黄泉返りの国家転覆 作:倉庫
家入硝子の朝は早い。
伝統を第一に、由緒正しい呪術を扱う京都校とはまた違い、東京校でもそれなりの情報は集まっている。
一般人の学校であるような、人体について詳しく書かれた本だったり、先人たちの残した、呪術のマニュアルなど。
戦闘の行えない家入にとっては、これらの情報は、周りから人一倍求められるものだ。
「……だる」
担任の姿が見えないことをいいことに、家入はこっそり持ち込んだタバコを咥え、そして煙を吐きながら呟いた。
家入は術師の中でも珍しい、反転術式の運用、しかも正のエネルギーのアウトプットができる存在だ。
だからこそ、危険の付きまとう戦闘要員ではなく、救助要員としての活躍を期待され、こうして広い書物の山に閉じこもっている。
――しかしそれにしても。
「チッ…あいつら遅いな…」
普段自分の周りでバカ騒ぎし、そしてうざいくらいに絡んでくるあの男たち、普段はあれほどうるさいのに、今となっては少し恋しい。
最強と呼ばれる2人の術師、五条と夏油は今任務に出ている。
そのため、家入は朝から、今の今までずっと1人だ。
「なんだ、今はお前だけか」
「そ、先輩も任務だしね」
「なるほど、歌姫か」
「そーそ…」
唯一手放しで尊敬できる、自分と同じ女の術師、歌姫のことを想いながら、家入は答える。
ポウッと、タバコの煙を綺麗な輪っか状に吐いて、背中に体重を掛けながら、今の問いに答え。
ぐらりと、背を傾けた先の――
「…は?」
「久しぶりだな、家入」
目の前。
文字通り目と鼻の先で、首を後ろに傾けたその場所にいた人物。
それが放つ赤い目の光が、至近距離から注ぎ込まれた。
そして、恐る恐る聞く。
「……マジ?なんでここに?」
「暇だからな、それに現代の知識にも興味がある」
そう言って、丁寧にバランスを崩さないよう、家入の座る椅子を抑えながら、片手に複数の本を支えて、彼女は言う。
そうしてゆっくり、椅子の角度を元に戻した後、近くにあったもう1つの椅子を持って、家入の隣に置いて、そこに座った。
「ふぅん…これが現代のか…」
特徴的な、斜めに切り揃えられた前髪を払い、その美しい銀髪を輝かせて彼女は――伽藍は本に没頭する。
伽藍が最初に手にしたのは、家入も入学時に軽く読んだ、呪術の基本が書かれた入門書のようなもの。
丁寧に1枚、ぺらりとページを捲って、その文字を目で追っていく。
「…………」
静かに文字の世界に入り込み、そして集中する伽藍の姿を、家入は自分の読書を止めて、それに魅入る。
彼女のことは知っていたし、それにどのような時代を生きていたかも知らされている。
呪術全盛に生きた彼女が、現代の言葉で語られる呪術のノウハウに、どのような反応を見せるのか、それが気になったのだ。
そうして数秒――
「あ?」
さてどうなる。と、思った矢先。
伽藍は途中で、いきなり声を荒げ、ページを捲る動作を止めた。
「……おいおい、これが基本だと?何の冗談だ」
バタン!そんな音を立てて、伽藍は不機嫌そうに本を放り投げ、そして額に手を当て、ため息を吐いた。
そしてギリィ…と、歯軋りを零しながら、言う。
「簡易領域……シン陰が今でも残っているのはまだしも、何故他にはない?たかが門外不出の縛りだろう、シン陰にばかり甘えて、自分で作ろうという気概すらないのか?」
「…えっと」
「なぜ彌虚葛籠がない?まさかあれすらもロクに構築できないのか?いやしかしな…だからといって既存のシン陰を…いや待て待て」
「あの……」
「そもそも結界術の基本もなっとらん!天元の補助ありきでの帳など、天元がいなければ何もできない木偶の坊だ!浄界や空性結界はまだしも…シン陰以外の簡易領域の作り方くらい書いたらどうなんだ?落花の情は…及第点か、そもそも結界術に依存しない、純粋な呪力放出という技術を差し引いても、単純な必中領域に対する反撃としてならともかく、必殺の領域に対する手段としてはあまりにも…」
「…………」
ネチネチネチネチネチネチ。
退化、劣化した現代の呪術を見て、伽藍はやれやれといった態度を隠さずに、文句を吐き続けた。
しかし、家入はその言葉の中から聞こえる、浄界や空性結界といった、呪術の達人のみが理解できるとされる単語を聞き、伽藍という人間がどの立ち位置にいるかを理解した。
「フン。やはり現代の呪術は駄目だな…呪術は駄目、となると…」
そう言って席を立ち、再び後ろに立つ本の山の中から、1つ、2つと新たな本を引っ張り出す。
それらを机の上に、バッと散らして広げた後、目に留まった1つの本を取り出して、それを家入に見せた。
「お前、確か医学を学んでいるんだったな」
「えっ?」
椅子を引っ張り、家入の隣にくっつくように配置し、本を広げながら、更に距離を近づける。
ふわりと、伽藍の髪が舞って、家入の真横に、その顔が置かれる。
そして、すっと本に描かれた絵に指を這わせて。
「どうしてもここがわからん」
「え?あぁ…これは、確か…」
伽藍がそう言って指差したのは、現代で言う高校生がやっと学ぶような内容のもの。
簡単な臓器の名称、そしてその役割や大きさ、成分や見た目。
しかし、現代の色で綴られたそれは、伽藍の興味を強く引いたらしい。
「――これは、ここ。胸の真ん中あたりの絵だから…」
「なるほど、確かに胴を袈裟切りにした時に…」
非戦闘員というのは、やはり逃れられない、妬みの相手となるものだ。
呪霊と戦うことは、常に死を背負って、命の価値観や己の肉体を犠牲にする、どうしようもない理不尽との戦い。
故に、安全圏で作業をする家入のような、非戦闘員は蔑みの的となる。
――しかし、彼女は違う。
「ねぇ、平安術師さん」
「伽藍でいい、なんだ?」
「なんで私に聞いたの?」
伽藍という人間は、呪術に誇りを持った、五条や夏油と同じ、理外の存在に位置する者。
五条のように「自分以外は弱い」といった、根底的な平等もそうだが、それとは違う、別の価値観がある。
家入は、それが気になって仕方なかった。
「?お前が医学に詳しいから?」
「でも私は弱いよ、呪霊もロクに祓えないし」
「…?それが?」
まるでおかしいと、伽藍は首を傾げて、家入を下から覗き込む。
その目には相変わらず、蔑みの色など、どこにもなかった。
「人の強さは千差万別。お前は確かに戦えないのだろうが…お前には知識という武器がある、私はお前が弱者だとは思わん」
「……変なの」
「そうか?真の弱者とは、"今の自分に甘える者"だ。お前は違う、お前は私から見ても、充分魅力的だと思うが?」
片手を軸に、顔を傾けたままケラケラと笑いながら、そう言い切る彼女に、家入は呆気に取られて言葉を失う。
彼女の武勇伝、そして悪い噂を聞いて、どこか理解した風だった今までの自分が、まるで間違いだと殴られたかのようだ。
伽藍は、続けて語る。
「群れで助力し、互いを慰めあうのは弱さだ。だが鍛え上げた者同士が、技術や命を交換し、やり取りすることは弱さじゃない」
「ふーん…」
「だから私はお前を選んだ。では、ご教授願おうか?」
――変な人。
俄然として変わらない、家入が伽藍に向ける印象はこれだ。
残酷なまでに実力主義。しかし、彼女の示す実力は、呪術だけに留まらない。
人という、人間という存在の意欲を尊重する、変わった価値観。
――家入硝子はまだ。
「…いいよ、付き合ってあげる」
この時はまだ、彼女を理解できると思っていた。
■■■
「…どうした?その花束」
「さっきの任務で貰った」
やっと仕事が終わり、これから一息つけると思った矢先、目の前に現れたこの花束。
――薔薇。しかも真っ赤に染まる綺麗なものだ。
突如扉をノックする音が聞こえ、何だと扉を開けた家入の前に、突如現れたこの花たちの匂いが、先ほど淹れたコーヒーの匂いと混ざり、少し気味が悪い。
それらの元凶である花束を、片手で持ったまま、伽藍は首を傾げて問う。
「どうした?」
「…誰から貰ったのさ、助けた人から?」
「そうだ、まぁ別に何だという話だが」
伽藍はそう言いながら、きょろきょろと周りに目線を向けて、近くに置いてあったゴミ箱を見つけて、その花を放り投げた。
ガシャン!と、ゴミ箱が音を立てて倒れ、数枚散ってしまった花弁と共に、地面が汚れる。
伽藍はゴミ箱に近づいて、落ちた花弁とその他のゴミを、もう一度ゴミ箱に戻して、ガンッ!と思い切りふたを閉めて圧縮した。
「…渡したやつも報われないな」
「その場で捨てなかっただけありがたく思え、それに花は腹の足しにもならん」
「…あのさぁ」
無惨に潰れた花たちを見て、家入はため息を吐きながらコーヒーを飲む。
あれから10年、だがその年月では、彼女の歪んだ心を矯正するには至らなかった。
いや、最初から彼女は変わっていない、彼女はずっと昔から、この価値観と目のまま。
いっそのこと、人の心を理解できない化け物ならば、どれほどよかったのだろう。
「…なんだ?」
「別に」
人の心を理解している、理解し尊重できるからこそ、彼女の歪さが悍ましい。
ソシオパスに近いだろうか、どこか自分の持つ感情にさえ、達観した別視点を持つ彼女の心。
未だ理解が及ばない、彼女のそれを考え、再びコーヒーを淹れ直そうとした家入だが。
「あ、あの…」
ふと、鈴が転がるような声が響き渡る。
その声に反応し、家入は扉の方を見て、そして「あぁ」と、話しかけた。
そして伽藍も、その新たな存在に目を向ける。
「霞、元気そうでよかった」
「家入先生も、元気そうで何よりです」
血は繋がっていない、しかし母と瓜二つ。
その、斜めに切り揃えられた特徴的な前髪と、青に輝く長髪。
家入はどうぞと、手で案内をする形で、少女を部屋に招き入れる。
少女、霞は手を後ろに、何かを隠しながら歩いてきて。
「あ、お母さん…その」
「…?」
「えっと、今日はその…」
もじもじと、何とか言葉を続けようと試行錯誤をする霞の後ろで、揺れる赤い花を見て、家入は全てを悟った。
そうだ、今日は彼女にとっても関わりのある日。だからこそ、霞は今日このタイミングでやって来たのだろう。
クラスメイトの前では、気恥ずかしくてできないから。
「今日、母の日でしょ?だから…はいっ」
そう、顔を真っ赤にして差し出した、赤く鮮やかに光る花。
カーネーションと呼ばれる、母によく贈られるその花が、伽藍に向けて花開く。
それを見て、伽藍はしばらく考え込み、そして聞く。
「それは、お前が私にか?」
「…うん」
「私の為か?」
「……うん」
「そうか」
ひょいと、伽藍は霞の手からカーネーションを取り、そしてその匂いを嗅ぐ。
「花か…」と、呟いて、再びその匂いを嗅いで、それを上から、下から眺める。
そうしてしばらく、くるくるとそれを回転させて、観察してから、言った。
「悪くないな、礼を言う」
「…!そっか」
返事はぶっきらぼうだったものの、その言葉に偽りはない。
その、どこか薄っすらとだが、嬉しそうな雰囲気を察知して、家入は顔を顰める。
霞はその言葉と行動を見て、満足そうに笑った後、すぐに家入の方に向かって、頭を下げて。
「じゃあ、失礼しましたっ」
「元気でな」
楽しそうに、廊下で1回転しながら駆け出す霞の後ろ姿を見て、家入は微笑ましいものを見るように笑う。
育ての親が育ての親なだけあって、彼女の教育には少し懸念があった。が、どうやら心配はいらないようだ。
そして、今もカーネーションを持ったまま、興味深そうに観察を続ける伽藍を見て。
「母の日には、よくカーネーションを贈るものだそうだ」
「そうか」
「あの子も緊張しただろう、だが喜んでもらえて良かった」
家入は、目の前でそう返す伽藍に、どこか冷たいものを見る視線で、そう話しかける。
研究者にも似た、あの無機物のような静かさを孕んだ、冷たい視線。
――彼女のタチの悪いところはここだ。
「感謝の気持ちか…あいつがわざわざこれを選んだのだろう?」
そう言って、嬉しそうに笑う伽藍は、そのカーネーションを上に掲げ、そして再び回転させて呟く。
「感謝…ふむ、娘からというのはこんな感じか、いいな」
満足そうに、笑ってそう呟いて。
「あいつが花をか…それに贈り物、そうか。まぁ…」
伽藍は、そのカーネーションを強く握りしめた後。
「やはり嬉しいものだな」
それを、燃やして灰にした。
宿儺と違って人の愛は理解できてないけど、それ以外は理解してる(できてない)なオリ主。
ちゃんと自分のために用意してくれたっていうのも、嬉しいって思う気持ちも理解はしてるけどすぐポイする(花は邪魔だから)。