えるのみだった。そりゃあそうだろうけど全く励ましにならなかったらしい。トレーナーとして酷く申し訳ない。

 

「……それで、来週のトレーニングの予定だがーー」

 

 事前に話し合った今後のトレーニングプランの内容を竹中さんが話始める中、僕は腰かけていたソファの背もたれにゆっくり体重を預けた。

 その時。

 こめかみに頭痛が走った。

 

「……ッ!?」

 

 咄嗟に背もたれから背中を起こして、顔を上げた。だがあの時の影はどこにもいない。どこだ。どこにいる?

 窓。机。ソファー。よくわからない西洋風絵画に、ゴテゴテの額縁。

 竹中さんに、ラックリーター。

 何もない。何も変わりはない。

 なんてそうこうしているうちにいつの間にか頭痛も消えた。

 何だ今の。気のせいだったのだろうか?

 

「何か前兆のようなものがあるのかい?」

 

 後ろから声が聞こえて、驚いて振り返った。

 いた。

 そいつは当たり前のようにそこにいた。

 

「興味深いね」

 

 ラックリーターと話している竹中さん。後ろを向く僕。そして。

 竹中さんとラックリーターは素知らぬ顔で話の続きをしている。二人とも気が付いていない、いや、というより僕しか気が付いていない。二人には見えていないし、声も聞こえていないのだ。

 僕は二人に怪しまれないよう急いで正面に向き直る。その間に影は横を通り過ぎて、ラックリーターの真横に立った。いつかの時と全く同じ姿。袖余りの白いコートに黄色のセーターの勝負服。アグネスタキオンとうり二つの容姿。

 

「安藤くん、キミに頼みたいことがあるんだ」

 

 思わず話しかけたくなる衝動を必死に堪える。

 

「今度のレースに向けた軽い調整になるがーー」

 

 横目で竹中さんとラックリーターを流し見る。いつか地上波で見た質の悪い番組の企画で、このようなドッキリを見たことがある。自分にしか聞こえない不思議な声、みたいなアレだ。が、真面目で堅物の竹中さんの人柄からしてそんな企画に参加するはずがないし、何よりラックリーターが今そんな馬鹿な真似に加担する余裕があるとも思えない。

 

「もう一人の私をトレセン学園に引き止めて欲しいんだ」

 

 構わずに話し続けるアグネスタキオン。

 

「……」

 

 彼女が何を言ってるのかよくわからない。

 

「頼むよ。そうしたら、私は安藤くんの前から、

 

 ちゃんと消える」

 

 消える……?

 

「何をすればいい?」

 

 この状況を変える手立てがあるならたとえそれが藁だろうが蜘蛛の糸だろうがすがりたいという思いだった。だからだろう、アグネスタキオンの「消える」という言葉につい返事をしてしまった。

 返事をしてしまった。

 我に返ったときには、竹中さんとラックリーターがこちらを凝視していた。向こうからすればいきなり独り言を言いだした、という状況におそらくなっているのだから当然だ。

 

「さっきも言ったろう?」

 

 二人の困惑と疑念の視線にさらされながらも、耳はアグネスタキオンの発する言葉に集中していた。

 

「だから、私が留学するのを止めて欲しいんだって」

「どうかしたか、安藤」

 

 竹中さんが遅まきながら僕にそう言った。

 

「……いえ、何でもありません。失礼しました」

 

 

「お前本当に大丈夫なのか?」

 

 応接室を退出したあたりで竹中さんに本気でそう心配されて、慌てて弁明するしかなかった僕の元に、タイミングよく杉原が現れてくれた。普段は鬱陶しいことこの上ない彼だったが、今回は素直に感謝したい。

 

「竹中さん、何の話してたんすか?」

「何でもないよ」

「そうですか。あっ、それよりも聞きましたか例のうわさ」

「うわさ?」

「どうやら、アグネスタキオンがとうとうトレセン学園を辞めちゃうみたいなんですよ」

 

 ……。

 

「本当か」

 

 思わず聞き返してしまった。

 

「ああ、聞いた話だけどな。アメリカだとかに留学するらしい」

「そうか……」

「ま、長いこと怪我から復帰できなかったからな。……お前なんか知ってたのか」

「……いや、別に」

「まあ、俺たちにはあまり関係のない話だ」

 

 竹中さんの言葉が右から左に流れていく。

 アグネスタキオン。

 トレセン中退。

 留学。

 引き留める?

 頭の中にちりばめられた小さな歯車が、徐々にかみ合っていく。しかしかみ合えば合うほどその全容がわからなくなっていくような、もやもやとした、底の見えない不安に飲み込まれていく気がした。

 

 

 

 

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