ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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第二話 沈黙

 パラりと新聞がめくられる。大見出しの『チームスピカ快進撃!』に対し、竹中さんは睨めつけるようにして顔を新聞に近づけた。だが老眼が進み始めているのか、すぐにまた距離を離して新聞を読み続ける。

 

「スピカは大盛況だなぁ……。に比べ、うちのチームは……」

 

 竹中さんのぼやきに、杉原がうんうんと頷く。

 

「確かにパッとしないっすよねぇ」

「あぁ?」

 

 ドスの効いた竹中さんの声に、杉原の肩がビクッと動く。

 

「僕はこのチーム好きですけどねぇ」

 

 竹中さんに平謝っている杉原を横目に、やれやれと頭を抱えてぼやいていると、トレーナー室に福良さんが入ってきた。

 

「おはよう、福良さん」

「おはよう」

「今日はずいぶん遅いな。いつもは一番に来てるのに」

「まあね」

 

 軽く挨拶を交わしたのもそのままに、福良さんは颯爽と自分の机に座った。そこにいつものように杉原が突っかかってくる。

 

「おいおい、もしかして寝坊かぁ~?」

 

 ニヤニヤとした顔を福良さんに近づける。

 

「敬語」

「はぁ?」

「敬語使って。私はトレーナー、あなたはまだサブでしょ」

 

 杉原の眉がぴくぴくと動いた。今にも何処かへ飛んでいきそうな勢いで。

 

「……俺の方が先輩だろうが」

 

 一触即発の気配を漂わせる二人の間に、竹中さんが割って入る。これも今となっては見慣れた光景だった。

 

「いい年こいて喧嘩してんじゃねぇよ……杉原!」

「覚えてろよぉ」

「やめろって」

 

 いい加減キレそうな竹中さんの気配を鋭敏に感じ取ったのか、杉原は恨めしそうに福良さんを睨みつつも、元の席に戻った。

 僕はそれを蚊帳の外から眺めていた。いつものことだ。杉原と福良さんの諍いを、僕と竹中さんが飲み物でも飲みながら眺める。しばらくしてもそれが終わらなければ竹中さんが仲裁に入る。その間僕は、また杉原がバ鹿やっている、なんてことを考えるのだ。

 しかし今回はちっともそんなことを考えはしなかった。僕は新聞にでかでかと載ったサイレンススズカの写真をじっと見つめていた。

 

 

 ジャバジャバと蛇口から水が流れ出していく。トイレの洗面所に立って手を洗っているときに、それは唐突に訪れた。激しい頭痛、それから眩暈。潮のようにそれらは急激に引いていく。

 

「……何が目的だ」

 

 僕は鏡の向こう側に立っているサイレンススズカの幻影にそう問いかけると、彼女は無言でもってそれに応えた。

 一度振り向いて確認してみたが、こちら側に幻影はいない。なるほど、逆のパターンもあるらしい。僕は再び鏡の向こう側に向かって話しかける。

 

「なんで俺の目の前に姿を現す」

 

 水の流れる音しか聞こえない。僕は蛇口をひねって水の流れを止めると、ポケットからハンカチを取り出す。

 

「悩みがあるようには思えないけど」

「そう、見えますか?」

 

 そこでようやく幻影は口を開いた。そしてこちらに向かって一歩近づいてくる。

 

「あります、悩み」

 

 鏡に映ったサイレンススズカは、僕と隣までやってくると、鏡に映った僕に顔を向けてくる。

 

「あなたは私の願いをかなえてくれるんですよね」

 

 僕は手についた水分をハンカチですべてぬぐい取り、湿ったハンカチをポケットに再び戻した。それからため息交じりにもう一度鏡へ目を向ける。

 

「別に俺にそんな義務があるわけじゃないけど……」

「私の、秋の天皇賞への出走を取り消してください」

 

 ピタリと手が止まった。僕は少しだけ考え込むフリをしてから答える。

 

「無理だ。担当ですらないのに、そんなこと」

「お願いします。そうでないと私がーー」

 

 人の気配がした。

 振り返ると、ちょうどトイレにやってきたらしい同僚の一人とばっちり目が合った。同僚は狐につままれたかのような顔で僕をじっと見つめていた。

 

「……お、お疲れ」

 

 同僚が少しだけ戸惑った様子でそう口にしたので、僕は、ああ、とか、うん、とか言いながら洗面台を離れた。同僚の視線が只々痛い。

 彼の視線をかいくぐりながら、僕はトイレを後にした。

 そろそろ周囲の目が怪しくなってきた。というか、僕はいつになったらこいつらから解放されるのだろうか……。

 

 

 校内を歩いていると、ばったりサイレンススズカと出会ってしまった。秋ももう終わりが近づき、枯葉が舗装された道端にポツポツと落ちているのが見える。彼女もこちらに気が付いたみたいで、目が合うと少しだけ目を泳がせた。

 

「あ……あなたは」

「ああ、昨日ぶりだな」

 

 僕が彼女に少しだけ近づくと、彼女は少しだけ身を引いた。

 

「サイレンススズカ、だよな」

「は、はい……」

 

 サイレンススズカはかなり警戒心の強いウマ娘だった。なんとなく予想はしていた性格だが、はたしてどうアプローチをかけていいものか。

 

「毎日王冠、見てたよ。優勝おめでとう」

「ありがとう、ございます」

 

 そう言っている間にも、サイレンススズカはそわそわと落ち着きを失し始めていた。これ以上引き留めるのは難しそうだった。まして「あ、ところで秋天の出走やめない?」などとは口が裂けても言えそうになかった。

 

「……じゃあ、秋の天皇賞も頑張って」

「は、はい……あの」

「ああ、引き留めて悪かったな」

「すみません……」

 

 サイレンススズカは素早く頭を下げてから、逃げるようにこの場を後にした。

 それから、彼女は友人らしきウマ娘と合流し、肩を並べて去っていく。どうやら待ち合わせをしていたらしい。

 

「仲のいい友達がいるんだな」

「スペシャルウィークさんのことですか。彼女はただのルームメイトですよ」

 

 幻影は歩き去っていく二人の影をじっと眺めていた。

 

「そうなのか?」

 

 僕は再び視線を二人に戻した。仲睦まじく肩を並べて談笑している様子からは、「ただのルームメイト」だとは思えない。微笑ましさすら湧いてくるというのに。

 まあ、本人がそう言っているのだからそうなのだろう。

 

「それで?見た感じ悩みなんてなさそうだけど、何か秋天を出走したくない訳でもあるのか」

「そうじゃないんです。もちろんレースには出たい」

「じゃあ何が問題なんだよ」

「レースの最中に左脚を骨折してしまうんです」

 

 一瞬何を言われたのか分からず思考がとまってしまった。あのサイレンススズカが、骨折?

 ちょっと想像がつかない。いや、彼女もまた例に漏れず、『府中の魔物」にやられてしまったということか。一部でこのジンクスに対する懸念はあったが、まさかレース中の故障とは。

 

「予後不良……ってことか?」

「いえ」

 

 少しだけ声のトーンを落としてそう尋ねると、幻影は頭を振ってそれに応えた。

 

「でも、その怪我が原因でもう元のようには走れなくなってしまうんです」

 

 幻影は歩いて僕の目の前に移動し、それから顔を目と鼻の先まで近づけてきた。

 

「安藤さんはトレーナーさんでしょう?だったら生徒を守る義務があるはずです」

 

 彼女の目が、暗く沈んだ目が、じっとこちらを見た。

 

「トレーナーとしての職務を、全うしてください。私を助けてください」

 

 僕と彼女はしばらくそのまま見つめ合っていた。

 僕はそれに即答することができずにいたのだった。秋天出走の取り消し。それはあらゆる面で僕に止めることは不可能に思えたからだ。

 

 

「私は、ラックリーターの急成長はアグネスタキオンのチーム加入が彼女に良い影響を与えたからだと思うの」

 

 次のレースも近い、ということでラックリーターの今後のトレーニング計画について福良さんと色々相談していた時のことだった。僕は彼女に肝心なことを聞き出せずにいた。

 

「確かにあの後半での伸びはタキオンに通ずるところはあると思うけど。別に一緒にトレーニングしたわけでも、仲がいいわけでもないしなぁ」

 

「ウマ娘はヒトよりも遥かに優れた知覚能力があるという話だし、それにヒトよりも互いに強く共感しあってるわ。アグネスタキオンとの共鳴がラックリーターの能力に何かしらの変化が起こしてもおかしくない」

「それじゃほとんどオカルトだよ」

 

 そう言って笑いかけた口元がピタリと凍りついたかのように固まった。そうだ、今の僕はそのオカルトじみた現象にうなされてるんだ。とても笑って否定できる立場にない。

 

「そうだね」

 

 対して福良さんの方は半笑い。どうやら本気で言っていたわけではなさそうだった。

 

「で、何?」

「え」

「何か聞きたいことでもあるんじゃないの?」

 

 ご明察。どうやら彼女は僕の心境を見抜いていたらしい。慧眼なのか僕が分かりやすいのかは知らないけど。

 

「まあ、ちょっと……」

 

 僕は彼女にどう話すべきか色々考えていた。その間福良さんは湯気の立つコーヒーカップを口に何度も運んだ。

 

「これはラックリーターのことではないんだけど」

「うん」

 

 まず一言そう断ってから離し始める。少しだけ顔を福良さんの方に寄せると、彼女も少しだけこちらに耳を傾ける様子だった。

 

「そいつが、次に走るレースで脚を怪我しそうなんだ」

「そういう予兆でもあるってこと?」

「そういうことでいいよ」

 

 彼女はもう少しだけこちらに顔を寄せてきた。心なしか顔つきも先ほどよりも引き締まっているように思える。僕は話を続ける。

 

「で、僕は是が非てもそいつを止めたいんだけど、できないんだ」

「どうして」

「そもそも俺の担当の娘じゃないんだ。だから俺の一存では決められない」

「その娘のトレーナーに事情を話して、出場を取り消してもらうとか」

「納得してもらえないと思う」

「んー……」

 

 福良さんの眉がみるみる顰まっていく。

 

「だったら、アフターフォローを考えるしかないんじゃない?サポーターとか、針治療とか……」

「そういうのって、骨折には効くのかなぁ」

「なんで骨折だってわかるのよ」

 福良さんがくるくると手元で回していたコーヒーカップが、はたと止まった。それからかなり疑り深い目を僕に向けてきた。僕は慌てて目をそらした。

 

「いや、そうじゃないくて、それほどの怪我だったらどうするって話でさ」

「……つまりアンタは、『或るウマ娘がレースでの走行中に骨折してしまう危険性があるから、それを出走取消以外の方法で回避したい』って言ってるわけ?」

「うん、まあ……」

 

 福良さんは顎に手を当てて少しだけ考え込む。いや、実際は考えるふりをしているだけだろうけど。

 そもそも不意の故障に対する対策が可能ならみんな予防している。足回りを補強するサポーターやらは走行ポテンシャルを大きく落とす以上、コンマ数秒を競うレースでは実質装着不可能だ。

 

「怪我するなら出走しない、それが一番だと思うよ」

「まあそうだよなぁ」

「でもさ」

 

 一呼吸分くらい間をおいてから、彼女は言葉を続けた。

 

「怪我しそう、ってだけなら私だったら出走させるよ」

「……それで選手生命が終わるとしても、か?」

「故障のリスクは選手に常に付き纏っている。そして彼女たちはそのリスクを承知でレースに臨んでいるはずだよ。そもそも、いつ、誰が、どこで怪我をするかなんて予測しようがないでしょ。レースに人生賭けてる娘もいる。それを「怪我するかもしれない」で止めることはできない、そうでしょ」

 

 理屈はわかるし、理もある。だけど……それじゃだめなんだ。

 

「気持ちはわかるけど、私たちトレーナーは万能じゃない。私たちにできることはせいぜいなるべく怪我を予防して、もし怪我をしてしまったら精一杯フォローしてあげればいい」

「……骨折だったら、程度によっちゃ最悪二度と走れなくなるかもしれないだろ。そうなったらどんなケアも無意味だ」

 

 しばらく僕と福良さんは無言になった。僕はサイレンススズカの故障がほぼ確実に起こり得ることを知っている。だが、それをそっくりそのまま他人に教えることはできない。ソースがアレだし、僕が見た限りではサイレンススズカに故障の予兆らしきものはないからだ。つまり何故彼女が故障するのかの納得のいく説明ができないのだ。

 

「……レース中の故障は転倒による怪我の危険性もそうだけど、転倒しなかったときのリスクも高い」

 

 不意に、福良さんが饒舌にしゃべり始めた。

 

「なまじ身体能力が高いだけに骨折した足でも無理してしばらく走っちゃうことがあるの。当然そんなことをすれば骨折はますます酷くなる」

「どうした急に」

「レース中の故障は故障直後の対応次第で重症化を防げるってことよ」

「つまり、故障した瞬間に体を支えてやるなりすればいいってわけか」

「海外に似たようなケースがあった。ゴール付近で骨折したウマ娘を、近くで観戦していたトレーナーが駆けつけて骨折した足と体を咄嗟に支えた、それが功をなしてそのウマ娘は予後不良を回避したのよ。復帰はできなかったけど」

 

 福良さんはいつの間にか机に置いていたらしいコーヒーの入ったマグカップを再び手に取った。中身は若干冷えつつあるようで、煙が立たなくなっているのが分かった。

 

「私たちにだって、レース中だろうが何かできることはあるわよ、きっと」

「……そうだな」

 

 彼女の言葉で少しだけ光明が見えてきた気がした。無力感に打ちひしがれていた四肢に少しずつ力が戻りつつある。僕は立ち上がって彼女に礼を言った。

 

「ありがとう。参考になったよ」

「どうも。それで、結局名前は教えてくれないの?」

「あー……」

 

 もごもごと、餌を食むキリンのように口を動かすのみの僕を見て、福良さんはやれやれと首を振った。

 

「まあ別にいいけど。でもよっぽど自信があるんだったら、その娘の担当に話くらいはしておいた方がいいんじゃないかな」

 

「……そうだな」

 

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