ブルー・ホースマン   作:堂廻り 眞くら

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「トレーナーさん、どうしてサイレンススズカさんの方ばかり見てるんですか?」

 

 ラックリーターとのトレーニングの最中に、唐突に彼女からそんなことを言われてはてと首を捻った。確かにサイレンススズカの方を横目でチラチラとは見ていた気はするが、そんなに頻繁に目を向けていたわけではないし、まさか誰を見ていたかまで気が付かれるとは思いもしなかったからだ。

 

「いや、大した理由じゃないよ。ちょっと目についたってだけだ」

「……確かにサイレンススズカさん、美人さんですもんね」

「いやいや」

 

 手を軽く振って否定する。本当に下心があって見ていた訳じゃない。誓っていい。誓っていいのだがどういうわけかラックリーターの方を直視するのが憚られた。

 

「トレーナーさんってああいう娘が好みだったんですね」

「だから違うって」

 

 少しだけ、ラックリーターの頬が膨らんているのが見える。まさかとは思うが、嫉妬なのか?だとしたら意外だ。嫌われていると思っていたのに。

 

「やっぱり、トレーナーさんもサイレンススズカさんを担当にしたいって思うんですか?」

 

 なんて考えながら少しだけぼんやりしているうちに、ラックリーターが面倒臭いモードに入りつつあった。今トレーニング中なのに……。まあいいか、少し休憩だ。それにしても、サイレンススズカを担当にしたいか、か。

 

「いや、全く思わないな」

「え、何でですか」

「見ていて危なっかしいから」

「危ない?サイレンススズカさんが、ですか?」

 

 ラックリーターはキョトンとしていた。僕は構わず続けた。

 

「ウマ娘は走るのが好きってやつが多いけど、サイレンススズカは特に酷い。走るのが楽しくて仕方がないって感じだ。ああいうタイプは一見おとなしそうで中身はとんでもないじゃじゃウマだ」

「は、はぁ」

「ああいう奴には支えてくれる仲間やトレーナーが必要不可欠だけど、俺じゃ力不足だろうしな」

「なんていうか」

 

 ラックリーターは少しだけ身を捩る。

 

「なんか微妙に解像度高くないですか?彼女とは知り合いってわけでもないですよね?」

「いや、それは」

 

 確かにすこし余計なことまで話し過ぎたかもしれない。

 

「まあ、職業柄な。ちゃんと見てないといけないっていうか」

「トレーナーってみんなこんな感じなんですかね。ちょっと引いちゃいました……」

「お前な……」

「あ、もう一周行ってきますね」

「おいおい」

 

 そう言ってラックリーターは逃げるように走り去っていった。去り際に楽しげな顔を浮かべていたから、もしかしたらあれで彼女なりに僕を揶揄ってたのかもしれない。

 

「……」

 

 もう一度サイレンススズカの方に目をやった。彼女は本当に調子が良さそうだった。

 故障の予兆なんて全く感じさせないほどに。

 

 

 もしかしたら。

 助けようとしなければ、何も見ようとしなければ、もしかしたらあらゆる悩みから解放されるのだろうか。

 聞こえるもの見えるもの一切を無視していれば、そのうち本当に何もかも消えてなくなるかもしれない。使わなくなった筋肉が徐々に萎んでいくかのように、使おうとしなければ、僕の中に突如として備わった摩訶不思議な能力も退化していく、のかもしれない。

 校内で廊下を当てもなく歩いていると、曲がり角から突然ウマ娘が飛び出してきた。

 

「あわわわわっ、あ、危ない〜!!」

「うおっ」

 

 僕はその陰を避けられずに、結局互いに衝突してしまった。

 

「本当にごめんなさい!とっても急いでたもので……」

 

 と、互いに目を合わせて、僕は思わず「あ」っと声を出してしまった。そのウマ娘の顔には見覚えがあったのだ。

 

「スペシャルウィーク?」

「え?はい、スペシャルウィークですけど」

 

 ブルネットのボブカットに、三つ編みのハーフアップでまとめられた特徴的な白い前髪。この前サイレンススズカと一緒にいた娘だった。

 

「確か、サイレンススズカと同室の」

「スズカさんですか?はい、そうです!」

 

 サイレンススズカ、という言葉に過剰に反応するスペシャルウィーク。瞳の輝きが眩しい。

 

「……もうすぐ秋天だけど、彼女は元気そうかな」

 

 サイレンススズカ、という単語に異様に食いつきがいい。どうやらかなり仲がいいようだ。

 

「それはもう!スズカさん、すごく調子がいいみたいなんですよ。いつも以上に回ってましたから!」

「回ってる?」

「こう……部屋の中をぐるぐるっと」

 

 そう言ってスペシャルウィークはその場で左回りにぐるぐると歩き始める。

 

「へぇ、いつもそんなことをしてるのか?」

「そうなんです。きっとこれがスズカさんの速さの秘訣なんですよ!」

「……そのこと、スピカのトレーナーは知ってるのか?」

 

 僕の質問に、満面の笑みを浮かべていたスペシャルウィークは狐につままれたかのような表情に変わった。

 

「トレーナーさんが、ですか?えぇっと……ごめんなさい、わからないです」

「い、いやいや、別に大したことじゃないから、謝らなくてもいいよ」

 

 一気に落ち込むスペシャルウィークを顔を見て慌てて弁明する。彼女のしょげた顔を見ると、何だかまるで僕が悪いことをしたみたいな気がしてくるからだ。

 

「ところで、何か急ぎの用事があったんじゃないのか?」

「えっ?……あぁっ!そうだ、約束……!あ、あの」

 

 一気に顔が青ざめていくスペシャルウィーク。表情が豊かなウマ娘だった。彼女の絵画を見ていると、何だか元気を分けてもらっているみたいな気分にさせられる。

 

「引き止めて悪かったな」

「いえ、こちらこそぶつかってすみませんでした。それではまた後で!」

 

 再三に渡り頭を下げるスペシャルウィークはそれから足早に立ち去っていったが、数秒もしないうちにまた別の人と衝突するのだった。

 忙しないウマ娘だ。そう思いながら僕は何の気もなしに窓の奥に目を向けた。

 廊下の窓の向こう側には清々しい秋晴れが広がっていた。木の葉も色が抜け徐々に枯れ始め、空気が澄み渡る秋の季節。つまり。

 

 もうすぐ、天皇賞(秋)が始まるのだ。

 

 

 

 

「驚いた。本当に映らないのな」

 

 うすら寒い秋の木枯らしに冷えたベンチに座り、手元のスマホで撮影された映像を眺めながら、感嘆を漏らす。それは一見何の変哲もない映像。ただ何もない景色が映されているだけ。だがしかしそれが奇妙なのだ。なぜならば、この映像は僕を被写体にしているというのに、肝心な僕の姿がどこにも見当たらないからだ。

 

「幽霊にでもなった気分だな」

 

 一体何をしているかというと、おそらく頭の怪我がきっかけで自身に備わった能力、その一つである変幻(そう名付けて呼んでいる)のもつ性質の検証である。この検証だけはどうしてもやらなければならなかった。

 僕と幻影が一時的に一体化することで、互いの能力を共有できる。これにより大多数の人間の眼やカメラなどの光学機器などにも姿が写らなくなるのだ。

 この性質を利用してサイレンススズカを救出しようというわけだ。

 計画はいたってシンプル。変幻状態の僕がレース場にてサイレンススズカの故障発生を待ち構え、故障の直前に体を支えるなりして被害を最小に留めようというわけだ。普通ならばレース途中に馬場内で仁王立ちしている奴がいたら不審者として迅速な処置を受けること必至だろうが、変幻中ならば大多数の人間には姿を見られない。また、なるべく気をつかうつもりではあるが、仮にどれだけ不自然な形での救出になったとして、正体がバレなければ何も問題はない。

 

「それでも助からなかった場合はどうするんですか」

「その時は諦めてもらうしかないな」

「姿がみえないのだから、無理やり出走を止めることも可能ではないでしょうか」

 

 何やら物騒なことを言い出すサイレンススズカの幻影に、いやいやと首を振る。

 

「余計面倒くさいことになるかもしれないだろ。それに、サイレンススズカ本人に接触しすぎるのは正体がバレるリスクがある。忘れたのか」

 

 この計画には一つだけ穴がある。それは、変幻による不可視状態はサイレンスズカ本人だけには認知されてしまうということだ。なぜそんな面倒なことになっているのかはよくわからない。幻影らの言うことを鵜呑みにするならば「魂でつながっている」からだそうだ(なんじゃそりゃ)。

 変幻中の僕の姿はどちらかというと幻影に似た姿に変容する。だからぱっと見で僕だと気が付かれることはまずないと思う。が、何かのきっかけからサイレンススズカが感付かないとも限らない。無用な接触は避けるべきだ。

 

「正直なところ、今回の作戦が成功するかはわからない。全力疾走しているサイレンススズカを上手く受け止められるか、そして左足になるべく負担をかけずに地面に降ろすことが可能か。これらはすべて賭けだ」

「それに、仮にそれらがうまくいっても、私がレースに復帰できるかわからない」

 

 僕の言葉に幻影が嫌味たらしく補足を入れる。が、間違ってはいない。全く持ってその通りだ。

 僕は彼女と目を合わせることなく会話を続ける。

 

「明日は秋天当日だ。悪いけど、代案もないしお前にはこれで納得してもらう」

 

 一層強い風が目の前を駆け抜けた。それほど防寒対策のとられていない、若干季節の外れた服の隙間という隙間に冷たい空気が嫌という程入り込み、大きく体が震える。

 僕は颯爽とベンチから立ち上がり、学園に向かって足早に歩き出した。地面の枯葉がからからと転がる音。

 

 この中途半端な作戦に、幻影は完全には納得してくれてはいないだろう。だが、渋々ながら了承は得た。

 だったら後は実行に移すのみだ。

 

 

 秋天当日、府中レース場は大きな盛り上がりを見せていた。もちろんこの時期は例年多くの人がレースを見に来るわけで、今回が例外の盛り上がりを見せている、といえるわけでもないが、会場の空気は例年とは若干異なっている気がする。

 

「竹中さん、売店見ました?ススズのグッズ売り切れてましたよ」

「ああ、人気だな彼女」

 

 僕は竹中さんと杉原の三人で会場に足を運んでいた。

 

「誰もサイレンススズカの勝利を疑っていない、って感じですね」

 

 ついそんなことを思わず口にしてしまった。この世で僕だけが、思いもよらないレースの結末を知っている、という無意識の優越感からだろうか。それともこれから行う作戦に気が浮いてしまっているだけなのかもしれない。

 

「ま、あれだけ強ければな」

「逆にススズが負けるシチュエーションが思いつかねぇだろ」

 

 杉原の言う通り、僕だって何も知らなければサイレンススズカが負けることはまずないと思っていたさ。

 

「杉原の言う通りだな。逃げて差すアレの走りを負かすなら、誰かがラビットになってススズのペースを狂わせなければならない」

 

 ただ、と竹中さんはすぐ後に言葉を付け加える。

 

「それができるウマ娘は少ない。エルコンドルパサーほどのウマ娘なら犠牲覚悟の先頭争いに加われるかもしれないが、彼女の性格からして、勝負を投げるようなことはしないだろう。本人は雪辱戦だと思ってるだろうし正々堂々先行で勝ちに来るはずだ」

「リギルがエルコンドルパサーを生け贄にするわけはない、となると妨害を受けない今回のススズの勝は揺るぎませんね!エルコンドルパサーがいい勝負をするかもですが」

 

 どうやら杉原は随分サイレンススズカを推しているらしい。そういえば杉原の仕事机に彼女のぬいぐるみが置いてあったのを思い出した。可愛らしいぬいぐるみと彼の強面とのギャップが凄まじいので忘れられない。

 とはいえ、杉原のひいき目を度外視したとして、彼女に対する二人の評価は至極真っ当なものと言える。どれだけ言っても言い過ぎないそれだけのポテンシャルをサイレンススズカというウマ娘は持っている。

 今回の天皇賞はサイレンススズカの参戦を受けて有力馬が軒並み出走を見送った(エルコンドルパサーが回避しなかったのは意外だった)。その結果エルコンドルパサーを除いてライバルらしいライバルは不在。舞台は彼女の得意とする東京・2000m・左回りの三拍子。おまけに枠順は逃げ先行が有利とされる一枠一番の最内枠。

 どこを見ても彼女が負ける要素は見当たらない。会場のファンの大多数も、どの娘が勝つか、というよりも、サイレンススズカがどんな走りを見せてくれるのか、ということに注目しているように思う。実際、事前投票による彼女のオッズは異例といえる1.1倍の一番人気だ。更に、11月1日1枠1番1番人気という奇跡的な一の並びには運命的なものを感じさせる。運すら味方につけているようだった。

 

 一つだけ気がかりがあるとするなら、それは秋天に巣食う「府中の魔物」の存在だが、それでも観客は信じて疑わないだろう。期待せずにはいられないだろう。彼女が魔の手からですら逃げおおせて見せるのだということを。

 

 だけど、僕だけは知っている。魔物は彼女を追わない。大欅の向こう側で彼女を待ち伏せているのだ。

 

「すみません、竹中さん。ちょっとトイレに行ってきます。先に会場に入っててください」

「おいおい、この人込みの中場内での合流なんて無理だぞ」

「そうなったら適当な場所で見てるから」

 

 杉原に軽くそう言い返し、二人の返事を待たずに僕はその場を後にした。

 

「わかった、行くぞ」

 

 杉原のやかましい声とは対照的に、竹中さんはあっさりとしたものだった。

 

「あ、はい……とりあえずは探せよ!!」

 

 杉原が大声で怒鳴っているのに軽く手を振って応える。あいつはなんだかんだで仲間思いのいい奴なのだ。今は犬猿の仲の福良さんも、いつかはあいつの良さに気が付くだろう。まあ、それに気が付くまで最低でもあと数年はかかるだろうけど。

 

 

 

 そして、いよいよレースが始まる。

 

 

 

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