黄泉返りの国家転覆 作:倉庫
あなたに出会ったのは偶然だった。
あなたに拾われて、生きる方法を教えてもらったのも偶然で。
ほんの気の迷いだったけれど、それがとても嬉しくて。
あなたの「気の迷い」で、私は今を生きていれる。
誰よりも戦いが好きで、帰ってくる度に全身を返り血で真っ黒にして。
最初は怖くて泣いていた私を、困ったように見下ろしていたあなた。
「おかあさん」
「…あぁ」
面倒臭そうな顔で、ただ手を置くだけの作業だったけれど。
その手の温かさが好きだった。嬉しかった。
「お母さん」
「あぁ」
いつしか後ろをついて歩くのが普通になって。
誰を気遣うこともなく、自分のペースのまま歩くあなたを追いかけた。
「…お母さん」
「あぁ」
一緒に刀を握るようになって。ぶつけ合うようになって。
いい太刀筋だと、褒められるのが嬉しくて。
「…おかあさん…」
そして――
■■■
「ちょっと!?その子誰よ!?」
「拾った、一応養子ということになるな」
「学生同士の集まりで自分の子供連れてくるとか、ヤバ。うける」
「硝子!なに笑ってんのよ!?」
今でも鮮明に蘇る。
まだ彼女が、学生服に腕を通して、子供だったころ。
10年前の、青い夏。
「こんにちは、君の名前を教えて?」
「はい!三輪霞です!」
「おーめっちゃ元気じゃん、可愛い」
「伽藍!あんたちゃんと面倒見れるの!?」
「問題ない、飢えさえしなければ人は生きていける」
「問題ありだっての!」
これは、遠いあの日の記憶。まだ刀の握り方も知らなかった頃の。
呪術師、三輪霞の淡い記憶。
「おかあさん」
「なんだ」
自分とは違う、鏡に映ったように正反対の前髪と、陽光を反射して輝く銀の長髪。
太陽のようにぎらついた、鋭く光る赤い瞳。
それが、とてもかっこよかったと。
今でも覚えている。
「私、おかあさんみたいになれるかな?」
「さぁな」
「もっと大きくなって…綺麗になれる?」
「さぁ」
彼女は虚空を見つめて、さてどうしたものかと相槌を打った。
「うお~…クールだ」
「伽藍あなたねぇ…」
昔から変わらない、どこか達観しながらも、今尚燃え続ける炎のように、静かに光を宿した瞳。
虚空を見つめて…彼女は、今はない何かを、虚空に見立てて生きていた。
どこか寂しそうに見えた、その瞳。
そして、この時に決意したのだ。
「ねぇおかあさん」
「なんだ」
その瞳を見て、霞は――
■■■
「お久しぶりです、歌姫先生」
「…驚いた、昔から思ってたけど…本当にそっくりね。親子というより姉妹みたい」
「そ、そうですか…」
あの日から10年、全てが変わった。
顔に傷跡こそついてしまったものの、歌姫は他の生徒から愛される良き教育者に。
周りに隠れてタバコを吸っていた家入は、今ではよっぽどのことがないと吸わなくなった。
他ならぬ自分自身も、今や立派な呪術師の端くれ。
そして。
「硝子にはもう会ったの?」
「はい、昨日東京の方に任務がありまして…その時に。相変わらずでした」
「ふふふ…またタバコ吸ってたりした?」
「あぁいえ、それが驚くことに、私が来た時に灰皿がなかったんです。私が来るから控えていたと」
「あら、毎日そうだと良かったんだけどねぇ」
「あはは…その…結構ギリギリでした、直哉さんがいたので…」
「げぇっ!あいつも居るの?相変わらずだった?」
「か、軽めの煽りを…」
「ムカついたら言いなさいよ?私がぶん殴ってあげるから」
「あ、あはは…」
「あっ!そうだ!五条には会った!?何もされてない!?変なこと言われてない!?」
「い、いえ!…特に何も…」
誰よりも高潔な精神を持っていた男は、新たな大義のために死んでしまった。
誰よりも自由で、傲慢だった筈の男は次世代の教育者に。
みんな変わった。
「ただ…お母さんによろしくって言ってました」
「会ったのね!?…ん?伽藍に?」
「はい……その、連絡を取ってくれないから、私に伝えてくれと」
「……そう、か……ねぇ、伽藍は元気?相変わらず戦いに明け暮れてる?」
「はい、もうかれこれ1週間は戦いっぱなしかと」
「やっぱり!?もう!いくら反転術式で脳を治せるからって!……そう、元気なのね」
時が経ち、背も伸びて、成長していったのは霞だけではない。
彼女がこの世に蘇ったその日から、常に彼女は行動を起こしている。
「大変だろうけど…頑張りなさい」
「はいっ!早くお母さんに勝たないといけないので!」
「…あー、そ、そうね…」
「濁された!?」
決して衰えぬ闘争欲。学生だったころから苛烈だったそれは、今でも変わらない。
むしろ成長してると言ってもいい、日に日に戦意は昂っていって、そのうち実体化でもしそうなほどだ。
「あっ、ではそろそろ任務ですので…それではっ!」
「えぇ、またね」
駆けていくその後ろ姿を、歌姫はじっと眺めた。
長い髪をたなびかせ、スーツに身を包んだその姿は。
「あぁ……本当にそっくりね」
あの日見た、彼女の後ろ姿と同じだった。
■■■
"窓"の人間にとって、車での仕事は当たり外れがある。
基本呪術師は我が強い。それが車のように、密室状態の空間だとそれをより強く実感することを、たった今理解した。
(ど、どうしよう…)
今回、車を運転している窓の男――伊地知潔高の内心は、ハッキリ言って滅茶苦茶だった。
(な、何も喋らないっ!?)
その原因は後部座席に座る…本来親子のはずの二人組。三輪霞と三輪伽藍である。
伊地知が車のエンジンを入れ、走らせた時には全てが遅かった。
せめてこの時に、エンジンの騒音に便乗して、何か適当な話題を振るべきだったのだ。
しかしいくら反省をしても、この嫌な静けさをどうにかする手段はない。
「…………」
「…………」
(…………)
「……………………」
「……………………」
(えっ、親子ですよね!?何ですかこの空気!?)
普段彼が相手をしている特級術師なら、自分から頼まずとも話題を振り、座席を蹴ってくるような絡みを見せてくれただろう。
しかし残念ながら、今日彼は別の仕事でいない。というかそもそも、同じ術師の頂点である特級術師が、同じ任務を受けるなど滅多なことがないとありえないのだ。
それすなわち、彼女たちをどうにかできるのは、今ここにいる伊地知本人のみということで。
(う、うーん…)
しかし、ミラー越しに後部座席を確認しても、状況は数十分前から変わらない。
伽藍は腕を組み、目を閉じて何も喋らず。霞は静かに、外の景色をじっと見つめている。
しかし本当に、この二人は養子の関係とは思えないほどソックリだ。
違うのは、普段よく見る表情くらいのものだろうか。明るく輝くように笑う霞と、まるで獣のように笑う伽藍。
なまじ顔の基本パーツが同じなだけに、ギャップの凄まじさがえげつない。
(伽藍さんはいつもこうだけど…霞さんは珍しいな…)
普段から明るい子だとは思っていた。そのため、いくら呪術師としての仕事中とはいえ、親子での明るい会話があると思っていた。しかし、現実は意外にも静かなものだった。
別に不仲と言うわけではないのだろう。普段からよく2人でいる様子は話で聞くし、それに喧嘩をしたというわけでもなさそうだ。
それに空気も違う、静寂こそ流れてはいるが、その間に流れている空気は剣呑なものではない。
しかしそれはそれとして、どうしようもなく気まずいのは確かだ。
(ど、どうすれば…!?まだ時間はかかるし…な、何か会話の種を…)
「あの…伊地知さん?」
「はいっ!?なんでしょう!?」
「あー…気を遣わせちゃってすみません…えっと…そうだ、お母さん」
「…ん?」
「さっき、久しぶりに歌姫先生に会ったんだけどね?」
静寂の空気に耐えきれず、焦りに焦った伊地知にとって、それは救いだった。
霞の言葉を聞いて、ようやく伽藍は瞳を開けて、その先の言葉を促す。
よかった、これで何とかなる。そう思ったのだが。
「ほう、どうだった?」
「元気そうだったよ、あと、お母さんがまた不眠で任務に行ったことを怒ってた」
「……それは面倒臭いことになった」
「素直に心配かけてごめん、でいいのに」
「いやしかし…」
「絶対その方がいいよ?」
「………そうか」
(良かった…空気が回復した…)
「でも相変わらず五条さんは嫌いみた…あ。」
「…………そうか」
「……うん」
「…………」
「…………」
「………すみません伊地知さん、後は頼みます…」
(何をっ!?)
――この空気を!?私にどうしろと!?
不味い、いや何が不味いのかはわからないが、何かとてつもなく不味い空気が流れているのが分かる。
「…………」
「…………」
「…………ひょぇ…」
結局、目的地に着くまで3人は、ずっと無言のままだった。
■■■
今回、伽藍と霞が任務を行うのは、ある朽ちた老人ホーム。
2人は、同じタイミングでこの建物に入り、伽藍が帳を下ろすことで仕事が始まった。
『闇より出でて闇より黒く、その汚れを禊ぎ祓え』
「…お母さん」
今回の相手は本来、伽藍が来るのはありえないほどの、下から数えれば早い難易度の仕事のはずだった。
「この前の教えは覚えているか」
「うん、大丈夫」
「ならいい、じゃあやってみろ」
「――うん。」
娘からの問いに、伽藍はあくまでも淡々と返す。
それは、たとえ親子でも、戦場では同じ戦士の1人として扱うことになっているからだ。
それは、他ならぬ霞自身の願いでもあり、そして伽藍の方針でもある。
帳の呪力に反応して、建物の奥から呪霊が沸いてやってくる。
「お"ぐす、おくスり…」
「イいイ位いいいいいゐっ!」
「…ッ!」
カマキリに似た容姿の低級呪霊2体を見て、霞は右手に持つ呪具を強く握りしめた。
呪具の刀を構え、霞は滑るように地面を走る。
呪霊はすぐに反応し、背中から複数の触手を飛ばす。
霞はそれを見て、後退はせずに速度を上げて、それらを潜るようにして近づいた。
一閃。
「アぎ"」
「ふっ…!」
呪力を纏わせた刀が空間を滑る。
ブォンと、空気を切り裂く音が聞こえた時には、既に呪霊の身体は半分になっていた。
――違う。
この程度の呪霊を祓うのは簡単。しかしわざわざこの任務を受けたのは、霞の技術を上げるため。
"それ"を達成するためには、今のようにただ切って祓うのでは意味がない。
相方がやられて、より敵意を強くした呪霊が、命を奪おうとその腕を伸ばす。
身体を反らし、できるだけ無駄な動きをせずに最低限の疲労で攻撃を避ける。
――感じろ。
呪力じゃない。空気の流れでもない。
その周り、空間そのものを頭から除外しろ。自分が気にするのはそれじゃない。
猛攻を続ける腕を、刀の側面で弾き、逸らす。
刀は本来、意外と脆いものだが、霞が今持っている呪具は、並大抵のことでは壊れない。
――今ならいける。
意識がより鮮明に、時間の流れが、動きがゆっくりと。
全ての腕を弾き、無防備になった呪霊の、その正面。
ここで成す。
「――ッ!」
敵を切れ、空気を切れ、空間を、気配を。
ゾッン
呪霊を超え、その向こうの壁にすら届く斬撃。その調べ。
霞の持つ
その音を聞いて、伽藍は閉じていた瞳を開けた。
「…ふむ」
首をかしげて、あくまでも淡々と。
「最初、失敗しただろう」
「うん」
「だが、この前に比べればマシな方だ」
「うん」
「次は最初から成功させろ」
「わかった」
「さっさと行くぞ」
言葉は最低限、任務で学べることが無くなれば、また次の任務へ急ぐ。
刀を握って、拳を握って、飲食すら忘れて戦場に浸かって…
「お母さん」
「あぁ」
三輪霞は今日もついていく。
それは、いつしかの約束を果たすため。
いつか、必ず。
「行こう、お母さん」
「あぁ」
あの日の、彼女の続きを見るために。
■■■
今でもその顔を覚えている。
一緒に車に乗っている時、誰かと話をしている時、他ならぬ自分自身と話している時すら、どこか達観した、退屈そうな顔を見せた彼女。
「戦うの楽しい?」
「あぁ、勿論」
「ごはん食べる時より?」
「あぁ」
「じゃあ、私強くなるから!強くなったら、私と戦おっ!」
「…なに?」
そんな彼女が、この時目を丸くして、声を上ずらせた。
「お前がか?」
「うんっ」
「私に?」
「勝つ!」
「…本気にしていいんだな?」
「うん!"約束"だよ」
「…ククク……」
細く、柔らかい手のひらで、彼女は頭を優しく撫でて。
「…言ったな?精々励め」
この時、本当に嬉しそうな顔で笑ったのだ。
勘のいい人は斬撃の効果音で分かったと思います。