ジャンケットバンク ——The Beginner—— 作:上伊
そうして槌は振り降ろされた。
陸谷は、自らの負傷を覚悟で「ド」を狙い。
その目論見は成功して――そして現在。
安楽は、折れた「三本目」の指をなんとか庇いながら椅子につく。
対して、陸谷。
叩かれ、ひしゃげた親指を眺め。
この程度なら、後遺症もなく治るレベルですねえ、と。
ずいぶん余裕そうに席に座った。
二人のその余裕の差は、いやに示唆的でもあった。
「……それでは、2ラウンド第4ターン。「投手」役は安楽様となります。では両プレイヤーは鍵盤を選択してください」
その言葉と共に、ディスプレイはまた更新される。
【安楽】「ド」
【陸谷】「ド」
残ってるのはお互い、残り一つ。……お互いにさっきのターン、演奏に失敗した「ド」だけが残っていた。
最悪だ。
安楽は頭に靄がかかったように、既にろくに物事を考えられていないが。
今の状況だけは、無残にも把握できた。
全3ラウンド、2ラウンド先取のゲームだというのに、既に第一ラウンドは陸谷に先取されている。
そして、まだ賭けられる指。自分は「親指」と「中指」の、二本のみ。それに対して陸谷は親指以外のすべての指が未だ健康なままだ。
……ここから、勝てるビジョンが浮かばない。
安楽は傍らに置かれた矢を見る。
……このターンで、必ず「ド」を完奏しなければならない。
絶対に、ドには当てない。
……それ自体は不可能ではないはずだ。
「それでは鍵盤を選択されましたので……両プレイヤーの配指が公開されます!」
安楽は、ぼやけた視界でディスプレイを見る。
【陸谷】「ド」
【安楽】「ド」
当然だ。「一ターン最低一か所の鍵盤を選択しなければならない」以上、お互い最後の譜面の残りを選択する。
……つまりあとは……
「では安楽様! 矢をお投げ下さい!」
俺が、絶対に「ド」にだけは刺さなければ。
同時に演奏完了で、このラウンドは俺の勝ちだ。
気を付けなければならないのは、陸谷の大声にまたビビらないようにすること。
そしてまた……矢を、外さない事。
あとは……3ラウンドに向けて……いや、それだけじゃない、今ある指を失わないように……
人間が一度に考えられることには限界がある。
まして、こんな状況なら。
安楽は、そんな中戦わなくてはならない。
彼は――不運故に、この賭場に迷い込んだだけの、下らなくつまらない凡人だ。天才的なギャンブラーたちとは違う。そんな彼は――
ダーツの矢を、盤に刺すということすらままならない。
彼が放った矢は――「ド」だけに当たらなければなんでもいい、なんていうたったひとつの希望を、最悪な形で叶える。
カラン、
その音に。場は凍り付く。
安楽の放った矢は、盤をわずかに外して。
「ド」にも、どこにも刺さらず、地面に転がった。
「……あえっ」
――このゲームは、最低でも「5スロット」を勝ち抜いたプレイヤー向けのゲームだ。
胆力も技術も。不足しているとはいえ、「力」で5000万円を稼いだプレイヤーのみが在籍している。
故に――想定されていない。
ズブズブの、ゴミのような素人がここに登ってくることを。
安楽は。プレッシャーと、プライドに押しつぶされ。ダーツを、取り落としてしまった。
そんな安楽の無様な声と共に、行員はマイクをとる。
「……本来、想定されていない挙動になりますが。なんと安楽様が、矢を外されたため――」
「今回の処置としては、陸谷様に、投手権が移動します」
「では――」
陸谷は、矢を持ち上げる。
まるでこうなることが分かっていたかのように。
いや――実際そうなのだ。
(自分は、我が愛すべき国民を守護するため)
(どのような悪人にも、対応する術を学んでおります)
(人間は、その実「もろい」ものなのです)
(この程度のプレッシャーと痛みがあれば――)
(ダーツを外す、なんてことも考えられます)
「……不肖陸谷! 戴いたチャンスを活かさせて頂きますよ!」
陸谷が、鋭く放った矢は――
彼の望み通り。正確無比に「ド」を貫いた。
安楽が、地獄の迷路から抜け出せたのはその次のターンだった。
第2ラウンド、第6ターンで。期せずして投手権を獲得した陸谷は、なんと再び、両者の指を射抜く「ド」を狙った。
その結果は……当然。陸谷の二本目の指と――安楽の、四本目の指の、破壊という形で終わる。
続いて「ド」ハンマーで、親指までも負傷した安楽は、キレ散らかしながらも――続く「第7ターン」では、最後に唯一残った人差し指で「ド」を選択。
そこでは陸谷も「ド」。これでもし「ド」に刺さってしまえば「終わり」という、最後の状況の中――
なんとか、安楽は「レ」に矢を刺すことに成功した。
「それでは――「レ」ハンマーが作動します!」
両者の指をスレスレに振り降ろされたハンマーと共に。安楽は大急ぎで、最後に残った人差し指を鍵盤から離す。
陸谷は、まあこんなものですか……と、まだ何の負傷もない三本の指をひらひらと振った。
「これで第二ラウンドは終了し――おめでとうございます! 安楽様の勝利となります!」
しかし――
安楽とて。これが、まずい状況であることは理解している。
続く第3ラウンド。これに勝たなければ、結局安楽の勝利はないというのに……
安楽は。賭けられる指は、もう人差し指の一本しか残っていない。
対する陸谷は……三本も、指が残っている。
極端な話、安楽はもう七音を演奏しきることは不可能なのだ。
一度の負傷もなく、七音を演奏しきる確率は低い。しかも、そのうちの半分は、陸谷が自分でハンマーを作動させられる回なのだ。
つまるところ。「詰み」だった。
ここから、安楽が勝利ももぎとる方法は。
もはやなくなったと――陸谷も。そして安楽自身も――薄々。勘づいていた。
――本当に?