母親の住所、寂れたアパートまでたどり着いた僕は、ドアの前に立ってインターホンを鳴らした。が、応答はなかった。どうやら留守らしい。
「……」
ドアノブを回したが、鍵がかかっている。
「残念だったわね」
幻影の言葉を無視して、僕は周囲を軽く見渡した。他の住人の気配はない。
「サンバイザー」
僕は幻影の方を振り返った。
「
「嫌だわ」
「お前だって、母親の行方が心配なんじゃないのか」
「……」
サンバイザーはしばらくむすっとした態度を頑としていたが、その内呆れたように耳をぐるりと回しながら、ドアの方へ歩いて行った。
ガチャリ、と鈍い音がした。
「……」
ドアを開けて中に入ると、まず初めに乱雑に置かれたごみ袋の数々が目に入った。中身の入ったまま放置されたフライパン、机に置かれたまま仕舞われていない化粧品。空き缶やペットボトルに、空の弁当箱。
脚の踏み場がない、という程ではないものの、生活が荒れている。
「……」
机の上にばらまかれていたカード類の中から名刺を見つけると、それを手に取って確認する。おそらく現在彼女が働いている職場の物だろうが……この派手な名刺は、もしかしてキャバクラか?
暫く部屋の中を散策していると、ふと戸棚に立てかけられていた写真立てに目が入った。母親らしき人物と、幼いサンバイザーの二人が笑顔で写っている。どうやら娘のことを大事に思っていなかった、というわけでもなさそうだった。
「ねぇ、中央のエリートさんがこんなことしていいの?」
「いいわけないだろ……」
幻影の突っ込みに思わず頭ががっくりと落ちそうになるのを堪える。
それにしても、とうとう不法侵入かよ……。一昔前まで自分が犯罪者になるなんて想像もしてなかったな。
「何やってるのよ、あなた」
本当、何やってるんだろうね。
〇
「サンフレアさんは……来てませんね。もう一週間は無断欠勤しています」
名刺から母親の職場をたどった僕は、店の適当なボーイを呼んで事情を話し彼女の行方を聞いた。すると以上のようなそっ気のない言葉が返ってきた。
「ウマ娘って国からの補助金でも十分に生活できるでしょうし、働く気力なくなったのかなって思いますよ」
「……」
確かにウマ娘には国からある程度の支援を受けているが、食費などを考えると十分とは言い難い。生きていくのに人よりも燃費の悪いのがウマ娘なのだ。
「……職場に来なくなった、他の理由は思い当たりますか?」
ボーイは顎に手を当てて考え込んでいたが、
「ああ、そういえば最近悪い男に捕まって、クスリやってるって噂は聞いたことがあります」
「その男の素性は知ってますか?」
「さぁ……なんか、TONYとかいう名前でDJやってるってくらいしか……。確か近くのクラブでイベントしてたはずですから、店の人に聞けば連絡先が分かるかもしれません」
「わかりました、……色々ありがとう」
「どうも」
ボーイの若い男は特に表情を変えることなく、
「サンフレアさん、見つかるといいですね」
「……はい」
きっと、失踪何て彼にとっては珍しいことでもなんでもないのだろう。
〇
『わかりましたよ安藤さん、DJ TONYこと本名滝蓮人。SNSから現在地まで特定しました』
松尾さんにDJTONYの特定を頼んだところ、僅か十数分ほどで連絡が返って来た。
『いやぁ中々チャラいお人ですよコイツ。確か大学のサークルで昏睡レイプ事件起こした奴です。こんな人に用があるんですか?』
「ああ、悪いな。急な頼みで」
『いえいえ、それにしても、今は会いに行かないほうがいいですよ。
「ならなおさら、いかないわけにはいかないな」
『いいんですか、こんなことしてて』
「いいから、今いるところを教えてくれ」
暫く電話越しに沈黙が走った後、松尾さんは仕方がなしといった具合に、
『霜月ってバーの二階のラウンジです。踏み込むときは十分気を付けてください』
とだけ言った。
「ああ。ありがとう松尾さん」
『……安藤さん』
松尾さんは若干優しさを帯びた声で、唐突に『今度飲みに行きませんか』と言い出した。
「どうした急に」
『なんとなくそういう気分になりまして』
「まあ、そうだな……落ち着いたら、な」
『ええ、それでは』
ブツリと電話を切り、顔を上げると、しかめ面のサンバイザーと目が合う。
「安藤さん、なんでこんな危ない真似するのよ。何も得なんてないのに」
得か。得ならあるさ。
「リーターを助けることはできない……だけど、お前は助けられるかもしれないだろ」
「バカみたい。所詮他人なのに。普通ここまでする?犯罪までして」
「さぁな。他人のためじゃなくて、自分のためなのかも」
どっちでもいいけどな。
「ふぅん」
幻影は一歩身を引いた。が、いぶかし気な目を止めなかった。それから少しだけ口元をゆがめた。
「そんなに私を助けたければ、安藤さんがドナーになればいいじゃない」
幻影はそんなことを僕に言った。
「生体間移植は親族じゃないとできないそうだ」
「腎臓は死後でも移植できるでしょ?」
……。
「詳しいんだな。それで、何が言いたい」
「べ、別に……」
きまり悪そうにサンバイザーをいじり始める幻影に、僕は言った。
「仮に死後でも、ウマ娘じゃない俺の臓器は使えないよ。それくらいわかってるだろ」
「……もし使えたら、安藤さんはどうしてたのよ」
さぁ。
それは、その時になってみないと分からない。
〇
例のバーの前にて、僕は二の足を踏んでいた。
バーの二階は、ヤバい連中の集まりらしい。そんなところにスーツ姿の僕が突っ込んでいったら、たちまち取り囲まれるだろう。
「大丈夫なの?」
「いや……どうしたものかな」
「あのさ……」幻影はわざとらしく咳払いしながらも、「私も協力しましょうか?」
「なんで?」
「あ、危ない奴らのたまり場なんでしょ!私の協力が必要じゃないのよ」
「いや、そうじゃなくて、なんで急に乗り気なんだよ」
幻影はジトッとした目つきになった。
「私が気に入らないだけよ」
「ああ、そう……」
僕とサンバイザーはそろって顔を引き締めた後、クローズの看板がかかったバーの中に入っていった。
「あの、ウチは今営業してません!」
「二階はやってるんじゃないのか」
「ちょ、ま」
慌てた様子の店員を無視して、僕は二階へ上がっていく。すると、なるほどどんどん騒がしくなってきた。とんだバーがあったものだな。
「入るぞ」
店員に申し訳程度に断わりをいれてから、僕は二階の部屋に入った。
部屋の中は……まあ、詳しい描写は避けよう。簡単に言うと「乱交パーティ」って感じだ。
中で楽しんでいたらしい男どもが一斉にこちらを向いた。そして、その中のリーダー核らしい人物が近づいてくる。
「誰だよこんなやつ呼んだの」
「いやよんでねぇぞ」
「サツか?」
一気にざわざわとしだす周囲に若干気圧されつつも、近づいてきた男に母親の居場所を問いただす。
「サンフレアってウマ娘を探してる。心当たりはないか」
「知らねぇな。なんだよお前」
威圧するかのように顔を寄せてきたその男の顔を間近で見て、僕ははたと気が付いた。
「お前、滝蓮人か?」
「あぁ?」
「へぇ、お前が」
僕は滝蓮人を睨んだ。
腕が反射的に滝蓮人の首を掴んで、男の身体を片手で持ち上げる。滝蓮人は苦悶の表情を浮かべた。あまりに直情的過ぎる行動に、自分自身が驚いている。胸中に渦巻くこれは僕の怒りなのか、それともサンバイザーの怒りなのか。
「おいてめぇ!!」
仲間の一人らしいガタイのいい男がこちらに殴りかかってくるのが見えた。僕はそいつに向かって滝蓮人をぶん投げた。
べげぇあ、という謎のうめき声が上がった後、二人とも動かなくなった。
「で、サンフレアはどこなんだ?」
どうやら彼らの仲間意識は大したことがなかったらしい。その場にいる全員が奥の方を指さした。
「……」
果たしてサンフレアはそこにいた。僕は適当な布をその場から拝借して彼女にかぶせると、彼女を負ぶってその場を後にする。
「……五分経ったら通報するから、早く家に帰れ」
去り際に、おそらく未成年も交じってるだろう集団に向けてそう言い放った。ドアを閉めると、中からどたどたと、一斉に動き始める音が聞こえてきた。
「よかったの?」
「ああ」
「もっと暴れてもよかったのに」
「俺は嫌だな」
サンバイザーとの
〇
怪しさが爆発している二人組を、何も言わずに乗せてくれたタクシーの運転手に感謝しつつ、僕はサンフレアを彼女の自宅に連れた。
ほぼ全裸同然の彼女に、更に毛布やらをかぶせてやり、それから水も飲ませて介抱してやったが、一向に意識が朦朧としていて回復の兆しを見せない。
「ママ……」
幻影の悲しいだか呆れただかわからないつぶやきを耳にした。
「薬が抜けきってないのかな」
どちらにせよ、こんな状態で手術など到底無理だろう。
「坂上さんを呼んで、帰るか」
「いいの?それで」
「ああ、これ以上俺にできることはない。それに、彼女を刑務所にぶち込むのがお前のためになるとは思わんしな」
結果的にどちらが正しいのかは、わからないけれども。
「坂上さん、ドナーの女性を見つけました……」
電話をかけている間、サンバイザーはじっと母親を見つめていた。
悲し気な表情をかすかににじませながら。
〇
私がトレーナー室で丁度雑務を終わらせ、昼でも食べに行こうと外に出た時だった。
スマホでニュースを確認していたところに、あのあほの杉原から、珍しく着信が入った。
「……何?」
電話に出た私に、杉原は似つかわない落ち着いた声色で話しかけてくる。
『おう、福良。実は安藤の様子がおかしいんだよ』
「ずっとおかしかったでしょ」
『そうじゃなくて。……なんか、嫌な予感がするんだよ。俺じゃダメだろうから、お前からあいつに話を聞いてやってくれねぇか』
何時になく真面目な杉原の頼みに、私は特に茶化すことなく了承した。
「わかった。明日、会いに行ってみるから」
『おう、……あっ』
電話を切る直前、杉原は私に『頼んだぞ』とだけ言って、それからすぐに電話が切れた。
「……」
電話が切れると、スマホの画面は元のニュース記事を写していた。『ダークホースマン』ラックリーターの事故を取り扱った記事だった。
……いや、もはや彼女は大穴未知数のダークホースマンではない。もう、彼女が戻ってくることはないのだから。
私は空を見上げた。雲一つない、一面真っ青の快晴だった。
真っ青に染まった、無限に広がる虚空。
いつもなら少しは気分の良くなるはずの真っ青な空が、今日だけは憂鬱だった。
〇
「こんにちは」
外はもうすっかり陽が落ちてしまっている。
僕が中に入ると、ベッドの上に寝かせられていたサンバイザーは、緩慢な動作でこちらを見た。
「こんにちは」
それから、平坦な声であいさつを返してくれた。
「さっき君のお母さんに会ってきたよ」
「そうなんだ。今日はママから腎臓をもらう手術をするの」
少しだけ僕から目をそらしながら、サンバイザーは続けた。
「だけどママが来ない」
サンバイザーは、始終何かを堪えるような、或いは諦めているような顔をしていた。
「きっとママは私の事嫌いになったんだ」
「それは違うよ」
僕はとっさにそういった。
「お母さんは病気になってしまって、それで来られないんだ」
「治るの?その病気」
「頑張れば、治ると思うよ。だから君も頑張って」
「うん」
「……ああ、そうだ」
僕は財布を取り出して、中から封筒を引っ張り出した。
「これ、少し早いけど快復祝いだ」
そういってその封筒をサンバイザーに渡した。
「温泉旅行券だよ。手術が終わって元気になったら、お父さんとお母さん、みんなで行くといい」
「ありがとう」
僕は部屋を出ていこうとした。すると、サンバイザーが「お兄さん、どうして病院にいるの?」と聞いてきた。
「ああ、俺は……」
「もしかして、お兄さんも病気なの?」
「えっ?」
「病気に見えるよ。大丈夫?」
……。
「ああ、大丈夫だよ」
そういってから静かに、ドアを閉めた。
次が最終話です。
もうすぐ投稿します。