黄泉返りの国家転覆 作:倉庫
あの日から、ずっと自分に言い聞かせてきた。
――五条悟は俺が殺した。
胸を焼き焦がす怒り、視界が歪むほどの憎しみ。
この道を選んだ時から、既に覚悟はしていたはずだった。
――もっとみんなと…一緒にいたい…!
掻きむしっても収まらない、喚きたい程のやるせなさ、苦しみ。
涙を流し、やっと自分の望みを口にできた、一人の少女の姿。
――星漿体のことは気にしなくていい。
あの日から、自分の何かが砕けたような気がした。
目の前で涙を流し、家族との別れを惜しむ彼女。
まるで無価値だと切り捨てられ、意味の無いものだと後押しされた彼女の犠牲まで。
「…これはなんですか?」
――いつまで、これが続くのだろう。
「なんだ、辛気臭い顔しやがって…お通夜か?」
「…相変わらずズバッと来るね」
顔を合わせてすぐそう言う伽藍に対し、夏油は乾いた笑いを零す。
以前よりマシになったとはいえ、変わらず不快感を与える夏の日差し。
悩みのこともあり、苦しそうな顔をしているであろう自分にも、彼女は相変わらず自分優先な傲慢そのものだ。
「フン、じゃあ…『どうした?何か悩みがあるのか?聞いてあげるから話してみろ』…これでいいのか?」
「…まぁいいや、今は毒を吐きたい気分だからね」
――特に君には。
その言葉は、飲み込むことにした。
「…何のために戦ってるのか、少し分からなくなってきたんだ」
「…?自分のため以外にあるのか……?」
「…あ、うん」
ポカンとしたその表情を見るに、嫌味でもなく本気でそう思っていたのだろう。
弱者救済のため、身を削ってきた夏油には想像の付かない境地、そして得た力だ。
「…盤星教で見た景色が、人の醜さがどうしても頭から離れないんだ」
「人の醜さなど今まで見てきただろうに。なぜ今更」
「…そうだね、きっとあの子の死が理由だろうね」
過去の罪を懺悔するかのように、夏油は少し掠れた声で続ける。
「みんなと一緒にいたい、もっと生きたいって言ってくれたのに。私は彼女を守ることができなかった」
「……天内か」
「うん、九十九由基……あの特級術師が言うには、天元様は何故か安定しているから気にするな。とも」
含みのある言い方で聞き返す伽藍、夏油はそれに気づくことはなく、強く拳を握って。
「なら、何故理子ちゃんが死ななければならなかった?」
「……」
天元は安定している、同化はしなくても大丈夫だった?
ならば最初から、彼女にはただの少女の幸せが訪れるはずだったではないか。
無情にも、あのような死を迎えていいはずではなかったはずだ。
「彼女の死に…意味はあったのか?」
伽藍は、その問いに答えなかった。
「酒が上手い」
「私が来るといつも飲んでるような気がするんだが」
「飲んれないよ?アッ」
「わざとらしい」
酒を飲む、適当に駄弁って余韻に浸る。
ありふれた日常の一コマ、だがそれを演じているのは禪院家、その頂点に立つ当主である直毘人である。
齢六十を超えてなお現役、その戦闘力と娯楽趣味は衰えず、見た目とは反比例しどこまでも若々しいもの。
「例の話は聞いた、若返ったからといって無茶をしすぎだろう」
「…そうだな、お前も受肉してみたらどうだ?世界が文字通り変わるぞ」
「遠慮しておく。お前と違ってそこまで人を捨てるつもりはないからな」
「おい」
本来使用人だけを部屋に入れ、一人で酒に浸るこの男が、わざわざ追加の酒を用意してまで彼女を呼ぶ。
若返ったという違いはあれど、互いに同じ老練の呪術師でありながらも保守的な考えとは離れた存在。
同族意識、仲間意識とも言うべきその距離感に、誰も口を挟む者はいない。
「……うん、やはり現代の素晴らしい点はこの悦楽だ。酒も食事も見事なものだな」
「昔の食事か…今のが当たり前に感じる俺には想像もしたくないな」
「まぁ待て、米に味噌はこれが結構美味くてだな…特に新嘗祭の時の…」
バシッ
常人ならば、その音の鋭さと同時に飛来する拳の圧に恐怖し、身を強張らせてしまうだろう。
それを伽藍は先ほどからずっと、片手でいなしていた。
「クソがッ!」
「新嘗祭に宿儺を招くか…やはり今聞いてもなんというか…」
「だろう?私も何を言ってるこの馬鹿は、としか思えなくてな」
「死ねッ!」
「お前もそれに招かれたのか?」
「あー、いや私は遠くから覗いていただけだ。しかしその後にな…」
「くたばれッ!」
鬼気迫る表情で殴りかかる少女の攻撃を全て、片手でいなしながら平然と会話を続ける伽藍。
直毘人もわかっていてあえて無視し、むしろ必死になんとか一撃入れようと足掻くその様子を肴に酒を飲んでいる。
疲労の色が見え始め、僅かに動きが鈍った瞬間に少女…真希の額に人差し指が突き立てられる。
「終わりだ、前よりは大分マシになってるじゃないか」
そう言い終わるや否や、真希は己の額に突き立てられた指を両手で掴み、思いっ切り横にねじった。
「フンッ!」
「腰が入ってない、もっと力を上手く使って折れ」
「があああああっ!」
「楽しそうだなぁ?真希」
必死に広範囲に指を動かし、ぐわんぐわんと身体を揺らしてもうんともすんとも言わない。
純粋な力比べ、戦いとも呼べないそれに惨敗している現状、そして何より真希にとっては気に喰わない爺という扱いの直毘人に馬鹿にされていること。
負けず嫌いにも近い必死の抵抗を続けながらも、それでも伽藍に良い様に遊ばれていた。
「お前との話は飽きんが、このお転婆娘は考え物だな」
「いいだろう別に、私は気にしないしそれに…こっちも面倒臭い餓鬼を押し付けられる」
「そろそろ真依も戻ってくるところか」
ギャーギャーと叫びながら暴れる真希を、終始片手でいなし続ける伽藍と、相変わらずずっと酒を飲み続ける直毘人。
いつからか恒例となったこの集まり、そして時間の余韻に浸っていると、襖が開いて声が聞こえた。
「お母さん!」
「当主様、耳に入れてもらいたい情報が…」
真希に似た黒髪の少女、真依の手を引っ張りながら部屋に駆け込む青髪の少女、霞。
そして同時に急ぎ足で直毘人に近づき、何かを話す使用人の女性。
「…それは確かか?」
「間違いありません、上層部も大混乱です」
「そうか…これはまた面白いことになった」
背中から抱き着かれ心底面倒くさいとため息を吐いた伽藍の隣で、直毘人は愉快に笑ってそう言った。
伽藍はどうしたと話しかける。
「上層部…もしや宿儺でも復活したか?」
「まさか、それにもしそうだとしても、お前が先に気づかんはずもなかろう」
「それはそうだ。では…」
「あぁ、どうやらあの若造…」
――何のために戦ってるのか、少し分からなくなってきたんだ。
あの日の、夏油の顔が脳裏に浮かぶ。
「夏油傑が呪詛師認定された」
「そうか」
「あぁ、やっぱりいた」
「…前よりはマシな目になったな」
「そう?なら良かったよ」
周りには一般人がいる、呪術は使えない。
普通ならそうだが伽藍は違う、彼女は気分次第で、場所都合問わず好きに暴れるだろう。
しかし夏油は、わざわざ彼女を探し…こうして話しかけてきた。
――夏油には、ある確信があった。
「一応聞いてやる、本当に自分の意志でか?」
「あぁ、みんな殺したよ」
「理由は」
「術師だけの世界を作るんだ」
「くだらん」
終わらないマラソン、止まらない犠牲の連鎖。
術師が生まれ、身を削って死んでいく中、それを生み出す全ての元凶の生みの親である非術師。
悩みに悩み、たどり着いたその極論。
進むべき道は、もう既に決まっているのだ。
「随分とまぁ立派な考えだな、尊敬に値する」
「お褒めに預かり至極光栄」
伽藍の皮肉に対し、夏油は以前よりも明るく、霧の晴れた笑顔でそう返した。
疑惑。
「にしても、よく私に会おうと思ったものだな?」
その様子に少し不快感を示しながら、伽藍は夏油にそう問いかけた。
しかし夏油は相変わらず、あの胡散臭い笑顔を浮かべながら話し続ける。
そして、確信に触れる。
「君は今…悟にしか興味ないだろう?」
「なんだ。わかってるならそれでいい」
「…もうちょっと誤魔化してもいいと思うんだけどな」
目指すは頂点、望むは王の立ち位置。
討ち果たすは強大な壁、乗り越えるべきは最強の敵。
それが夏油の確信だった。彼女にとって、自分を含む有象無象はわざわざ気にかける程でも、手をかけてくれるほどの関心がある訳では無い。
彼女は、面倒くさがって殺しには来ないと。
「全く…まさかここまでの馬鹿だったとはな?」
「……」
失望。言い表すならそれが一番相応しい表情だろう。
夏油の言葉を聞き終え、直ぐに伽藍が見せたその感情。
「お前の意志、お前が選んだ最善の選択のように見えて、結局は己の逃げ道を肯定するための弱音に過ぎん」
「………」
「救いたい対象を変えただけに見えて、その本質は以前よりも劣化した…くだらん自己肯定感を指針とした馬鹿の考えだ」
何度も、何度も目を合わせて続けて。
何度も、馬鹿だと呟いて。
「両親を殺したらしいな?それも自分の逃げ道の逃げ道…それに頼る選択を自ら壊さないといけないほどだったのだろう?」
「……」
「力に溺れた餓鬼の定石だ。自分ならできる、やれると愚かに夢想し…後先を考えず愚直な道をただ走る」
「…」
「お前はただ逃げただけだ。自ら定めた指針の苦難に耐えきれず、楽な道を選んだ臆病者だ」
慰めも、説得もない。
あるのはただの落胆と失望の罵詈雑言、手をあげることもなくただひたすらにそれを向ける。
伽藍のその言葉、そして視線を身に受けながらも、夏油は――
「うん、そうだね」
ただ、笑いながら受け入れた。
「……意志は固い、か」
「…予想外だったよ。まさか君が、私をそこまで心配してくれていたとは思わなかった」
「興味はない…が、年寄りの忠告だ。それに餓鬼の悩みは聞き慣れている。…チッ、ここまで言ってやったのだぞ?本当に行くのか?」
「あぁ、やることは決まったからね」
「……あっそぉ」
誇張した独り言、そして聞いて損した。そう付け足して。
立ち上がり、歩き出した夏油の背に向け、伽藍は再び問いかける。
「その道は
「覚悟の上さ」
「なら勝手にしろ、張りぼてのその達観が、崩れる様を見るのは楽しみだ」
「ははっ、性格悪」
そして直ぐに興味を失って、すぐに伽藍も背を向ける。
その時、己の肩に近づく小さな気配に視線を向けると、以前見た烏が止まっていた。
「…言っておくが、私は非術師だけを殺そうなど思ってはいない」
烏自身は困惑の意を見せ、首を傾げて目を合わせる。
だがその向こうにいる…"彼女"には届いているだろう。
そして、誰にも聞かれない小さな声で、伽藍は笑いながら声を零した。
「どうせ殺すなら…国ごとだ」
歯車は、既に役割を放棄した。
未だ漂う呪霊の残穢。
辺りに充満する血と臓物の腐臭と、焦げた木造建築の匂いが鼻腔を擽る。
――旧██村、夏油傑が皆殺しにした住民たち、それらの住んでいたかつての地。
「まだ若いのによくやるよねぇ、その道を選んでもロクな末路じゃないだろうに」
額に残る縫い目を掻きながら、侵入者はそう零す。
おちゃらけた口調とは裏腹に、その声色はとても愉快だ。
そして、それを戒める誰かの声。
「まだ死んでから日が浅い…早く準備しないと勿体ないよ」
「仕事熱心なことで。ま、私は評価するけどね」
「いいから、早く」
白く美しい着物に身を包みながら、もう一人の侵入者は呆れた顔でそう返す。
真面目な口調とは裏腹に、その声に籠る熱は冷たい。
ぐるりと辺りを見渡してから、少女は問いかける。
「それで、ここはバレないんだよね?」
「問題ないよ、何せ私のお墨付きだから」
「…まぁいっか」
いつの間にか用意していた台車、そこにかつての住民の死体を乗せて、涼しい顔である場所へ運び出す。
その背中を眺めながら、縫い目の侵入者…羂索はへぇと興味深そうに目を輝かせた。
「(抵抗感の消失に彼女への従順っぷり…これも縛りの影響かな?)それで、あとはどうするの?」
「あとは伽藍を待つだけ、それに…時間も」
ぬらりと輝く赤い湖。
凝縮された腐臭と、常人ならば即失神するであろう地獄絵図。
ぼとぼと、無造作に死体を投下させながら、従順な侵入者は満足そうに頷いた。
残るは、彼女を待つのみ――
「ここなら、伽藍も満足できる"浴"ができそう」
「たまには王道に帰らないとね、今回は…久しぶりに
砕けた宝玉と曇った青空。
その中で、彼女を取り巻く赤い呪いは、今も禍々しく輝いていた。
作って遊ぼ(白目)