ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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プロローグ

『さぁ、そこで抑えるような恰好……

 

 

 あぁ、ちょっと……

 

 サイレンススズカ!サイレンススズカ!サイレンススズカに故障発生です!なんということだ!4コーナーを迎えることなくレースを終えたサイレンススズカ!沈黙の日曜日!』

 

 第118回天皇賞秋 一枠一番サイレンススズカ。

 

 競争中止。

 

『驚きましたオフサイドトラップ八歳馬!三連勝で盾の戴冠、1分59秒3上がりの3ハロンは36秒5。……そして心配なのはサイレンススズカ、悲劇は4コーナーの手前でーー』

 

 左脚手根骨粉砕骨折。

 

 

 …

 

 

 それ以来、私は二度と走ることができなくなった。

 

 もし、もしもあの時誰かが手を差し伸べてくれたのなら。

 

 そんなかなわない夢を、私はずっと願い続けていたから。

 

 

 

 

「最近のラックリーター、調子いいな」

 

 何人ものウマ娘がトラックの上を駆け抜けていく。僕と杉原はいつものように時計片手にその様子を眺めていた。

 

「そうだな……」

 

 ラックリーターはちょうど向かい側の直線に入るところだった。もうかなり長い距離を走っていたにも関わらず、彼女の脚色は衰えないどころか更にその勢いを増した。

 

「フォームが、改善されたから……か?」

 

 杉原はそっと後ろを覗き見ていた。視線の先には福良さんが、コースぎりぎりに立って練習風景を眺めている。

 

「まさか、この時期に本格化が来た……ってことはないよな」

「どうかなぁ。個人差あるし判別も難しいからなぁ」

 

 ラックリーターの走りは、誰の目から見てもいい方向に変化している。息の入れ方がうまくなったのか、後半での伸びに目を見張るものがある。

 

「次のレースも何とか勝てるかもな」

「……」

 

 それはどうだろう。確かにラックリーターの走りは改善されつつある。だが、次のレースまで時間がない。あと二、三か月あればちゃんとしたスケジュールを組めたかもしれないが、そんな余裕はなかった。

 

 今までの対戦相手とは違い、次に戦うのは何人ものライバルを押しのけて一着を手にしたことのある猛者だ。

 

 ラックリーターの走りは、悪くはないがあと一歩勝ちきることができない。

 

 トレーナーとしては決して楽観できない現実がそこにあった。

 

 

 

 

 トレセン学園の夜は、都会のど真ん中とは思えないほどの静寂と暗闇に包まれる。僕の一番好きな時間帯だ。

 

 静かなのは好きだけど、それには時と場合がある。風呂に入る時はシャワーなどの水音以外は比較的静かではあるが、あまり好きじゃない。無防備すぎるからかもしれないし、ただ身体を洗うだけ、というのが虚しいからかもしれない。

 

 こうやって静かな夜の街を、星空でも見上げながら歩くのがいいのだ。

 

 そう思って空を見上げたが、いつもより星の数が少なかった。大きな明かりが近くにあるせいで星の光がかき消されているのだろう。

 

 見ると、学園のウマ娘専用のトラックの照明が明々と点いていた。誰かが学園に許可を取ってナイターでもしているのだろう。

 

 誰が使っているのか。

 

 なんてことは気にならない。わざわざ確認に行くわけもない。いつもならさっさと踵を返して家路につくわけだが、今回はそうもいっていられなかった。

 

 猛烈な頭痛が襲い掛かってきたのだ。そしてその痛みの感覚はトラックの方を指している、ということが直感で理解できた。経験上これが示していることは一つ。

 

 

 

 つまり、今回の幻覚、その大元がトラックにいるということだ。

 

 

 

 

「あれは……」

 

 トレーニング時間でもないというのに、そのウマ娘は目を見張るようなスピードでコースを走り続けていた。まるで異なる世界に在るかのように、粛々とターフを駆けていく。

 

 不思議な透明感と、どこか陰のある憂いを秘めているかのようなクールさ。ストイックに走るその姿からは、どこか近づきがたい雰囲気を醸し出している。

 

 栗毛の長髪が風に流れる様から、彼女がかなりの速度で走っていることが伺えた。

 

 丸々一周走ってから、彼女はようやく足を止めて、空を見上げて何かを呟いていた。

 

 僕もそれに釣られるように空を見上げて、そこで空にゆらゆらと浮かぶ幻影を見た。幻影はじっとこちらを見下ろしている。栗毛の長髪に、緑の基調の勝負服。間違いなくサイレンススズカだった。

 

 それをじっと見つめ返していると、幻影は風にあおられた蝋燭の火のように掻き消えた。

 

 ふと目線を地上に戻すと、サイレンススズカがこちらを見ていることに気が付いた。目があうと彼女は素早く会釈をした後に、足早に立ち去って行った。

 

「サイレンススズカ……か」

 

 楽しそうに走るウマ娘だった。空をもう一度見上げて、それから大きく息を吐いた。

 

 順風満帆の彼女に悩みがあるとは思えないけどな……。

 

 

 

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