「──というわけで、今日から一年間、黒鷲の学級の担任をすることになった、ベレス=アイスナーです。よろしく」
その言葉を聞いた時、ジークハルトが最初に抱いた感想は「大丈夫なのか?」というものだった。
大樹の節も終盤に差し掛かってきたところ。ルミール村周辺にて行われた、授業の一環となる演習で、偶然にも盗賊に襲われた士官学校の生徒達。その最中逸れてしまったエーデルガルトと、他の二クラスの級長を助けたという傭兵が、今目の前で教壇に立ち、これから一年間黒鷲の学級の担任の先生となると言ったのだ。
傭兵──或いは先生である彼女の名はベレス=アイスナー。深い緑の髪に、女性的でありながらも非常に引き締まった身体。教壇に立っている姿だけを見ても、なるほど確かに歴戦の傭兵なのだろう、隙らしきものは一切見えなかった。だが、彼女が先生になる……というのは、恐らくジークハルト以外の全ての級友も、彼と同じく「大丈夫なのか?」という不安の感情を持たずにはいられなかっただろう。
彼女は、明らかに若すぎるのだ。生徒達と年齢はさして変わらないのではなかろうか。
士官学校の生徒は全員が同じ歳、という訳ではない。黒鷲の学級だけで見ても最年少は16歳から、最年長だとヒューベルトが20歳となっており、多少年齢にバラつきはある。ジークハルトも17歳であり、凡そ平均すると17、8歳になるだろう。
人は見た目のみで年齢が分かるというものではないが、ジークハルトの見立てからしてベレスは恐らく20歳かそこらだろう。士官学校の生徒として入学してもおかしくない年齢だ。それがまさか、自分達を教え導く教師だなんて! 一抹の不安を抱かずにはいられないのは、自然と言っていい。
だが同時に、彼女は「エーデルガルトを救った」という実績と、「セイロス聖教の大司教であるレアから、士官学校の教師に抜擢された」というお墨付きもある。このフォドラの大地に大きく根付くセイロス聖教の総本山、ガルグ=マク大修道院に併設されている士官学校の教師は、そう易々となれるものでは無い。この土壇場で抜擢されたとなると、間違いなく大司教であるレアか、或いはその補佐をしているセテスのお墨付きは頂いているだろう。その事実がある以上、信用してもいい事の証左にはなる。
少なくとも、すぐにでも不安は殺してある程度の信用は持たねばならない。何故なら──
「早速だけど来週末、現時点での生徒達の実力を測る三クラス合同での戦闘訓練があるらしいね。出場者は五人、私も教師として指揮、戦闘に加わることになってるから生徒から四人。私は皆がどれくらい動けるのかまだわからないから……今日は皆の実力を見せてもらうために訓練所を使って実戦の授業にしよう」
──何故なら、次の週末に行われる戦闘訓練。その指揮役として、教師も参加するからだ。指揮者を信用出来ない部隊は崩壊することが殆どである。今度の訓練は五人ずつの三つ巴の為、部隊という程大規模ではないが、それでも例外にはならないだろう。
そしてベレスはガルグ=マク大修道院に来たばかりで、生徒のことを殆ど何も知らないに等しい。その為のこれからの実戦訓練になるのだろう。すぐにでも現有戦力の確認をするのは傭兵時代の経験だろうか、そういった行動の速さは信用出来るな、とジークハルトはかなり前向きに考えていた。
「あびゃあああああ!? い、今から実戦訓練ですかあぁぁぁ!? 無理、無理無理ですベルは寮に帰りますううううう!!」
──勿論、そうは思わない生徒もいるのだろうが。
〜〜〜
「じゃあ、早速始めようか。二人組を作って、順番に私と戦っていこう。得物、魔法は好きに使っていいよ」
先日、ジークハルトが紋章学の授業を抜けて一人剣を振るっていた訓練所。今日は当然ながら黒鷲の学級の生徒が全員いる為、ジークハルトの存在が違和感になっていない。
「二人組って先生……もしかして二人同時に相手するつもり?」
「そうだけど、何か問題でもあった?」
「ククク……どうやら私達は些か舐められているようですな」
ベレスの出した「二人組でかかってこい」という発言に、生徒達は少なからず動揺する。傭兵上がりということは恐らく少なくない死線は潜っているのだろうし、戦闘経験に関してもこの場にいる生徒達の誰よりも積んでいるだろう。特に黒鷲の学級は貴族出身の生徒が多い為、実戦を経験したことがない生徒ばかりだ。幼少から狩りや教育の一環として稽古は積んでいたとしても、実戦との経験値の違いは大きなものだろう。
だが、ベレスは明らかに自分達の年齢とそう離れていない上に、女だ。幾ら生徒達が実戦経験が無いとは言え、二人同時に相手できるとは思えなかった。或いは──舐められているのか。
「さっきも言ったけど、来週末の実戦訓練は三クラス参加で、一つの陣営につき五人出陣することになる。合計で十五人の三つ巴戦になるね。そんな実戦で、「一対一の戦いしか発生しない」なんてことは絶対に有り得ない……ほぼ全ての戦いに於いて複数対複数の戦いになる。そうなると味方とどう連携を取れるかといった部分も見たいからね、だから二人組でかかっておいで。大丈夫、簡単にやられはしないから」
生徒達の動揺を察知したのか、二人同時に相手をする理由を淡々と説明し始めたベレス。表情に変化はなく、本当にただその理由を機械的に読み上げているようにしか思えない。
「ふむ、一理あるが……それなら相手も複数である方がいいと思わないか、先生。二人で先生と戦うのではなく、二人組同士で戦う方が次の訓練に向けた稽古にはなると私は思うのだが」
そう意見したのは橙色の髪を綺麗にセットし、自信に満ち溢れた表情で訓練用の槍を持った生徒──フェルディナント=フォン=エーギルだ。彼はアドラステア帝国の六大貴族と称される有力貴族の一つ、エーギル家の嫡子であり、戦闘における立ち回りの心得も持っている。彼もまた、ベレスが二人同時に生徒を相手にできるとは思えないと考えているのだろう。
「うん、確かにそれもそうだね。けど、今回は私が皆の実力を見たいから。二人同時に相手するよ」
しかしベレスの意見は変わらなかった。表情を一切変えずに、二人同時に相手をするのは造作もないと言わんばかりに淡々と言葉を紡ぐ。
一見余裕にすら思えるそんな姿に、ジークハルトは少し苛立ちを覚えた。
「俺らは確かに実戦経験こそ少ないが、この士官学校に入学できてる時点でそこそこちゃんとやれる奴しかいねえんだ。幾らアンタが傭兵上がりっていっても、来ていきなり「二人同時にかかってこい」じゃ舐められてるとしか思えねえんだよ……本当にアンタがやれるのかどうか、見せてみろよ──俺とサシで」
碧色の瞳が、鋭くベレスを突き刺す。訓練用の剣を右手に持ち、悠々とベレスの前に立ちはだかった。ジークハルトは取り立てて身長が高い訳では無いが、平均的な男性の身長よりは少し高い。女性であるベレスの前に立てば、その身長差は歴然だ。
「君は……ジークハルトだったね」
「ジークハルト、やめなさい! 先生に無礼よ!」
エーデルガルトが言葉で静止に入るも、ジークハルトの耳には届かない──否、言葉の上では静止に入ったエーデルガルトだったが、内心ではこの状況を止めるつもりは無かった。
エーデルガルトは先日、盗賊団の襲撃に遭った際にベレスの実力の一端はその目で確認している。だが、それでも流石に訓練とは言え二人同時によーいドンで相手をするのは不安を覚えずにはいられないのだ。エーデルガルトも腕に覚えはあるが、例えばフェルディナントとヒューベルトを同時に相手しろと言われたら無理がある。そしてジークハルトは授業をサボってまで剣の鍛錬を積む男であり、黒鷲の学級で剣の腕は随一と言っていいだろう。彼との戦いで、本当にベレスが生徒を二人同時に相手出来るか、測れるかもしれない。
「……わかった、じゃあまずは君と一対一でやろう。かかっておいで」
「ああ、後悔すんじゃねえぞ、先生」
ベレスとジークハルトが、同時に剣を構える。生徒達も息をのみ、二人の戦い、剣戟を一瞬も見逃すまいと空気が一気に張り詰めた。
構えたまま、ジークハルトはベレスを観察する。流石に油断や隙といったようなものは存在せず、そして明らかにこちらが打ち込んでくることを待っている。相変わらずその表情は読めず、こちらが誘いに乗って打ち込んだ後、どのようなプランを組んでいるかは読めない。
ならば──先手必勝である。
ジークハルトは一歩目はまるで廊下を普段通り歩くかのように自然に踏み出し……次の二歩目で一気に踏み込み、そのまま全速力でベレスに向かって走り出した。剣の間合いに入る直前で身体を半身にして右腕を後ろへ引き、ギリギリまで剣筋の予測ラインが見えないように左腕を身体の前に出す。
ベレスはジークハルトが左腕を前に出した瞬間、自分の視界では彼の一太刀目を確実に受け切ることが困難と判断し、すぐさま後ろに飛び退き剣の間合いから外れる。ジークハルトの一太刀目は空を切り、お互い更にもう一歩踏み込めば間合いに入る距離となった。ジークハルトは恐らくベレスが踏み込んでこないことを予測し、更に踏み込んで剣を振りかぶる。
キィン、という剣と剣が打ち合う音が訓練所に鳴り響いた。ジークハルトの二撃目は見切りやすく、今度はベレスも剣を出すことで攻撃を受け止める。しかしジークハルトもこの攻撃が簡単に通るとは思っていない。すぐさま次の攻撃に移るべく剣を引き、再度勢いよく剣を振るった。
得物同士がぶつかり合う音が数度響く。ジークハルトの太刀筋は決して甘いものではなく、常に鋭く速度も重みもある一撃ではあるが、ベレスはそれを正確に剣で受け止め続けていた。ただの一度でもミスが赦されない完璧な受け。ジークハルトはその正確無比な剣の出し方に舌を巻きつつも、少しの違和感を覚えていた。
彼女は、反撃をしてこない。ずっとジークハルトが攻めるターンが続いているのだ。
無論、ジークハルトも相手からの反撃が来ないよう、一方的にこちらが攻め続けていられるように攻撃を組み立て、一撃一撃が必殺になるべく剣を振り続けている。だが、その一撃一撃を全て完璧に剣で受け続けている目の前の女は、本当に反撃が出来ないのだろうか? ここまで完璧に攻撃を受け止めるのは、恐らく自分でも気付けていないような攻撃のクセや予備動作、剣筋をある程度読まれていると考えるのが妥当だ。事実、ジークハルトの剣術は帝国騎士の流派に染まっており、ベレスがその流派の剣術を知っているならば攻撃は読みやすい。そこまで読めていて、反撃する隙がない……と考えるのは甘いだろう。
「だったら──っ!」
それならとジークハルトは更にもう一歩踏み込み、超至近距離での剣の振り下ろしを選択した。この距離でベレスが剣を受け止めるなら、確実にそのまま鍔迫り合いまで持ち込むことが出来る。男女の体格差、身長差を考えても、純粋な力比べなら間違いなくジークハルトに軍配が上がる。
──が、ベレスはその「もう一歩の踏み込み」をひたすらに待っていた。
ジークハルトが踏み込んだ瞬間、ベレスは姿勢を落として同じように一歩踏み込み、振りかぶったジークハルトの右腕を左腕で掴み、そのまま勢いよく引っ張った。踏み込んだおかげで重心が前に向かっているジークハルトはその勢いに逆らえず、引っ張られるがままに前に体勢を崩す。ベレスはそのまま左腕を引いた勢いそのままにその場でジークハルトと身体の位置を入れ替えながら左足を軸に回転し、右足での蹴りをジークハルトの脇腹に叩き込もうとした。
が、ジークハルトも引っ張られた瞬間は何が起きたか解らない、と言わんばかりにベレスの思うがままに動かされたが、すぐさま体勢を崩されたことに気付き、身体を捻らせてなんとか蹴りのクリーンヒットだけは避ける。それでもベレスのつま先は腹を掠め、一瞬焼けるような痛みを感じたが、それでもなんとか身体の向きを調整し、再度ベレスに向き直った──
──その時には、もう目の前に無表情のベレスの顔があった。剣の間合いだ。
「っ!?」
すぐさまどこから攻撃が来るのか、何処に剣を出せば攻撃を受け止められるのかを視覚と脳が処理しようとするが、刹那の瞬間とはいえジークハルトはベレスの剣の在処を視認出来ない。その判断の迷いが生まれた瞬間、ベレスの右腕が振り上げられ、その腕から遅れてくるように刃が現れ……
「はぁっ!」
あまりにも計算された一本。ベレスはジークハルトに蹴りを入れる瞬間、右手に持っていた剣を逆手に持ち替え、刃の部分を腕の後ろに隠すことで視覚だけでは咄嗟に太刀筋を読めないようにしていたのだ。奇しくもジークハルトが最初に左腕を使って太刀筋を読みにくくしたことに対する意趣返しとなっていた。当然ジークハルトはその一撃を躱すことも受け止めることも出来ず、勝敗は決した。
「つ、強え……」
「これで一本。ジークハルトは帝国貴族の剣術の基礎はほぼ完璧に出来ているし、立ち回りも悪くないね。来週末の実戦訓練に出場してもらう有力候補かな……連携次第だけど」
ベレスは、息一つ乱れていなかった。対するジークハルトは、膝をついて荒ぶる息を整えるのに精一杯となっている。
実戦経験の差。命のやり取りをしているかいないかの差。
生徒達の不安は、今やもう「こんな先生相手に、二人組で勝てるのか?」というものに変わっていた。
「取り敢えずこれで、私が二人同時に相手しても大丈夫そうなのはわかったかな? じゃあ作戦が決まったペアからかかっておいで」
──結局その日、最後までベレスから一本を奪うことが出来たペアはいなかった。