日本のどこかには、とても珍しい少女がいる。
その少女は根暗で陰キャでコミュ障でありながら、一丁前に行動力と承認欲求はあり、精神的に追い詰められると顔面が崩壊して落書きのようになる癖を持っている。
そして、とても美少女でもあった。
「はぁ……」
どこかの公園のブランコにギターケースを背負って座り、重苦しいため息を吐くピンク髪を長く伸ばしたきらら主人公。
彼女の名は後藤ひとり。
陰キャの化身である。
「ほんと、どうやって生きよう……」
こんな重い言葉を吐く彼女だが、所詮は独り言なので誰からも返答はない。
○○○○○
皆さんこんにちは、喜多郁代です!
私は今、公園で黄昏てます。
だからなんだよって話ですが。
「はぁ……」
せっかくリョウ先輩とお近付きになれたのに、直前で逃げちゃった……。
「ほんと、私って無責任.......」
こんな私、2人に幻滅されたわよね……最初から嘘なんてつくんじゃなかった……。
「はぁ……」
ため息は止まらないし、どんどんマイナス思考になっちゃう。
でも、変にネガティブになっても仕方ないわよね。
一先ず帰ろうと思ってブランコを離れて家に向かおうとした時、何故か急に暗くなった。
「えっ?」
見上げると、すごく怖くて筋肉ムキムキの男の人が私のすぐ近くにいた。
ち、ちょっと汗かいてる?
「間に合ったか。かからなかったか?」
「な、何が……?」
ちらっと上を見ると、その人の手が私の頭の上にあって、鳥の糞が乗ってた。
「あああ!ご、ごめんなさい!」
も、もしかして私が暗くなってたから歩くのが遅かったせいで……!?
「俺のお節介だ。気にするな」
そう言って水道を捻って糞を洗い流している男の人は、金髪と黒髪のソフトモヒカン風の髪型の人だった。
ちょっと顎髭もあって、ワイルドな感じ。
眉毛もキリッとしてて……。
「あっ、服にもかかって……」
「この程度なら問題ない。水で洗えば少しは───」
「ほ、本当にごめんなさい!服、洗濯します!」
私のバカ!
「俺自身が招いた結果だ。だから……」
「洗わせてください!」
「そ、そうか。なら頼む」
結構強引だったけど、この人がいなかったら今頃、私の頭の上に糞が……わあああ!感謝しないと!
「ありがとうございました!その、守ってくれて」
上着を受け取った私は、もっと罪悪感に駆られた。
「返しに行きますので、連絡先を教えてください!」
「あぁ」
取り敢えずロインの交換はしたけど、その人は本当に何とも思っていないようで、それが逆に申し訳なさを加速させる。
2人でベンチに座って、私から会話を始めた。
「そういえば、お名前聞いてませんでしたね。私は喜多郁代です。あなたは?」
「六弦歩だ。宜しく頼む、喜多郁代」
「あ”っ!」
な、なんてこと!
私の下の名前が……!
「む?どうかしたか」
「あ、あの……出来れば苗字だけで呼んで欲しいんです……」
「喜多か……わかった。理由を聞いてもいいか?」
「そ、その……下の名前が郁代なんてしわしわネームじゃないですか……」
「昭和感のある名前が嫌だということか?」
「はうっ!」
直球で聞いてきた!
この人結構人のコンプレックス刺激するタイプなのかしら?
失礼しちゃうわ!
「ふむ……」
六弦さんは私の思いを理解していないようだった。
それもそうね。
だって彼は素敵な名前だもの。
「郁代……いい名前だと思うが?」
「呼ばないで下さい……」
「そこまでか」
「歩さんの方が素敵じゃないですか……」
「うーむ……まぁ結果はどうあれ、親から貰った初めてのプレゼントだ。そう卑下するな」
そうだけど!そうだけど、どうしてもコンプレックスになっちゃうの!
「うぅ……」
「そこまで嫌なら、逆に受け入れてはどうだ?」
「……受け入れる?」
「名を呼ばれ続けることでコンプレックスを無理やり直そうという話だ。荒療治だがな」
多分、リョウ先輩に呼ばれても嫌になるし……絶対無理よ。
「無理です!」
「ふむ、だが一生付き合うであろうものだ。いつまでもそのままではいられまい。そもそも何が嫌なんだ?」
よくぞ聞いてくれたわね!
そこから私は今までの名前コンプレックを六弦さんに吐き出した。
彼はちゃんと聞いてくれたけど、それでも首を傾げていた。
「つまり「喜多郁代」が「来た→行くよ」となり駄洒落臭いと」
「言わないでくださいよっ!」
「とは言うが、俺も「歩く」という字だから「行くよ」とそう変わらないと思うが」
「違いますっ!六弦歩っていう名前が良いんです!」
「なら苗字を変えてみるか?」
六弦さんは提案した。
私は少し考えて別の苗字を当てはめる。
「えっ?例えば鈴木郁代、とかですか?なんかカッコイイかも……」
確かに、これなら変じゃないかも……って!
これじゃ嫁入り前提の話じゃない!
というか苗字の為に結婚するってどんな女なの私!?
「ほう、良いじゃないか」
「でも、苗字で旦那さんを選ぶなんて失礼じゃないですか?」
「それもそうだな。ならばもう郁代と呼ばれ続けるしか───」
「ダメです!」
これ以上話したらおかしくなりそう!
早く辞めなきゃ!
「そ、そういえば歩さんは筋肉すごいですよね!な、何かスポーツでもしてるんですか?」
「あぁ、奏和高校でカバディをしている」
「カバディ……聞いたことあります!」
カバディカバディって言い続けるあれ……よね?
「そうか。マイナースポーツだが、俺はそこで頂点を目指している」
奏和高校って、音楽が盛んだったわよね。
運動部って珍しいのかしら?
特にカバディなんて。
「すごいですね、熱意や、意思が……」
声がどんどん小さくなってしまう。
「とっても、カッコイイです」
何かに一喜一憂して、全部懸けて。
「それに比べて……」
私には突出した何かなんてない。
ギターだって途中で辞めちゃうような女だもの。
「どうした?泣きそうな顔になっているが」
「い、いえ、なんでもないです……その、ひとつ聞いても良いですか?」
「何だ?」
「何かに夢中になるって、どんな感じですか?」
「どんな感じ、か……」
「普通に幸せ」だなんて言っても、結局は普通だもの。
味気無くなっちゃうのも仕方ないじゃない。
でも、リョウ先輩や歩さんは、「普通じゃない生活」を送ってる。
「それしか見えていないな。俺は、誰より強くありたい」
「強く……」
そう言う歩さんの目は少しの嬉しさと、覚悟を持っていた。
この人みたいに凄く一生懸命に頑張れる人間が、私はどうしようもなく───
「羨ましい」
自分の醜さが、嫌になっちゃう。
俯いて、涙が止まらなくなって、どんどんネガティブになっちゃう。
さっき仕方ないって言ったのに、溢れてきちゃう。
「歩さんは凄いです。今日みたいに知らない誰かのために動けて、真剣にやりたい事と向き合って、自分の意思をハッキリ持っていて……」
歩さんは私の話を無言で聞いている。
時折思う事があるような様子を見せるけど、それを自分の中にしまい込んでいる様だった。
「本当に、私なんて……」
「俺は」
「?」
ネガティブが止まらなくなろうとした所で、歩さんは私の言葉を遮った。
「お前の様な人間に掛けられる正しい言葉を持ち合わせていない」
お前の様な、か……。
「そうですよね……こんな───」
「だが、間違いか正しいかなど、今は些細な事だと考えている」
些細な事……?
私は思わず顔を上げた。
「1つ、分かった事を言わせてもらう」
視線の先には、歩さんが真っ直ぐ私の目を見ていた。
「お前は、優しい人間だ」
彼は、そう言って笑った。
「会って間もないが、分かる。理由を聞かれては上手く言い辛いが、今ここで隣にいれば分かる」
「なんで……」
そんなに褒められたら、今の自分がもっと憎らしくなっちゃう。
こんななんの取り柄もない私なんて、誰かに合わせることで安心している私なんて、何かを頑張る事なんて全く出来てない私なんて……!
「なんで……っ!」
スカートを握りしめて、また下を向いてしまう。
いつもならそつなくお礼を言って別の話をする。
でも今の私が、誰かに、それも助けてくれた歩さんに褒められる資格なんて……ないのに。
「俺がそう思った。それだけの事だ」
その言葉を聞いて、私は身体が跳ねた。
迷惑をかけた私にそう言ってくれるのが、どうしても申し訳なくて、そして。
「ありがとうっ、ございます……!」
どうしようもなく、嬉しくて。
こんなに弱ることなんて、今まで無かった。
こんなに嬉しい言葉をかけてくれた人だって、初めて会った。
「事実だ。礼を言う程の事じゃない」
「っ……」
あっ、ダメだ。
「うわああぁぁぁああああん!!」
私はその日、初対面の人の前で、抑えきれずに泣いてしまった。
遠慮なく、大泣きした。
涙は、どれだけ泣いても出てきた。
「うああぁぁぁあああああ!!」
彼はそんな私に何を言うでもなく、ただ隣にいてくれた。
時折ぎこちなく背中に触れてくれた。
彼なりの精一杯の優しさだったと思う。
「ううっ、ぐすっ……」
「思いは、吐ける時に吐いておけ」
何故か、この人の言葉を聞くと、安心する。
そして、自分が止められなくなる。
「わ、私は……っ、自分で誇れる、自分になりたいっ……!」
泣きじゃくりながら、自分のエゴを吐き出す。
「皆から褒められる私に、なりたい……!」
何かに、一生懸命な私に。
「そうか。ならば───」
歩さんは、優しく言った。
「なって見せろ、喜多郁代」
今までの歩さんの優しさに耐えきれず、私は飛びついてしまった。
まるで壁のように大きな歩さんの体は、私を包み込むくらい訳なくて、温かかった。
私はそんなに大きな体を、強く抱き締めていた。
「う゛う゛う゛ーーーーっ!!」
声にならない声で泣きながら。
数分経っても私は離れられずにいた。
思い切り泣いた後、「ひょっとして凄く恥ずかしい事をしたのでは?」と思ってしまい、あまりにも恥ずかし過ぎて顔を上げられなかった。
「し、しばらくこのままでいてもいいですか?」
「あぁ」
歩さんは、気にする様子もなく受け入れてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
か、顔が熱い……!
自分でも真っ赤になってるのが分かるくらい熱い……!
そんな私を他所に、歩さんはふと思い出した様に話し始めた。
「そういえば、お前の顔にどこか見覚えがあったんだ。少し考えてみたんだが、ネットで顔が利いていただろう?」
「えっ?イ、イソスタのことですか?」
「多分な。うちの学校でもちょっとした有名人だ」
「そ、そうなんですか……」
少し照れてしまうところだったけど、さっき泣いた事の方が恥ずかしいので、特に思うことはなかった。
「後輩がよく言っている喜多ちゃんとは誰かと思っていたが、郁代の事だったのか」
「うっ!」
き、急になんで郁代呼びを!?
「あ、あの、呼び方……」
「ん?あぁすまない。お前が歩と呼ぶものだから、てっきり大丈夫なのかと。馴れ馴れしかったか」
あ、あれ?私ったらいつの間に名前呼びを……?
でも、苗字で呼ぶより名前で呼びたいし、良いわよね。
「喜多でいいか?」
「……」
「どうした?」
き、距離感を感じる……。
でも名前呼びは……どうしよう。
「歩さんは、どの呼び方が呼びやすいですか?」
「特にこだわりはない。そっちはどう呼ばれたいんだ?」
「え、えっと……名前呼び以外なら……」
「ふむ……ならば郁代と呼ばせてもらおう」
「言ったそばから!?」
「コンプレックス克服を兼ねて、な」
うっ、その話を持ってこられると弱くなっちゃう。
「で、出来れば名前呼びは嫌ですけど、歩さんがどうしてもって言うなら……良い、です」
「あぁ。どうしても、だ」
「わ、分かりました……うぅ……」
ま、まぁ、喜多なんてよそよそしく呼ばれるよりはマシ!
うん、きっとそうよ。
「……あ」
「何だ?郁代」
泣きじゃくって頭が回ってなかったのか、普段なら絶対思いついていだと思う呼び名があった。
というかさっき歩さんの後輩の人達が言ってたって聞いたのにーっ!
「今から呼び方を「喜多ちゃん」に変えてもらう事って……」
「駄目だな」
やっぱり……でも、自分で良いって言っちゃったから、その直後に変えるのもどうなのってなるわよね。
「克服までの辛抱だろう?」
「ううっ……が、頑張ります」
そんな過程から、私達は「歩さん」「郁代」と呼び合うことになった。
この日の出会いは、私の人生で大きなもので、とても良い日だったと今でも思う。
家に帰ってから、今日は色々あったと思いながら、あの人のことを考える。
「六弦歩さんか……いい名前……」
そして、あのアドバイスを思い出す。
「苗字を変える……か」
もしかしたら、と思ってしまった。
「六弦郁代……なんてね」
私らしからぬ変な妄想だった。
でも。
「えへへ」
カッコイイなぁ……。