空を駆けるウマ娘になりたくて アグネスフライト育成ストーリー   作:通りすがる傭兵

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第5話 アグネスの──

 

 

 

「......トさん、アグネスフライトさん!」

「あ、はい」

「授業中ですよ。物思いに耽るのはいいですが授業に集中してくださいね」

「すみません」

「悩み事であれば先生も相談に乗ります。友達でも先生でも、悩みがあれば誰かに話すことは大切ですよ」

 

 では授業に戻ります、と黒板にチョークで数式を書く作業に戻った先生の言葉もバ耳東風で何も入ってこない。勉強は将来のためになるはず、レースでも役に立つ時があるはず、そう信じてきたはずなのに、先生の話すこと、書くこと全部。

 

 教科書の内容も、真っ白なノートも、使い込んできたシャープペンシルも、消しゴムも。どこか薄っぺらで、つまらないものに感じてしまうばかりだった。こんなに授業がつまらなく無味乾燥なものに感じたのは初めて。おかしいな、普段はもっと面白かったはずなのに。

 

 ちょんちょんと肩を叩かれて横を向くと、友人が教科書の影から心配そうにこちらを覗きこんでいた。

 

「ねぇ、今朝からおかしいよフライト」

「おかしい?」

「うん、おかしい。真面目なフライトがノートが真っ白で上の空で考え事なんておかしいよ。朝ごはんも残してたし、気分悪いなら保健室行きなよ」

「そんなことないよ。元気元気」

「今日のフライトやっぱりヘンだよ。普段は自分で元気なんて言わないじゃんか」

 

 フライトが言うなら何も言わないけどさ、とは言うものの彼女はチラチラと心配そうにこちらを確認してくる。ほら、集中してないと怒られるよ、ああ、ほら、バレてる。チョークをぶつけられて眉間を抑える友達を見て私は手を上げてから立ち上がった。あの様子じゃあ授業にも集中できないし心配させるわけにもいかないや。

 

「先生、気分が悪いので保健室に行ってもよろしいでしょうか」

「あら、やっぱり。1人で大丈夫?」

「大丈夫です」

「無理すんない、送ってくよ?」

「1人で大丈夫だよ」

 

 友人のお節介をやんわりと断り、教室を出て後ろ手に扉をしめる。授業中の廊下はへんに人気を感じるのに誰もいない、不思議な空間だった。話し声もする、人の気配も感じる、なのに行き交う人だけがいない。なんだか不思議な気分。集団の中にいるはずなのに誰も私を見ていないような、いるはずなのにそこにいない、まるで幽霊のようだ。

 

「保健室は教室を出て右、だけれど......」

 

自然と足は左、昇降口のある方向へ向いていた。

 

「何か目標があった方がいい」

「今日の目標は、サボることにしようかな」

 

 先日にエアシャカールのトレーナーさんから言われた言葉を口に出して自分で返してみると、後ろめたさというものは少しも感じられなかった。初めてのズル休み。昔は妹のサボりを怒っていた私が高校生にもなってこんなことをするなんて思わなかった。他の人が授業を受けているところで自由に、自分のやりたいことをする。なんとなく他人を追い越しているような優越感を感じて身体が少し震えた。タキオンもサボるのがこんなに楽しいなら教えてくれたって良かったのに。

 

「いや、楽しいって言ったら怒っちゃうな、私。言えるわけもないか」

 

 まず外に向けて歩きながらこれからどうするかを思案する。1人きりで道を走るのはどうだろうか。屋上で日向ぼっこするのもいいかもしれない。ゆっくり花壇で花を眺めるのも悪くない。せっかくだし図書室に行って普段読まない本を探してみようか。それとも1人でじっくりトレーニングをしてみようか。

 

「うん。トレーニングにしよう」

 

 勉強が手につかないなら身体を動かすに限る、友人のよく言う言い訳に私も従ってみることにした。制服だからランニングは少し難しく、何より制服は走るのには向いていない。ならトレーニングルームに行って、軽く汗を流すくらいだろう。

 誰も使わない時間帯ゆえに鍵がかかっていないかだけが不安だけれど、1番近いトレーニングルームはこの場所のすぐ近く、この教室棟の隣にあったはず。はやる気持ちに身を任せ、校則で注意されない程度の速さで私は階段を駆け降りていった。

 

 そして教室棟の外、渡り廊下を渡って、開いた通用口を通り過ぎ、廊下を走って、トレーニングルームへ。幸いにも磨りガラスの向こう側に人影もなく、ドアノブがスムーズに回ったことから鍵がかかった様子もない。私はトレーニングルームの扉を開け放ち、まずは軽く身体を温めるために準備体操をすることにした。

 

 固いローファーと靴下なんか脱いで、冷たい床に素足で立ってぐるぐると手首から回して、ゆっくり丁寧に手足の先からほぐしていく。そして辺りを見渡しつつ何を使ってトレーニングをしようか、と考えているとふと、あることに気がついた。

 

 もしかしたら、1人でここに来るのも入学して以来になるかもしれない。

 

 友人と友達になってからは2人で行動したりすることがほとんどだったし、トレーニングルームはいつも人がいたものだ。

 

 だが今はどうだろうか。見れば見るほど、私ただひとりだけがここにいる。私はこんな1人の時間が欲しかったのかもしれない。いつも誰かと過ごして、誰かと同じすることが好きだったけれどただひとりで何かに真剣に打ち込めるような、自分を見つめ直すようなそんな時間が必要だったのかもしれない。

 

 まずは開脚柔軟から。マットの上に腰を下ろして足を開いて、ゆっくりと体を前に倒していく。

 

「背中、押しましょうか」

「あ、お願いします」

「おや随分と柔らかいですね」

「3年間の努力の賜物です。昔はすごく硬かったんですよ」

「随分と熱心に柔軟をするものですね。何か過去に怪我でも?」

「母の教えです。昔自分は怪我をしたから、あなた達は怪我をしないようにと」

「いいお母様ですね」

「過保護すぎると言えばそうですが、はい。良い母だと思います」

「お母様に顔が似ている、と言われたことは?」

「たまに。しかし最近は妹に間違われることの方が多いくらいです。妹は良くも悪くも有名人なので」

「いい妹さんをお持ちのようだ」

「いい妹ですか? まさかタキオンが。ああ、妹の名前です。妹が良い人だというのならば、大抵の悪人だって良い人になってしまいます」

「タキオン。もしかして、アグネスタキオンさんですか」

「ご存知でしたか。タキオンのあの暴虐無尽ぶりは昔っからそうなんです。学園に来てからずっとああで、最近はデビューも間近だと言っていて、よく苦情が来ます。ただ」

「ただ?」

「夢に向かう熱量だけは本物なんです」

 

 あの無茶苦茶な実験も、他人のことも顧みない態度も全ては彼女の夢のため、夢にリソースを全部割り振って、他によそ見することが惜しいくらいに直向きなだけ。

 

「光の速さ、スピードの向こう側、最速の果て、ウマ娘の限界速度のその先。タキオンには明確な夢があります。それに向かって努力する姿は、紛れもなく素晴らしいものなんです」

 

 私はタキオンのようになれないのはわかっている、けれど誇らしくもある。あんな模範を掲げられてしまっては誰だって止まれずにはいられない。あんなふうに、直向きに努力してみたい。トレーナーと向き合って、一緒に夢に向かう仲間もできて、きっと私なんて目に入らないくらいに今が楽しいんだろう。それを私も味わってみたかった。

 

「あの子は気難しいからずっとトレーナーが見つからなかったんですよ。けど少し前にトレーナーが見つかってからは随分と楽しそうなんです」

「それはよかった。ところで、あなたにトレーナーは?」

「夏の選抜レースでもスカウトされませんでした。来年にはデビューしないと退学です」

「それはよかった」

「よかった、とはどういうことですかしょうか。スカウトされない方が良かったと」

 

 自分の不幸を喜んでいるような言葉に思わず怒りを込めて聞き返す。何かから解放されたくでここにいるのに自分自身までもが自分を責めてくるのかと自分の真面目さに憤って、気がついた。私は一体全体誰と会話しているのだろうか。自問自答にしてはあまりにもおかしい。

 

恐る恐る、問いかけを口に出した。

 

「誰かいるんですか?」

 

 バカげた質問をだと思う。わざわざ返事をしてくれるような相手に対して誰かと尋ねるのでもなく、誰かいるのかと存在自体を疑うようなことを言っている。不注意がすぎるというか、意識が散漫しすぎているというかうわの空すぎるというか、独り言のくせここに極まれりと言うべきなのか。ここ最近、本当に頭がおかしくなってしまったのだろうかと自覚せずには言われない。

 

「どうしますか?」

 

 その誰かは優しい口調で聞き返すようなことを言うけれど発言の意図がわからない。わからないから答えようもない、と黙っていると後ろにいる誰かは年齢を感じさせる、落ち着いた低い声でゆっくりと付け足してくれた。

 

「ここには誰も居ない。ただお互いに独り言を言っているだけ、その方が都合がいいでしょうか? お互い、こんな時間にひとりでいるなんて訳ありでしょうから」

「ではお互い独り言を言っているだけにしましょうか」

 

 おそらく壮年の男性であろう声が用務員さんか定年間近の先生かはたまたトレーナーか、それはわからない。だけどお互い仕事や責務を放り出してここで堂々とやるべきことをサボっているんだろう。だからお互い、ここでは何もなかったと答える方がいい。

 

 だったら言えないことをこの誰かに言ってしまうのがいいのかもしれない。どうせもう会う事もないだろう、だったら普段言えないことの一つや二つくらい言ったっていいはずだ。

 

「ここはひとつお互いの秘密をひとつ言い合うと言うのはどうでしょう。また会うこともありませんしね」

「いいですね。では、お先にどうぞ」

「では、そうですね」

 

私は正直に、自分の悩みを吐き出すことにした。

 

「私には夢がないんです」

 

 

 




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