ジャンケットバンク ——The Beginner—— 作:上伊
「それでは――第3ラウンド、第一ターンを開始します!」
「両プレイヤーは鍵盤を選択してください!」
――陸谷は。
おくびにも出さなかったが、まさかそういうことか……? とひとつ懸念を抱えていた。
さすがにそこまでの度胸はないだろうと踏んでいたが……
この眼前の男の決意した風といい、もしかするととある戦法を取ろうとしているのかもしれない、という懸念。
「二度目のハンマーのペナルティを喰らうと、指は修復不可能になる」。
この行員からの忠告を無視すれば、安楽にも勝機は残っているのだ。
陸谷はそれが愚かな行為だと理解している。
軍人であることに誇りを持ち、誰よりも規範たらんとする彼は、当然ながらというかなんというか従軍経験があり、そしてそこで指を失った戦友を幾度となく見て来た。
その結果得たものは感傷でもなんでもなく「知恵」であり、
つまるところ「人間は小指一本失うだけで、握力が半分落ちる」という単純な知識だ。
簡単に言えば、陸谷からすると指を切り落とすという選択は論外なのである。今回の賭け金は8000万だが、はっきり言って自分の指一本には八千万以上の価値がある。苛烈な戦闘で指の骨が折れることくらいはあるから、一度目のハンマーは許容できる範囲とはいえ、ただでさえ傷ついた筋繊維をもう一度全力で殴られるとなれば話は別だ。別すぎる。
しかしーー
陸谷は改めて眼前の安楽という男を見やった。
こんな場だというのにジャージで、無精ひげがここからでも目立つ。髪は伸ばしっぱなしで肩にかかっていて、もしここが軍下であれば愛の木刀1000発はお見舞いしたいほどに気合の抜けた見た目だ。
正直ここまでマヌケそうな4リンクギャンブラーは始めて見た。むしろ4リンクギャンブラーは傲慢かつ強欲な人間が多く、下手な1/2ライフプレイヤーよりも身なりだけは小奇麗だったりする。
陸谷はギャンブラーは軽蔑するが、人間という人種自体を嫌悪はしていない。一応はこんなでも自分が愛する国民であり、救済せねばと思っているからこそ賭博で彼らに勝利し、彼らを買い、真っ当な人間になれるよう訓練と教育を一日21時間行っているだけだ。
故にこんなことはあまり思いたくはないのだが――
こいつの指一本、流石に8000万の価値はない。
実はこのゲームにおいて陸谷側は圧倒的に不利なのだ。極端な話、陸谷の指一本を一億の価値とした場合、安楽の指一本の価値は高く見積もってせいぜい1000万を超えるかどうかだ。そもそも闇金に手を染め地下賭博場に流れ着いた冴えない成人男性の指に1000万の値が付くことなんてない。安ければ50万で買いたたかれてもおかしくないくらいだ。
つまり同じ枚数、同じ条件で五枚のチップをやりとりしているのに、陸谷のチップは一億円で、安楽のチップは50万なのだ。
本来4リンクから昇格していてもおかしくない陸谷と、本来5スロットにも入れていない筈の安楽だからこそ起こってしまっているレートの大きすぎる格差。
それによって起こる事象は簡単であり、つまり「逆転」だ。
恐れているのはそれだ。安楽が突然漢気を発揮し、五本の指を賭け始めた場合。
自分が賭けられるのは三本であり、一気に不利な対面になる。
しかし、その場合結局次ターンも指を失う可能性があり、失敗した音階が残ってしまう都合上、完奏のため全指を賭け続けることは下手をうてば指を五本すべて落とすことにも繋がりうる。
眼前の男が。「片手の五指を喪う」、その覚悟ができる人間では絶対にないことだけは陸谷は確信していた。
果たして、陸谷のその読み通りか否か。
安楽はふう、と大きく息をついてから指を鍵盤に置いて、言った。
「俺は「ミ」に、最後に残った人差し指を置く」