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マグドレド街道に立ち込める霧。その中から聞こえる怒声や鉄と鉄が打ち合う音、冷たい空気と共に運ばれる、血と煙の匂い。戦が始まったことを嫌でも実感するその空気の中で、
ジークハルトが配属された第三隊の隊長はヒューベルトだ。二度の課題にて、的確なタイミングでの黒魔法により戦果を挙げ続けている彼は、小隊のメンバーをぐるりと見回して、自らの方針を話し始めた。
「さて。私達はカトリーヌ殿が切り開くであろう道以外の索敵を進め、騎士団に横槍が入らないようにしましょうか」
「それ自体は構わねえが……一応理由を聞いてもいいか?」
ジークハルトも勿論ヒューベルトの方針に異論がある訳ではないが、どのような意図があって索敵と支援の方向に舵を切ったのかという道筋を把握したいが為の質問だった。ヒューベルトは説明を続ける。
「まず、私達の隊がエーデルガルト様、フェルディナント殿の隊と比べて厳しい点は「継戦能力が低いこと」にあります。他の二隊と比べて、白魔法を得意とする魔法兵が少ない。傷を負えば、そのまま退却するしかありません」
確かに、ヒューベルト自身も黒魔法や闇魔法に限って言うのであれば、魔法が得意な生徒が多い黒鷲の学級の中でも最も明るいと言えるだろう。だが、白魔法は苦手としており、他のメンバーも白魔法を得手としている生徒は少ない。エーデルガルト隊にはドロテアが、フェルディナント隊にはリンハルトがそれぞれ白魔法の使い手として所属している為、確かにその点に関してはヒューベルト隊の弱点と言えるだろう。
「ですが、他の隊……いえ、敵と比べても私達が優れている点はペトラ殿の存在です。感覚が鋭く、敵の気配を感じるのに優れている貴殿の存在は、間違いなく有利を取れる点でしょう」
「私、ですか?」
「ええ。貴殿の索敵能力で敵より先に位置を把握し、騎士団に辿り着く前に撃退する。これが恐らく最も戦場を有利に運べる作戦でしょう」
「なるほどな……理解した」
仮に敵が霧を意図的に発生させていたとしても、発生した霧で視界を奪われているのは敵も同じ条件のはずである。ペトラの索敵能力を使った支援戦法は、ジークハルトや他の生徒を納得させるには十分だった。
「先生の言う通り、敵が霧を意図的に発生させているとするなら、敵の狙いは此方の混乱を狙ったゲリラ戦法でしょうな。カトリーヌ殿は連続で奇襲を受けない限り落とされることは無い大駒です、私達が奇襲を事前に潰し続ければ……数が多いと言っても訓練されていない民兵、いとも簡単に瓦解するでしょう。何か質問は?」
「無えよ、十分だ」
「私、索敵、集中します。ヒューベルト、指示、お願いします」
隊員となった生徒達の頷く姿を見て、ヒューベルトは怪しく笑う。そしてゆっくり前に向き直り……進軍の合図を示すように右手を前に突き出し、黒鷲の学級第三隊は霧の中へ飛び込んだ。
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「ヒューベルト、注意です! 恐らく前方、敵の姿、あります!」
「ジークハルト殿、前に出てください。敵がこちらの戦力を把握する前に仕掛けたい」
「任せろ」
ヒューベルトの号令を聞き、ジークハルトはトップスピードでペトラの指差す方向に駆け出す。ヒューベルトをはじめとした魔法兵は一斉に黒魔法の準備を始め、ジークハルトの接敵と同時に敵を一網打尽にする構えだ。
やがてジークハルトの視界に敵の姿を捉えた頃──敵も同じくジークハルトを視界に捉えたらしい。手にしているのは剣や槍、様々な武器だが……服装が明らかに戦闘用のものではなかった。騎士団のように鎧を身につけているわけでも、盗賊や暗殺者のように身軽かつ、急所は頑丈な素材で守られた衣装に身を包んでいる訳でもない。明らかにただの布の服──間違いなく民兵だ。
「て、敵襲だっ!」
「怯むな! ロナート様を死なせはしない!」
凄まじい速度で迫るジークハルトに驚き、怯えたような声をあげる民兵達。しかし虚勢の叫び声でその恐怖を打ち消すように武器を振り上げ、ジークハルトを迎え撃とうとする。
「チッ、やりづれぇな……!」
ジークハルトを睨む民兵達のその表情は狂気に満ちていた。恐怖、高揚、怒り、絶望。一体どれほどの葛藤と苦しみを経て慣れない武器を握り締め、死地に向かってきているのだろうか? しかし、その表情に怯え──或いは同情し、振るう刃が錆ついてしまえば最後、ジークハルトの命が手放されることとなる。ジークハルトは剣を握り締め、一番近くにいた民兵に向かって鋭く剣を突き出す。戦う為の訓練を受けていない人間に、常日頃剣を振り続けているジークハルトの一撃を躱す、受け止めることは困難である。剣先は民兵の肩を貫き、その痛みで持っていた得物をその場に落としてしまった。攻撃の手段を失った兵に待ち受けるのは死である。ジークハルトは剣を引き抜くと今にも倒れそうな民兵の腕を掴み、力任せに放り投げた。
「うわっ!?」
「がっ──」
驚いた民兵達は投げられた男にぶつかり、転んで大きく陣形を崩す。その隙にジークハルトはその敵の中に潜り込み、転んだ民兵の腕を足で踏みつけ武器での反撃を封じた上で剣を振り下ろした。
「がぁぁぁぁっ!?」
一撃で絶命した民兵に目もくれず、すぐにその場から飛び退く。他の兵士達に囲まれ、反撃を受ける前に、陣形が崩れているうちに退避するのが目的ではあったが、悲痛な叫び声をあげて絶命した民兵の顔を見たくなかったのだ。明らかに戦い慣れていない人間を一方的に屠ることが、どれ程精神的にやりづらいかをジークハルトは思い知った。
だが、それでもやらねばならない。
「怯むな! 数は俺達の方が多いんだ!」
「ロナート様には近付けさせん!」
二人の隣人を失っても尚、虚勢で士気を上げ、そしてジークハルトに向かって飛び掛る民兵達。ジークハルトはその場から大きく飛び退き──そして先程までジークハルトが立っていた場所に、無数の火球が飛来した。ヒューベルトの指示で放たれた黒魔法、ファイアーだろう。
「うわああああっ、熱い、熱いっ!!」
「ロ、ロナート様……助けてっ……!」
当然ながら魔法に対する対抗策も持たない民兵達はその燃え盛る炎を直に受け、全身を焼かれて悶えながら斃れていく。やがて断末魔も聞こえなくなり、黒魔法による業火も消えていった。そこに残るのは真っ黒な灰と化した民草だった物達。その顔がどのような絶望を見て朽ちていったのかもわからないほどに焼け焦げているのは、幸か不幸かどちらなのだろうか。
「くくく、護ると口にしておきながら、最期にはその領主に助けを求めることしか出来ないとは……。お見事です、ジークハルト殿。おかげで魔法の一斉掃射のみで終わらせることが出来ました」
「……ああ。だけど──」
「おっと。貴殿の仕事はこれで終わった訳ではありません。考えるのは後にして、今は戦い続けるしかないのですよ。移動しましょう」
何かを言いかけたジークハルトを制するヒューベルト。恐らく次に続く言葉は「本当にこれで良かったのか」等のような、罪もない民草を殺したことへの後悔や疑問だろう。それが脳内に過ぎる分には仕方の無いことだが、いざそれを口に出してしまえば、次の打ち合いで必ず剣に迷いが生まれる。ヒューベルトは、ジークハルトが案外甘いことを理解していた。
「貴殿の甘さ、優しさを否定するつもりはありません。だがそれは戦場に於いては──少なくとも今は余計な感情となる。そのせいで貴殿の剣が鈍り、死なれても困りますからな」
「ああ……悪い」
「まあ、貴殿が迷う気持ちも理解出来ますよ。私は魔法で遠距離から攻撃したので、敵の顔までは見えていない。貴殿はその顔、死に際の瞳まで見てしまっている。私もそれを見てしまえば、貴殿と似た感情を抱くかもしれません」
「……ヒューベルト、アンタ励ましや慰めも出来るんだな」
「貴殿が私のことをどう思っているのかは知りませんが……私も一人の人間ですよ」
常にエーデルガルトの従者として主君の隣に控え、不気味な雰囲気を携えながら闇魔法を扱う級友は、主君であるエーデルガルトからも「身も心も真っ黒」と称されるような人間である。ジークハルトも一度エーデルガルトと衝突した際にヒューベルトに殺気を向けられており、或いはあのままエーデルガルトが止めなければ闇魔法は問答無用でジークハルトの元へ飛んでいただろう。その為、何処かでジークハルトは彼のことを同じ血の通った人間ではなく、ただエーデルガルトの為に生きる、冷たい血の持ち主だと考えていた。
だが、ヒューベルトとて無感情に民兵を殺せるほどの空虚な心は持ち合わせておらず、当然ながらジークハルトの級友である以上、士官学校の学生でしか無いのだ。
「ヒューベルト、敵の気配、あります! 少しずつ近付いてくる、注意です!」
「少し退き、森林地帯で迎え撃ちましょう。ペトラ殿は身を隠して向こうの指示役を奇襲で確実に仕留めてください。他の近接兵も木々で身を隠して向こうに付き合わなければいい。ペトラ殿の奇襲が決まってから一気に攻めます」
「作戦、了解です!」
ヒューベルトの指示で全員が一斉に進軍の向きを変更し、森林地帯の方へ移動する。木々の陰に身を隠せる森林地帯は敵の攻勢を受けるには最適だ。更に今は霧が視界を奪っている。森の中であれば敵の攻撃を受けるのに不足はないだろう。
「っ、ジークハルト! 危険です!」
「んだと──うおっ!?」
ペトラの警告に驚くジークハルト。その一瞬後、ジークハルトの足元に矢が突き刺さった。命中することこそ無かったが、もう少し軌道に正確性があれば対応せざるを得なかっただろう。
「ふむ、山勘で射ったのでしょうが……此方の動きは少し見えているのかもしれません。ジークハルト殿、今矢が飛んできた方向に黒魔法で牽制することは出来ますか? 反撃が無いと思われると、こちらが森林地帯に到着する前に何度も攻撃を受ける可能性がある」
「ああ、構わねえが……アンタ、俺が黒魔法を実戦レベルまで鍛えたことを知ってたのか?」
ヒューベルトの指示に少し驚くジークハルト。彼がハンネマンの講習を受け、本格的に黒魔法の訓練を始めたのは花冠の節に入ってから、更に言うなら今節の課題が決定してからの話だ。ジークハルトは基本的に訓練を一人で行う上、黒魔法に関しては失敗している姿を見られたくないという理由でいつも以上に誰とも会わない時間帯に訓練をしていたというのに。実際、ジークハルトは簡単な黒魔法なら実戦でも使えるレベルまで鍛えはしたが、ヒューベルトがそのことを知っていることに驚いたのである。
「
「チッ……アンタ、つくづく不気味だよ」
「褒め言葉として受け取っておきましょう……ではお願いしますよ。仮に矢の反撃が飛んできたとしても、貴殿ならあの精度の矢、躱すなど造作もない筈です」
森林地帯へ向かう第三隊の殿を務め、剣を腰に収めて右手を翳す。全身の魔力を右手の先に集中させ、学んだ理論を元に魔法陣を構築する。右手の前に浮かび上がる青色の陣が輝き、注ぎ込んだ魔力が形となり、凍てつく冷気となって目標とした地点に飛来した。
「ブリザー!」
ジークハルトが放った魔法は氷の初級魔法、ブリザー。霧の中である為敵に命中したかどうかは分からないが、少なくとも矢が飛んできた方向にはしっかり飛んでいった為、牽制としては十分な役割を果たしただろう。敵からの反撃の矢が飛来しても対応出来るよう、注意を払いながら先行していたヒューベルト達と合流する。
「中々良い手際ですな」
「そりゃどうも」
牽制の甲斐あってか、第二の矢が飛んでくることもなく森林地帯まで退くことには成功した。作戦通り生徒達は木の陰や枝の上等に身を隠し、敵がこちらまで攻め込んでくるのを待つ。
「……ヒューベルト、本当に敵は攻めてくるのか? 俺の牽制を見て、退却した可能性だってあるだろ」
「有り得ません。敵は今攻め続けなくては、少ない勝ちの目も消えてしまいますから」
前節の盗賊達と同じですよ、と続けるヒューベルト。ジークハルトはその言葉を聞いてもイマイチピンと来なかったのか、不可解そうな表情を見せた。
「……まだ敵も現れる様子が無さそうですので説明しましょうか。そもそもロナート卿は民兵を動員せざるを得ない程追い込まれています。セイロス騎士団との戦力差は圧倒的に不利でしょう。だからこそ敵はこの霧を使って神出鬼没のゲリラ戦を仕掛けることで、こちらを混乱させることにより戦線が成立しているように見せ掛けている。ですがこの霧もずっと立ち込めている訳では無いでしょう」
ベレスの仮説が正しかった場合なら、ベレスが魔法兵達を撃退した瞬間に霧は晴れるだろう。そうではなくこの霧が自然発生だった場合でも、時間が経てばいつかは霧は晴れ、視界は良好となる。
「……霧が晴れりゃ、民兵達に騎士団を崩す術は無えってことか」
「そういうことです。つまり敵はこの霧が晴れる前になんとか私達を退け、突破しなくてはならない。一旦退却し戦列を整えるなんて時間は無いのですよ……もっとも、民兵達の興奮具合を見れば、時間があったとしても進軍を止めないでしょうが」
敵は霧が晴れる前に決着をつけたいが、こちらはそれに付き合う必要はない。そう考えると、ヒューベルトの今取った作戦はこれから進軍してくるであろう部隊からすると、いやらしいことこの上ない作戦に思えた。なんならペトラの奇襲すら、本来は必要ない。こちらは身を隠しながら適度に立ち回り、敵の時間を潰し続ければ良いのだから。その間にベレスが魔法兵を見つけるか、風向きが替わり霧を吹き飛ばせば、もうその時点で大勢はほぼほぼ確定する──それでもペトラに奇襲を命じ、その後一気に攻勢に移ると指示したのは、或いはヒューベルトなりの民兵達に対しての礼儀だろうか。
「敵、発見しました! 真っ直ぐ、森に侵入します!」
「では、作戦通りに進めていきましょうか。遠慮はいりません、存分に力を発揮してください」
霧中の反乱は、中盤戦へと駒を進める。