「はーーー。うー寒い」
手に息を吹きかける。吐く息が白い。今日、村の周辺は雪景色となっている。
ランカークス村の周辺は12月から3月までは時折雪が降る。北方大陸のオーザムのような豪雪地帯ではなく、積雪量もそれほどではないけれど、冬の間に何日かはこのように雪が積もる時がある。
俺は、いつものように午前中は店の手伝いをしてから、昼になる少し前に教会に手伝いに行っていた。
だけど、いつもなら今日は肉体労働で怪我をした人達が教会に来るはずだったんだけど、この雪で作業が無かったようで、急に今日は必要がなくなったみたいだ。
だから、俺も急に予定が空いたことになる。「せっかく来てくれたのにごめんなさいね~」とマリーさんが言ってくれたが、別にそんなことは気にしない。「全然良いですよ。じゃあ、また日が分かったら教えてください」と言って教会を出た。
そして、そのまま家に帰っても良かったのだが、急に自由時間ができたので、2ヶ月前に体験したあれを確かめに行ってみようと思い立ち、俺は森にやってきていた。
そう、ジーン捜索事件の最中に体験したあのキラーパンサーからのお誘いである。
あの事件の後、俺は直ぐにでももう一度森に行ってみたかったんだが、周りの環境が許さなかった。
森は完全に立ち入り禁止になったし、あのような事件が起こらないよう、定期的に自警団が見回りを始めた。
俺も両親から、今は森に行ってはいけないと強く釘を刺されていたから、身動きができなかったのである。
しかし、つい先週ようやく森への立ち入りの許可が出た。
自警団が遭遇したというライオンヘッドはまだ討伐されていないけれど、あれから目撃例も無いし、いつまでも立ち入り禁止にしていては、森から採取される食べ物、薬草などが村に供給されなくなり、村の運営に支障がでてしまう。
まあ、とはいっても子供だけで森に入る場合は、危険な魔物の出現率の低い森の浅い範囲までということは常識の範疇で決まっている。
そんなわけで、堂々と俺は今森の前にいるのだが、常識の範疇で許されている森の浅いところまでという決まりは、おそらく破ることになるだろう。
だから、ここに来る時も念のために誰にも見られないように注意しながらやってきた。また、ライナー隊長の拳骨を頭に食らいたくないからな。あれは痛かった。そして、何気にその前に頭をヘッドロックされたのも痛かったけどな!
まあ魔物に遭遇しても、ライオンヘッドのような大物でない限りおそらく大丈夫だろう。いざとなれば魔法で撤退すればいい。今日は俺一人だから、撤退もそれほどの苦労はしないだろう。
……さあ、行くとしよう。俺は首に巻いたマフラーをしっかり巻き直した。俺は森に向かって足を踏み出した。地面には積雪があるため、俺の足跡が後ろについていく。
俺はまず最初にあの時にジーンがしりもちをついていた地点に向かうことにした。どこに行けばあの時のキラーパンサーに会えるのか全く心当たりがなかったので、とりあえず前に出会った場所に行ってみようと考えたのだ。
俺は左手にコンパスを構えた。家にあったのを拝借してきたんだ。これで方角を間違うことは無いはずだ。
「確かこの辺りのはずなんだけどな……、あっ、あったあった。」俺は森に入って20分ほどでジーンを発見した場所まで到達していた。クコの木が生い茂っているからここで間違いないだろう。あいにく今の季節はクコの実は落ちてしまっているから、実を集めることはできないけど。
辺りは静かだ。時折雪が木々の枝からまとまって落ちるどさっという音が聞こえるのと、鳥の鳴き声ぐらいしか耳に入らない。
さあ、どうしよう。ここに来るまでは考えていたけど、ここからはどうしたらいいものかさっぱり考えていないぞ。
そんなことを考えていると、どこからか「ニャー、ニャー」という猫のような鳴き声が聞こえてきた。
ははーん、さては向こうさんも俺のことを待っていてくれたんだな。ニヤッと笑った俺はその声のする方向に足を進めていった。
そこからさらに奥に足を進めること約15分。相変わらず猫の鳴き声は先の方から聞こえるが、まだその姿は見えない。俺が進むにつれて、相手も俺を誘うかのように奥へ奥へ進んでいるからだ。完全に俺を誘っているな。
これ、あのキラーパンサーじゃなかったら怪しすぎてとっくに逃げ出しているぞ、俺。
いったい、どこまで行くつもりなのかな。あまり遅くなると父さん母さんにばれてしまうぞ。勝手に森の奥地に入ったことを、両親にばれたくない俺はそんなことを考えながらついていくと、不意に藪をかき分けた先に開けた場所があることに気が付いた。
「なんだ、ここは? ここだけ高木が生えていない。いったいどうして……?」
そう、森の中だというのにこの一帯だけ高木は一切生えておらず、芝のような背丈の草に雪が覆っているのみだった。広さはだいたい20m四方くらいか?
そして、最も目を引くのはその広場のちょうど中央付近に存在する古い祠だった。不思議と祠には雪が積もっていない。入口に扉はないようだ。でも人が4~5人入ればいっぱいになりそうな大きさの祠だ。
「祠? だれかが建てたのかな?」
そう疑問を口に出していると、その祠の内側から先日出会ったあのキラーパンサーとベビーパンサーがひょっこりと顔を出てきた。
俺は少し驚いたけど、2匹からはあの日同様邪気を感じなかったため、直ぐに警戒を解いた。
俺が2匹を見つめていると、キラーパンサーがあの時と同様祠の方に首をかしげて、俺を誘っているようなそぶりを見せた。
そして、2匹が祠の中に入っていったので、俺も慌てて中に続くことにした。
祠の中に入って俺は戸惑った。先に中に入ったはずの2匹の姿が見えなかったからだ。代わりに祠の中の中央には不思議な文様(魔法陣かな、これは?)の描かれた石でできた床があった。俺はこの光景に少し見覚えがあったので、この祠の正体に少し見当がついた。
そうだ、これはもしかすると『旅の扉』なんじゃないかな。まあ、見覚えがあるといっても前世でのゲームの中での話だ。実際にこの目で見たわけではないけれど、たぶん間違いないんじゃないだろうか。実際先に入ったはずの2匹がいないしな。
俺は、少しこのまま足を進めてよいか考えて躊躇した。これが『旅の扉』だとして、いったいどこへつながっているのだろうか? ちゃんと帰ってくることができるのか? あまり考えたくはないが、向こうに着いた途端、周りを危険な魔物に取り囲まれていた、なんてこともあり得るのではないか。
色々考えだすときりがなかったが、俺は覚悟を決めて足を踏み出すことに決めた。
俺をだますつもりならこんな回りくどい手段をとる必要もないだろうし、帰って来れるのかということについても、いくらなんでも一方通行の『旅の扉』なんて聞いたことが無い。少なくとも前世でよくやったゲームの中には無かったはずだ。
俺はゆっくりと部屋の中央に足を進めた。すると、床に書かれた魔法陣から淡い水色の光が上空に伸びていった。俺が思わずその幻想的な光景に息をのんだ、その時だった。不意に暗転したかのように辺りが真っ暗になって、俺は平衡感覚がくるったかのように少しよろめいてしまった。
いけないっと思い手を伸ばすと先ほどまでは冷たい石の壁だったのに、何故かごつごつした岩に手が触れた。あれっなんで? と思って周りを見渡すと、そこはもう俺が先ほどまでいた祠の中では無かった。
ここはどこだろう? 小さな洞穴のように見える。周りを覆っているのは岩だ。広さはさっきの祠の中と同じくらいだ。光は薄暗いものの、ちゃんと入ってきている。ちょうど目の前がこの洞穴の出口のようで、そこから明るい光が入ってきている。ふと、足元を見ると先程と同様の魔法陣が描かれている。やはりさっきの祠は『旅の扉』だったんだ。
そして、転移した先は祠の形状をしておらず洞穴になっていたという事なのだろう。そう判断した俺は、恐る恐る洞穴の出口の方向に歩いていき、この洞穴から外に出てみた。
驚いた……。俺の視界に広がるのは、見渡す限りの広大な森林だった。
それが眼下に見える。まるで森林の地平線だ。遠くには、あれは海か? 遠すぎてはっきりとは分からないが、青いものが見える。ここは標高何mくらいなんだ? 1000mは超えているんじゃないのか?
俺は背後を仰ぎ見てみると、これまた驚いた。俺の背後にはとんでもない高さの山脈がそびえたっていた。上の方は完全に雪が積もっている。もしかしてここって、ギルドメイン山脈なんじゃないのか?
そして、俺は今ギルドメイン山脈の中腹に立っているのではないか? もしそうだとすると、眼下に広がる大森林はギルドメイン大森林で、見えないけどこの森林の向こうには俺の住んでいるランカークス村があるのではと思った。
俺は、前世でも見たことが無いまさに絶景ともいえる光景に心をしばし奪われていた。すると、俺のズボンをクイクイっと引っ張る存在に気が付いた。足元を見てみると、俺をここまで案内していたベビーパンサーが早く来いと言わんばかりにズボンのすそを噛み引っ張っていた。
「ああ、ごめんごめん。つい見入ってしまっちゃったよ」
苦笑しながら俺はベビーパンサーに返事をすると、早く来いとばかりにタタタッと洞穴の出口から横に伸びている登山道のような道を駆けて行った。その先に目を移すと300mほど行ったところに大きめの洞穴が見える。キラーパンサ―の姿もその洞穴の前に見えた。
どうやらそこに案内しているらしいと思った俺は、ゆっくりとその後を追った。
その洞穴はさっき俺が出てきた洞穴より幾分か入口が広かった。もう2匹が俺を騙しているとは考えていなかった。
それより、いったいこの先に何が待ち受けているのか、好奇心が抑えられない俺は、ドキドキしながら洞穴の中に入っていった。
5mほどの広さの洞穴を奥に進む。20mほど進んだだろうか。不意に、広い空間に行き当たった。空間の全体は薄暗くてよく見えなかった。でも広い。それは何となく分かる。この広さは学校の体育館ぐらいの広さだ。周りがよく見えないため、少し困惑していると、徐々に明かりが灯りだした。
そして、完全に明るくなると、なんと俺の前方にはいろいろな種族の魔物が思い思いの格好で立っていた。いや、座っている魔物もいるな。飛んでいる魔物もいる。
急に現れた魔物の集団に俺は戸惑いを隠せなかった。でも、不思議と恐怖は感じなかった。それは、この洞穴に集まっている全ての魔物から邪気を感じなかったからだ。皆がこちらを見つめているが、不思議と圧迫感は無い。
俺とそれら魔物との中間地点ぐらいにキラーパンサーとベビーパンサーの2匹がいた。2匹はやっと来たか、とあきれたような表情で俺を一瞥した後、奥の魔物たちの方にトコトコと進んでいった。2匹はそのまま、魔物の中央にいた杖を突いた年老いた様子の魔物のそばに進んだ。
すると、その魔物が2匹に声をかけた。
「ご苦労だった、セリーヌ。パンもよくお手伝いをした。向こうでゆっくり休んでおいで」
その言葉を聞いた2匹はそのまま奥に進み、洞穴の奥の方にたまっていた水を飲みだした。俺はその水の存在に今更気が付いた。よく見てみると、この洞穴の奥の方、およそ全体の1/3にあたるぐらいの広大なスペースに湖のようなものが存在している。しかも底が全く見えないので相当深そうだ。
そんなことを考えていると、杖を突いた魔物が俺に声をかけてきた。
「さて、ようこそ、人族の童(わらべ)よ。儂は、メッサーラ族のサーラという名じゃ。童よ、さあ、こちらに来てくれ。これでは話しづらい」