日はとうに西の大地に沈み、宵闇がカールの町を色濃く覆っていた。カールの町の中央に屹立する王城のバルコニーからは、港に向かう国民の手に持った
まるで伝承に聞く
フローラは、目を東の内陸部に向けた。カールの町の東には、小高い丘がなだらかに横たわっている。その丘の空から地上に向かってゆっくりと視線を移すと、まるで黒から赤へと薄いグラデーションがかかっているかのようにフローラの目には見えた。あの茜色の空が、いずれこのカールの町を覆う。その時には、父やその先代から脈々と受け継がれてきたカールの町が灰燼に帰す事だろう。
もういっそのこと、諦めてしまおうか……。そうすれば、どれほど楽になるだろうか。一瞬フローラの胸中をそんな思いが占めたが、すぐにその思いを彼女は打ち払った。
『ジタバタするしかできないなら方法は一つ。皆さん、ジタバタしましょう!』
15年前に想い人が発した言葉が、フローラの心の支えだった。この国難の折に、縋りつきたい想い人は隣にいない。しかし、その想い人は彼女の心の内に寄り添うように確かに存在していた。その想い人は、彼女が心に飲み込んだ鉛をいつも、ゆっくりと、ゆっくりと溶かしてくれた。
瞳に強い決意の光を宿したフローラは、背後を振り返る。玉座の間では、文官達がカールの民をこの滅びかけている町から脱出させるために
パン、パンと注目を引くように手を叩きながら部屋に戻ってきたフローラに、全員の視線が集中する。
「皆、もうあまり時間がありません。国民の命を守る事を最優先に考えて行動しましょう。フォレスト大臣、カールの民の避難は後どれほどかかりますか?」
国民の脱出計画を担っていた小柄な男は、玉座の間の天井を唸るように見上げた後、主君であるフローラに対して答えを返した。
「はっ。船への乗船は後4時間ほどで終えると報告が上がっております。一方で、陸路については全ての街道を用いておりますが、何分人数が人数ですので、後5、いえ6時間ほどいただきたく――」
「それでは間に合いません、フォレスト大臣!」
大臣の言葉を遮ったのは、先ほど前線から戻ってきていたカール騎士団 団長のホルキンスだった。戦場帰りで身支度を調える間もなくこの場に参上していた彼の全身には、おびただしい量の返り血が付着しており、その逞しい両肩からは蒸気が吹き出しているかのように見えた。
「超竜軍団は、もう東のソルダークの丘の向こうまで迫っております。先ほどその丘で、ドラゴンの集団の進撃を食い止めましたが、それは一時的なもの。次の進撃を食い止める力は、我らに残っておりません。時間を稼ぎつつ撤退戦を行ったとしても、後4時間が限界といったところです。それ以上は……!」
カール王国が世界に誇る精強な騎士団を束ねるホルキンス。カール国内において、ただ一人を除けば間違いなく最強の騎士と誰もが認めているその男の言葉に、疑いの声を放つ者はこの場にいなかった。
フローラはホルキンスに頷きを返し、再びフォレストに顔を向けた。
「フォレスト大臣、主要街道だけでなく、廃線となった全ての街道を用いて国民を避難させましょう。それと、荷馬車に積んだ家財は鞄一つに入る物を除き捨てさせなさい。それを私の名において命じるのです。まずはカールの町から全ての民を避難させる事。それが最優先です」
主君にそう命じられたフォレストは、苦渋の表情を浮かべた後、静かに「……かしこまりました。やってみましょう」と言葉を返した。
玉座の間に、ほんの少しほっとした安堵の声が漏れた。そんな時、伝令の一人が部屋に飛び込んできて声を張り上げた。
「申し上げます! サババの町から、カールからの避難民の受け入れが出来ないとの連絡が今届きました!」
その言葉に、僅かに弛緩した空気の流れた玉座の間に、再び緊張が走る。それは、今まさにカールから離脱しようとしている民の避難先がサババであったためだった。そのサババが、国策と言っていいこのカールの民の避難の受け入れを拒否するとは。それは、この国家存亡がかかった危急の折りに、サババはカールの民を見殺すと言っている事と同義だった。
「サババが受け入れが出来ないだと!? 何を馬鹿な! 奴らは、この事態を対岸の火事だと思っているのではあるまいな!?」
「構うことはない! 船団で乗り付け、サババを接収すれば良い事だ!」
「おう、そうだ! それがいい!」
臣下達のそんな議論をよそに、フローラは一人沈思していた。サババの町長とは当然面識があった。間違っても、この世界を覆う危急の事態に対岸の火事などと見当外れな考えを持つ人物ではなかった。その上フローラは何度もサババに足を運び、この避難計画の詳細を自ら町長との間で詰めていたのだ。
……何か、受け入れを拒否せざるを得ない事態が発生した?
そうフローラが思考を進めた時、再び別の兵士が玉座の間に駆け込んできた。
「申し上げます! サババのディードックという者が、至急陛下にお目通り願いたいと城に来ております! いかがいたしましょうか!?」
その言葉に、周囲の文官が次々と
「誰だ、そのディードックとは?」
「聞いたことがあるぞ。確か、元海賊で今は何でも屋をサババで営んでいたとか……」
「海賊だと!? そんな輩を陛下に会わせられるか!」
「ちょうど良い。サババへのけん制になるかどうか分からぬが、捕らえておいたらどうか?」
その周囲の騒然とした声を、フローラのよく通る凜とした声が切り裂いた。
「会いましょう……! 誰か、そのディードックという人物と1対1で会える場を用意しなさい」
そのままフローラは、「お待ちください、陛下!」、「海賊などと会われては!」と制止の声を上げる文官達に視線を投げかける。
「今は非常時です。非常時には、非常時の対応を取らねばなりません。事は一刻を争います。つまらない矜恃は捨て、皆が一つに纏まらなければ我々に未来はありません。あなた達もそれを念頭に置いた行動を執るように……!」
そう言い放ち、フローラはディードックなる人物に会うために玉座の間を出て行った。
「いや、まさか言ってはみたものの、本当に女王陛下が私などに会ってくれるとは、思いませんでしたぜ」
ディードックと呼ばれた初老の男が、白髪頭に手をやりながら口を開いた。その男の左目には眼帯が巻かれており、なるほど確かに元海賊という噂も間違いではないかもしれない、という感想をフローラに抱かせる容貌だった。
2人は今、城の外郭塔の内部にあたる小さな部屋で、テーブルを挟み向かい合って座っていた。護衛の騎士は扉の向こうで待機している。相手の本音を伺いたい時には、余人を介在せずに直接伺う。それがフローラの常日頃のやり方だった。
「ふふふ。実を言うと、あなたの名前はアバンから聞いていたのよ。15年前の魔王戦役の際には、アバン達に助力してくれたそうですね。この場を借りてお礼を申し上げさせていただくわ。その節は、ありがとうございました」
そう言って、フローラはディードックに対して丁寧に頭を下げる。
「よしてくだせえっ! あん時は、あいつらが俺を勝手に使っただけですぜ。俺は手伝いなんかしたくなかったんだ! それをマトリフの旦那が無理矢理! っと、いけねえ、そんな事を言いに来たんじゃなかった。フローラ女王、俺の話を聞いてくれ!」
フローラが頷くのを確認したディードックは、足下に下ろしていた鞄から何やらランタンのようなものを恭しく取り出し、2人の間にあるテーブルの上にそれをそっと置いた。
「これは……?」と首を傾げるフローラに、ディードックは静かに口を開いた。
「こいつは、『不死鳥のかがり火』というアイテムです。邪悪な力に強く反応すると言われているアイテムで、15年前アバン達はこいつで魔王ハドラーの根城を突き止めやした」
「これが『不死鳥のかがり火』……。ええ、アバンから聞いた事があります。なるほど、これが……。まるで、神聖な神の炎のようですね」
ランタンの中でチロチロと燃えている『不死鳥のかがり火』を、フローラはじっと見つめてそう評した。
「知っているのなら、話は早い。こいつは今でこそこんな風に穏やかに燃えているが、ほんの数日前から突然激しく燃え上がったんでさあ」
「――!? それは、どういう風に!?」
『不死鳥のかがり火』の秘められた力を知っているフローラは、ディードックの言葉に血相を変えた。
「こいつは、普段はサババのとある場所に置いてあるんですが、数日前突然、そのサババから北に向かって激しく燃え上がりやした」
「北……」
「ええ、その火種をこのランタンに移してサババからカールまで持ってきましたが、いつの間にやらこの炎は通常の状態に戻りやした。つまり……」
そこで言葉を切るディードック。そこから先は言わずとも分かるだろう。ディードックの顔がそう言っていた。
フローラは、右手を顎に添え考えをまとめるかのように一つ一つ呟くように口を開いた。
「『不死鳥のかがり火』を燃焼させている邪悪な力……。その発生源は、サババの南ではなく、北にある……。港町であるサババの北となると……、そこは……」
「「死の大地……」」
2人の視線が交錯し、言葉が揃った。……死の大地。それは、サババから北に僅かの位置に存在し、生物や植物の一切が生息・生育していない小さな不毛の大地の名だった。顔を見合わせる2人。最初に口を開いたのはディードックだった。
「先ほど、サババの鳩がこの城に降り立つのを見ました。もしかしてうちの町長から、サババへの避難船団の受け入れを拒否する連絡があったんじゃないですかい? だけど、それは決して、カールの民を見殺しにするつもりで言ったわけじゃありませんぜ?」
フローラは、ディードックの言葉に頷いた。サババの町長は対岸の火事どころか、カールの民にこれ以上の犠牲を出さないため、サババに来てはいけないと伝えてきたのだ。そして、はたと気づいた。では、直ぐ北の大地に邪悪な力が出現したサババはどうなるのか、と。
「サババはどうなるのですか? 皆さんの避難は……?」
「それが、自分がここに来た理由の2つ目です。カールだけで手一杯のところ申し訳ありませんが、サババの民が避難できる場所を構えていただけませんか?」
その言葉にフローラは、即座にうなずきを返す。
「もちろんです。サババの民も、カール国民です。我々カールの民は、避難先をサババから……西のリーブラの町に変更します。サババの民もそちらに……!」
この時のフローラ女王の迅速果断な決断が、カール王国に住まう数十万の民の命を救ったと、後の識者は称えてやまない。魔王戦役、大魔王戦役と立て続けに国家存亡の危機に見舞われたカール王国だったが、いずれの戦役時においても彼女を指導者として頭上に押し頂けた事こそが、カールの民にとって唯一の幸運だったと言えた。
「ありがてえっ! それじゃあ、俺は早速その事を伝えに戻るぜ!」
そう言うやいなやディードックは、テーブルの上の『不死鳥のかがり火』を鞄の中にしまいこみ、席を立った。その時不意にディードックは、東のソルダークの丘の空が茜色に染まっている光景を小窓から目にした。窓から映る光景に視線をそらさずぐっと押し黙ったディードックに、フローラは「どうされましたか……?」と声をかけた。
「いや……、15年前はマトリフにアバン、ロカと言った馬鹿だが熱い漢達がいた。今回はどうかな……、と思いましてね。ロカはもういねえ。マトリフもその消息は不明、アバンも……。俺達はもしかしたらもう――」
「ディードック殿……」
ディードックの呻くような言葉を、フローラが遮った。
「ディードック殿。いつの時代も、困難な時に台頭してくる英雄はきっといます。まだ諦めてはなりません」
そのためにアバンは、この15年間各地に種を蒔くように世界を旅していたのだ。きっとその種は、この困難な時代に芽吹くはず。フローラは、そう信じていた。フローラのその瞳に希望を見いだしたのか、ディードックは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「へ、へへへ。ディードックともあろうものが、とんだ弱音を吐いちまったな。……女王陛下、互いに生きてまたお目にかかりたいものですな!」
ディードックがそう言って差し出した右手を、フローラも笑みを浮かべて握り返した。
「ええ、必ずお会いしましょう!」
ディードックは、今度こそ後ろを振り返らずに部屋を飛び出していった。そしてフローラもまた、玉座の間で脱出計画を進めている文官達に行き先変更の指示を出すため部屋を出て行った。
「……陛下。フローラ女王、大丈夫ですか?」
「え……? あ……、ごめんなさい。何かしら、レオン」
レオンと呼ばれた騎士は、執務机に向かいながらも上の空だった主君のそんな返事に、気遣わしげな表情を浮かべた。
「陛下、もう少しお休みになってください。それでは、いずれ倒れてしまいます。魔王軍との戦いはこれからです。陛下には休める時にお身体を休めていただかないと……」
「大丈夫よ、レオン。ちょっとあの日の事を考えていただけよ」
自身の護衛騎士であるレオンにそう返事を返すフローラ。そして彼女は、執務机に両肘をつき部屋の中を見渡した。この部屋は、小さな平屋建ての家の一室であり、フローラはその部屋の中に机と椅子を持ち込んで指揮を執っていた。彼女の視線の先には、飾り気の無い素朴な食器棚と暖炉があった。また、棚の上には、子供のいる家だったのだろうか、手作りと思われる少し汚れた小さなウサギの形をした人形が置かれてあった。
「魔王軍の目を盗んで反攻作戦を取るには、ここはちょうどいい場所だったわね。全てが終わったら、ここを提供してくれた集落の人達にお礼を言わないといけないわね」
「そうですね……。これほど小さな集落でしたら、魔王軍の哨戒の目にも引っかかりにくいでしょう。それにしても、城が落城してはや2週間が経ちます。リーブラに避難したカールの民はどうしているでしょうね。季節が冬でなかったのが救いですが……」
ここは、カールの町から西に数十キロ離れた森の中にある小さな名もない集落だった。住民は皆、ここよりさらに西にあたるリーブラの町に疎開しており無人となっている。その集落を、彼ら旧カール王国の残兵が魔王軍に対する抵抗運動の拠点として使用していた。
「そうね。この季節なら森の恵みも十分あるでしょうし、あの町の穀物の収穫量はカール随一よ。たとえサババの民が合流したとしても直ぐに民が飢える事は無いでしょう。後の事は、フォレスト大臣達が上手く差配してくれているはずだわ。それより、カールの町から脱出してくる兵はまだどれほどいそうかしら? 一人でも多くの兵を助け出すわよ」
「はっ、承知しております。敵の追撃の手が思いのほか鈍重なのが幸いしております。今日も、町からの脱出者を数名救助する事が出来ました。これでホルキンス団長が生きていてくれてさえいれば良かったのですが……」
「ホルキンス……」
ホルキンスの名前を聞き、フローラは思わず視線をテーブルに落とした。その視線の先には、一輪の小さな花が生けられた質素な花瓶があった。
ホルキンスは、城が落城したあの日、国民やフローラ達の脱出の時間を稼ぐため侵攻を再開した魔王軍の前にカール騎士団長として最後まで立ちはだかった。そして噂に聞く限りでは、最後は敵指揮官と一騎打ちの末その命を散らしたと言う。
それは、カールの民の避難先をサババからリーブラに変更したために生じた時間の遅れを取り戻すための戦いだった。
超竜軍団が間近に迫った王城内の玉座の間でのやりとりを思い出すフローラ。
周囲は、右往左往する文官達で騒然としていた。鼻に漂ってくる獣の匂いと耳を打つ魔物の咆吼が、否が応でも敵がカールの町に足を踏み入れた事を告げていた。フローラの前には、決戦に向かうホルキンスとカール騎士団の面々がいた。
『ホルキンス、私も残ります。この決断を下したのは私です。その責任は、私自らが取らなければなりません』
『恐れながら申し上げます、女王陛下。確かに決断を下したのは陛下ですが、その責任を取る場所を陛下は間違っておいでです。宜しいですか? ここは私の戦場であって、陛下の戦場ではありません。私には私の、陛下には陛下の戦場があるはずです。責任を取るとおっしゃるのでしたら、それは陛下の戦場で取るべきです』
『ホルキンス……』
『私は剣を振るう事しかできませんが、陛下は民に希望を与える事ができます。いつの日か、きっとカールを蘇らせてください。それだけが、私の望みです』
そう言葉を発したホルキンスが、フローラの前で膝を着き深く頭を垂れた。彼の背後の騎士達も一斉に同じ態勢を取る。
『わが君よ。戦場に向かう我らにどうか祝福の言葉を賜らんことを……』
その口上は、カール騎士団が決戦に赴く際に、王と騎士団との間で必ず行われる神聖な儀式の一つだった。フローラはその口上を耳にした直後、瞳を閉じ天を仰いだ。その瞬間、それまでの喧噪が嘘だったかのように玉座の間に痛いほどの沈黙が訪れた。
天を仰ぎ見て目を閉じていたフローラの頬を一筋の涙が伝った。そして彼女は、頭を垂れる眼前の騎士団の一人一人をしかと見つめ、厳かに言葉を発した。
『カール騎士団よ。そなた達は、我が剣であり、我が盾である事を誓うか』
『誓います』と、その場に跪いた全ての騎士の言葉が重なった。
『では、勇壮にして我が忠実なる騎士団に命じる。そなた達は今この時より、我が剣であり、我が盾である。命を惜しむな。ただひたすら王家と国民のため、その一閃で全ての災いを切り払え! その盾で全てのものを守り抜け!』
『はっ! その命、確かに拝命しました!』
そう答えたホルキンスはすっくと立ち上がる。彼の背後の騎士達も一斉に、ガシャッと金属のぶつかる音を響かせながら立ち上がった。
今ここに、女王とその騎士団の誓いは立てられたのだ。
『ホルキンス、死んではなりませんよ。あなたの力を、まだまだカールは必要としています』
目に涙を浮かべながら、神聖な誓いの言葉とは裏腹の言葉を発するフローラ。そんなフローラの耳にホルキンスはそっと顔を寄せて、小声でささやいた。
『フローラ様。ここだけの話ですが、実は私は花が好きなのですよ。特に、そよ風に花びらが揺れる程の小さな花が好きです。いつの日か、再びカールの町を色とりどりの花びらが舞う美しい町並みに復興して私に見せて下さいね。ふふっ。騎士の家系に生まれた私が花などと、おかしいでしょう? 私が花が好きなのは、アバン先輩しか知りません。外聞が悪いので、皆には内緒で頼みますよ』
悪戯っぽい笑みを浮かべたホルキンスは、それだけをフローラに伝えた後さっと身を翻し、団長のみに纏うことが許されている
『さあ、皆行くぞ! 大陸最強のカール騎士団の力を、魔王軍に思い知らせてやろう! 先代ロカ団長もきっと天上で見てくれているはずだ。無様な戦いはするなよ!!』
『『『『『おう!!!』』』』
フローラが覚えているのは、死地に向かうというのに悲壮な様子の全くない、大陸最強と謳われるカール騎士団の勇壮な背中だった。ホルキンスの名にフローラが塞ぎ込んだ事を察したレオンが、言葉をかける。
「フローラ様。フローラ様のあの時の決断が正しかったのは、サババから届いた情報で明らかです。あの日船団がサババに向かっていれば、死の大地から大挙侵攻してきた魔王軍によってカールの民は虐殺されていたでしょう。ホルキンス団長は、フローラ様のお言葉を信じその命を投げ出したのです。どうか、それをお忘れなきよう……」
「ええ、そうね。分かっているわ、レオン。ありがとう……」
顔を上げたフローラに、レオンはようやく安堵の息を漏らす。そしてフローラ同様、レオンもホルキンスとの別れを思い出していた。
『おい、ファフナー。お前、例の飲み屋のあの娘に告白したのかよ?』
『してねえよ! そんな暇があったら、あの娘のために1匹でも多くのドラゴンの首を狩ってやるさ』
『ぎゃははは。ちげぇねえ! 俺も後1匹ドラゴンを狩ったら二桁になるんだ。競争だな!』
『ねえ、団長。さっき女王陛下に何か言っておられましたよね? あれ何だったんですか? もしかして、愛の告白ですかぁ?』
『うっせえ、馬鹿! そんなんじゃねえよ!』
ガヤガヤと賑やかに玉座の間を退出していくカール騎士団にレオンは声をかける。
『待ってください、ホルキンス団長!』
その声にゆっくりと振り返ったホルキンスは、レオンを見て笑みを浮かべた。
『おう、レオン! 何だ、この間立て替えてもらっていた飲み代の取り立てか? 悪いが、今持ち合わせがなくてな。同じ釜の飯を喰った仲なんだ。もう少し待って――』
『俺も、……俺も連れて行ってください!』
レオンの張り裂けるような言葉に、ホルキンスは押し黙る。しかし、すぐに深いため息を付いたかと思うと、呆れたような声を返した。
『あのなぁ、お前、さっきの陛下との話を聞いていなかったのかよ。お前の役目は、陛下をお側でお守りする事だろう? お前の戦場は、陛下の隣だ。陛下の隣で、お前は陛下のために命を投げ出すんだ。それがお前の役目だ』
『ホルキンス団長……。ですが、俺は……』
ほんの数ヶ月前なら、レオンはこの勇敢な彼らと共に戦場に向かう事が出来た。しかし、魔王軍の侵攻が始まる直前に、レオンは女王付きの護衛騎士に任ぜられている。その不運を嘆くかのように、拳をわなわなと震わせるレオン。ホルキンスは、そんな彼の肩に腕を回してそっと耳元に声をかける。
『レオン……。女王陛下を頼んだぞ。あのお方は、カールの至宝だ。たとえお前の腕がちぎれようが、足が飛ぼうが、心臓が止まろうが、何が何でも守り切れ。いいな……?』
『は、…は……い……、ホルキンス……団長』
嗚咽で声にならない返事を返すレオンを、ホルキンスは優しい目で見つめた。そしてホルキンスは、レオンの頭をガシガシと撫で、最後に『借金はチャラにしてくれよな』と笑いかけた後、レオンの肩に回していた手を離す。
『何をしておるか、レオン! 早く持ち場に戻らぬか! ……女王陛下を頼んだぞ』
『俺の借金も、無かったことにしてくれよな、レオン!』
『レオン、酒場のあの娘に、いつかドラゴンの牙をネックレスにして持って行くって伝えておいてくれ』
かつての同僚達が、レオンの背中を乱暴に叩いては一人また一人と去って行く。レオンはそんな彼らの背中を目に焼き付けるように、最後まで見つめていた。
「女王陛下! レオン様!」
それぞれが過去に思いを馳せていた2人の元に、突然数名の兵士が扉を蹴り飛ばす勢いで駆け込んでくる。レオンが、その無遠慮な兵士の様子に思わず叱責の声を上げようとするが、それをフローラがそっと制した。レオンも、飛び込んできた兵士達の顔に最近までついぞ見られなかった笑みが零れているのを見て、苦笑いしつつそれに従う。
「南に偵察に出ていたハルトが、ラインリバー大陸からの噂を耳にしたそうです。なんでも、ラインリバー大陸のロモス王国が魔王軍を撃退したそうです!」
「何だと!? それは本当か!」
思いもよらない吉報に、レオンも声を上げて感情を露わにした。それは紛れもない吉報だった。世界で魔王軍に一矢報いることの出来る国が現れる。それだけで、彼らは希望を胸に自国の奪還に力を注げるというものだった。
そしてフローラも喜びに打ち震えていた。同時に彼女は、その吉報を聞いた瞬間、もう一つの可能性も頭に思い描いていた。ラインリバー大陸と言えば、アバンが最後に向かった島がすぐ南方にあったはず。ロモス王国による魔王軍の撃退の裏にはアバンがいたのでは、という淡い期待を彼女が抱いたとしても無理はなかった。
「はい、ここにその詳細が書かれております!」と、兵士が小さな紙片をレオンに渡す。レオンはその紙片を一瞥する。そこには、ラインリバー大陸での魔王軍の撃退に多大な貢献を果たした人物の名が7名記されていた。レオンも、フローラ同様ある人物の名がそこにある事を密かに期待していた。しかし、その名は記されていない。
主君であるフローラが誰を想っているかなど、側近であるレオンは十分に理解している。その者はレオンにとっても尊敬する先輩であり、レオンも常々その者に王配の地位について欲しいと願っていた。
ラインリバー大陸から魔王軍を撃退するという偉業を成した人物の中に、彼の名が無い。もし彼が生きていれば、その絶対的な存在感故に名が出ないなどという事はあり得ない。それはつまり……。
フローラが、紙片を持ったレオンの手が僅かに震えるのを見て首をかしげた。これを見せないわけにはいかない。そう考えたレオンは、フローラにその紙片を恭しく手渡した。
手渡された紙片をじっと見つめるフローラ。その胸中にどのような感情が渦巻いているのか窺い知ることが出来ず、レオンはただそっと主君の反応を見守っていた。そしてそれは駆け込んできた兵士達も同様だった。
どれほど時間が経っただろうか。皆が見つめる中、彼らが敬愛する主君は、ふっと笑みを浮かべた。それは紛れもなく、フローラの心から漏れた嘘偽りの無い微笑みだった。
その笑みに驚いたレオンが、主君に尋ねる。
「へ、陛下……? その、その中にアバン殿の名が無いのですが……」
「くすっ。ええ、確かにアバンの名は無いわね。でも、アバンの子達の名はあるわよ」
「ええっ!?」と驚くレオン達に、フローラは紙片を指さして言葉を続ける。
「ほら、ここよ。ポップって書いてあるでしょう? 彼はアバンの愛弟子よ。アバンからの手紙で、よくその名が上がっていたから間違いないわ。アバンの話では、彼は大魔道士マトリフにも匹敵するほどの賢者だそうよ。それに、この勇者ダイというのもアバンの最後の弟子じゃないかしら。あら、マァムの名も。くすくすくす。本当、血は争えないわね」
マァムの名に今気がついたのか、突然くすくすと笑い出したフローラに、レオン達は理解が追いついていけず互いに顔を見合わせた。そんな皆の様子を見てフローラは、彼らに説明する。
「あなた達、知らないのかしら? このマァムという名前の女の子、きっとロカの娘よ」
そのフローラの言葉に、その場にいる皆が「うえっ!?」という驚きの言葉を発した。ロカの名は、カール王国騎士団にとって知らぬ者などいないほど知れ渡っている。騎士団長の地位を投げ捨て、勇者アバンの魔王討伐の旅に同行し、最後まで献身的にアバンを支えた剛の男。騎士団だけの話では無い。カールに生を受けた男子は、皆一度はロカのようになりたいと憧れるほどの男。それがロカだった。
もっとも、一部の女性からは、カールの町を裸一環で練り歩いた変態とも噂されており、そんな男のようになりたいと願うなど言語道断と息子を諭す母親も、中にはいた。
いずれにしても、この部屋の中にロカに対して嫌悪感を抱いている者など皆無だった。
「そうかー! ロカ団長の娘さんが、魔王軍に対して立ち上がってくれたのか! きっとロカ団長に似て、筋肉ムキムキの女の子に育っているんだろうな」
「ホルキンス団長にも、教えてあげたかったですね! きっと大喜びしましたよ!」
「ああ! カール騎士団長の血を引く者が、対魔王軍に立ち上がる! これは、俺達もうかうかしてはいられんぞ!」
「そういえば、ポップって団長が見どころのある奴って言っていた子供じゃないか?」
途端に士気が上がる兵達を見て、フローラは目を細めた。カールの城が落城した夜のディードックとの会話が頭をよぎる。
『15年前はマトリフにアバン、ロカと言った馬鹿だが熱い漢達がいた。今回はどうかな……、と思いましてね。ロカはもういねえ。マトリフもその消息は不明、アバンも……。俺達はもしかしたらもう――』
ほら、言ったでしょう、ディードック。フローラの目はそう言っていた。確かにロカはいない。マトリフも消息不明。アバンもそう。だけど、アバンが蒔いた種は確かに芽吹き始めている。
ポップ、ダイ、マァム……。他にもアバンの蒔いた種があるかもしれない。フローラは、いつの日か彼らアバンの残した子供達、すなわち、アバンの使徒達と会える事を夢想した。
だが一方で、為政者としての視点でフローラはこうも考えていた。アバンが蒔いた種は人間側の最高戦力だ。その最高戦力と言う名の刃は、敵の喉元に確実に突きつけなければならない。それを成すためには、数の力と十分な後ろ盾が必要だ。既に国を追われた私達では兵の数も足りず、十分な後ろ盾も出来ない。世界中の兵を参集し、彼らに対して十分な援護態勢を整えた上で、彼らを敵の中枢に送り込む必要がある。
世界中の兵を参集する……。その困難さをフローラはよく分かっていた。どの国の為政者もまずは自国の事を優先する。各国が連携しなければ魔王軍に勝利する事など不可能だと分かっていても動けないのは、15年前の魔王戦役時も同様だった。あの最終決戦では、様々な組織が魔王軍の居城に集ったが、決して国単位で協力しあえたわけでは無かった。
大魔王率いる魔王軍の脅威は、15年前の比では無い。同じ事を繰り返していては、人間側に勝機は無い。オーザム、ベンガーナ、リンガイア、テラン、ロモス、そしてパプニカ。このうちの何カ国が今も国として立っていられているだろうか……。そして、現存している国の為政者の中に、私と同じ展望を抱いている者が果たしてどれほどいるだろうか。
……そう言えば。フローラの脳裏に、かつてとある国で開かれた各国の王族を招いたパーティーで、自身を憧憬の目で見つめる少女と出会った記憶が蘇る。その少女の瞳は真っ直ぐで、どんな困難にも逃げずに立ち向かう、そんな強い意思を宿した目をしていた。
あの少女は、今どうしているだろう……。生きてさえいてくれれば、あるいは……。フローラは知らず、遠い南の空に目をやっていた。
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カール騎士団――。大魔王戦役から150年が過ぎた現在でも、その名を聞けば胸が熱くなると答える者は多く存在する。もちろんそれは、カール国内にとどまる話では無かった。彼らが今なお世界の人々に感銘を与えている理由は、魔王戦役から大魔王戦役に続く彼らの果たした英雄的行動に起因する事に他ならない。
魔王戦役における魔王軍の首魁であった魔王ハドラーの侵攻に対して、国として唯一対抗し得た組織は、当時世界最強と名高いカール騎士団のみだった。また、魔王ハドラーを直接打破した勇者
そして、彼らカール騎士団が最も歴史に燦然とその名を轟かせたのは、それから15年後の大魔王戦役中期におけるカールの町を舞台とした魔王軍との死闘であろう。当時魔王軍最強の軍団と名高かった超竜軍団の第2次侵攻を、守るべき主君とカールの民が避難する時間を稼ぐため、彼らは一歩も引かず最後まで戦った。
それはまさに、彼ら騎士団に連綿と伝わる精神『泰然と構え、敵を見極めその一閃で災いを払い、王家と国民の盾になること』を体現した英雄的行動と言えた。仕えていた主君を含め多くの民がこの危難を免れたのは、紛れもなく彼らカール騎士団の死をも厭わない働きのためだった。
なお、このたった一度の戦いによって、戦端が開かれる前は800名を数えたカール騎士団のうち、団長であるホルキンスを含めた600名以上が戦死したと伝わっている。カール騎士団の名を聞けば、今なお多くの者がその胸を熱くさせると同時に、その胸に彼らに対する哀惜の念を抱かせるのはこれがためである。
カール騎士団の団長は、現在までに第37代を数えているが、やはり最も高名な団長と言えば、魔王戦役から大魔王戦役時に団長を務めたコバルト、ロカ、ホルキンスが挙げられる。
コバルトは、後の団長であるホルキンスの父にあたり、同時にロカの師というべき人物だった。現在まで続くカール騎士団の基礎は、彼が構築したとまで言われる程の傑物だったと伝わっている。
ロカは団長に就任後、勇者アバンの魔王討伐に同行するためにその職を辞している事から、団長としての責務を全うした期間はさほど長くはないが、『歴代団長中最強の剣士』との言葉を師であったコバルトが残している。
彼については、その成した事のほとんどを魔王戦役時における勇者
そしてホルキンスは、先のカール攻防戦時の団長としてその名を知られている。守るべき主君と民のため、彼はその最後の瞬間まで魔王軍に振るわれる剣であり、カールを守る盾であり続けた。そのカール騎士団の理念を体現した英雄的行動は、カール騎士団の誉れと現在まで称えらている。
主君であったフローラとカールの民を守り切った彼の墓標は、大魔王戦役から150年経った今も、カールの町並みを見下ろせるソルダークの丘の片隅にある。
今日もそのソルダークの丘の空を、カールの町から風に乗って運ばれてきた色とりどりの花びらが舞っている。
はい、これにて6章完です。ここまで読んでいただいた方々、ご感想をいただいた方々に、ひたすら心よりの感謝を申し上げます。竜の騎士同士の戦いの裏で展開されていたポップ君の女性関係。5章の末尾で、本章で方向性を決めると伝えておりましたが、私としては初志貫徹、有言実行したつもりです。そして同時に、どちらかに決めるとは言っておりません!!(ドーン!)
はい、すいません。こういう事です。
さて、投稿を始める前はこの章を最終章とする事も考えていたのですが、投稿を続けるうちに彼らのここから先の冒険も書きたいなと思うようになり、また、自分としては予想外過ぎるほどの皆様からの反響もありましたので、今では最後まで書き切る方向に舵を切っています。
と言うことで、第7章は『ダイの剣』になります。例によって少し充電期間を置いてから、投稿を再開しようと思います。目標は年内再開ですが、年末にかけてリアルが忙しくなってきたので、こればかりはなんとも……。
それでは皆様、寒さ厳しい季節になってきましたがどうかご自愛ください。もしよろしければ感想などいただけますと、モチベーションがアップしますので大変嬉しいです。
後ちょっとタグの追加などを考えていますが、そのあたりを書くと長くなりそうですので、それは後日活動報告で書かせていただこうと思っています。
それでは、また会う日まで。 ……to be continued