階段の切り傷部分に足を取られ、慌てて燭台を持ち直す。
「大丈夫なのだ?」
「大丈夫です。足元は気をつけないといけませんね」
足場はえぐれている部分もあり、避けて通らないと足をひねりそうになる。足元を慎重に見ながら一歩ずつ進む。
上りにくい足場の中二階に着くと、二つの廊下が目の前に現れる。一階と同じく、西側に真っ直ぐ向かう廊下と左手の廊下だ。左手の方に傷が広がっていて、真っ直ぐの方には傷も何もない。
「やっぱり何かが通った跡のように見えるのだ」
二階も同じくメモ帳に地図を描く。斜め線を引っ張って染まったスペースは、玄関側へと続いていく。一階と二階で全く一緒の構図だ。
「どうするのだ?」
「玄関側に向かってみましょう。音があった扉があるはずです」
傷のある道を南下していく。壁には燭台も見受けられ、壁との接合部分を残して全てえぐられている。途中傷跡の残る扉はあったが全部鍵が掛かっていた。壊してもよかったが、子供がいる可能性はまずないため意味がないと判断した。
ろうそくを天井にかざしてみる。当然ながらこちらも傷だらけではあるが、蜘蛛の巣やほこりっぽさがないのが気になった。だいぶ時間が経っているはずなのに、なぜか年月を重ねたような跡が周りにはない。
……それに空気が重く感じる。二階に上がってからやけに息が詰まるような感覚があるのだ。微妙な空間の変化が妙に気になりながら歩を進めていく。
おそらく目的だった扉が見えてきた。暗い廊下の、右手奥にある扉。距離と位置的に、ホールで聞いた音の正体だろう場所。
傷が入った扉をゆっくりと開くと、目の前に柵が見えた。それを通じて蜘蛛の巣塗れのシャンデリアが見え、向こうも鏡あわせのように扉があった。ここが端であり、右手に壁に沿ってずっと向こうまであり、途中で途切れて階段がある。
階段側に燭台をかざしてみる。扉が両端にあり、ぶつ切りになった通路の中央に階段が位置している。飛べるような距離ではない。
「やはりここまで短時間で来られるはずがないのだ」
「つまり、他に誰かいるのでしょうか」
「もしいるとしたら無法者の可能性が高いのだ。子供が危ないのだ」
脱走兵、バウンディハンター、ホームレス……考えられる要素はいくつかある。雨風をしのぐには充分な場所だが、生活の跡は見られない。先ほどの食堂を見れば明らかだ。
「急ぎましょう」
きびすを返して元の廊下に戻る。少し南下すると角があり、そこを曲がってみるとぎょっとして足を止めた。
瓦礫が道を塞いでいるのだ。落盤した坑道のように、向こう側が全く見えない。かろうじて窓が見えるくらいで、向こう側の光を全てふさいでしまっている。
この先が、さっき外で感じた違和感のある場所につながる……。
「どうするのだ? 戻って調べてない場所を探してもいいのだ」
「いえ……あそこに行ってみましょう」
近くに扉がある。そこを通れば東側に行けるのではないかと考えた。あの違和感のあった角の部屋に行けるのなら、もう少し探ってみてもいい。
何かを見たわけではない。何か考えがあるわけでもない。ただ、あの違和感がどうも拭いきれなかった。
「わかったのだ。調べてみるのだ」
無法者とやらを警戒するために武器を持つ。まるで刑事のように壁に背を付け、生傷残るドアノブを慎重に回した。
すると扉は、なんの抵抗もなく開いた。ろうそくとともに部屋に入ると、ぼうっと部屋の全景が浮かび上がる。壁を埋め尽くす本棚がまず目に入った。
「すごい量の本なのだ」
五段ほどの棚に本が敷き詰められ、壁の他に真ん中二列にも並んでいる。広さは食堂より少し狭いくらいだろうか、ヘッドライトがようやく奥の壁に届くくらいの距離だ。一個人の家にしては充分すぎる資料室だ。
……ここも蜘蛛の巣がないな。ほこりっぽさも全然ない。
「ん? ここは育児関連の本なのだ」
目をメイの方に戻すと、彼女はサイドテーブル近くにある小さな本棚を見ていた。見てみると、確かに育児関連の本が置いてある。ここだけは二段ほどの小さなものに、十冊ほどが隙間を作って置いてある程度だ。
「お子さんがいたんですかね?」
「本棚が他と比べて新しい感じがするのだ。誰かが新たに作ったのだ?」
確かにこれだけは上手い素人の手作り感がある。列を成す本棚と比べて材質が安っぽいのだ。
「ここはもう少し調べてみるのだ?」
「そうですね。物陰を探しつつ、向こうの扉に向かいましょう」
ヘッドライトによって、奥に扉があるのが見えた。そこに向かうまで隙間や本棚を見回しながら進んでいく。
物陰はなかったが、この列の本棚の違和感に目が行った。今入ったスペースのほぼ全部がアーツに関する資料ばかりなのだ。『アーツ学』のⅠからⅢといった見慣れたものから、見たことない高度な専門書まで数多く取りそろえられている。
「アーツに関する本が多くありますね」
「一般家庭でアーツの本はきな臭いのだ」
つまりアーツを使える人間がいたのだろうか。でなければ一般人が触れるような本ではないだろう。また仮にアーツを使える人間がいたとしても、この量は普通ではない。天井まで届く本棚がいくつもあり、そのほぼ全部を締めている。
これではまるで、研究施設のような……。
「予備探偵、今嫌な気づきを得てしまったのだ」
「予備探偵ではないです。何ですか?」
「今まで見た傷は、アーツによってできた傷かもしれないのだ」
傷……アーツ。
「獣でも人為的にも説明がつかない傷だったけども、アーツなら説明がつくのだ」
「この量の専門書を見ると説得力がありますね」
「ということはなのだ」
メイが足を止める。
「血痕があるホールに死体がなかったのも説明がつくのだ」
「どうしてです?」
「もし獣や普通の人間の仕業なら骨が残るはずなのだ。だけどホールや廊下にある傷を見ると……アーツを鋭い刃、あるいはそれに類似するものを出せると仮定できるのだ」
「ふむ」
「だとするなら、死体は骨ごとバラバラに刻まれた。それなら多少の年月が経てば風化してしまうのだ」
突飛な発想とは全く言えない。それなら明らかに惨劇のあった場に死体がないのも説明がつく。ないのではなく、見えなくなるくらいに刻まれて風化した。
「しかしそれほど強力なアーツで事件があったのだとしたら、ニュースになっていないのが不思議ですね。犯人はまだ捕まっていないのでしょうか」
「私たちが知らないだけであるかもしれないのだ。しかしここまでの惨劇ならもっと有名になるはずなのだ」
「謎が解明されていない。あるいは犯人が捕まっていないからでしょうか」
「それはあるのだ。これほど強力なアーツを使うならもっと知れ渡っているのだ。今はどこにいるのかは謎なのだ」
「全く知らない場所に逃げたか。あるいは」
「あるいは?」
「まだこの館にいるか」
「……」
「……」
さすがに考えすぎだろうか。先ほども触れたが、人が暮らした跡がなさすぎる。いくらバラバラにしても、それら肉片が風化するには年月が必要だ。
しかしアーツなのだとしたら、どれほど強力なアーツなのだろうか。通った廊下、そしてホールの天井付近にまで及ぶ広範囲のアーツなど想像ができない。
奥の扉まで着いた。鍵が掛かっていたら無理にでも壊すしかないと思っていたが、全く鍵は掛かっていなかった。
出た先は、外の日光が入ってくる廊下だった。左はずっと奥まで続いており、右は曲がり角。その突き当たりにはボロボロになったガラス戸があり、風が入ってきてようやく重苦しい雰囲気が拭われた気がした。光と風があるとだいぶ気が楽になった。
「どっちに行くのだ?」
「行きたいところがあります。あの曲がり角の扉です」
光に照らされた扉を見やる。
「どうしてなのだ?」
「探偵の直感です」
「ほほう、直感。予備だとしてもそういうのは大事なのだ」
「だから予備じゃないです」
そう言い、バタンと後ろ手で資料室の扉を閉める。スムーズにずれも引っかかりもなくキレイに閉まる。
……そういえば今までの扉は錆がなかったな。長年放置されているなら、蝶番が錆びていくらか引っかかると思ったが。
変な疑問は置いておき扉に向かう。こちらも一切の抵抗なく開いた。
中はがらんどうの部屋だった。角部屋らしく正面と右手に窓があるのだが、それ以外はほとんど家具がない。明るいためろうそくを消して辺りを見回す。
空の本棚に、書類が多少散らばった机、傾いた照明、奥にあるサイドテーブルと、天蓋付きのベッド……その間から出た足。
「あ」
すぐさまサイドテーブルを回って見る。するとそこにはしゃがんだ少女がいた。
おかっぱ頭にフェリーンらしく三角の耳が頭にぴんと立っており、不思議そうにこちらを見上げてみる。
「ミネアさんですか?」
「ミネア……」
目線を外に向けたが、すぐに戻しうんうんと頷く。
「私はミネア」
「よかった。私たちはロドスの者です。あなたを探しに来たんですよ」
「まったく、どうしてこんな場所まで逃げ込んだのだ」
遅れてメイがやってきた。
「ごめんなさい。びっくりしちゃって」
「ほら見てください。あなたが銃を突きつけたりするから怖がったんでしょう」
「突きつけてなんかいないのだ! あれは野生動物とかオリジムシを警戒していたのだ!」
「ともかく、ここは廃墟なので危険です。すぐにロドスに戻りましょう」
「ロドス?」
「私たちが所属している場所で、あなたがいた難民の避難場所でもあります。周りの大人から聞いていませんでした?」
「あ、いや」
少女は立ち上がる。
「たぶん名前だけなら聞いてたと思う。でもそれどころじゃなくて」
「そりゃそうなのだ。子供は逃げることで精一杯だと思うのだ」
「仕方ありませんね。じゃあ、一緒に行きましょうか」
「うん」
手を差し伸べると、少女は私の手をつかんだ。メイに燭台とマッチを渡し、空いた手で報告書を写したメモを見た。
私と並んだ感じ、身長はおそらく140くらいだろう。おかっぱ頭にフェリーンの耳。ここまでの外見は一致している。
でも服装は違うなと思った。報告ではワンピースと聞いていたが、実際は白いシャツにクリーム色のスカートを穿いている。これをワンピースと見間違うかと言われると疑問に思う。
じっと見ていると、少女はこちらを見てにこりと微笑んだ。
情報提供者の気のせいか情報の行き違いだろう。そう思って笑みを返し、廊下に戻った。