深い霧の中、怒号と悲鳴が響き渡る森林地帯。
修羅の形相で決死の攻撃を繰り出そうとする民兵達を、視界の悪さと木々の遮蔽物を駆使してやり過ごし、受け流し、時に反撃をして押し返す。人数差があれど、普段から訓練を受けている士官学校の生徒と、訓練されていない民兵では圧倒的に前者に軍配が上がるだろう。ヒューベルトの作戦の術中に面白いように嵌り、徒に時間を潰されていた。
そんな混沌としている森林地帯での戦闘にて、未だ一度も戦場に顔を出さず、木の上から息を殺してじっと民兵達を観察している生徒が一人だけいた──ペトラである。
彼女がヒューベルトから出されたオーダーは一つ。向こうの指示役、つまり指揮官を見つけ、奇襲で確実に仕留めることだ。
訓練されていない民兵が幾ら頭数を揃えようと、隊列を組み足並みを揃えて戦うことが出来なければ正面から戦っても人数差で有利を産むことはできない。最低でも各部隊に一人、戦術の心得がある者が指揮官として配属されるはずだとヒューベルトは予想しており──そしてその予想は当たっていた。
「落ち着け、ガスパール隊! 敵の思惑通りに動いてはいけない! 落ち着いて一度集まり、戦列を整えるのだ!」
後方から大きな声で指示を飛ばしている弓兵──間違いなく彼が指揮官となっているのだろう。ペトラは音が鳴らないように細心の注意を払いながら木々を飛び移り、奇襲の準備を整える。後は敵が一瞬、一瞬だけでも注意を何処かに向けることがあれば……。
その矢先、森林の至る所から火球が飛び交う。間違いなく級友達の黒魔法だ。民兵達に命中することは無かったが、普段戦いを想像すらしていない民草達にとっては、これ以上ないほどの脅しだろう。民兵達が慌て、怯え、混乱し、指揮官はそんな彼等の方に注意が向かった。狙うチャンスはここしか無い。
「落ち着け! 今のは威嚇だ、一度集まって──がぁっ!?」
一気に飛び降り、敵が反応するよりも速く剣を抜き、弓を持っていた左手に剣を突き立てる。だが彼は指揮を任されている、恐らくはガスパール領を守る騎士団の一人だろう。痛みに耐えながらも何が起きたのかを理解し、右手で矢を持ち、突如現れ自らの左手を奪ったペトラに対して直接突き刺そうと振りかぶる。だが、ペトラは手負いの敵が一番恐れるべきだと知っている。すぐさま剣を引き抜き、軽やかな身のこなしで振り切られた矢を潜り抜け、がら空きの脇腹をすれ違い様に斬り裂いた。
「やぁぁぁぁっ!」
そのニ撃だけでは即死に至らないことを理解していたペトラは左足を軸にくるりと回転し、敵を正面に捉え──必殺の一撃を上半身に叩き込んだ。肩から一気に腰の位置まで斜めに斬り裂かれた敵の指揮官はその場にドサリと倒れ込み、赤黒い血を流しながら絶命する。
「今です、一気に攻めましょう」
ペトラの戦果を見ていたヒューベルトが冷静に攻勢の指示を出し、指揮官が斃れて更に混乱、瓦解を始めている民兵達に、一気に生徒達が攻撃を仕掛け始める。一度崩れてしまえば実戦経験の無い民草に立て直す術は残されていない。やがて森林地帯から怒号や悲鳴が聞こえることは無くなり、生を手放した肉体が転がることとなった。
「流石だな、ペトラ」
「ありがとうございます。ジークハルト、剣の腕、戦果、沢山挙げています。私、負けていられません」
剣に付着した血を払い、腰に納めるペトラとジークハルト。その耳には民兵達の悲痛な断末魔がこびりついたように残っているが、それを背負う覚悟だけは忘れず、迷わない為に一度耳を塞ぐ。剣が迷えば、次に死ぬのは自分だ。
「一旦戦列を組み直し、負傷者の確認をしましょうか。こちらには時間がある」
ヒューベルトの号令で第三隊が集合し、各々の武器の状態、そして傷を負っているかどうかの確認をそれぞれ行う。ジークハルトに目立った外傷は無く、このまま恐らくは前列で暴れ回る役割を続けることになるだろう。
「さて……無理に攻めず戦っているおかげで、我が隊の負傷者は非常に少ないようですね。喜ばしいことです。このまま作戦を続行しましょうか」
「解った……が、この霧じゃカトリーヌさんがどこを進軍してるかも解んねえぞ。当初の作戦を続けるならセイロス騎士団に横槍を入れそうな民兵を撃破するつもりだったろ。どうするんだ?」
深い霧の中では、索敵だけでなく別行動となった友軍との合流や、位置の把握も難しい。事実、前節の盗賊追討戦では定期的に伝令を飛ばし合い、各隊の状況把握や、進軍や奇襲のタイミングを合わせる等が出来たが、この戦いの最中に伝令を飛ばしたことも、伝令を受け取ったこともまだ無かった。ある程度の方向を予想することは可能だろうが、そこからどう動いているかは確定させることは出来ないだろう。
「私達はマグドレド街道から少し西に逸れた森林地帯に構えています。ガスパール領へ向かうなら北西の方向に進まなければならない。天下のセイロス騎士団、それも「雷霆のカトリーヌ」と呼ばれる彼女が、正面以外から攻勢を仕掛けるとは考えにくいでしょう」
「確かに騎士団──特にカトリーヌさんは搦手なんかを使うイメージは無えが……正面は敵も布陣を厚くしてるだろ。わざわざそこを通るか?」
「こんな西の森付近まで布陣を敷いているとなれば、敵は分厚くなくてもいいから、抜けられないように広めに布陣を敷いていると見るべきです。この霧によって敵の発見が遅れるのは敵も同じ──万が一索敵範囲を外れた部分からの侵入を許すのは、敵も避けたいはず」
ヒューベルトの言葉はあくまでも想像の範囲内であり、確定した情報ではなかった。が、ある程度人となりや現在まで戦ってきた敵の布陣、状況等を加味した上での判断だった為、ジークハルトを始めとした隊員の生徒たちも納得する。
「なら、目指す方角、北ですね」
「ええ、急ぎましょうか。布陣がそう厚くないのであれば……ククク、私達が到着する頃にはカトリーヌ殿が包囲を突破しているかもしれませんからね」
ヒューベルト隊は北へ進路を変え、一斉に進軍を始める。霧の向こうに叫び声や鉄の打ち合う音はまだ聞こえない。静かな森の中に、進軍の足音だけが響き渡り、緊張が少しずつ張り詰めていく。
──そんな緊張の糸を一気に弾いたのは、やはり真っ先に「何か」の気配を感じ取ったペトラの声だった。
「近く、人の気配あります! これは……複数の気配、違います。一人です」
ペトラの声で全員が一斉に足を止めた。だが彼女の情報が正しいなら──この戦場に於いて、部隊を編成せず、一人で霧の中を歩く者がいる、ということである。或いは本来は部隊に所属していたが、そこから逸れてしまったか、或いは、元々一人で進軍を行っている──
「ベレス先生の可能性もありますね。ペトラ殿、方向は解りますか?」
「少し、西に方向を変えます」
「……逸れた敵なら処理しておきたい。先生なら一度状況の確認も含めて合流しておきたい。進路を変えます、ペトラ殿、案内を」
──可能性として挙げられるのは、この霧を発生させているであろう魔法兵を一人索敵しているベレスの気配。彼女は一人で進軍し、個人故のフットワークの軽さを発揮して魔法兵を探し、そのまま撃破しようとしていた。或いは魔法兵がいるとするなら、確かに街道の真正面では無いだろう。ベレスが少し西に逸れた森林地帯で索敵を行っている可能性は十分に高い。
ペトラの先導の下、霧の中を進軍する。或いは気配が敵の可能性もある為、慎重に、ゆっくりと進む。やがてペトラは立ち止まり、剣の柄に手を掛けた状態で霧の先を睨みつけた。
「一人の気配、近いです。そしてその先、もっと沢山の気配あります」
その言葉で、ヒューベルト隊に一気に緊張が走る。少なくともヒューベルトの予想が正しいなら、セイロス騎士団は正面突破を行っているはず。つまりこの先にある大勢の気配はセイロス騎士団ではなく、敵か、或いはエーデルガルト隊かフェルディナント隊のどちらかということになる。この戦いに於いては部隊の質は兎も角、友軍より敵軍の方が多い為、先にいる大勢の気配は敵の可能性の方が高い。
だが、ペトラは明確に「敵の気配」とは言い切らなかった。或いは殺気のようなものを感じられなかったのか、或いは級友の気配を感じ取ったのか。何れにしろ一人の気配も無視できない以上、ヒューベルトはもう少し接近する必要があると考え、手で部隊に進軍の合図を出す──
──その瞬間、凄まじい程の「殺気」が、ヒューベルト隊の全員に降り掛かった。
「っ!?」
「全員、戦闘態勢!」
「ヒューベルト、危険です!」
今までに感じたことのない圧に、ヒューベルトすら声を荒げて全員に戦闘態勢を取らせる。打ち合いに弱い魔法兵を守る為に、ジークハルトやペトラが前に出て剣を抜く。この先にいる殺気を放つ者は、全員で本気で立ち向かわねば勝つことは出来ない。本能がそう告げていた。
その殺気は、灰色の風のようにジークハルト達に近付き──
「…………あれ、ジークハルトにペトラ? ごめん、敵が来たのかと思って剣を抜いちゃった」
──その姿が見えた途端、殺気は一気に鳴りを潜め、見慣れた何を考えているのか解らない無表情の女性へと変貌した。ベレス=アイスナー。
「んだよ、先生か……本気で死を覚悟するレベルの殺気だったぞ」
「ごめんね、視界が悪いから近づく気配は敵だと思っていたんだ……皆無事?」
「ええ、戦闘を続行出来ない負傷を負った者はいません。くくく……誤って先生を攻撃してしまっていたなら、あの殺気、話は別だったかもしれませんが」
冗談半分でヒューベルトが口にしたが、実際ベレスの殺気は凄まじいものだった。今まで傭兵として何度も死線を潜り抜けてきた経験値、何度も敵を屠ってきたその腕が成すその異様な存在感。今までの授業や訓練での手合わせでは手を抜いていたのではないかと錯覚するほどの圧倒的な殺意に、ヒューベルトは半ば本気で戦慄していた。
そしてベレスは相変わらず涼しそうな顔をして、その身体に目立った傷は一切ついていなかった。握っている剣には血が付着している為、間違いなく接敵はしている筈なのだが。
「うん、だけど今ここでヒューベルト達と合流できたのは有難いね。君達に手伝って欲しいことがあるんだ」
「ほう、先生が私達に手伝って欲しいこと。部隊長である以前に私達は皆、ベレス先生の駒です。仰せのままに任務を果たしますよ」
「ありがとう。ペトラ、この先に気配があるのは解る?」
「はい、ですが敵? 味方? 解りません。殺意のようなもの、ありません」
ペトラが不可解そうな表情を浮かべながら、ベレスの言葉に答えた。戦場に於いて殺意を持たずに大勢で固まっているという状況自体が不可解に感じているのだろう。
「そうだね、流石の察知力だ。この先にいるのは魔法兵──それも民兵でも、ガスパール隊でもなさそうだ。その上で殺意も無いというなら、作戦に於いて進軍や攻撃を目的としていないということ。つまり──」
「──この霧を黒魔法で発生させている元凶、ということですね」
出撃前にベレスが立てていた予想はどうやら正しかったらしい。ヒューベルトの言葉にベレスは無言で頷き、言葉を続ける。
「ジークハルトとペトラは私と一緒に最速で魔法兵に接近、剣の間合いで一網打尽にして欲しい。ヒューベルトは魔法が使える生徒を指揮し、私達が進軍した後すぐに黒魔法で敵陣に攻撃。敵の意識がヒューベルト達に向き、魔法での撃ち合いが始まったら一気に決めにかかる。この作戦が成功すれば──霧が晴れ、戦況を一気に動かせるはずだよ」
「作戦自体は構いませんが……私達と合流出来なかった場合はどうするつもりだったのですか?」
「え? 一人で突っ込んで魔法を躱しながら全部倒すつもりだったけど」
「アンタが言うと本当にやれそうなのが怖えな……」
無茶に聞こえるベレスの案を聞き、半ば本気で言ってそうな表情をしているベレスを見て、ジークハルトは苦笑しつつも合流出来たことに安堵した。或いは彼女であれば一人でも魔法兵達を一網打尽には出来ただろうが、間違いなく自分達がいた方が成功率も生還率も上がるだろう。
「さて、じゃあジークハルト、ペトラ。用意はいい? 走るよ」
「ああ、アンタに遅れは取らねえよ」
「準備、出来てます。いつでも、大丈夫です!」
「では先生、ご武運を。私達も黒魔法の準備は整っております」
ベレス、ジークハルト、ペトラ。恐らくは黒鷲の学級にて最も速い三人での強襲。傭兵仕込み、百戦錬磨の剣術に校内でもトップクラスの剣術の生徒、そして狩猟で培った必殺の剣を持った異国の剣術。三者三様、形は違えど剣の腕も級内屈指だ。
「じゃあ行こうか。作戦開始!」
「ヒューベルト、頼んだぜ!」
「お任せを」
三人が全速力で気配の方へ走り出し、ヒューベルト達は黒魔法を放つ為の魔法陣を展開する。間もなくジークハルト達の後方から火球や闇の塊が飛び、気配のする方へ一気に向かう。ドォン、という音が鳴り、そして同じように敵陣からも火球や冷気の刃が飛ぶ。
「相手が釣られたね。なるべく気配を消して、だけど最速で近づくよ」
「了解です」
ベレスの言葉と共にベレスとペトラの気配が一気に薄くなる。戦場や狩猟に身を置いてきた者達の得意分野なのだろう、ジークハルトはその気配消しの上手さに内心で舌を巻く。
「ジークハルト、もう少し気配を消して」
「アンタらがおかしいんだよ……!」
ベレスの指示にジークハルトは静かに反論し、それでもなるべく足音を潜めるべく努力する。
「もうすぐ接敵するよ。ヒューベルト達はうまく釣ってくれているね……先手は私が打つ。ジークハルトとペトラは私に敵の意識が向いた瞬間を狙うといいよ」
「解った」
そう言うとベレスは一気に踏み込み、火球が飛んできている霧の中に踊るように飛び込み──やがて視界に映った黒ずくめの魔法兵を一人、瞬く間に斬り伏せて見せた。
「うわぁぁっ!?」
「誰だっ!?」
魔法兵達の意識が一気にベレスに向いたのが、ジークハルトにもペトラにもはっきりと解った。二人も剣を握り、飛び込むタイミングを伺おうと姿勢を落とした瞬間──ベレスが一気に殺気を放ち、魔法兵達を慄かせる。その殺気は自分達には向けられていないと解っていつつも、思わずその恐ろしさにジークハルトとペトラは最善のタイミングである筈の瞬間を失ってしまった。
殺気に慄いた魔法兵の首筋を剣で撫でるように斬り伏せ、まだ状況が把握出来ていない様子の敵の足下を蹴り崩して陣形を崩すベレス。ようやっと状況を飲み込み、迎撃の魔法の準備をしようと魔法兵達が陣を展開し始めたその瞬間、やっと動けるようになったジークハルトとペトラが追撃の強襲をかけた。
「うおおおおっ!!」
「なんだと……っ!?」
魔法を放とうと準備していた魔法兵に、防御をする余裕は無い。ジークハルトの一撃は魔法兵のがら空きとなってしまった腹部を貫き、絶命させるには十分だった。ペトラとジークハルトの介入は魔法兵の混乱を増すには十分効果的だった。
武器を使った近接戦闘になってしまえば、魔法兵よりも歩兵の方が強いのは道理である。混乱した魔法兵、更に歩兵達は屈指の速度と剣術の持ち主、更に更にはヒューベルト達の援護射撃も相まって、敵の魔法兵は蜘蛛の子を散らすように混乱を極め、そしていとも簡単に制圧された。
「……これで終わりだね。ありがとう、ジークハルト、ペトラ。おかげで凄く楽にやれたよ」
そう言ったベレスの周りには斃れた魔法兵達が積み上がり、彼女の容赦の無さと強さがまざまざと見せつけられる。ブンと払った剣先には血が滴り落ちており、それでいてその身体には傷跡も返り血も一切が付着していなかった。
「これで霧は晴れるはずだよ。晴れたら当初の作戦通り、現状把握をする為に全隊合流を最優先に。いいね」
ベレスのその言葉が引鉄だったかのように、辺り一帯を覆っていた深い霧が少しずつ晴れ──マグドレド奇襲戦は一気に終局へと駒を進め始めた。