ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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今更ですが「俺はウマ娘たちの熱いレースが見たいんじゃい」という方は拙著の「チェイサー」を是非読んでみてください。ライスシャワーとグラスワンダーがバチバチにバトる話です。


プロローグ

 

 

 

 

 僕は思いっきりバットを振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、バットは子気味のいい音を立てて、ボールは気持ちがいいくらいまっすぐ飛んでいった。

 

「中々どうしてデキるじゃないか」

「実は、ちょっと練習してきましたから」

 

 僕は竹中さんを誘って、郊外のバッティングセンターに赴いた。

 しっかり調べてサイズも調整した持参の金属バットがよく手になじんだ。買っておいてよかったよかった。それから僕は、もう何本かバットを振って、何回か空ぶってから竹中さんに打席を譲った。

 

「バッティングセンターなんて、何時ぶりだったかな」

 

 竹中さんは何度かバットを握り直して感触を確かめた後、僕よりもはるかにきれいなフォームでバットを振る。

 

「それにしてもまさか安藤から遊びにいこうだなんて言い出すとは、珍しいこともあったもんだ」

「まあ、たまにはこういうのも。それに、竹中さんにいくつか聞いておきたいこともありましたから」

「聞きたいこと?」

 

 ゲームが始まり、一投目が発射されるのをじっと待ち構える竹中さん。

 

「大したことじゃありません。僕もこれから自分のチームを持つことになりますから、その前に竹中さんから、心構えとか、アドバイスなんかを聞いておきたいと思いまして。この際ですし」

「そうか」

 

 竹中さんは飛んできたボールをかっ飛ばしながら、

 

「俺に答えられることなら、何でも答えてやるぞ。無礼講だ」

「そうですか、じゃあ、竹中さんってトレーナーになって何年になるんですか?」

 

 僕がそう質問すると、竹中さんの笑い声が聞こえた。

 

「おいおい、そんなことが聞きたいのか」

「はい」

「そうだなぁ」

 

 ボールが再び飛んできて、バットを振り、それから竹中さんは一息ついた。

 

「確か、十数年かそこら、かな」

「竹中さんが仕事で後悔する時っていうのは、どんな時ですか」

 

 僕は矢継ぎ早に質問を続ける。

 

「それは、聞かなくてもわかるだろ。担当の娘を勝たせてやれなかった時だよ」

「じゃあ、今までの職務で一番後悔していることは?」

「色々心当たりがあり過ぎて、一番ってのはパッとじゃ思いつかないな」

「初めて担当した娘のことを覚えていますか?」

「……」

 

 徐々に速くなるボールが宙を飛び交う中、僕はバットを構える竹中さんを見据えた。竹中さんは次に目の前を飛んできたボールを、そのまま見逃した。

 

「安藤。聞きたいことってなんだ」

 

 竹中さんは、やはりこちらを見ずに、今度は逆に質問を返してきた。

 

「二年前の事件で、僕を襲った犯人についてです」

「あの頭のやつか。何か思い出したのか?」

「いえ。でも、僕を襲った犯人に心当たりがあるんです」

「そうか」

 

 竹中さんはもうバットを振ろうとはしていなかった。

 

「竹中さんは、犯人が何故僕を襲ったのだと思いますか?」

「さあな」

 

 あの事件があった時、僕の人間関係は警察によって徹底的に洗われた。だが、犯人らしき人物は一人も浮上してこなかった。つまり僕に対する私怨による、僕と関係のある人物の犯行である可能性は低い。

 

「その他に僕が襲われた理由があるとすれば、それは行き当たりばったりの通り魔的犯行、ということになります」

「じゃあ犯人の特定なんて不可能じゃないか」

 

 全く持ってその通りだ。僕だって、他でもない犯人自身からのリークがなければ心当たりすら思い浮かばない。

 

「犯人が僕の属性に着目していた、としたらどうでしょう」

「どういうことだ」

「僕が()()()()()()()()襲った、という可能性ですよ。犯人は僕たちトレーナーに恨みを持っている人間、いや、ウマ娘です」

 

 僕が顔を少しだけ上げると、竹中さんは目頭を押さえて眉を顰めていた。

 

「それはお前の妄想に過ぎない」

 

 まあ、竹中さんの言う通り、()()()()()()()その可能性が高いだろう。僕は竹中さんの斜め後ろに立っている彼女に少しだけ目を向けた。

 

「そうですね。でも、もし僕の考えが正しければ、犯人はまた再び現れるかもしれませんよ」

 

 犯人はトレーナーに対する恨みを晴らすために、僕を殺すつもりで犯行に及んだ、が犯人はすんでのところで良心からか二の足を踏んでしまった。結果僕は重傷を負ったものの死亡には至らず、犯人は犯行を中途半端にしか成し遂げることができなかった。

 

「犯人がトレーナーに対する私怨を再燃させれば、また再び僕の時のような凶行に及ぶはずです」

「あれから二年も音沙汰なかった。犯人はビビッてもう表には出てこないんじゃないのか」

「何かきっかけがあったとしたらどうです」

 

 例えば、ラックリーターのURAファイナルズの勝利者会見、とか。

 

「どれだけレースに興味がないって人でも、あのインタビューだけは嫌でも耳目に入ってくるはずです」

「お前の姿も、質問に答える姿も確かに地上波に流れている。それを見た犯人がどう思うかは、まあ想像できなくもないな」

「会見に映っていたトレーナーは僕だけじゃないですよ。僕と他のレグルスのサブトレーナー」

 

 そして、何よりチーフである竹中さんだ。

 

「……」

 

 竹中さんが鋭い眼光で僕を睨んだ。

 

「俺と何か関係があるって言いたいのか」

「思い当たる人物はいますか?あなたの元教え娘の中に、トレーナーに恨みを抱いていそうな娘は?」

 

 僕は竹中さんの追及には答えず、逆に質問を質問で返した。竹中さんの機嫌がどんどん悪くなっていくのがよくわかる。

 

「初めて担当した娘のことを覚えていますか」

「……ああ」

「レッドカグヤですよね」

「……」

 

 返事はなかった。僕は構わずに続ける。

 

「僕が独自に調査した結果、彼女が僕を殴った犯人、かもしれません」

「……」

「そして例の会見が引き金で、また同じ犯行を繰り返す、かもしれません」

「なんでそんなことが分かる」

「わかりませんよ。だけど、もし僕の想像が当たっていた場合、事が起こってからじゃ何もかもが遅い」

 

 そう、何もかもが遅いのだ。

 これからまた同じような事件が起こる。僕の時のように、夜道で襲われるトレーナーが現れる。そして今度こそ僕のような奇跡は起こらない。そうなってしまってからでは、彼女にそんなことをさせてしまってからでは、致命的に何もかもが遅いのだ。

 

「竹中さん、騙されたと思っていていいですから、僕に協力してくれませんか」

 

 ドラマなどいらない。

 

 全てが起こって収拾がつかなくなる前に、僕と竹中さんで事態を収束させる。誰の目にも触れさせずに。

 

「レッドカグヤを説得しに行きましょう」

「安藤。常々言ってるよな」

 

 僕が差し出した手を、しかし竹中さんはじっと見据えてとらえようとはしなかった。

 

「余計なことには余計に首を突っ込むなって。人の恨みってのは、お前が考えているほど甘くない。話し合えば何もかもが消えてなくなるわけじゃない。むしろ会うことによって火に油を注ぐ結果になりかねないぞ」

「それはそうかもしれませんけど……」

「お前だって、今までに何人くらいかはいるだろ、嫌いな奴とか、恨んでる奴に。お前はそいつらと会って、ちゃんと話をすれば和解できるのか?いや、しようと思うのか?」

「……」

 

 竹中さんの言う通りだった。嫌いな奴、苦手な奴、恨んでいる奴。生きていれば必ず現れるその彼らと、僕はもう一度会って話がしたいだろうか。いや全く思わない。そういう肌の合わない他人とはなるべく距離をとって生きていくのがコツだと、散々学んだ。

 

「そうだ。そして話し合いで解決できることなんて、実際の所ほとんどない。言って聞かせられるのは、理不尽に耐えられる小さい子供だけだ。仮に、仮にだぞ、お前の言う通りカグヤが犯人だったとして、俺たちじゃ絶対に彼女を止められない」

 

 バッティングセンターにいる他の客たちは、一向にバットを振ろうとしない僕たちのことがいい加減気になり始めているらしい。だけど当の僕たちは、そんな些事には気にも留めなかった。

 

「安藤、忘れよう。どういうわけでカグヤのことを嗅ぎつけたのか知らんが、きっと杞憂だぜ」

「そうですかね」

「ああ、そうだ」

「杞憂じゃなかったらどうするんです」

「どうもしない。俺たちじゃどうにもできない。話し合っても、ヒトの根っこの部分は何も変わらない。変えられないんだ」

 

 変えられない、か。年を食えば食う程痛感する。どうあがいても自分は変わらないし変えられない。でも、だからこそ。

 

「……変えられないからこそ、変わらないものがあるんじゃないですか」

「あぁ?」

「竹中さんと、レッドカグヤの間にあった思い出は、決して辛いものばかりではなかったはずです」

 

 二人の間にあった絆も、きっと変わらず残っている。レッドカグヤの写真を財布に入れて持ち歩いている竹中さんの中にも、僕の前に幻影として姿を現した彼女の中も。

 

「僕の事件を抜きにしても、竹中さんは本当にこのままでいいんですか。レッドカグヤのことを放っておいても」

「……俺は、もういいんだ。あいつとのことは」

「……竹中さん」

 

 僕は歩いて竹中さんの目の前に移動し、それから顔を近づけた。

 

「竹中さんはトレーナーでしょう?だったら担当を、レッドカグヤを守る義務があるはずだ」

 

 僕は、暗く沈んだ目を、じっと竹中さんの眼に向けた。

 

「トレーナーとしての責務を、全うしてください。彼女を、レッドカグヤを助けてください。それができるのは竹中さんだけです」

 

 僕と竹中さんはしばらくそのままだった。

 竹中さんは即答しなかった。

 が、しばらくたってから、がっくりと肩を落とした。

 

 つまり、彼は僕の説得に折れたってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カグヤの実績から、ドリームへの参入はかなり微妙なラインだった。ああいうのは世間からの注目度も影響してくるからな。その点レッドカグヤは、実力はあったが比べて人気の面では若干薄かったんだ。そんな折に、アイツはある取引を持ち掛けられた」

「取引ですか」

 

 車を運転しつつ、僕は竹中さんの話を聞いていた。

 本当はその仔細を僕は把握しているのだが、無用な口出しはせずに、竹中さんの独白に相槌を打ちながらも基本的には静かに耳を傾けていた。

 

「ドリームへの参加を盾に、カグヤに手を出しやがった奴がいた」

 

 ()()()()、か。

 

「カグヤは俺に相談せずに、奴の提案に乗っちまった。だけどその内耐えきれなくなって俺に事情を打ち明けた。俺は怒って奴を問い詰めた。そして絶対に許すつもりはなかった。……その時の俺は、担当を傷つけられたという怒りから義憤に燃え盛っていた。それが最悪の選択だとも気づかずにな」

 

 竹中さんのいう「奴」は、曲がりなりにもレッドカグヤをドリームに参入させるよう口利きできるだけの力を持っていた。あろうことか、竹中さんは何の後ろ盾もなしに、そいつに真っ向から喧嘩をうったのだ。

 

「奴は名家の出自だったんだ。だからURAの人事にも口出しできた。俺はそういったことに疎かった。俺が奴の所業を訴えた時、URA側はもう、徹底抗戦以外の選択肢がなかった。向こうはもう少し穏便に済ませることもできたはずなのに。あれは俺が招いたことだ」

「……」

「結果、俺とカグヤは徹底的に潰された。レッドカグヤは学園を追われ、俺も退職一歩手前まで追い詰められた。かばってくれた人がいた御蔭で、俺は今もこうしていられるわけだが、アイツを庇ってやれる奴は誰もいなかった。俺があいつの味方をしてやらなければならなかったのに、俺は、結局何もできなかった。いや、しなかったんだ。俺には真っ向から戦う力も、勇気もなかったんだ。なのに、半端に手を出して、カグヤを酷い目に合わせちまった。俺はほとぼりが冷めるまで、あいつに会うことすらできず、今日までのうのうと生きてきたってわけだ」

「だから、レッドカグヤは僕たちトレーナーを恨んでいる、ということですね」

「俺のこともな」

 

 竹中さんの身体が助手席に深く沈んでいく。

 

「なんであいつにまだ殺されてないのか不思議なくらいだよ」

「そこです。僕はそれに賭けてるんです」

 

 ウィンカーを出しつつ、僕は竹中さんに顔を向ける。

 

「彼女の行動にはまだ迷いがあります。きっとそこに付け入るスキが」

「俺はないと思うけどなぁ」

 

 最早半身がシートに埋もれるほどに落ち込んでいる竹中さんに、僕は励ましの言葉を投げかける。

 

「大丈夫ですよ、頑張ればきっと」

「頑張ってどうにかなる問題じゃねぇと思うけどなぁ」

「……チッ」

「舌打ちされたぁ」

 

 ……まあ、仮に説得に失敗したときは、いよいよあれの出番だな。と、後ろに積んでおいた金属バットに意識を向けて、それから大きなため息をついた。

 

 出来れば使いたくない。アレの出番がないことを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒塗りのヘルメットをかぶったウマ娘は、駐車しておいたバイクに手をかけた。その瞬間まで、結局彼女の心を蝕んでいた虚無感や絶望が晴れることはなかった。

 

 最後までやり遂げることができれば、この靄が晴れるのだろうか。

 

 そんなことはないだろう。心の底では自分のやろうとしていることの愚かさをよくわかっていた。

 でももう止まらない。二年前に実行してしまったあの日から、胸の内に燻る絶望は消えることはなかったのだから。

 

 彼女にはもう、これしか残されていないのだ。

 

 手に持ったバールを、握り締めた。夢も希望もない。あるのは絶望だけ、そしても向かう先は破滅。

 

 彼女はそれから、意を決して、というにはあまりにもネガティブな感情のまま、バイクにまたがろうとした。

 

 その時だ。

 

「カグヤ」

 

 

 ありえない人の声を聴いたような気がした。

 

 振り返ると、トレーナーがいた。随分年を取ってしまったけれど、決して間違えようのない懐かしい顔が。

 

 咄嗟にうつむいた。今の自分があまりにも情けなくて、恥ずかしくて直視できなかった。

 

 一体彼は、いまさら何をしに来たのだろう。

 

「カグヤ、話があるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルメット越しに、竹中さんとレッドカグヤが互いに向かい合った。僕はそれを竹中さんの後ろから少し離れたところで見守った。状況からして、やれやれぎりぎり間に合った、ってところだろう。

 

「……」

 

 二人は無言で見つめ合っていた。このまま陽が沈むまでそうしているのではないかと思うくらい、お互い微動だにしなかった。

 

「……お前に謝らなけりゃならないことがたくさんある」

 

 最初に話始めたのは竹中さんの方だった。竹中さんは懐を手探りしつつ、

 

「たくさんあるけど、まずは、これを謝らせてくれ」

 

 そして、取り出して手に取った財布の中から、写真と、封筒を取り出した。

 

「約束、守れなくてゴメンな。……一緒に行くはずだったのにな」

 

 カラン、と。

 

 遠くの方で音がした。彼女が、手に持っていたバールを落としたらしかった。それと同時に、僕は思い出した。あの封筒の中身を。

 

 僕はあれと同じものを、一年ほど前に手にして、今も財布の中に入れて持っていたことをすっかりと忘れていた。

 

 あれは確か、リーターと二人で商店街を歩いていた時のことだった――…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、トレーナーさん。見てください、福引やってますよ!」

 

 商店街の一角を指さしながらラックリーターがそんなことを言って、ようやくポケットに入れていた福引券のことを思い出した。

 

「さっき買い物でもらった福引券って、もしかしてアレの福引に使えるのか?」

 

 僕が少しだけ丸まった福引券を取り出すと、ラックリーターは「おおっ」と声を上げる。

 

「……福引、やるか?」

 

 ジィっと手元の券を穴が開くほど見つめてくるラックリーターに気を使ってそう聞くと、彼女の機嫌が途端によくなった。

 

「いいんですか?トレーナーさんのなのに」

 

 どうせ受け取る気は満々のくせに、白々しい気の使われ方をされて、僕は苦笑いを隠し切れない。まあ、そういうところも普通で可愛げがあるといえばそうなのだけど。

 

「いいよ。福引には興味ないし」

「そうなんですか?じゃ遠慮なく……。あの、福引一回、お願いします!」

 

 僕から券を受け取ると、ラックリーターが勢いよく抽選機のレバーを回す。

 

 すると――…。

 

「何とっ!」

 

 店員のおじさんの眼がクワっと見開かれる。それから手元のベルを勢いよく振り慣らした。

 

「おめでとうございまぁぁぁぁす!!」

「うるさっ」

「特賞『温泉旅行券』でましたぁ~~~~!!」

「……えっ?」

 

 甲高く鳴り響くベルの音に耳を押さえる僕と、素っ頓狂な声を上げるラックリーターに構わず、おじさんは謎の封筒を手渡してくる。

 ラックリーターと僕はは図らずも特賞の『温泉旅行券』を獲得した。

 

「おお、よかったな」

「こういうのって、本当に当たるんですね……。特賞なんて最初から入ってないものだと思ってました」

「はっはっはっはそんなわけないよお嬢ちゃん」

 

 店員さんの眼が一瞬泳いでいたのを僕は見逃さなかった。どうやら抜いていた時期があるみたいだな。

 

「友達でも誘っていけばいいんじゃないか」

「えっと、うーん……」

 

 ちらちらとこちらを見てくるラックリーターに、ああなるほど、と合点がいく。

 

「俺のことは気にしなくていいから。券はお前に上げたんだよ」

「そうですか?」

 

 「じゃあ遠慮なく友達と行ってきますねっ!」という幻聴が思わず聞こえてくるくらい、わかり切った未来を僕は予想していたが、意外にもラックリーターは、

 

「でもこれ、トレーナーさんと一緒に当てた券ですよね。やっぱり私だけがつかうっていうのは……あっそうだ、トレーナーさんと一緒に温泉に行くっていうのはどうですか?」

「はぁ?」

 

 正気を疑うようなラックリーターの提案に、僕は思わず呆れたような声をだした。

 

「無理だろ……コンプラ的に……」

「トレーナーさんって、ホントそーゆうとこ気にしますよね」

「そりゃ、まあ」

「コンプラだかテンプラだか知りませんけど、折角二人で当てた旅行券なんですから、二人で行きましょうよ」

「うーん」

「あ、でも今すぐは無理ですよね。いろいろと忙しい時期ですし」

 

 ラックリーターはそう言って券を僕に手渡してくる。

 

「しばらくは預かっててもらえませんか?落ち着いたら二人で行きましょう。約束ですよ?」

「本気か?」

「いいからいいから」

 

 無理やり手渡してきたそれを、僕は渋々と財布の奥底にしまっておいたのだった――…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「安藤、待たせたな」

 

 僕が財布から温泉旅行券を取り出して眺めていると、戻ってきた竹中さんが車に乗り込んできた。

 

「竹中さん、上手くいったんですね」

「……そうだな」

「そうですか」

 

 僕と竹中さんは、そろって大きく息を吐いた。

 

「何とかなりましたね」

「……ああ。お前のおかげだ。本当にありがとう」

「いえ……」

 

 お礼ならもうもらいましたよ。ついさっき。

 

「それにしても、本当によかったんですか」

「んっ?何がだ」

「自首のことですよ」

「よくはないが……本人が言い出したことだ。仕方ないだろ」

 

 レッドカグヤは結局、自分の罪(僕を殴ったこと)にたいして、ちゃんと向き合って清算することを決めたのだった。僕は気にしなくてもいいといったのだが。

 

「しかし、自首とはいえ殺人未遂か。実刑判決は免れないな」

「それはどうでしょう」

 

 遠い目で担当の行く末を憂う竹中さんに僕は、

 

「客観的に見て彼女に殺意がなかった、と証明することができます。僕が死んでないことがその確たる証左ですよ。ウマ娘である彼女が本気で殺すつもりで僕を殴ったのだとすれば、僕の首は胴体とお別れしてたはずですからね。重傷で済んだという事実が、彼女に殺意がなかったことの何よりの証明になるはずです」

「うーん、まあ」

 

 竹中さんはあきれたような目で僕を見て、「お前はしたたかな奴だなぁ」と呟いた。どういう意味だろう。

 

「僕との示談も成立させれば、二年もたってほとぼりが冷めてから自首したということも鑑みて、彼女の罪はかなり軽くなるはずですよ。まあそれでも色々と苦労はするでしょうけど」

「そこはあいつも腹を決めてるみたいだ」

「そうですか」

 

 一呼吸おいてから、僕は竹中さんに顔を向ける。

 

「今度はちゃんと味方してあげてくださいよ」

「もう二度と独りにはしないさ」

 

 竹中さんは鷹揚に応えて、それから僕に頭を軽く下げた。

 

「ありがとう、本当に、お前のおかげだ」

「……」

 

 終わった。

 

 事が起こる前に、すべてを解決することができたのだ。

 

「それにしても、お前がバットを握り締めて後ろをついてきたときは、俺はもうだめかと思ったぞ」

「どういうことですか」

「いや、お前に殴り殺されるのかと思って」

「いやいやそんなことするわけないじゃないですか。あれは」

 

 僕は後頭部を掻いた。

 

「もし話し合いが決裂したときに、せめて僕だけでも竹中さんを守ろうかと。これでも竹中さんには色々感謝してますから」

 

 まあ、実際そうなった場合、あんなもの役に立たないだろうけど。

 

「なるほどなぁ」

「はい」

 

 竹中さんはそれきり、黙りこくった。ふと隣を見ると、彼は眠ってしまっていた。

 無理もない。彼女との話し合いは数時間にも及んだのだから。

 

「……」

 

 僕ものびをして、背もたれに寄りかかった。

 

 これで僕も、ようやくゆっくりできる。

 

 ラックリーターとの約束も、果たさないとだな。

 

 なんて、そんなことを考えていた時だった。

 

 電話が鳴った。

 

「はい、もしもし」

 

 何気なく取ったその電話から聞こえてきた言葉に、僕はカクンと顎が落ちた。

 

 

 信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はその電話でようやく、ラックリーターが交通事故にあい、意識不明の重体に陥っていることを知ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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