転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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107話 閑話② ラドルの村の姉弟

side ルーン

 

「姉ちゃん、そろそろ広場に行かないと点呼に遅れるぜ?」

 

俺は、村に唯一ある小さな教会で、一心に祈りを捧げている姉ちゃんに背後から声をかけた。この教会は、10人も人が入れば窮屈に感じる程こぢんまりとした教会だ。部屋の中には、長椅子が2つと、一番奥の壁に大人の身長ほどの十字架がかけられているぐらいで、他に見るべきものは何もない。

 

その十字架の前で、旅装束に身を包んだ姉ちゃんが床に膝をついて祈りを捧げている。

 

姉ちゃんは俺の言葉にすぐには返事を返さず、少ししてから立ち上がった。そして扉の前にいる俺を振り返った。

 

「ごめんなさい、ルーン。アバン様とポップさんの旅の無事をお祈りしていたの」

 

分かっている。姉ちゃんは、去年アバン先生とポップの兄貴がこの村を旅立ってから1日も欠かすことなく、2人の無事をこの教会で祈っていた。姉ちゃんは今から1年以上前、この村を襲った悪魔神官に攫われた。だけど、偶然この村を訪れたアバン先生達に命を救われて、無事この村に戻ってくる事ができた。

 

俺達の両親は既に亡くなっていたから、姉ちゃんは俺にとって唯一の肉親だ。そんな姉ちゃんを助けてくれた2人には、心から感謝している。

 

それに、この村に戻った後もアバン先生とポップの兄貴は、俺達に戦うための技を教えてくれた。おかげで、今こんな風に一変してしまった世界でも、俺と姉ちゃんはこれまでどうにか生きてこれた。

 

「こんな日までお祈りしなくても良いんじゃないの、姉ちゃん? もう神父様も先に広場に行っているよ?」

 

「あら、こんな日だからこそお祈りは必要よ。それに、ロックハート砦に行ったらお祈りする場所も無いかもしれないじゃない」

 

「それは、そうかもしれないけどさ……。まあ、いいや。早く行かないと遅れちゃうよ」

 

俺は姉ちゃんと連れだって、教会を出た。教会から広場までは、目と鼻の先だ。広場の方向からは、ガヤガヤとした声がここからでも聞こえてくる。

 

俺が姉ちゃんと広場に着くと、もうほとんどの人達の受付は終わっているようだった。俺達は、机の前で手持ち無沙汰にしているベンガーナの兵隊さんの所に行って声をかけた。

 

「東2区のエルサ・フロストと、弟のルーン・フロストです。遅くなってすいません」

 

「は!? あ、ど、どうも……! い、いや、全く遅いなんて事はありません! 名簿を作っていますので、こちらに署名をお願いします」

 

「分かりました。お勤めご苦労様です」

 

姉ちゃんはその兵隊さんにニコッと笑いかけて、自分と俺の分の名前をノートに書き込んだ。

 

くすくすくす。兵隊さん、目を丸くして姉ちゃんに見とれていらあ。そりゃあ、そうだろうな。姉ちゃんは、弟の俺の欲目を抜きにしてもこの村一番、いや、ベンガーナで一番の美人だもんな。

 

姉ちゃんは、俺より5つ年上の18歳だ。18歳ともなれば、結婚して子供がいたっておかしくない歳だけど、姉ちゃんはもちろん結婚はしていない。この小さな村でも、年頃の男は何人かいて、当然のごとく姉ちゃんに食事に行かないか、とか、見晴らしの良い高台に行かないかとか言ってアプローチをしかけてくる奴もいた。

 

だけど、姉ちゃんはその度に、「お慕いしている方がおりますので……」と言ってやんわりと断っていた。だから、これから行くロックハート砦でもきっと姉ちゃんに粉をかけてくる兵隊さんは大勢いると思うけど、皆断っちゃうんだろうな、と思っていた。

 

「おう、エルサ、ルーン! 遅かったじゃないか、心配したぜ」

 

「ごめんなさい、リックさん。アバン先生達の旅の無事を祈っていたら、つい時間を過ぎてしまっていました」

 

「ああ、いつものやつだな。こんな日まで熱心な事だな。家の戸締まりは、きっちりしてきたか? 直ぐには帰れねえからな」

 

「大丈夫だよ、リックさん。バッチリさ。今日で最後の班なんだろう? 村長も最後まで大変だね」

 

俺は、父さんと母さんの位牌が入った鞄をパンパンと叩きながら、リックさんに返事を返した。

 

「こいつ、生意気言ってんじゃねえよ!」

 

そう言って、この村の村長であるリックさんは俺の頭をワシワシと掻きむしった。

 

「わっ! やめてよ、リックさん!」

 

「クスクスクス。でも本当にお疲れ様です、リックさん。先に村を出た人達は、もう無事にロックハート砦に着いているんですか?」

 

 

これから村の外に出るというのに、全く緊張した素振りを見せない姉ちゃんは、朗らかに笑いながらリックさんに話しかけた。

 

「ああ、それは大丈夫だ。ただ、日に日に魔物の数が増えているからな。今日あたり、魔物の襲撃があるかもしれねえ。最後の班なんだ。一人の犠牲者も出さずに砦にたどり着こうぜ……! すまねえが、お前達の力もあてにさせてもらうからな」

 

「ええ、どこまでお力になれるか分かりませんが、頑張りますね。ね、ルーン?」

 

「ああ、もちろんさ。アバン先生やポップの兄貴に教わった技を、今使わなくていつ使うんだってやつだしな!」

 

俺と姉ちゃんがそう意気込んでいると、後ろから声がかかった。

 

「ハッハッハ。なに、我々、大陸最強の兵団が護衛に付いているのです。お嬢さんはもとより、この村の誰一人として欠ける事なくロックハート砦までお連れしますよ!」

 

20代の隊長さんらしき人の言葉に、他の兵隊さんも口々に「そうだ、そうだ」と声を上げている。だけど、俺は知っているんだ。この兵隊さん達の目は皆、俺の姉ちゃんに向かっている事を。

 

この人達の考えている事は、手に取るように俺には分かる。きっと、『良いところを見せて、(姉ちゃんを)惚れさせよう』という所だろう。

 

分かるよ。だって、姉ちゃんにアプローチをかけていた村の男達も、大半は同じ考えだったから。だけど、今、村の男達で姉ちゃんを振り向かそうとしている人は誰もいない。

 

……皆、悟ったからだ。

 

良いところを見せよう? 見せればいい。俺は止めない。だけど、もしこの人達が姉ちゃんに対して良いところを見せようと考えているのなら、1人で100体以上の魔物を討伐して見せないといけない。

 

姉ちゃんにとっての理想の男性像は、それが姉ちゃんにとって良い事なのか悪い事なのか分からないけれど、あの時に高止まりして固定されてしまっている。

 

そう、姉ちゃんに惚れさせるためには、あの嘆きの峡谷でポップの兄貴がやったように、100体以上の魔物をまず1人で討伐しなければならない。

 

姉ちゃんは村の男達からのアプローチを断る時に、そんな事はもちろん言っていないと思う。だけど、皆、理解したんだ。

 

『お慕いしている方がおります……』と、頬を赤らめて答える姉ちゃんの目に映っている人間が誰なのか。

 

『氷の賢者ポップ』……。ラインリバー大陸のロモス王国から広がったその名は、『勇者ダイ』、『霊長類最強の女武闘家マァム』という名と共に、瞬く間にこのギルドメイン大陸を席巻した。

 

その名を聞いた村の人達は皆、1年前に村を救ってくれたあの少年だという事をすぐに理解した。

皆、立ち寄る旅人から伝え聞くポップの兄貴の偉業を聞くだけで胸が躍った。

 

それは俺と姉ちゃんだけじゃない。ポップの兄貴に魔法指導を受けた人間を含む多くの村人の心を、その名前は掴んでいた。

 

ラインリバー大陸最大の町であるロモスの町を覆うほどの巨大な破邪呪文を唱え、大地を埋め尽くすほどだった魔物の大群を退却に追い込んだ。無数の悪魔族をたった1つの氷結魔法で粉微塵に粉砕し、初夏のロモスの空に雪を降らせた。

 

とても信じられないような話だ。だけど、この話が多少は脚色されたものだと考えたとしても、皆がとてもではないが張り合える相手じゃないと考えても無理はなかった。

 

……だからだろう。姉ちゃんからミサンガが欲しいなんて強請る村の男は現れなかった。ミサンガのやり取りは強制力の無い、緩い縁を繋ぐようなものだから、男に次々とミサンガを渡す節操のない女の人だって中にはいる。もちろん、姉ちゃんはそんな尻軽な女じゃないけど。

 

そういえば、ポップの兄貴は姉ちゃんからのミサンガを受け取っていた。本当に姉ちゃんを迎えに来る気があるんだろうか? ミサンガは受け取った男の側も、妻に娶りに来たり、とりあえず会いに来ただけみたいに、捉え方によって色々ある。何人もの女の人を引っかけているような男なら、ずっと来ない人だっている。俺はポップの兄貴はそんな人じゃあないと思っているけど、あれから1年以上経つけれど、ポップの兄貴は来ていない。

 

やっぱり今は魔王軍との戦いで、それどころじゃあないんだろうな。姉ちゃんもそれは理解しているのか、家でその話が話題に上がったことは無い。でも、時々寂しそうにしている事を俺は知っている。

 

 

 

「やあやあ、集まっていますね。最後の班は30人ぐらいという所ですか? 魔物が徐々に増えてきているとはいえ、リックさんにエルサ、ルーンがいる班なら安心というところですか?」

 

「おう、ヘンケン。お前、いつ戻ってきたんだよ? ベンガーナの町に物資の買い付けに行くって言ってなかったか?」

 

「ええ、行ってきましたよ。あちらは、つい先日ヒドラとドラゴンの群れが襲撃してきて大変だったんですよ。でも、糧食の買い付けは問題なく終わりましたのでご心配なく。砦の兵士50人、そしてこの村の村人約150人の計200人でしたか。切り詰めていけば、半年は耐えうる量ですよ」

 

「ヒドラにドラゴンだって? そんな魔物が襲ってきたのかよ! それでベンガーナは大丈夫だったのか?」

 

「ええ! それに関して、実に面白い噂話を仕入れてきましたよ。実は、『氷の賢者』ことポップ君がですね……!」

 

ポップの兄貴? その魔物の襲撃にポップの兄貴が何か関わっているのかな? ヘンケンさんの言葉に、俺は思わず身を乗り出した。

 

でも、ちょうどそのタイミングで兵隊さん達の熱烈な売り込みを笑顔で躱した姉ちゃんがやってきた。

 

「こんにちは、ヘンケンさん。物資の買い付け、お疲れ様でした。ベンガーナの町では何もありませんでしたか?」

 

「や、やあ、エルサ。ええ、何もありませんでしたよ……! 何もありませんでしたとも……!」

 

「おい、ヘンケン。お前今、ヒドラが襲ってきたって…… ――! 痛ってえ!! 何すんだよ!」

 

俺は見た。ヘンケンさんが、リックさんの足を思いっきり踏みつけたのを。

 

「そ、そんな事よりエルサ。アンナ婆さんが村を離れる事を不安がっていました。少し元気づけてあげてくれませんか?」

 

「まあ! 分かりました。直ぐに行ってきますね」

 

そう言って姉ちゃんは、アンナ婆さんの所に駆けていった。アンナ婆さんは、俺達の家の近所に住むお婆さんだ。足腰が弱っているから、時々姉ちゃんがご飯を作ってあげたり、買い出しに行ってあげたりしている。

 

「おい、ヘンケン。エルサを遠ざけたって事は、まさか……」

 

「ええ。そのまさかですよ……」

 

はー……。2人の会話を横で聞いていて、俺は心の内でため息をついた。どうやら、ヘンケンさんが仕入れてきた噂話は、ポップの兄貴の武勇伝だけじゃないようだ。

 

俺は2人の会話に耳をそばだてながら、ここ最近起こった事を思い出していた。

 

この村の周辺は、1年程前から徐々に凶暴な魔物が出没するようになっていたけれど、それが2ヶ月程前から一気に加速した。凶暴な魔物が頻繁に出没するようになり、それが徒党を組んで襲ってくる。また、この地域には姉ちゃんを攫った時にいた妖魔も出現するようになった。

 

俺達の村は、アバン先生とポップの兄貴が戦うための術を教えてくれていたけれど、村自体に城壁があるわけじゃなかったから、頻繁に魔物の襲撃を受けて疲弊していた。だから村長のリックさんがロックハート砦の大隊長さんと相談し、村人全員の砦への避難が決定した。

 

元々そういう場合も見越して、王様が大きめの砦を作ってくれていたし、防備の薄い村々は非常時に砦に受け入れるように通知を出してくれていたから、スムーズに事が進んだ。

 

その後俺達は、村人約150人を3つの班に分けてロックハート砦に向かわせる計画を立てた。そして、今日が最後の班、俺達がこの村を出発してロックハート砦に向かう日だった。

 

 

「よし、最後の班の全員の確認が出来た。これより、ロックハート砦に向かう。ラドルの村人は、我々兵団の命に従うように……! では、出発!」

 

さっき姉ちゃんをチラチラと見ていた隊長さんの合図で、俺達はラドルの村を出発した。

 

 

 

 

 

「敵に、魔法の得意な魔物がおります、隊長! 我々の装備では……!」

 

「ぐっ! おのれ、今日に限ってこれほどの魔物が襲ってくるとは! 総員、密集隊形! ラドルの村の者は中央に集まれ!」

 

今俺の目の前には、兵隊さん達が魔物から俺達を守る盾になるように入ってくれている。ここは、ラドルの村を出て1時間ほど進んだ地点だ。ロックハート砦まではだいたい歩いて3時間ほどかかる距離だから、ちょうど1/3ほど進んだ事になる。

 

今襲いかかってきている魔物の数は、だいたい10体ほど。護衛として村に来てくれていた兵隊さん達は20人ほどだ。普通だったら十分撃退できる数だけど、敵の後方に魔法を放つ魔物が2体いることが状況を難しくしていた。

 

兵隊さん達の中に魔法を使える人はいないようだ。もともと、ベンガーナの兵士は、魔法使いがほとんどいない。それは、王様の方針でそういう人を中心に採用しているからだそうで、現に目の前の兵隊さん達も皆フルプレートの甲冑に身を包み、手にはロングソードを持っているだけだ。

 

その兵隊さん達は、敵の前衛であるマッドオックスやさまよう鎧の相手をする事で精一杯で、とてもではないけれど、敵の後衛まで攻撃を届かせる事が出来ないでいる。

 

「エルサ嬢! ここは危ないですぞ! さあ、私の後ろへ!」

 

「何をいうか! お前の後ろなど危なっかしくて行かせられる訳ないだろう! エルサ嬢、大船に乗ったつもりで私の後ろへ!」

 

「え、あ、あの……、私も何かお手伝いを……」

 

「その必要はございません! 何、この程度の魔物の集団、私にとってはものの数ではございません。エルサ嬢は安心して後方で私の雄姿をご覧に―― ――ぐぁああ!!」

 

ズンッ!

 

突然俺達の眼前に、爆裂呪文(イオ)の爆球が放たれた。その衝撃で吹っ飛ぶ前衛の兵隊さん達。幸い、フルプレートの甲冑で致命傷は負っていないようだけど、甲冑の一部がへこんでしまっていて、すぐには立ち上がれない様子だった。

 

「――姉ちゃん!」

 

「ええ、ルーン! 私は奥をやるわ! あなたは、手前をお願い!」

姉ちゃんは、直視されると凍てつくんじゃないかと思えるほどの冷たい眼差しで敵を見据えた。

 

「分かった!」

 

俺が姉ちゃんに返事を返すと同時に、キラッと光る物が敵の前衛を抜けて後衛に走ったのを見た。いつもより早い。俺がちらっと敵の後方をみると、その理由が分かった。

 

敵の後方にいる魔物は、悪魔神官だったのだ。姉ちゃんは、以前悪魔神官の格好をした魔物に攫われたのがトラウマになっているのか、悪魔神官を見つけると真っ先に息の根を止めに走る悪癖がある。

 

ドスドスドスッ!

 

「ギャアアァー!!」

 

悪魔神官の1体が大声を上げて崩れ落ちた。その全身には、7本の氷の槍が深々と突き刺さっている。殺ったのは、姉ちゃんだ。あの魔法は、ポップの兄貴直伝の『改良版氷系呪文(ヒャダルコ)』だ。ポップの兄貴に教わった時は、5本の氷の槍しか作れなかった姉ちゃんだけど、あれから1年、姉ちゃんは今では7本まで氷の槍を作り出せるようになっていた。

 

もう1体の悪魔神官が、姉ちゃんに気がついた。そいつは、すぐに姉ちゃんに対して爆裂呪文(イオ)の爆球を放ってきた。

 

だけど姉ちゃんは、そんな攻撃にも全く動じず、向かってきた4つの爆球に1本づつ氷の槍を叩きつける事で迎撃した。途端に、大気がビリビリと震えるような爆音と爆発が宙で立て続けに発生する。飛んでくる爆球に氷の槍を命中させるなんて、姉ちゃんの氷の槍を誘導する技術は、目を見張るほど成長している。今の姉ちゃんを見たら、ポップの兄貴はどう思うだろう。

 

「――何!? おのれ、小娘が! ――!!」

 

 

爆球を防がれた悪魔神官が、さらに爆裂呪文(イオ)を唱えようとした時、その悪魔神官の口がバリバリと凍り付き言葉を発することができなくなっていた。狼狽し、首をキョロキョロと巡らす悪魔神官。だけど、その間にも冷気は悪魔神官の全身を包み始めており、徐々にその首すら動かす事ができなくなっていった。俺は、姉ちゃんから少し距離をとった。

 

今、姉ちゃんは右手を悪魔神官に向けて、氷系呪文(ヒャド)を放っている。姉ちゃんの放つ氷結魔法が強力なのは分かるけど、まだ姉ちゃんの魔法の扱いは不安定な所もあるから、あんまり近寄ると危ないんだ。

 

……あーあ、あの悪魔神官、この辺の魔物じゃないのかな? 最近では、俺達の村を襲う魔物の中に悪魔神官はほとんどいないのに。多分知らなかったんだろうな、姉ちゃんの事。

 

そう、姉ちゃんに付けられたあのあだ名…………『悪魔神官キラー』の事を。

 

 

姉ちゃんは、閉ざされた口で声にならない悲鳴を上げる悪魔神官に対して一切の情けを見せることなく、さらに強く冷気を放出した。悪魔神官は次の瞬間、青白く輝く氷の彫像と化した。俺は攻撃魔法の事はよく分からないけど、氷系呪文(ヒャド)ってあんなに威力のある魔法だったっけ?

 

先ほどの爆裂呪文(イオ)による耳鳴りが発生するほどの爆音から、一転してシーンとした静寂が一帯を覆った。皆が戦いの手を止めて、姉ちゃんの手によって氷の彫像と化した悪魔神官を凝視していた。能面のようだった悪魔神官の顔は、恐怖に引きつった顔で固まっている。

 

最初に動揺から立ち直ったのは、さまよう鎧だった。鋼鉄の鎧を有するさまよう鎧は、接近戦なら姉ちゃんと与しやすいと思ったのか、ガチャガチャと音を立てながら近づいてくる。そして、その手に握った剣が届く間合いに入ったら、その剣を大きく振りかぶって、姉ちゃん目がけて振り下ろした。

 

だけど、遠距離戦をしかけている間の姉ちゃんの護衛役は俺だ。俺が姉ちゃんの隣にいて、そんな攻撃をさせるはずがない。

 

即座に姉ちゃんとさまよう鎧の間に入った俺は、振り下ろされる剣の側面を狙って右拳で殴りつけた。こう見えても、動体視力には自信があるんだよね。そして俺の右手には、ヘンケンさんが昨年ベンガーナの町で買い付けてくれたメタルフィストが装備されていた。武器の優劣は俺にはよく分からないけれど、どうやらこれはランカークス村から流れてきた質の良いメタルフィストらしい。

 

パキーン!

 

金属の折れる甲高い音が周囲に響いた。折れた剣が、呆然としていたマッドマックスに突き刺さる。そして、剣を折られたさまよう鎧は2歩、3歩と後ずさりする。

 

逃がさない……! 俺は、防御力変動呪文(ルカニ)の魔法をさまよう鎧にかけ、その胴体に手刀を突き込んだ。ズガンッと金属が砕ける音を立てて、俺の手刀は強度の低下したさまよう鎧の背面を突き破り、一撃でその胴体に風穴を空けていた。

 

ゆっくりと仰向けに倒れるさまよう鎧。うん、やっぱり防御力変動呪文(ルカニ)の魔法は扱いやすいや。これはポップの兄貴に教えてもらった俺の得意呪文だ。他に、自分の身体の防御力を上げる防御力変動呪文(スクルト)、それに敏捷力変動呪文(ピオリム)と、あわせて3つの呪文を俺は覚えている。それらをアバン先生に教わった武技と組み合わせて戦うのが、俺の戦闘スタイルだった。

 

俺は周囲を見渡した。いくつもの氷の槍が、ヒュン、ヒュンと戦場を所狭しと飛び回っている。姉ちゃんは、まださまよう鎧が倒れる前から、自分の防御は全部俺に任せたつもりだったのか、視線を遠くに向けたままこちらを見ようともしていない。

 

その後の戦闘は長く続かなかった。最もやっかいだった後方の悪魔神官が既に片付いていた事もあって、前衛の兵隊さん達も盛り返して、襲ってきた敵を全滅させていた。

 

 

 

「お、お強いのであらせられるのですね……エルサ嬢?」

 

隊長さんが、姉ちゃんに対して若干腰が引けた様子で問いかけている。

 

「あ、あら、いやですわ、隊長様。私など、それほどの事は……。皆様の方こそ、私達を守っていただいて、ありがとうございました」

 

顔を赤らめて照れたような笑みを浮かべる姉ちゃんに、他の兵隊さん達は一様に引きつったような顔で「守っていただいて……? 守ってあげたの間違いじゃなくて?」などとブツブツと呟いていた。

 

 

 

俺は、リックさんとヘンケンさんと一緒にそんな様子を見つめていた。

 

「相変わらず凄えな、エルサの氷結魔法は……」

 

「ええ。私としては、彼女は勇者一行(パーティー)に同行しても足を引っ張らないのでは、と思っているんですがね」

 

「そうかも知れねえな。しっかし、お前さっき言っていたあの噂、本当かよ? 事実だとしたら、とんでもねえことになるぞ。俺達の希望の星ポップの命が危ねえんじゃねえか?」

 

「ええ、私も本心からそうならない事を祈っていますよ。『氷の賢者ポップ』ならぬ『氷の彫像ポップ』、なんて見たくもありませんし」

 

「俺だって見たくねえよ! しっかし、氷の賢者の胸に抱きついて泣きじゃくる黒髪の少女だって? それって、お前がこの間言っていた女武闘家ってのとは、また違う女だろう? おいおい、あいつもしかして、2股してるんじゃねえか? いや、エルサを合わせたら3股か? 知らねえぞ、命がいくつあっても足らねえぞ……」

 

「ええ、つくづくポップ君には、自重を求めたい所ですね……」

 

俺はそんな2人の会話を聞きながら、どうしたらポップの兄貴が姉ちゃんに氷漬けにされなくて済むだろうかと考えていた。

 

俺としては、ポップの兄貴が本当の兄貴になってくれるのなら、こんなに嬉しい事は無いんだけどな。

 

でも、3股か……。よく分からないけれど、2人の言う噂が正しいとしたら、もうポップの兄貴が死なないためには、3人ともお嫁さんにするしかないんじゃないかな? ミサンガに強制力はないけれど、古風な考えの姉ちゃんにはそんな考えは通用しないと思うから。

 

俺がそんな事を考えていると、隊長さんの声が聞こえてきた。

 

「さあ、グズグズしていてはまた魔物の襲撃があるかもしれん。隊列を整えよ! 出発するぞ!」

 

その声に、俺も持ち場に戻ろうと思って、姉ちゃんの隣に走った。

 

 

 

 

 

この後、無事ロックハート砦に入ったラドルの村人のうち戦える者は、砦の兵士と共に時折襲いかかってくる魔物の群れの撃退に力を尽くす事になる。

 

その数度の戦いを経て、魔物の群れを果断に撃退するエルサは、その美貌と氷結魔法を駆使した戦い方からいつしか、『氷の女王』と呼ばれる事となる。

 

そして、大魔王戦役末期に発生した大規模な魔物との集団戦において彼女の名は伝説となるが、それはまた別の話である。

 

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