ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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「あの、安藤さん」

「なんだ」

 

 高速に乗って京都へ向かう途中の、車の中。助手席に乗った幻影がおずおずと話しかけてくる。

 

「スピード出し過ぎなんじゃ……」

「いや、まだ120㎞/hしか出てない」

 

 タコメーターに一瞬だけ目をやってから、また目を離してそう答える。幻影は何か言いたげだったが、それ以上何も口をはさむことはなかった。

 

「あの、安藤さん」

「なんだ」

 

 暫くたってからまた幻影が話しかけてきた。

 

「ライスって、どうしてみんなから嫌われるのかなぁ」

「別に嫌われてなんかないだろ」

「そうかなぁ」

「まあ、強いて言うなら内気な割に年上で初対面の人に対してタメ口で話す所とか、ナチュラルに他人のこと見下してるところとかが鼻につくんじゃないかな」

「……」

 

 そんな風に雑談をかましつつ、車は法定速度を軽く超過したスピードで高速を駆け抜けていく。幸いにも渋滞には引っかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 ぎりぎり間に合った。

 

 階段を今しがた登ろうとしていたライスシャワーを、息も絶え絶えに呼び止めたとき、僕は心の底から安堵のため息を漏らした。

 

 京都レース場。

 警察の目を潜り抜け、快速でここまでたどり着いた僕と幻影は、車からを急いで降りて、シンザンゲートをくぐり抜け。立ち入り禁止の立て看板をぶち破り、ついに出走前のライスシャワーの目前までたどり着くことができたのだ。

 

 発走ギリギリ、紙一重のタイミングだった。ライスシャワーがあの階段の向こう側に行ってしまっていたら、もうどうやっても止められなかっただろう。

 

 しかし、問題はここからだ。

 

 一体どうやって彼女を説得すればいいか。いや、「今から出走を止めろ」なんてそんなことは不可能に近い。だから、どうやって彼女を()()()()()()()だ。

 

「ライスシャワー!!」

 

 僕が呼びかけると、ライスシャワーはハッとこちらに振り向いた。

 

「あ、あなたは……」

 

 見覚えがある顔に、ライスシャワーは「どうしてここにいるのか」という戸惑いが隠せないみたいだった。

 

「ライスシャワー、宝塚記念の出走は棄権しろ」

「ええっ!?」

 

 ぎょっと目を剥くライスシャワーに、少しずつ、少しずつ歩み寄る。ライスシャワーの出走を止める唯一の方法は、もはや力業しかないのだ。

 

「ど、どうして」

「誰よりもお前自身がよくわかっているはずだ。その状態での出走は無茶だって。レース中の事故は最悪死亡につながる怪我を負うリスクがある。体調が悪いならレースは出るべきじゃない」

「……」

 

 その時ライスシャワーの眼に怯えと警戒の色が浮かんだ。どうやらこちらの真の意図に気が付いてしまったらしい。

 

「あ、あの、これ以上ライスに構わないで」

 

 そういって、片脚を階段の一段目にかけた。今すぐにでも駆け上がれるように。

 

「今日は、みんながライスのレースを見に来てくれてるから。ライスが走らないわけにはいかないよ」

「お前を応援してくれているみんなは、お前がレースの途中で怪我をするのを見たいわけじゃない」

「怪我をするかなんて、あなたにはわからないでしょっ!」

 

 言った傍からライスシャワーは階段を上り始めた。

 

 拙い。

 僕はあとを追って駆けだしたが、どう考えても追いつけない。

 

「ライスのことは、放っておいてっ!」

 

 僕は最悪、彼女の身体に噛り付いてでも出走を止めるつもりだった。だけど、もうそれすらできないのか。

 

 僕は必死に階段を駆け上った。無理だ。人間がウマ娘の脚力に叶うわけがない。このままじゃ絶対に追いつけない。

 

 僕は目を閉じた。

 

 そして、最終手段に出た。

 

「――心伝(transmission)

 

 目の前を駆けていたライスシャワーが、不意に足を止めた。僕を介して、彼女の目の前に立って待ち構えていた幻影の姿を見たのだ。

 

「えっ」

「ごめんね」

 

 幻影はそのまま、ライスシャワーの肩を、そっと、しかし力強く押した。

 

「あっ」

 

 ライスシャワーの小柄な体躯が、宙に浮いた。下にいた僕はそれを咄嗟に受け止めて、

 

 

 

 強い衝撃が体中を駆け巡った。それきり、視界は暗転して戻らず――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると僕は病室に寝かされていた。

 

「気分はどうだ」

「史上最悪の二日酔いって感じです……」

「そうか」

 

 竹中さんは、手に持っていた見舞いの品である果物を小脇に置く。その横には、どうやら僕が寝ているときに来ていたらしい、他の人たちの品も置いてあった。

 

「災難だったな」

「ええ、まあ」

「お前は怪我が多い奴だなぁ」

 

 竹中さんはそう言って、僕の頭に巻かれた包帯を指さして笑った。

 

「笑い事じゃないですって」

「ライスシャワーから一通りの顛末は聞いてる。だいぶ混乱してて最初の方は支離滅裂だったけどな」

「……」

「一応お前にも確認しておく。ライスシャワーが階段で脚を踏み外して転落、下にいたお前がそれを咄嗟に受け止めた、ってことでいいんだな?」

「……はい」

 

 竹中さんの瞳の奥にあった少しの疑念から目をそらして、僕は返事をした。

 

「そうか……上はお前の行動を褒めているよ」

「……ライスシャワーは無事でしたか」

 

 竹中さんは曖昧に頷いた。それから、

 

「大事はないよ。ただ足を挫いたみたいでな、レースには出られなかった」

「そうですか」

「ま、見た感じだいぶ疲れが溜まってたみたいだし、ゆっくり休むにはいい機会だろう。それよりお前、なんであんな所にいたんだ?」

「ちょっと、観戦に……」

 

「そうか」竹中さんが大きく息を吐く「担当の娘たちがいたく心配してたぞ、早いとこ連絡入れてやれよ」

 

 スマホを確認すると、信じられない件数の通知が溜まっていた。ちょっとぞっとする。

 

「早めに入れときます」

「ああ、じゃあ、俺はもう帰るわ」

 

 そういって竹中さんは病室を出ていった。

 

「……」

 

 僕は窓際の椅子に目を向ける。

 

「よかったな」

 

 ぶっきらぼうにそう言うと、ライスシャワーの幻影はうっすらとほほ笑んだ。

 

「うん、安藤さんのおかげで、もう一人の私を助けることができたよ」

「……」

 

 駄目だこいつ、なんで僕が不機嫌なのかわかってない。確かに「止めろ」とは言ったよ?でもまさかあんな階段から突き落とすとは。

 アレ最悪僕もライスシャワーも死んでたからな?

 

「本当にありがとう……」

 

 でも、彼女の笑顔を見ていたら、まあ別にいいかと思ってしまった。

 

「お兄さまにもできなかったことを、安藤さんはしてくれたんだね」

「……いや、それは違う」

 

 僕は重い体を起こして、幻影と向かい合った。

 

「俺も本当に助けたかった人は助けられなかった」

「本当に助けたかった人?」

「……お前らのことだよ」

 

 僕はもう一人の方じゃない、幻影を見て、知って、話て、仲良くなったりならなかったりした。僕が助けたいと思ったのは、幻影たちの方なんだ。

 もうひとりのお前と、幻影のお前はやっぱり、どこか違う気がする。全く別の存在とは言わないけど、全く同一ってわけでもないんだろ?

 どれだけ僕が頑張っても、上手くやったとしても、幻影ら自身を救うことができたとは思えなかった。

 僕にはそれが酷く虚しいことに感じるのだ。

 

 僕は。

 

 僕は、本当はもううんざりだった。どうせ今回だって、こちらのライスシャワーは助けることができても、幻影の方はどうしてやることもできない、と。

 いつもそのギャップに心を苛まれていた。今回もそうなると思った。だから僕は、ライスシャワーの幻影が現れた瞬間、無意識のうちに心を閉ざしてしまったんだ。嫌いな奴まで助ける必要なんてない、ていう言い訳の蓋を使って。まあ結局、いつまでもその蓋をして心を閉じ込めておくことなんてできなかったのだけども。

 

「俺は、本当の意味でお前たちにしてやれたことなんて一度もない」

「ううん、そんなことないよ」

 

 ライスシャワーはあっさりと僕の考えを否定した。

 

「ライス、すごく救われたって思えるから。安藤さんは、私たちが別々の存在だって言ったけど、それは半分は間違えてるよ。私たちは、心でつながってるおんなじ生き物だから」

 

「だからね」と、ライスシャワーは続けて「そんなに悲しまないで?」

 

「……」

「本当に、ありがとうございました。……安藤さん」

「お礼なんてしなくていい」

 

 お礼なんていらない。感謝されたくない。

 どうせそれを口にした後、お前らは消えてしまうんだろ?

 

 案の定、幻影はふと瞬きをした間に、影も形もなくなってしまっていた。

 

 僕は、溜まった通知のことも忘れて、何もかも忘れたくてぼんやりと窓の外を眺めた。

 

 それでも、胸の奥に突き刺さった茨の棘が抜けることはなかった。多分、一生このままなのだろう。

 

 

 

 

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