親愛なるお隣さん   作:TrueLight

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はじめまして、さようなら

 進学する中学を間違えてしまったかも知れません。まさか強制的にクラブ活動をさせられるなんて。進学すると同時に引っ越すことになったことも災いして、私にはその居住区から選択できる二つの学校を天秤にかける時間も知識も無かったのです。

 

 後になって分かったことですが、もう一方の中学校にはクラブ活動の強制なんて無かったようで、やはり私は意に沿わない形で中学校に入学し、そして軽音部に所属することになったのでした。

 

 軽音部にしたのは単純な理由で、小学生の頃にピアノの経験があったからです。とっくに辞めましたが。吹奏楽部でない理由はもっと単純。その中学は吹奏楽コンクールでの全国大会出場経験が豊富な強豪も強豪、つまり非常に熱心な部活動だったのです。

 

 経験があり、されどそこまで真剣に活動したい訳ではない私は、新しいことを覚えずに済み、かつ適当に曲を覚えて弾いていれば活動が認められそうな軽音部に入部しました。

 

「ピアノ弾けるの!? じゃあキーボードやってよ! バンド組もっ!!」

 

 そんな誘いが、私の中学校生活をバンド活動に染め上げるきっかけでした。良くない意味で。まず間の悪いことに、その場に軽音部の顧問が居たことで逃げ場を失いました。顧問はロックバンド経験があり、強要はしないものの生徒がバンドを立ち上げるとなれば非常に協力的だったのです。

 

 新入生の部員が五人しかおらず、しかも一人がボーカル専任予定ともなればキーボードの存在は不可欠とすら言えました。顧問に言わせれば、の話ですが。他がギターにベース、ドラムを希望したので確かにちょうど良かったのかも知れません。

 

 引っ越したばかりの地で、入ったばかりの学校で、三年続けなければならない部活動のメンバーからの誘いを。顧問の強い期待を以て行われたそれを、断る選択肢はありませんでした。同調圧力というのは恐ろしいものですね。

 

 まず後悔したのは、結局新しいことをいくつも覚えなくてはならなかったことです。ピアノ経験者だからという理由でキーボードを押し付けられたことには当初納得していましたが、いざ実物を目にすれば、触れてみれば。ピアノとキーボードは用途が全く違う楽器だったのです。私ですら知らなかったのですから、他のメンバーが知らないのは仕方がないことだったでしょう。

 

 さらに下手を打ったのは、その部活動のことを母に話してしまったことです。母は私が再び音楽に興味を持ってくれたと大喜び。一週間と経たないうちに、自宅にキーボードや周辺機器を買い揃えてしまったのです。

 

 漫画を読んだりアニメを見るくらいしか趣味がなく、その上友達も居ない私は、幸か不幸か、自宅でも楽器の練習をせざるを得なくなりました。もちろん、引っ越してきたばかりの地でご近所トラブルを起こしては母に申し訳ありませんから、長くても夜の8時くらいには練習を終えていましたが。

 

 これは余談ですが、友達が居ないというのは住所を変えたことが理由ではありません。私は小さな頃から人付き合いが得意な性質ではなかったと、それだけのことです。対人能力に難があるという訳ではありません。ただただ私は、ノリが悪い人間であり。それは子供にとって十分に距離を置く理由となりうるのです。むしろ思い返せば、いじめ等の被害に逢わなかったことが幸運とすら言えるでしょう。

 

 話を戻しますと、つまり私は中学に入学してからすぐに義務バンド活動としてキーボードを練習することになったのです。それから二月(ふたつき)と経たず、一つの事件が起こりました。

 

 ──騒音トラブル。私の、ではありません。お隣さんからの騒音でこちらが被害を受けたのです。最初は問題ありませんでした。私と同じく、年度を跨いでの新生活で楽器に手を出した人間が居たのでしょう、その人は毎日ギターの練習をしていました。ほぼ毎日、実に六時間以上も。

 

 しかし、たまにではありますが夜の12時頃まで、あるいはそれ以降もギターを掻き鳴らすことがありました。頻度はそこまでではありませんでしたので苦情を入れることはしませんでしたし、あるいは自分と同じように煩わしい思いをしている近隣住民が文句を言ってくれないかなと、他力本願な思いもありました。

 

 結果として一年ちかく、私はその騒音に文句を言うことは無く、近隣住民もそれは同じだったようで。そのうるさいギターの音は夜の町に時折響いていました。

 

 ここで再び私の学校生活に話を移します。一年も同じメンバーで活動すれば、その仲間たちはもはや友達と言って良い関係に──なってはいませんでした。キーボードとしてしっかり役割は果たしていたと自負しています。しかしやはり、愛想の悪い私は演奏するために場に居合わせる以上の関係を築くことが出来ず、五人組のバンドではなくあくまで四人+私という形でした。

 

 もっとも、一人だけそこそこに親しいと言えなくもないメンバーが居たので、おかげで他バンド仲間とも軋轢(あつれき)を生むことは無かった、と思います。1年時の文化祭でも前座として場を温める程度には協力して活躍できましたから。

 

 そんな私は、自分でも意外なことにキーボードにのめり込んでいました。他に時間を使うような趣味も用事もなかったので、楽しみを見出す要素がそれしか無かったとも言えますが。ここで重要なのが、お隣さんが夜も平気でギターの練習をしていたということです。おそらく近隣住民からの苦情が無いので問題ないと考えたのでしょう。

 

 私は便乗して夜まで練習するようになりました。基本的にはヘッドフォンを装着して練習していましたが、お隣さんが知っている曲を演奏しているときは、同じ音を重ねて演奏したり、あるいはセッションの真似事でメロディを彩る音を差し込んでみたり。

 

 所属していたバンドでは他のメンバーがカバーしたい曲を挙げていたのですが、悲しいことにその大体はキーボードパートの存在しない曲でした。お隣さんの音に合わせてオリジナルの音を差し込む練習は、私にとってとても重要な訓練だったのです。おかげで、即興でメロディラインを支える下地が鍛えられました。

 

 訓練と言っても、その時間を私は楽しんでいたと思います。学校で練習する時、あるいは音を合わせる時。雑談に話を咲かせつつ演奏するメンバーに合わせて音を鳴らすだけの空間は常に私を疎外感でいっぱいにしました。私が無愛想なのが悪いんですけどね。

 

 でもお隣さんとはそもそも壁を隔てていて、お互い好き勝手に練習しているだけです。その中で、お隣さんに合わせてみることもあれば、私が演奏しているところにお隣さんが合わせてくる、なんてことも稀にありました。なんだか言外に通じ合っているようで、心がふわふわするような時間でした。

 

 だからきっと、私はキーボードを好きでいられたのでしょう。同じ時期に始めて、自分と同じ速度で上達するお隣さんは、私にとって妄想の中のバンドパートナーでした。もしかしたらずっと年上の男性かも知れませんから、直接会ってみようだとか、顔を見てみようなんて考えすらしませんでしたが。

 

 実は過去に誘拐されかけたことがある上に、私は小学生に間違われるレベルで小柄なので、自衛のためご近所さんの目にすら留まらないよう心がけていましたし、こちらからも積極的に顔を見ようとは思わなかったのです。

 

 それはともかく、そんなこんなで私はキーボードを続けました。2年でも文化祭で演奏を披露して。顧問の先生も去年より良かったぞと褒めてくれて。それでも友達の一人も出来ず、さりとて落ち込むでもなく私はキーボードを続けました。

 

 私にとって友達とは特別な称号なのです。軽々しく作ったりしないとさえこの時には思っていました。愛想の悪い自分を肯定して意固地になった結果ですね。しかしこれはロックなのでは? なんて考えたりして。

 

 そこからも特に変わったことは無く。3年でも文化祭でバンド仲間と演奏を披露──とはいきませんでした。それまで何とか維持していた関係を、私が壊してしまったからです。

 

亜細(あさい)って調子乗ってるよね~。最初から楽器できたからって、いちいち演奏に口出してきてさぁ。普段全然喋らない癖に練習の時は急にべらべら言うし。キモくない?」

 

「そういうとこあるよね~」

 

「可愛い子ぶって寒いよなー。チビで胸無いくせにな!」

「オタク男子によく告られるからモテるって勘違いしてんしょ? 黒髪ロングぱっつんに赤目て。童貞が好きそうじゃんね。名前もキラキラしてっし」

 

「まぁあたしらのこと、内心バカにしてそうだよね~」

 

 ある日の練習を終えて。いつも通り談笑するメンバーを尻目に帰宅しようとしたところ、部室に忘れ物をしてしまったので取りに戻った時でした。

 

 ──まぁ、そういう風に思われてるんだろうな、とは思っていました。ですが私は思わず唇を噛み締めるほどのショックを受けたのです。私の陰口を聞いたから、ではありません。

 

 その中の一人が。私が唯一、それなりに親しいと思っていたメンバーが。……もしかしたら、いつか友人になれるのかな、そんな風に思っていた女の子が。本心ではなかったのかも知れません。その場を白けさせないよう話を合わせただけなのかも知れません。

 

 それでも、私は。その女の子の知らない顔を見て、悲しくなったのです。

 

 私の陰口を楽しんでいるのが空気を読んでいるだけなのだとしても。それは私に対する親しげな態度が偽りである可能性の底上げにしか思えませんでした。そのことに、想像以上にショックを受けたのでした。見なかったふりをすれば。私が平静を取り繕っていれば、卒業までそれなりの距離感でバンドを続けることは出来たのでしょう。

 

 ですが、それを契機に気づいてしまうのです。いえ、目を逸らしていたいくつかの出来事を受け入れざるを得なかったのです。例を挙げれば、キーボードパートの無い曲ばかりをカバー候補として練習していたのは、私が困るのを見たかったのかな、とか。一度それらを認めてしまえば、私は情けないことに折れてしまったのです。

 

 私が、自分で思っていた以上に打たれ弱かったと、それだけのことで。それが何よりの決め手となってしまったのでした。

 

 さて、翌日には気を新たに、とはいきませんが、昼休みの時点で退部届を提出するに至り。クラスメイトたちの話題が耳に入って知っていた、最も活動が簡単な部活に入ることになりました。文芸部です。軽音部の顧問には退部する理由を伝えていましたから、そちらから文芸部顧問に話が行っていたようで、(つつが)無く移籍は完了しました。そして、文芸部については特に言及することは無いので割愛します。

 

 言及すべきことがあるとすれば、自宅でのキーボード練習をしなくなったことでしょう。だって部活のために始めた練習で。そしてそこを退部したのですから。私には2年以上連れ添ったキーボードも、もはやただのインテリアでしかありませんでした。

 

 練習に当てていた時間を埋める方法などいくらでもあります。主にアニメ鑑賞になりますが。いつかまとめて見ようと思いつつキーボードを練習してきたものですから、それを消化するには良いタイミングだと思うことにしました。

 

 ……アニメは、スピーカーから音を流して視聴することにしました。以前はPCにイヤホンを挿して見ていて、理由はまぁ、キャラクターが恥ずかしいことを言っていたり、あるいはちょっとアレなシーンが流れて、それを親に聞かれると居た(たま)れないから。そういうのに理解がある方なんですけどね。

 

 でも私はこのとき、イヤホンを使用しませんでした。なぜかは分かりません。音を合わせることもない以上、お隣さんからの演奏は2年前と同様ただの騒音に成り下がったのですが。

 

 私は、それを(わずら)わしいと思わず。ギターの音を耳にしながらアニメを見るという、よくわからない時間を過ごすようになりました。

 

 そんな日が数日続くと、異変が起こります。お隣さんのギターの音が、どんどん下手……とは言いませんが。メロディが安定しないというか、上の空であることが伝わるというか。いつもはどんなに短くても夜の10時前後までは練習していたのに、8時を待たず終えてしまったり。かと思えば突然、深夜の2時だの早朝5時だのに演奏してみたり。

 

 そのような異変が続けば私とて気になります。というか普通に心配でした。もしや生活リズムが狂うようなことがあったのでしょうか。ストレス? 体調か精神状態のいずれか、あるいは両方がよろしくない状態なのはほぼ間違いないのではないでしょうか。一体何が──。

 

 お隣さんの変事の原因に思いを馳せることさらに数日、突然に私は閃いたのです。あるいは、遅すぎたのかも知れませんけれど。

 

 ──私? 私がお隣さんの練習時間がおかしくなったことを心配したように。お隣さんも、突然キーボードを演奏しなくなった私を、心配してくれていた? ふとそう考えれば、続く出来事の理由も推察することが出来ます。

 

 早く練習を終えたのは、私と音を合わせることが出来ないからなのか──とか。夜中や早朝に突然演奏しだしたのは、私がお隣さんの異変を心配したように、生活リズムが変わってしまったことを危惧して、そこに合わせようと起きて練習を始めてみたのか──とか。

 

 なんで、よりによって学校からの帰り道で思い至ってしまったのでしょう。私は、気づけば涙していたのです。バンドメンバーの彼女たちの言葉を聞いてしまった時ですら、堪えられたというのに。私の身を(おもんばか)ってくれているかもしれない彼、あるいは彼女の想いを感じて、くしゃくしゃに顔を歪ませてしまったのでした。

 

 無心で走り出しました。何度も涙を拭いながら、ずびずびと鼻をすすりながら。夢中で私は帰宅して、すぐに荷物を放り投げて、お風呂に入って、母と自分の食べる料理を作り、先に食事を済ませて、そして待ちました。いつも大体、練習が始まる時間は決まっていましたから。

 

 そして私は──ここ数日ろくに触っていなかったキーボードを、思うままに演奏しました。お隣さんが聞いているのか、また音を重ねてくれるのか、そんなことはどうでも良かったのです。

 

 ただ、私を心配してくれたのなら、ありがとうを。そして、もう大丈夫だから、自分の練習を大事にして欲しいと。そんな想いをのせて、鍵盤に指を踊らせました。

 

 ──すぐに。一分と待たずに、二つの楽器がメロディを咲かせました。寄り添うように。ただただ、安心したように。私の鳴らす音を、彩るようにそれは響いたのです。

 

 やっぱり、私達が顔を合わせることはありませんでした。でも、それで良いのだと思って、毎日毎日、二人で音を、心を交わしあったのです。それは新年が明けるまで続いて、きっとその先も続くのだと、そう信じて疑いませんでした。

 

「ごめんねぇ、また引っ越しになっちゃって……。今度は、高校を選ぶ時間はちょっとだけどあるからね。ジェネちゃんの成績ならどこでも入れると思うから、気になったところは遠慮しないで言ってね?」

 

 残念ながら、そういう事になってしまいまして。我ながらどうかしていると思うのですが、この期に及んでお隣さんと直接会うなんて、今更どの面下げてと感じてしまって。もしかしたら、バンドメンバーの事もあって臆病になっていたのかも知れません。

 

 ですが、少しだけ勇気を出すことは出来たのです。またお隣さんが心配してしまわないように。引っ越しの際には切り取ったノートの1ページにメッセージを残して。それをポストに投函して、そそくさとその場を後にします。跡を濁しまくってしまいつつも、私はお隣さんのお隣から立ち去ったのでした。

 

 "お引越しすることになりました。毎日とても楽しかったです。一緒に練習出来ないのは寂しいですが、私はキーボードを続けます。あなたもギターを続けて、どこかでまた会えたらと期待します。私はもっと上手になります。きっとあなたもそうだと思います。でもきっと、私達が音を重ねれば、お互いに気づけると信じています。ありがとうございます。またどこかで、お会いしましょう"

 

 亜細(あさい)世代(じぇね)。進学先は、引っ越し先の住居から最寄りの秀華高校。私はきっとそこでも、例え友達が出来ず、一人であっても。ずっとキーボードだけは、続けると決めたのでした。


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