黄泉返りの国家転覆 作:倉庫
すみません、読者の皆様…退屈かもしれないかもしれませんが…どうしても本編のあるシーンのためにも、この章は必要なのです。
どうかお付き合いください。
夜の闇は贔屓をせず、皆に平等にその暗く、静かな帳を降ろして世界を染める。
皆平等に、自然の作った河口たちの奏でる、この耳を擽る清涼の音も、耳に安らぎをもたらす。
そう、平等に。
「ふむ、次の満月まであと少しか」
――平等に。悪人にもその音を響かせて、心を満たす。
「これで大体は始末したかな?やはり疲れるね」
ぴちゃり。
草履が足元に広がる赤い液体に触れて、粘性を含んだ音を響かせる。
その仕草からは、一切の罪悪感を感じない。
生気を失い、曇った硝子玉のような目を開いたまま、仰向けになって倒れる人間の死体、それを見つめながら、男は続ける。
「赤子を殺すのは本来、心がそれなりに痛めつけられるものだけど…ま、仕方ないね」
目の前には、周りに広がる惨状に気づかないまま、今もなおぐっすりと眠る赤子。
しかし男が近づいて、その足音と身に纏う、返り血による異臭で意識が覚醒し、視線を向ける。
人殺しの気配。しかしまだ純粋で、穢れを知らないその赤子は、それには気づけず目をぱちくりとして。
「………ぁ、うぅ」
「はぁ…
その、光を吸い込み人を虜にする、宝石のように輝く青い瞳。
呪術の因果と寵愛によって守られた――六眼と呼ばれる世界の宝が、そこにはあった。
自身に迫る命の危機、それがわからずきょとんとしたままの、目の前の赤子に手を向けて。
「悪いね、じゃあ」
ばしゃっ。
赤子の身体を包む上等な絹、そしてそれに劣らない、赤子のもちりとした肌と、サラサラの髪。
それらが赤と臓物で埋められ、鼻から上の部位を完全にねじ切られて、そして絶命する。
そして再び返り血を浴びて、男はやれやれと首を振った。
「全く…これでもう大丈夫かな?本当探すのに苦労したよ、これでここも…」
――
そう静かに笑って、手に付いた汚れを布でふき取りながら、男は歩みを続けて目線を上にする。
月、月だ。己の望む結末と過程、それを成すための下準備。
完全な円に近いものの、まだ完全ではないその輝きを見て、男は更に顔を歪める。
「今の身体では少々…だが背に腹は代えられない、か」
積み重ねられた知識と経験、それらを編んで、求める答えへと突き進む。
確率なんて話じゃない。だがもし失敗したとしても、それで得た経験と知識すらも、次への糧にすればいい。
未だ調停と守護を選び、死人のように生きる"あれ"とは違うのだから。
「さぁて、どうなるかな」
かたんっ、仕事が終わってできた暇な時間。それをどう消費しようかと悩んでいた男の耳に、それは聞こえた。
先ほどの衝撃、それによって古くなった、この屋敷の戸が壊れたのだろう、目の前に落ちる、古ぼけた紙束を男は見る。
「…ふーん、何が書いてあるかな」
呑気に鼻歌を歌いながら、男は目の前に広がる紙を丁寧に広い、そして片手で持って集めていく。
そうして6枚ほど集めてから、男は身体の動きを止めて、今手に持っている紙の、その表面に書かれている文字を見て。
「…………こ、れは」
心底驚いた顔で、そうしてしばらく口を開けたまま放心を続けた後。
くっくっくっ…そう愉快そうに笑った後に、天を仰いでげらげらと。
「くっはははは!なるほどね!そうだったのか道理で!…君はそこにいたんだね」
そう不敵に、そして懐かしそうに笑う男の額にある、その悪趣味な
――月は、平等に照らしていた。
■■■
「お前寒くないのか?」
「…寒いわ、それにお腹も空いたままだし」
「今日も柿を持ってきたんだ、食うか?」
「…食べる」
少女たちが出合い、そしてこの関係が成立してから数週間。
自分がこうして、冷える季節の中でも関係なしに、泉に浸かって祈る様子を、彼女はこうして退屈そうに、静かに観察していた。
変化も喜びもない、退屈なこの暮らし。
「次の満月まであと…どれくらいだ?わからん」
「慰めならもう少し上手くやって、そっちが切り出したんでしょ」
「あー、うん。まぁなんとかなるだろ、別に死ぬわけじゃないらしいぞ?」
「…嘘よ」
「あくまでも合体だからな、意識が消えるわけじゃないしそれに…」
「黙って!」
"天元との同化"
上手く言葉を伝えようと、銀に輝く髪を指で弄りながら唸る彼女、それが言った同化という儀式。少女はそれがおそろしくて仕方がない。
適合者…星漿体である自分が天元と一体になり、人身御供そのものになることで、この国の安穏を維持する…それは理解している。
わかっている。自分がもし、それを放棄して、それでこの国が終わったら無意味だ。
「一生そこから出られなくて、そして私が私以外と、合体して1人になる?そんなの…」
「おい」
「嫌よ、私星漿体なんてやめたい!星の資格なんていらない!」
「落ち着け」
声を荒げ、そう叫ぶ少女。だがその様子を見つめる目の前の彼女は、相変わらず己の銀髪を弄ったまま。
そしてもう一度「うーん…」と唸って、首を傾げてから彼女は言った。
「よし、気分転換しよう」
「…………なに、いきなり」
「いいから、もう日没だろう?ならば余計に都合がいい」
「…どこに」
身体を拭いて、泉で冷えた体温を元に戻すため、今着た服の袖を掴んで、彼女は言った。
そして一度、こちらの顔を覗き込んで、にやりと笑ったあと、少女の手を握って。
「どうせまだ時間があるんだ、なら今の内だ」
「ちょっと、だから…」
「いいから」
ぐっと、少女の身体が横転しそうになるほど、身体を傾け、引っ張って走り出す。
突然のその行動に、少女は目を白黒にして。
「えっ!ま、待って…!」
「こっちだ!」
「ちょっ…!もうすぐあいつらが…!」
「問題ない!何故か最近、あいつらは私たちの邪魔をしない!」
山道を沿って、転げそうになるほどに加速を続けて、2人は更に駆け出した。
少女の手を握ったまま、今も笑って先頭を走る彼女の姿は、まるで何も心配いらないと、そう安心させてくれる。
走って、息が切れて苦しくなっても、それでも今は、そんなことが気にならないくらいに。
今、自分は未知への歓喜が湧いているのだと、そう自覚する。
そうして木々を超えた先、今まで自分がいた場所とは違う、その景色。
「…すごい」
森を抜けた先にあった、人だかりと赤い炎。
炎だけではない、その熱気に加算して、人間の放つ存在感と、その声までが熱を作り出し、そして輝いていた。
――熱い、炎。
「どうだ?見事だろう?」
「………うん、凄い」
ジジジ…
耳鳴りが、また少女の頭に響く。
「暑いな」
「うん」
「目的地はこの先だ、どうしようか?」
――まるで月のように。
控えめに、だけどその抑揚は間違いなく、日に劣らぬ力強さを秘めていた。
ジジジ…
「じゃあ走ろう」
「うん」
ジジジ…
「せー…っの!」
走る。
上空で迸る火花、そして自分たちの身体とそう変わらない、目の前の大人たちの、力強い足。
それらの間を潜って、そして走って、走って。
「っはは…あはは!」
「クク…ッハハハ!」
もう何がおかしいのかわからなくて、そのわからないことが面白くて。
走って、走り続けてを繰り返して、人だかりを抜けたその先に。
「よし――飛び込め!」
「ハハ…はっ?ちょ――!?」
目の前に広がる水面、あの普段浸かる、冷たい泉とは違うもの。
そこに反射し、目に飛び込む月の形。
――満月の、美しい月輪。
「がぽっ!」
どぼん!美しく描かれていた月の映像、それが乱れて滅茶苦茶になる音が。
声が埋もれて、水に溶けて無くなる間にも。
(水…沈…)
ジジジ…
耳鳴りは、止まなかった。
■■■
「ぶはっ!いやぁ流石にびっくりしたか?」
「………うん」
「どうした?やっぱり落ち着かないか?」
全身を濡らし、再び水の中で膝を丸め、俯く少女に、彼女は顔を覗き込む形で問う。
あの後、しばらく水の中で息を止めて、水上を眺めているうちに、一時的に耳鳴りは止んだ。
だが、今もこうして自分を襲う違和感、そして謎の焦燥感は、治らない。それどころか、再び突然、耳鳴りが再来することもある。
「なぁ、いいか」
「…うん」
目線は合わせず、少女は月を見ながらそう答えた。
対する彼女は、やはり癖なのか、己の銀髪を弄りながら、同じように目線を他に向けて、言う。
「私はな、最初お前が同化するって聞いても、可哀想としか思わなかった」
「………死ぬわけじゃないのに?」
「すまん。あれは嘘だった」
ぎちり。そう少女の手を取って、そして強く握りしめながら、彼女は言う。
「どうでもよかった。だってお前は他人だし、今も実際、私はお前の名前も知らない」
「うん、私も知らない」
「私は名前がない。気が付いたら人攫いにあって、気が付いたらここにいた」
「………うん」
「私は運が良かったって、中には連れ去られて…肉を剥がれたやつもいるらしい」
「…そう」
ジジジ…
名前も知らない、血のつながりもない。
結局どこまでも他人で、そして何の共通点もない。
だけど、一緒に暮らした数週間で、人は変わる。
「私は、お前に消えて欲しくない」
「…えっ?」
「あー…だから、その…あぁもう!つまりだ!」
ばっ!両腕を掴んで、彼女は少女の顔を、より深く覗き込む。
その時、空を舞って水滴を散らす銀髪が、とても美しいものだと、少女は思った。
そして、彼女が続けたその言葉に、少女は。
「帰ろう!私と一緒に!」
「はっ?」
――何を馬鹿なことを。
少女は目の前で、相変わらず楽しそうに笑う彼女に、そう疑問を抱く。
「帰る?どこに」
「どこか!」
「…私たち、家ないし」
「私たちがいるところが家だ!つまりここも家!」
「…馬鹿」
わかっていないのか?
星漿体である自分が役目を放棄すれば、それ即ちこの国の終わり。
自分の我儘で、数多の人間が犠牲になり、そして息絶える。
――それなのに。
「…追手が来るよ」
「逃げる!」
「…戦うことになるよ」
「戦いは嫌だ!でも…それでもなんとかする!」
「…本当、馬鹿」
嗚呼…本当に馬鹿だ。
だけど、今はこの言葉が、彼女の能天気な態度が本当に、嬉しくて仕方ない。
「じゃあ、次は私の番ね」
「なに?なんのことだ?」
「勝負よ勝負」
「…はぁ?」
子供の約束。
だがこの幼く、純粋ゆえの言葉の繋がりが、今ではとても心地が良いもの。
呪いもない、愛で作られた…縛りではない約束事。
「約束よ、そして勝負の内容は…私の同化を防げるか」
「…あぁ」
「私を――助けてくれる?」
何の保証もない、だが今では、この言葉が少女たちの世界の全て。
空で輝く満月も、今追ってきてるであろう、あの屋敷の召使いたちもいない。
少女たちだけの、優しい世界。
「ああ、約束だな!」
そして彼女は銀の髪を靡かせて、上空で輝く満月にも負けない、白く光る笑顔でそう返して。
「えぇ、約束」
対する少女も、それに負けない、日のように力強い笑顔で、答えた。
次回、全ての種明かしです。
昨日感想は全然来なかったのに…めっちゃお気に入り増えててびっくらこいた……