転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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投稿順を間違って混乱させてしまいました。すいません。


114話 探偵はBARにいる ①

 

『クラブ バニー』

 

ロモスの町の商店街から少し離れた歓楽街の一角に、その名の店はあった。その店では、常時15名の専属ダンサーと7名のホステスが働いており、訪れる客に一時の憩いを与える場であると同時に、社交場、あるいは情報収集の場としても広く知られていた。

 

特に名が知られているのは15名のバニーガールが織りなす魅惑的なダンスで、このダンスを見るために、はるばるロモスの町を訪れるという者も珍しくないほどだった。その人気は、ホルキア大陸パプニカ王国の『月のバニー』と二分しており、ダンスの特徴としては、躍動感では『クラブ バニー』が、雅さでは『月のバニー』が勝るというのは、両店を知り尽くしたとある大魔道士の言葉である。

 

さて、何故その『クラブ バニー』の説明を蕩々と俺がしているのかと言えば、その俺が今『クラブ バニー』店内のカウンターに腰を降ろしていたからだった。

 

懐中時計で時間を確認すると、今は夜の11時過ぎだった。先ほどまで俺の背後のステージ上ではバニーガールが煌びやかなライトの下くるくると踊っており、ダンスに合わせて演奏される音楽とお客さんからの歓声で随分と賑やかだったが、それが終わった今は、一転して落ち着いた大人の社交場としての空気を醸し出していた。

 

2ヶ月前に来た時にはステージは閉鎖されており、カウンターやテーブル席でバニーガールからお酒をつがれるだけの店だったが、今では魔物の襲撃による影響もなくなり、ようやくこの店本来の営業スタイルに戻ったのだろう。

 

そう言うわけで、現在は静かな大人の雰囲気を醸し出している店の中、俺は一人カウンターに手帳を広げて思案にふけっていた。飲んでいる飲み物はただの果汁だ。何度かバニー姿の綺麗なお姉さんからお酒を勧められたが、俺はこの店の前でも1件酒場をはしごしており、正直お腹がパンパンでこれ以上のアルコールは遠慮したかったため、それらの誘いを断っていた。

 

ダイは、明日の決勝トーナメントに向けて早めに宿屋で就寝している。マァムとメルルもその隣の部屋で早々に休んでいるはずだ。……そうなのだ。俺は皆が寝静まったのを確認し、万が一部屋を覗かれても不在がバレないよう偽装工作を施した上で、このロモスの夜の町に繰り出していた。

 

以前あれほどマァムに絞られ、しかも今はメルルまでいるというのに、それでも懲りずに俺がロモスの夜の町、とりわけこの店に来たのには理由があった。決して自殺願望があってのことでは無い、という事だけは言っておく。

 

結局、昼の予選の部では、ダイとマァムは上手く別のブロックになったようで、最終的な決勝トーナメント進出の8名の中に選ばれた。その中には、でろりんも含まれている。

 

俺は初めてでろりんの戦い方を間近で見たが、なかなかどうして腕の立つ魔法剣士と言える実力の持ち主で、正直俺は驚きを隠せなかった。剣術も魔術も高いレベルで修めていて、アバン先生という上位の魔法剣士を除けば、これまで俺が出会った魔法剣士の中でも一二を争う腕前だったし、何より経験豊富な冒険者らしく、戦闘時における臨機の判断と引き出しの多さが素晴らしかった。

 

実際、予選最終戦での、でろりんとラーバという巨漢の戦士の戦いは、予選で展開されるのがもったいないほどの熱戦だった。でろりんは、力自慢のラーバに対して接近戦で決して引けを取らず、距離を取ったら取ったらで、閃熱呪文と火炎呪文の良いとこどりの様な火炎呪文(メラ)を放ち、ラーバを牽制する。最終的には、攻撃魔法でラーバの体力をじりじりと削り、接近戦で仕留めたでろりんの勝利だった。

 

ちなみにダイの方だが、初戦から木刀を腰に2本差しで現れたのは良いのだが、やはり竜闘気(ドラゴニックオーラ)の扱いが難しいのか、木刀にオーラを纏わせた途端その手に握った木刀を破裂させてしまっていた。

 

そういう訳で、1回戦、2回戦は木刀ではなく拳による打撃で勝利を掴んだ形となったが、予選最終戦では少しこつを掴んだのか、どうにか木刀を破裂させない程度のオーラを纏わせる事に成功し、スタングルという名の鞭の使い手に木刀で勝利を収めていた。あの調子なら、明日の決勝トーナメントは剣術で戦える事だろう。

 

そしてマァムの方だが、彼女の方は全く危なげなく予選を突破していた。決勝に進んだ者の中で紅一点の女性であり、なおかつ、ロモス出身の勇者一行(パーティー)の一人と言う事もあってか、彼女には出場選手の中で一番ではなかろうかと思えるほどの声援が、観客席から送られていた。

明日はおそらくダイとの戦いが事実上の決勝戦になるだろうが、ダイがまだ竜闘気(ドラゴニックオーラ)に耐えうる剣を手に入れていない事を考慮すると、マァムの方が勝利する可能性が高いのではないかと俺は考えている。

 

それと、1人、いや1匹、懐かしい奴が大会に出場していた。それは、以前マァムを迎えにブロキーナ老師の元に行った際に知り合った、大ネズミのチウであった。正直、よく魔物の出場が認められたなと思ったものだが、出場選手資格を見ると確かに人間に限定するとは書いていなかった。

 

知らない間柄でもないので俺も応援したのだが、悲しいかな、チウは予選敗退という結果になってしまった。負けてしょんぼりと肩を落として選手控え室に引き上げていく際に、マァムが慰めていた様子が見えたが、大丈夫だろうか? 見たところパワーや突進力は十分あったように思えるんだが、力の使い方というか、自分に最もあった戦い方をまだ掴めていないんじゃないかと俺は感じた。

 

おっと、いけない。ダイ達の事は良いんだ。俺は手帳に書き込んだメモに目を落とした。決勝トーナメントに進んだ8名のうち、ダイ、マァム、でろりんは良い。残り5名の事を考えなければいけない。

 

そう、俺は昼にメルルが警告した魔物の気配について、この残る5名のうちの誰かが怪しいと踏んでいた。根拠は無い。だけど、俺の知っている前世の創作物の中では、こういうトーナメント制の大会で、出場選手の中に黒幕が潜んでいるというのは定番中の定番だった。

 

『ドラゴンボール』しかり、『幽遊白書』しかり、『ジャングルの王者 ターちゃん』しかりと、それは枚挙にいとまがない。およそ漫画の中でトーナメントが発生したら、まずそれを疑えというレベルだ。

 

……という訳で、そのダイ達を除いた決勝トーナメントに勝ち進んだ5名について、昼間に観覧していた時に書き付けていたメモに、俺は目を落とした。

 

『ゴーストくん』 武闘家 怪しさ:S 強さ:A? (意味が分からない)

『バロリア』 剣士 怪しさ:A 強さ:B (メルルに色目を使った イケメン許すまじ)

『フォブスター』 魔法使い 怪しさ:B 強さ:B (同じ魔法職として応援したい)

『ゴメス』 レスラー? 怪しさ:D 強さ:C (おっさんに雰囲気が似ている)

『ヒルト』 弓使い 怪しさ:B 強さ:C (悪い人には見えないが、こういう人に限って……)

※下からD→Sの順。全て予選を見て感じた俺の直感

 

このうち、フォブスター、ゴメス、ヒルトの3人は正直黒幕から除外して良いと思っている。何故なら、彼らとはさっきまでこの店を含む複数の酒場で一緒に酒を飲んで、その人となりをある程度把握できたからだ。

 

ゴメスは、見た目通り裏表の無い巨漢の気のいいおっさんだったし、ヒルトも普段は狩猟で生計を立てているらしい朴訥とした好人物だった。フォブスターは、ここに来る前に立ち寄った居酒屋のような店で偶然の出会いを装って食事を共にさせてもらった。彼は眉が無かったという事もあり見た目は怪しかったが、話してみると魔法技術に造詣の深い学者然とした人物だった。同じ魔法使いとして、彼とは術式の独自の工夫について議論ができ、正直楽しい時間だった。

 

俺も、自分自身の観察眼に絶対の自信など持っているはずもないが、彼ら3人と膝をつき合わせて歓談した所では、彼らが黒幕だとは今のところ思えなかった。

 

と言うよりも、そもそも最初から怪しさMAXの人間がいるのだ。いや、人間かどうかも正直分からない。

 

そう、『ゴーストくん』だ。

 

ふざけた登録名といい、白い布をかぶって全容がうかがえないあの容姿。そのくせ、のらりくらりとした動作から、要所要所で凄まじい一撃を相手の急所に放つあの動き。それはまるで、かつて見た漫画で、神様が一般人に取り憑いて天下一を決める武闘大会に出た際の動きを俺に思い起こさせた。もしでろりんがあいつと戦っていれば、股間を蹴られて悶絶するでろりんの姿が、俺には容易に想像できた。

 

正直、俺の近接職に対する観察力不足もあるのだろうが、『ゴーストくん』とやらの力の底が俺には見えない。もしかしてもしかすると、奴はマァム以上の格闘能力の持ち主の可能性もあるのではないかとすら、俺は思っている。その脅威度から言っても、奴が黒幕の最有力候補だ。

 

そして次点でバロリアだ。バロリアは、『ゴーストくん』よりは実力が分かりやすい。実力的には剣術だけに限って言えば、タイプは異なるがでろりんに匹敵する腕前と俺は見た。怪しいのは、その全身白銀のフルプレートに覆われた見た目と、メルルに流し目を使った不愉快なイケメン面だ。俺の勘が、奴に対して油断するなと言っている。……決してメルルが、「あの方、鎧姿が似合っていますね」と言ったからではない。決して違うのだ。

 

『ゴーストくん』もバロリアも、ロモスの夜の町に繰り出していないのか、大した情報が入手出来なかった。

 

酔い潰れないよう医療呪文(ベホマメント)の魔法を時折自分自身にかけながら、俺が周囲のお客さんやホステスさんからどうにか得た情報は、たいして役に立ちそうも無い情報も含めて、以下のものぐらいだった。

 

・ゴーストくんは、ロモスの奥地から現れ、誰もその布の下の正体を見た事が無い。病弱なのか、時折よろよろと杖をついて歩く姿が目撃されている。

・バロリアの出身国はベンガーナ国らしく、各国で開かれた大会で常に好成績を修めている。懐に余裕があるのか、ロモスの町でも最高級の宿に3日前から宿泊しており、外出する際も鎧を一切脱がないらしい。

・魔物の襲撃による被害を受けて閉めていた肉まん屋が、新しく店舗を構えてオープンする。

・大きめの変な猫が、町の複数の雄猫からまるで女王様のように貢ぎ物を受け取っていた。

・武器屋の親父が、足繁く通っていた酒場に1週間近く現れない。つけが貯まって逃げたのかもしれないと噂されている。

・パプニカ王国からの定期便が復活し、質の良い絹織物が店頭に並ぶようになった。

・『クラブ バニー』の2階にある渡り廊下からは、階下のダンスステージを見下ろすことができ、ダンサーの胸の谷間を覗きたい一部の人間からは、隠れた人気スポットとなっている。

 

うーん、これだけの身の危険を冒してまでこの店に再びやって来たというのに、肝心のゴーストくんとバロリアに関する情報をほとんど入手できなかった。もういっそのこと、明日の試合前にゴーストくんに攻撃魔法をぶちかまして、その正体を曝いてみようかな?

 

 

 

「……ねえ、何を難しい顔をして考え込んでいるの? ここはもっと眉間の皺を取って、楽しむ所よ?」

 

その声と共に俺の前に滑るように置かれたカクテルで、俺は思考を中断し手帳から顔を上げた。

そこには、バニー衣装から妖艶なドレス姿に着替えたクラリスという名の女性がいた。この女性は2ヶ月前にこの店をでろりん達と訪問した際に接客してくれた二十歳の女性で、背中まで伸びる淡い水色の髪が美しい、大人の魅力溢れるお姉さんだ。

 

うん、つまり前回俺がこの店に来た時に営業カードを渡してくれた女性だ。パプニカではその営業カードのおかげで酷い目にあったが、もちろんクラリス嬢に非はなく、悪いのは全てダイである事を俺は理解していた。

 

「あれ? クラリスさん、さっきまで踊られていましたよね。今、休憩時間じゃないんですか? あっ、さっきのダンス、とても素敵でしたよ」

 

俺のその言葉に、クラリスはねめつけるようなジト目を俺に向ける。おっと、こんな美女にジト目で睨まれたら、まるで秋波を送られたかのように錯覚しそうになるぞ……。

 

「よく言うわよ。ポップ君ったら、ずっと手元に目をやって、ほとんどこっちを見ていなかったじゃない。前はポップ君に私のダンスを見せられなかったから、今日こそはって気合い入れて踊ったのに。酷いわ……」

 

よよよ……と目元を押さえて泣き崩れる仕草をするクラリスに、俺は慌てて謝罪する。

 

「ご、ごめんなさい、クラリスさん。ちょっと気になっていた事があって、そっちに意識がいっていました。次があるんですよね? その時はちゃんと見させてもらいますから、機嫌直してくださいよ」

 

「そんな事言って、次はポップ君あの2階から見るつもりでしょう? ほんと、スケベなんだから……。私、『氷の賢者君はとってもエッチな男の子ですー』、って皆に言いふらしちゃうわよ?」

 

「み、見ませんよ! ちゃんとここで、見させてもらいます!」

 

危ない、危ない。入手した情報の中で、唯一有益だと思われる情報を次のダンスステージで活用しようと思っていたが、危うく不名誉な噂を流されるところだった。

 

クラリスは、「ほんとかなー」と訝しい目を向けた後、「まずは乾杯ね」とグラスを手に持った。俺もそれに合わせるように先ほど目の前に置かれたオレンジ色のカクテルで満たされたグラスを手に持って、軽くグラス同士をぶつける。

 

正直、もうアルコールはお腹いっぱいなんだけどな、と思いながら軽くグラスに口を付けて驚いた。

 

「これ、“スクリュードライバー”ですか? ……懐かしい」

 

「懐かしい……? そんなに珍しいカクテルじゃ無いと思うけど……」

 

「ああ、いえ。そういう訳じゃ無いんです。でも、思ったよりアルコールが強く無くて飲みやすいです、これ。うん、とても美味しいです」

 

いや、十分懐かしいよ。以前にこれを飲んだのは、前世の大学の文化祭の打ち上げまで遡るんだから。ビールやワインは知っていたけれど、同じ味と名前のカクテルまでこの世界にあったんだ……。

 

「それなら良かったわ。アルコールはもうたくさんって顔をしていたから、弱めにして正解だったわね。ところで、賢者であるポップ君は、そのカクテルの酒言葉まで知っているのかしら?」

 

「いやー、さすがにそこまでは。どんな意味があるんですか?」

 

「ふふふ。な・い・しょ♪」と、カウンターに肘をついてぐっと身を乗り出すようにして悪戯っぽい笑みを浮かべるクラリス。いや、ちょっと胸元のドレスがはだけすぎてて、視線のやり場に困るんだけど……。

 

視線のやり場に困ると言いながら、迷い無く特定の部位に視線を固定していた俺は、いつの間にかクラリスが俺の手元にある手帳に視線を落としている事に気づかなかった。

 

「……ふーん。何を難しい顔をしているのかと思っていたけど、察するところ、君はまたロモスの町で悪い奴らが暗躍しそうなので、それが誰なのかを突き止めようとしているのかしら?」

 

「――なっ!? ど、どうしてそれを!? ま、まさか、クラリスさん、転生者ですか!?」

 

俺は思わず、椅子から立ち上がってしまうほど驚愕した。この手帳には、誰に見られても良いように全て日本語で書いているのに、俺のやっている事を言い当てられた事で、クラリスを転生者、それも日本からの転生者ではないかと俺は疑った。

 

しかし、俺の動揺をよそに、クラリスはコテッとかわいらしく首を傾げた。

 

「転生者……? なによ、それ? ポップ君の事はずっと見ていたし、ポップ君と会話した女の子から話を聞いたらすぐに何をしているのか分かったわよ。……もしかして、また何か魔物の襲撃があるのかしら?」

 

な、何だ……。手帳の文字を解読したのかと思ったが、俺の早とちりだったか。しかし、さすがはこの店№1のバニー嬢だな。俺の行動を遠目で見ていただけで、そこまで洞察するとは。俺は内心クラリスに感嘆しながら、再び椅子に腰を降ろした。

 

「ま、まあそんな所ですね。クラリスさんは何か知っていませんか? 何でも良いんですけど……」

 

俺の問いにクラリスは「そうねー……」と、人差し指を顎にあてて、視線を明後日の方に向けて少し考えた後、控えに口を開いた。

 

「そうね。大会関係で良いなら、この大会を開催する事を提案したのは、最近新しく王様に登用されたザムザっていう人らしいって言う事ぐらいかしら……」

 

「へー、ザムザ……。どんな人間なんですか? よくこの店に来るんですか?」

 

俺は、意外に重要な情報をいただいた事に驚きながら、その人物についてさらに聞いてみる。

 

「ううん。この店には来た事はないわね。その人の事は、この店に来る別のお城で働いている方から聞いたわ。あまり他の人とコミニュケーションを取らない、寡黙な人って噂ね」

 

「そうなんですか。貴重な情報ありがとうございます」

 

明日、時間があったらその人間について少し調べてみようかな。俺がそんな事を考えていると、クラリスが俺の顔をじっと見つめている事に気がついた。

 

「どうかしましたか、クラリスさん? もしかして、またどこか体の具合が悪くなりました? 前みたいに、健康診断の魔法をかけてみましょうか?」

 

「ううん、大丈夫。それは前にポップ君にしてもらったから。あれ以来どこもおかしな所なんてないわ。他の娘達も言っていたわよ。あの時はありがとうね、ポップ君」

 

そうか。特に体調に問題が無いのなら良かった。他の娘達も大丈夫なら、安心だ。俺は、2ヶ月前にでろりん達とこの店に飲みに来た際に、何名か体調のよろしくない娘がいるとクラリスから聞き、急遽医療魔法でその娘達に診察と治療を施していた。

 

確かに、具合が悪いと零していた娘達は、肝臓の働きが大分弱っていたようだった。無理もないだろう。こういう店で働いている以上、どうしたってお酒を口にする機会が多くなる。

 

俺は、そうした娘達に、今後はできるだけ休肝日も設けるように忠告しつつ、医療呪文(ベホマメント)の魔法で治療を施したが、その効果に驚いた他の娘達も『私も診察して欲しい』と次々にやって来たものだから、あの時は店の中がちょっとした診療所と化して異様な雰囲気だった。

 

まあそれもあって、この店のほとんどの娘達が俺の事を覚えてくれていて、今日の俺の情報収集に積極的に協力してくれたから助かったわけだが。人の縁というのはやはり大事だな。

 

「良いんですよ、そんな事は。クラリスさんも、あれからきちんと休肝日を設けていますか? あまり無理をしてはいけませんよ?」

 

俺のその言葉に、クラリスはほんの少し哀愁を感じさせる笑みを浮かべて言った。

 

「ふふ。ありがとう、ポップ君。……でも私ね、明後日でこの店をやめて、地元に帰るつもりなの。地元では、もうこんな風にお酒を飲む仕事に就くつもりはないから大丈夫よ」

 

その言葉に俺は驚いた。クラリスは、この店のダンサーの中で最も人気のある女性だ。先ほどのステージでもセンターで踊っていて、少し見ただけだが、他のダンサーとは明らかにレベルの違う切れのある動きをしていた。だけど、そうか。いよいよ夢のために動き出したんだな。

 

「そうですか……。それは残念ですね。クラリスさんのダンスが、もうすぐ見納めだなんて。だけど、実家に帰ると言う事はパン屋さんを開く目処がついたって事ですよね?」

 

「あら、嬉しいわね。覚えていてくれたの、ポップ君? そうよ、やっとお金が貯まったわ。これで弟を迎えに行けるわ」

 

先ほどの妖艶な微笑みから一転して、向日葵のように微笑むクラリス。くすっ。クラリスの素の笑顔を見ちゃったな。やっぱり俺はこっちの方が好みだ。もちろん俺は、以前この店で交わしたクラリスとの会話を覚えていた。クラリスは元々このロモスの北西に位置する小さな町ポルトスの生まれだが、成人直後に両親を亡くされた後、幼い弟を親戚に預けてこのロモスの町に出稼ぎに来ていた。

 

「でも、この店で踊るクラリスさんも輝いていましたよ。ダンサーに未練は無いんですか?」

 

「よく言うわよ、碌に見ていなかったくせに。でも、そうね。開業資金を稼ぐために手っ取り早く始めた仕事だったけど、なかなか悪くなかったわね。それでも、私は昔から両親の仕事を継ぐ事が夢だったから、後悔は無いわ」

 

「そうですか。クラリスさんの踊りを見る事を楽しみにこの店に来ている人達には残念な話ですが、俺はクラリスさんの決断を応援しますよ。ポルトスの町に残してきている弟さんも、首を長くしてクラリスさんが戻ってくるのを待っているんじゃないですか?」

 

「どうかしら? 私、15の歳から一度もポルトスに帰らずにこの町で働いていたのよ。5歳、ううん、今は10歳になったわね。今更弟が、私と一緒に暮らすのを受け入れてくれるかしら……」

 

俺は、不安そうに口にするクラリスに、「そんな心配はいりません。大丈夫です」と太鼓判を押す。

 

「あら、どうしてポップ君がそんな事を断言できるのよ?」

 

「だって、俺がクラリスさんの弟だったら、クラリスさんみたいな美人のお姉さんと一緒に暮らせるのを喜ばない訳ないですもん。絶対、今頃必死で戻ってくるお姉さんの部屋を綺麗に掃除していますって。俺が断言しますよ。大丈夫、大賢者、嘘つきません」

 

俺のその言葉に、クラリスは珍しくあっけに取られたように大口を開けて固まったかと思うと、次の瞬間、『クラブ バニー』の№1嬢らしく上品に口に手を当ててクスクスと笑い出した。

 

「……もう、本当に君って子は。人の不安を軽く笑い飛ばしてくれちゃって。本当、憎らしいわね」

 

そう言ってクラリスは、カウンターの向こう側から右手を伸ばして、そのよく手入れされた白魚の様な指で俺の頬をギュッと抓った。引きつるような痛みが左頬から発せられる。

 

「い、いひゃいですよ、クラリスさん。ひゃめてくらはいよ」

 

「駄目よ。男の子でしょう? 悔しかったんだから、それぐらい我慢しなさい」

 

「どんだけ、Sっ気が強いん―― ――い、痛いですってば!」

 

図星を突かれたからか、クラリスは切れ長の瞳を更に細めて右手に力を込めてきた。

 

 

 

あー、痛かった。俺がようやく離してくれた頬に手を当てて涙目になっている傍ら、クラリスはグラスに敷いているコースターを裏返して何か書き込んでいた。

 

そして、その書き込んだ面を裏にして俺の前にそっとそれを置いたかと思うと、クラリスは突然爆弾発言をした。

 

「ねえ、ポップ君。私と、結婚しない?」

 

「……は? ――はあっ!?」

 

突然の言葉に俺は一瞬呆けてしまったが、そんな俺の反応をクラリスは面白そうに笑みを浮かべて見つめている。……全く、また俺をからかって。

 

「いきなり何言っているんですか、クラリスさん。もう、冗談はやめてくださいよ」

 

「あら、冗談じゃないわよ? これでも私、身持ちは固いのよ。それともポップ君は、私みたいなおばさんは嫌かしら?」

 

「クラリスさんをおばさんだなんて思った事は、ちょっとしか……、あ、いや、冗談です。全くありませんよ。そうではなくて、からかわないで下さいって言っているんですよ。俺達、まだ2回しか会っていないじゃないですか。結婚なんて、そんな簡単に決断できる事じゃ無いでしょう?」

 

危ない、危ない。ちょっと冗談を口にした瞬間、再びクラリスが剣呑な顔をして俺の頬に手を伸ばしかけた。

 

「からかってなんかないわ。確かに私は君と出会ったばかりだけど、こういう仕事をしていると人の内面を把握する術は自然と身につくのよ。だから私は、自分の直感を信じているの。……ねえ、このコースターの裏に私の実家の場所を書いたわ。今すぐでなくていいのよ? 君が私と結婚するつもりがあるなら、めくってみない?」

 

その言葉に俺は、カウンターの上に置かれたコースターに目をやった。クラリスは、おどけた口調と表情を崩さないから、どこまで本気で言っているのか掴みづらいんだよな。まあ、こういう店でお客さんとの間で日常的に行われている戯れ言だろう。本気のはずがあるわけない。

 

そう考えた俺が、そっと目の前のコースターに手を伸ばした時、不意に俺の両肩に置かれる手があった。

 

「……ようやく見つけたわよ、ポップ。覚悟は出来ているんでしょうね?」

 

「ポップさん。……私、怒っていますからね?」

 

振り返るまでもなく俺はその声の主を確信し、一瞬で血の気が引いた。

 

 

 

もしかしたら、俺の旅は今度こそここで終わるかもしれない。ともすれば魂が口から抜けそうになりながら、俺はそんな諦めの境地に達していた。

 

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