黄泉返りの国家転覆 作:倉庫
――蒸し暑い。
何故こうも、人は戒律によって定められた行事を神聖視して、自ら不便を選ぶのだろう。
山奥に立つ、人の気配も薄い…この屋敷の縁側で正座をしながら、黒髪の少女はそう呟いた。
この場所に来てからというもの、もはや既に見慣れてしまったこの服装。機能性など知ったことではないというように、ただでさえ暑いこの季節に、何十にも重ね着をするなど正気の沙汰ではない。
しかし文句を言ったところで、この不便は変わらない。
「暑い…この服装はどうにかならないの?」
「
「…はいはいわかったわよ」
「御子様。言葉遣いにはお気を付けを」
「…わかりました」
肩に触れる程の、短く切り揃えられた、己の髪を指で弄りながら、少女はそう気だるげに返す。
悪趣味な、しかし今ではもう疑問にすら思わなくなった、布で隠された召使いの顔を見て、少女はまたため息を吐いて。
「それで、今日の行事は何でしょう?」
「まずは日課の"禊"…そしてその後は日が落ちるまで、祈りと贖罪の儀式であります」
「…食事くらいは取らせて欲しいものですね」
「御子様」
…嗚呼また始まった。
こちらの冗談も、嫌みも全部正直に受け止めて、戒めるようなこの喋り方が大嫌いだ。
少女は三度、相変わらずの熱と光を放つ、忌々しい青い空を仰いでから、呟いた。
「…退屈だわ」
一体いつまで続くのだろうか。
この退屈な時間は、そして今も胸でつっかえている、この違和感が晴れるのは。
(…嫌だなぁ……)
少女の記憶は朧気だ。
気が付いたら裸で、この屋敷の中の、十坪はある部屋にいたところから、記憶の再生は始まっていた。
それ以前の記憶はない、自分の名前はおろか、先ほどまで何をしていたのかも。
目を覚ましてすぐに、少女はぐるりと周りを見渡して、その後自分の身体を観察して、そして恐怖した。
服は着ていない。少女の控えめな胸や、その恥部に至るまでが露わになっているにも関わらず、何故か整えられた髪と肌。
そこだけはまるで、新品の部品と交換でもしたかのように、艶と輝きを纏っている黒髪と、そして汚れの一つもない地肌。
その歪さが、とても気味が悪かった。
『嗚呼…嘆かわしや』
その部屋の中で、自分を囲う形でぎゅうぎゅうに座って、瞬きすら忘れてこちらを見る男たち。
男の視線。それが少女の身体に集中している事実に鳥肌が立ち、すぐに身体を隠すように身を縮こまらせる。
その後男たちが、一斉に涙を流して嘆き、悲しみ。そしてたちまち崩れ落ちて、叫びだす。
『穢れた魂…これではいかぬ…これではとても…!』
『落とさなければ…このままでは穢れが生まれてしまう』
『許されぬこと…それは決して許されぬこと』
『嗚呼…星の輝きが濁っている…濁りは排除せねば、洗わなければ!』
「い、いや…っ!」
飛び跳ねるように、男たちが数人がかりで少女に向かい、そしてその身体を抑え込む。
腕、腰を無造作に、少女の痛覚を刺激しながら、大人の腕力が掴んで持つ。
そして、ガラッと襖の開く音が聞こえ、目線をなんとか男たちに向ける。
「いやっ…やめて…!やめて!」
夜の冷えた空気が今の少女の肌を伝って、その生理反応と、狂ったように泣き叫ぶ男たちの様子で鳥肌が立つ。
男たちは変わらずに「穢れを落とさなければ」と、屋敷の外にあった泉の前に到着し。
『星の導きを』
『"禊"の準備を』
『あの
そして。
「いやあああああっ!!!」
ドボン。冷えた泉の中に、少女はそのまま放り投げられる。
その冷たさと、いきなり潜水したことによる息苦しさで、咄嗟に顔を水面から出した瞬間。
『穢れを!』
「ごぽっ…」
『洗わなければ!洗わなければ!』
少女が窒息しそうになるのもおかまいなしに、男たちは頭を押さえて、そして叫ぶ。
なんとか必死に頭を上に、死に物狂いで呼吸を確保して、なんとか意識を落とさずに少女は耐える。
『あの御方に…!』
水と空気を同時に吸って、涙と呻きを漏らしながら聞いたそれ。
記憶もない、突然ここにいた自分の、生まれた理由はなんなのだろう。
『あの御方に捧げよ――!』
"あの御方"なら、知っているのだろうか。
ジジジ…と、何かを訴える耳鳴りと共に、そんなことを思った。
■■■
「…やっと終わった」
喋り方も、服装も、気がつけば彼らの言う通り、彼らの好みに染め上げられて。
必要最低限の食事に、風邪をひく限界まで泉に浸かり、祈りを捧げる日課。
…いつになったら変わるのか、まだわからない。
ただ一つ言えるのは、この退屈でつまらない日常が、やはりどうしようもなく嫌いだということ。
「御子様」
「…なによ、もう日課は終わったわよ」
「……本日はある客人が来ております」
「…客人?」
いつもの日課、昼にほとんど水でふやけた、粥擬きを胃に流し込み…そして日が落ちるまで泉で祈る。
空腹なんてしばらくして慣れた。どれだけ訴えても、どれだけ怒ろうとも変わらない。
自分の周りに潜む、このおどろおどろしい気配と人間の動きは、からくり人形のように一定だ。
「御子様はたいへん立派になられました、後は星の再生を待つその時まで…」
「相変わらず気持ち悪いわね…」
「御子様」
「…わかりました、それで?」
――怪しい。
少女がまず最初に疑ったのは"客人"ということ。
自分は数年ほどここで住んでいたが、その間屋敷の人間以外とは、一切会ったことがない。
それなのにいきなり、しかもこの召使いの言うことだ、信用などできない。
「…今更私に会おうなど、一体どのような用件で」
「貴方様の輝き…それを濁らせないようにと、上が用意したものでございます」
「…そうですか」
上、上と来たか。
どうやら今回は、今までの泉に浸かったりなどの、胡散臭い儀式とはわけが違うらしい。
だがどうせ同じこと、誰が来ようと何をしようと、こいつらの息がかかっていることに変わりはないのだから。
「数年前に、ある都を傾けた女が"浴"を行おうとし、そして人知れず行方を消しました」
「…それで?」
「その時攫われたのは
「…初耳ですね」
ジジジ…
耳の奥で響く違和感。いつもこうだ、泉から上がった後は毎回、こうして耳鳴りに苦しむ。
この耳鳴りを訴えても、召使いは何も関与しない、むしろそれに苦しむことを良しとしているかのようだ。
だから、もういい。
「それの保護…と言ったところですか?随分とお優しいですね」
「…それもあります、しかし第一は貴方様」
「はいはい…それで、その人はどちら…に……」
――風が吹く。
濡れた着物と、未だ乾いていない髪が冷えると同時に、身体の熱が奪われていく。
しかしこの瞬間に、自身の身体が震えたのは…きっと寒さが原因ではないだろう。
召使いの背中、その陰に隠れた位置に立つ、もう1人の人間。
「…えっ」
――
少女の視線に気づき、召使いの背中から顔だけを出す形で、その人物は現れる。
同じだ。自分と同じ、まだ大人になる前の、純粋な少女。
自分のとは違う、光を吸収する黒ではなく、光を反射するような美しい、その銀髪。
「あ、なた…」
目線が合う。
互いに言葉はまだなくて、ただ息を吐くかのように掠れて、零れ出た一言だけ。
じっ…と、銀髪の少女は更に数十秒、目線を向け続けて…そして。
「お前…」
たった一言、呟いた。
「お前が"星漿体"か?」
「…はっ?」
■■■
銀髪の少女は喋った。
それはもう喋った、召使いの殺気を受けながらも、何も知らないように喋り続けた。
もうとにかく喋った。
「この国は天元という名の、ある術師が守護しているんだ」
「へ、へぇ…」
「しかもずっと昔からだ、もう100歳超えてるなんて話も聞いたな」
「………あの」
「しかも天元は不死の術式を持っていてな…」
――これ本当に聞いてもいいのだろうか。
途中から、召使いは凄まじい形相をしながらどこかに行って、それっきり帰ってこない。
しかし変なところで気が利くようで、泉から出たばかりの冷えた身体を、少女はあらかじめ用意してくれた布を纏って、彼女の話を聞いていた。
「凄いだろう?だがしばらく生き続けると、身体が進化して人じゃなくなるらしい…そこで選ばれたのがお前だったんだ」
「…それが星漿体?」
「そう、それが原因だろうな…ずっとこんなことしてるのか?」
「…うん」
予想していた人間像とは、ずっとかけ離れた存在。
警戒心はとっくに無くなった。この自由奔放な態度からは、一切の嘘を感じない。
少女は、身体に纏った布をより強く握って、そして聞く。
「名前もわからないし…お腹も空いたし、それに…」
「は?お前馬鹿正直に何も食べてないのか?」
「…えっ」
少し待ってろ。そう言って、自分の着物の内側を探る様子を、少女は見つめる。
そしてしばらくして「あったあった…」と、満足そうに微笑んでから、それを取り出した。
「ほら、食べろ」
その手に握られていたのは、丁度少女の手のひらに乗るかの大きさを誇る、橙色の何か。
少女が生まれて初めて見るそれに、困惑している間にも、彼女はもう1個それを取り出して、齧り付きながら続けた。
「食え、腹減ってるんだろ」
「…でも」
「いいから、どうせあいつらは見てないんだ」
誘惑。
しかしそれは、今の少女にとってはとても、我慢ができないものだった。
初めて会った、今までの人間とは違う存在を放つ、この銀に眩しく光る彼女。
今まで経験していたことを、真正面から「くだらない」と笑って、切り捨てる彼女。
――答えは決まっていた。
「………」
「どうだ?」
「…………おいしい」
「そうか」
生まれて初めて、あの味も食感もない粥擬きとは違う…心の底から"美味しい"と言えるもの。
感極まって、涙を流すその様子すら、彼女は同じように笑って言う。
「なんだ、この程度で泣くのか?」
「うるさい…泣いてない」
「いい、本当に美味いだろ?なら何も恥ずかしくない」
同じ笑み。だけど先ほどの、この狂った儀式や屋敷に住む人間に向けたものとは違う、優しいもの。
少女はその笑顔を見て、自然と自分も、同じように笑っていたことを自覚する。
そして互いに向き合って、もう一度笑い出す。
「はははっ!なんだお前も笑えるじゃないか」
「ククク…そうね、そうだったわね」
かくして星の資格を得た少女は出会った。
――月のように白く、光輝くある少女と。
貯めの章です。
ちなみにさっと3話くらいで終わります。