side ダイ
さっきまでの空を飛んでいたようなふわふわした浮遊感が身体から抜けると、俺の足に固い地面の感触がしっかりと伝わってきた。目を開く前から分かった。俺の耳に、さっきまでいたロモスの町の住人が上げる賑やかな声じゃなく、鳥や獣と言った生物の発する息づかいの声がどこかしこから聞こえてくる。そうだ、ここは俺が10年以上過ごした故郷、デルムリン島だ。
俺がゆっくり目を開けて見渡せば、ここはデルムリン島の大部分を見下ろせる高台だった。大きく息を吸って、懐かしい森の匂いを全身に取り込むと、何だか生き返ったような気がした。
俺の周りにはポップ、マァム、メルル、ゴメちゃん、チウ、パンが立っていて、初めてこの島に来たマァム達は目を輝かせながら周囲をキョロキョロと見渡している。
ここは……。という事は、と考えた俺は後ろを振り返った。ああ、やっぱりだ。島全体を見渡せる見晴らしの良い場所に、白い鞘に収まった1本の剣が深々と突き刺さっていた。
ふと気がついたら、俺の隣に立っていたポップもその剣をじっと見つめていた。
「そう……だよな。やっぱりあるよな……。いっその事無くなっていてくれたら、と期待していたんだけどな……」
そう呟いたポップの表情を俺は見る事ができなかったけど、俺は何故だかその背中がとても寂しそうに感じた。ゴメちゃんも俺と同じ事を感じたのか、「ピィィ……」とポップを慰めるようなか細い声を上げた。
「ポップ……」
「ん? ああ、何でもないよ、ダイ、ゴメ。そんな事より、マァム、メルル。一応、これがアバン先生の墓標代わりなんだ。ちょっとアバン先生にこれまでの事を報告したいから、少しだけ待ってくれ」
「これが、アバン先生の……。待って、ポップ。私も一緒に手を合わさせて」
「あ、私もご一緒します」
もちろん俺もアバン先生にいっぱい伝えたい事があったから、俺もその場でアバン先生の剣に手を合わせた。ひとしきりアバン先生にこれまでの事を報告した後、俺はアバン先生愛用の剣に目を落とした。
デルムリン島を旅立つ時は、この剣をいつか使わせて貰おうと思っていたけど、多分もう……。俺はどこか寂しい気持ちでその剣の柄を撫でる。そんな俺の肩に、ぽんと手が置かれた。ポップだった。
「……ダイ、お前の考えている事は分かるよ。その剣、使いたかったよな」
「……うん。そのつもりだったんだけど、……もう無理だよね?」
「そうだな……。その剣の材質は、『鎧の魔剣』の刀身と同じミスリル銀だから、お前の
ポップの言葉に、やっぱりそうだよね、と俯きかけた俺に、ポップは続けた。
「……だけど、ダイ。そんな寂しそうな顔をするなよ」
「え……?」
俺はその言葉に思わずポップの顔を見上げた。ポップはそんな俺に、いつもの何でも受け止めてくれる優しい笑みを浮かべていた。
「その剣が使えなくなったのは、お前が急激な成長を遂げたからだろう? それはお前が努力して掴んだ成果だ。むしろ誇るべき事で、決して悪い事じゃないよ。だから、そんな風に下を向くな、胸を張って堂々とアバン先生に報告しろよ」
「……うん、そうだね。アバン先生、きっと喜んでくれるよね?」
「当たり前じゃ無いか。アバン流刀殺法の奥義に先生の力抜きでたどり着いたんだ。お前は、アバン先生が一番誇りとする弟子だよ」
ふふふ。ポップの言葉は嬉しいけれど、多分アバン先生が一番誇りとする弟子は、今俺の目の前にいると思うんだけどな。
「それに、アバン先生の想いは、剣という形じゃなくても、お前の心にもうしっかりと受け継がれているんじゃないのか?」
アバン先生の想い……。俺は、続けて発せられたポップの言葉を胸の内で繰り返す。うん、アバン先生はもう俺の中にいる。デルムリン島を旅立った時には漠然とした想いだったそれは、ポップやマァム、ヒュンケルやクロコダイン達と旅を続ける内に、それは確かに俺の中で形作られていた。
だから俺は、胸元を拳でギュッと握りしめてポップに答えた。
「うん。アバン先生はちゃんとここにいるよ。ありがとう、ポップ」
そう答えた俺にポップはふっと笑みを浮かべた後、アバン先生の剣に優しく触れて独白するように続けた。
「……それに、この剣の役割はまだ終わっていないさ。アバン先生も、きっと喜んでくれるはずだ」
俺がポップのその言葉の意味を知ったのは、それからしばらく経った後の事だった。
「爺ちゃーん! ただいまー!」
俺は、家代わりだった洞窟の前で、ロモスの兵隊さんと何やらゲームをしていた様子の爺ちゃんを遠くから見つけ、大声を上げた。
「む……? お、おお! ダイではないか! 元気じゃったか!? おうおう、ゴメも元気そうで何よりじゃ」
あはは。ゴメちゃんも、爺ちゃんに会いたかったんだろう。俺より早く一目散に爺ちゃん目がけて飛んでいったゴメちゃんが、その爺ちゃんの周りを「ピィ、ピィ♪」と発しながら飛び回っている。
「うん、元気だったよ! あ、兵隊さん達もありがとう! いつも爺ちゃんを守ってくれて」
「何を言われますか、勇者殿。これが私どもの役目ですので、お気になさらず」
俺が爺ちゃんと兵隊さん達と言葉を交わしていると、ポップ達も後からやってきた。
「ブラスさん、お久しぶりです。その後、変わりはありませんか?」
「こんにちは、ブラスさん。ロモス以来ですね。お元気そうで何よりです」
「おお、ポップ君にマァム君。君達まで来てくれたか。嬉しいのう。それに初めて会うお嬢さんもおられるようじゃな。初めまして、儂はダイの祖父代わりをやっておるブラスじゃ」
「こちらこそ、初めまして。私はメルルといいます。私、是非ダイさんの生まれ故郷が見たくて、こうして一緒にこさせていただきました。海もきれいで、気候も穏やかですし、とっても良い島ですね」
「ほっほっほ。そう言ってもらえると嬉しいのう。じゃが、ダイよ。ただ儂の顔を見に来ただけではないのじゃろう? 何か目的があったのではないかの?」
「うん、そうそう! 俺達、前にロモスの王様に貰った『覇者の冠』を探しに来たんだ。爺ちゃん、あの冠、どこにあるか知らない?」
「『覇者の兜』じゃと……? あれなら確か洞窟の奥で漬け物の重しとして使っておったはずじゃが……」と、爺ちゃんは後ろの洞窟を振り返って指を指した。
やった! やっぱりあったんだ。しばらく見かけなかったから、爺ちゃんが捨てちゃったかもしれないと思っていたよ。でも、漬け物の重しって……。シナナ王から貰ったオリハルコン製の冠をそんな使い方しているって知られたら、王様が熱を出しちゃうよ。
その後俺は、洞窟の奥で確かに漬け物の重しとして使われていた『覇者の冠』を見つけ出す事ができた。良かった、これでようやく俺の剣ができる。俺はうれしくなって、思わず『覇者の冠』をぎゅっと胸に抱きしめていた。その冠は、どこか漬け物の匂いがした。
ジュー、ジューという肉の焼ける音と何とも言えない良い匂いが、火にかけた網の上から漂ってくる。俺達がデルムリン島にやってきた時刻はもう太陽が西の水平線に沈みかけている所だったから、そのまま俺達は晩ご飯の用意を始めていた。
ポップが分厚い肉を時折裏返したりしながら焼いている様子を、チウもパンもよだれを垂らしながら見つめている。兵隊さん達も含めて、皆が食べられるぐらいのお肉をロモスの町から持ってきていたんだけど、兵隊さん達は『私達の事は気にせずに、久しぶりの団欒を楽しんでください』って言って寝床にしているらしいテントに戻っていった。……後で、ロモスで買ってきたお酒と焼けたお肉を持って行ってあげようっと。
「ポップさん。ご飯が良い具合に炊けましたよ」と言って、メルルがたき火にくべていた飯ごうを、火から下ろした。
「ああ、本当だね。米の炊けた良い匂いがする。ははは、ゴメ、もう涎が出ているぞ。メルル、ご飯は、ゴメの好物だから多めにお皿に入れてやってよ。さあ、こっちのローストビーフもちょうどできた頃だ。マァム、これを薄く切り分けてくれないか? ああ、手刀じゃなくて、ナイフを使ってくれよな」
「手刀で肉を切るわけ無いでしょ! でも、ポップ。あなた、どうしてこんなに色々な料理の調理方法を知っているの? 前に誰かに習った事があったの?」
「ん……? ああ、そうだな。エウレカの里で友達になった魔物が教えてくれたのさ。あいつら、長生きな上に結構グルメだからな。色々な事を知っていたよ」
ポップとマァムの会話を聞いていたパンが、何故だか不思議そうに首を傾げていた。
「さあ、そんな事より早速食べようぜ。ブラスさんもそこに座ってください。よく考えたら今日は、昼ご飯も食べずに朝から晩まで戦いっぱなしだったから、もう俺、お腹ペコペコだよ」
「本当ね。私もさすがに疲れたわ。さあ、パンちゃん、お待たせ。お肉をどうぞ」
「ゴメちゃんもどうぞ。まだいっぱいあるから、おかわりして下さいね」
「ニャーン、ニャーン」
「ピピピィ!」
「ぼ、僕も! 僕にも早くちょうだい! ――痛っ!」
あはは。パンもゴメちゃんも、マァムとメルルがテーブルに置いたお皿に飛びついたかと思うと、早速よそ見もせずにガツガツと食べ始めている。待ちかねたのか、パンの皿に置かれたお肉に手を伸ばしたチウが、そのパンの鋭い爪に手を引っ掻かれて悲鳴を上げていた。
その後、俺達もお肉を焼いている網を囲むように置かれた丸太にそれぞれ座って、晩ご飯をいただいた。
ポップの作ってくれたローストビーフという肉料理は、噛みしめると中から肉汁がジュワッと口の中に溢れて、びっくりするほど美味しかった。沢山あったお肉も、最後は俺とパンとチウが奪い合うようにしていただいた。
うーん、お腹いっぱいだよ。俺もパンもチウも、皆がパンパンになったお腹を摩りながら砂浜に座り込んで、笑い合っていた。もうとっくに太陽は水平線に沈んでいて、たき火の明かりと空に瞬く星の光だけが、砂浜に規則的に寄せては返す白波を薄らと照らしていた。
少し離れた砂浜では、島に残った魔物達も楽しそうに飲み食いしていた。ポップが、慣れた様子でその中に混じって、魔物達と肩を並べて笑い合っている。ふふふ、楽しそうだな。俺も後で皆の所に行こう。
島の外では爛々とした血走った目を光らせて襲ってくる魔物達だけど、この島はアバン先生のおかげでそんな事にはなっていない。俺は島の中央にある、今は何も無いアバン先生のお墓を見上げて、改めて先生に感謝の言葉を胸の中で呟いた。
(……アバン先生。俺、空裂斬を会得して完全なアバンストラッシュが使えるようになりました。本当は、もっとアバン先生に修行を付けて欲しかったけれど、ポップがアバン先生の代わりをしてくれています。俺、アバン先生が言ってくれた『魔法使いのための勇者になれば良い』って言葉をまだポップに言えるほど強く無いけれど、いつかそう言えるようにこれからも頑張ります。
……でも、アバン先生。ポップはすぐに無茶をするんです。どうか、ポップの夢にでも良いですから、時々は出てきてポップに無茶をしないように注意して下さいね。お願いします、アバン先生)
「今日は良い日じゃのう。こんなに美味しい料理も頂けたし、何よりダイの元気な姿を見る事も出来た。儂もホッとしたわ」
爺ちゃんが、砂浜に流れ着いていた大きな流木の上に座って、俺を優しい目で見つめて言った。その爺ちゃんの手には、温かいお茶の入ったお椀があった。爺ちゃん、まだそのお椀を持ってたんだ。それは、昔俺が砂浜にたどり着いたお椀の表面に貝殻を貼り付けて作ったお椀だった。
爺ちゃん……。テランで俺の本当の両親の事をバランから聞かされたからだろうか。いつも怒ってばかりいた爺ちゃんが、俺の事をどれだけ大切に育ててくれたのか今更ながらに理解できた気がした。
「ねえ、爺ちゃん。俺、この間俺の本当の父さんに会ったんだよ……」
俺が爺ちゃんと同じように流木の上に腰掛けながらそう言うと、爺ちゃんは手の中のお椀を落としそうになるほど驚いた。
「――何と!? そ、それは本当か、ダイよ!?」
爺ちゃんが、それこそ目を剥いて驚いたから俺は「……うん」と答えた。
「俺の本当の名前はディーノだったんだって。テランで会ったその人がそう言っていたよ」
「ディーノ……。そうか、そうじゃったのか。それは済まんことをしてしまったのう。お前に勝手にダイと言う名を付けた事を、その父親は怒っておらなんだか?」
「そんなの怒るわけないよ。それに、俺はディーノっていう名前より、爺ちゃんがつけてくれたダイって名前の方が好きだもん」
爺ちゃんにそう返事を返しながら、俺はほんの少しだけ心に棘が刺さったように感じた。
「そんな事を言ってはいかんぞ、ダイよ。そのディーノという名には、両親がお前に託した思いがこもっておるのじゃから。……そ、そうじゃ。母親は? 母親にも会えたのか、ダイ?」
「……母さんは、大分前に死んじゃってたみたい」
バランはあんな風だったけれど、母さんには会ってみたかったな。あいつは、俺が母さんに似ているって言ったけれど、俺は母さんの顔も声も知らない。ポップやマァムのお母さんみたいに、暖かい目をした人だったのかな? お日様みたいな匂いのする人だったのかな? そうだったら良いな……。
「……そう……じゃったか。それはつらい事を知ったのう、ダイ。母親の事は、その出会えた父親から聞いたのか? どんな母親じゃったか、今度会った時に聞いてみたらどうじゃ?」
「そんなの無理だよ……。それにあいつ、俺との戦いが終わった後、何処かに行っちゃったし……」
そう言えば、ロモスで武術大会が終わった後あいつの気配を近くに感じた気がしたけれど、多分気のせいだったんだろうな……。
「こりゃ、ダイ! 父親のことをあいつとは何事じゃ! それに戦いじゃと? ようやく本当の父親と会うたと言うのに、さっそく親子げんかでもしたのか、ダイ?」
久しぶりに爺ちゃんに叱られて、俺は思わず肩を竦めた。もう、爺ちゃんはすぐにそうやってガミガミ怒るんだから。
でも、親子げんか……か。うーん、あれを親子げんかって言っていいのかな……? ポップは死んじゃうし、もうちょっとで国が消し飛んじゃうほどの戦いだったんだけど、まあ、親子げんかで間違っていないと言えば間違っていないかな……。
「母親がもう亡くなっておるんじゃったら、その父親がお主の唯一の肉親じゃろう? 早く仲直りするが良いぞ。……おお、そうじゃ。一度その父親とやらに、このデルムリン島に来てもらったらどうじゃ? 儂も、是非挨拶をさせてもらいたいんじゃが……。その父親が、魔物を怖がらんかったら良いが」
えっ? バランを爺ちゃんと会わせるの? うーん、何かそれは嫌だな。でも、この様子じゃあ爺ちゃんが引き下がりそうにないし、今度あいつに会う事があってあんな分からず屋じゃ無くなっていたら、一応言うだけ言ってみようかな……。
「う、うーん。今どこにいるか分からないけど、今度会う事があったら一応誘ってみるよ。あと、多分島の魔物は怖がらないと思うよ」
どちらかと言えば皆の方が怖がるかも……
「うむ、それなら良かった。儂も島の者にむやみに脅かさないようしっかり言い聞かせておくでな。しかし、何処にいるか分からんというのは、旅人なのか、その父親は? 一体何の仕事をしておるんじゃ?」
「え……仕事? うーん、騎士……かなぁ?」
「ほう、騎士様か。それは忙しい御仁じゃろうのう。うむ、無理はせんでも良いので、休暇が取れた時にでも立ち寄ってもらえるように言っておいてくれぬか。しかし、騎士様とは。ダイの勇者好きは、父親譲りじゃったのかもしれんのう。ほっほっほ」
休暇……。魔王軍に休暇ってあるのかな? あれ、でも、あいつもう魔王軍を抜けるって言ってなかったかな? と言う事は、今は無職? うーん、よく分からないな……。
~~~~~~~♪ ~~~~~~~♪
俺が、どこかかみ合っていない気がする会話を爺ちゃんとしていると、少し離れた場所から笛の音が聞こえてきた。俺がその笛の音の方に目をやると、ポップが目を瞑って初めて見る形の楽器を口に咥えて、演奏していた。そこでは、ポップの左右にマァムとメルル、それに島の魔物が何人か、たき火を囲むようにして集まっていた。
メルルが目を瞑ってうっとりとした様子でその笛の音に耳をすませている。ああ、メルルがお願いしたんだろうな。メルルが、「自分もポップさんの演奏を聴いてみたいです」って言っていたのを、俺は以前耳にしていたからそう思った。
ポップの演奏に合わせて、賑やかなのが好きな魔物達が大喜びで飛び跳ねていた。暴れザルが、手拍子を叩きながらどしどしと足踏みをしている。ドラキーがパタパタと空を舞う。パペットマンも演奏に合わせて身体をくねらせて踊る。
「ほう……。ポップ君は何でも出来るのう。うむ、何ともこれは心が洗われるような良い曲じゃ」
爺ちゃんも目を細めて、ポップのその演奏に聴き入っている。本当だ、この曲は初めて聴くな。
俺も、爺ちゃんもしばらくそのポップの奏でる曲の音色に耳を傾けていたけど、不意にその演奏が途切れる。
……? 不思議に思っていたら、「こら、パペック! お前は踊るなって言っていただろう! 魔力が抜けるんだよ!」と、ポップの大声が聞こえてきた。
その声を聞いて、俺と爺ちゃんは思わず顔を見合わせて大笑いした。
「さて、せっかくデルムリン島に来たんだから、あれを使わないともったいないよな?」
「あれ?」
「あれって何ですか、ポップさん?」
演奏を終えたポップ達が俺と爺ちゃんの所まで来てそう言ったけれど、意味が分かっていない様子のマァムとメルルが首を傾げて不思議そうな顔をした。
あれって何だろう? 俺も分からないけれど、この島に何かあったかな? 俺まで首を傾げている様子を見て、ポップが呆れた様子で口を開いた。
「おいおい、ダイは覚えているだろう? ほら、皆で入ったじゃないか。お風呂だよ」
「ああ、お風呂か。そうか、前にポップが作ったお風呂がまだ残っているんだね」
「そう言う事。こういう事もあろうかと大きめに作っていたんだから、皆が入ってもゆったり浸かれるぜ?」
ポップがそう得意げに片目を瞑ったけれど、マァムとメルルは少し眉間に皺をよせた。
「ねえ、ポップ。そのお風呂って、男女で分かれてたりは……」
「それはポップさん、つまり、こ、混浴という事でしょう……か?」
「チッチッチ。巷で噂されている
ポップは人差し指を左右に振りながら、得意げにそう答える。
「そ、そうですか……。ま、まあ、それなら……。ねえ、マァムさん?」
「そう……ね。
そのマァムの問いかけにポップは、目を泳がせて「あ、バレた?」と、悪戯が見つかった子供のような表情を顔に浮かべた。
「「――ポップ(さん)!!」」
「あ、あははは。冗談、冗談だってば。マトリフ師匠じゃあるまいし、そんな事しないよ」
そう言った後、俺はポップが小声で(畜生、俺はどうして
……マジックミラーって何だろう?
「私、お風呂に入るのは久しぶりです。それに、こんな風に外に出来たお風呂なんて初めて。星空を見上げながら入るお風呂なんて、素敵ですね」
「私もお風呂はネイル村を出てから初めてかも。でも、メルルの言うとおり外の風を感じられてとっても気持ちいいわね。くすくすくす。パンちゃんったら、お腹を出して湯船に浮いちゃってるわ。よっぽど気持ちが良いのね」
薄い壁を隔てた向こう側から、メルルとマァムの声が漏れ聞こえてくる。向こうには、2人に加えてパンがいて、こちらには俺とポップ、それに爺ちゃんとゴメちゃんがいた。湯船からは白い湯気が立ち上がっていて、周囲の景色が鮮明に見えないほどくぐもっていた。
頭に布を乗せて湯船に浸かっているポップが、「こういうお風呂を露天風呂って言うんだよ」と、2人に壁越しに答えている。
「懐かしいね。前にこのお風呂に入った時は、アバン先生との修行を始めて2日目だったよね。次の日にあんな事があったけど……」
「……そうだな。アバン先生も生きていたら、また一緒にお風呂に入れたのにな」
俺が、もう随分前のように思えるアバン先生との思い出を口にしたら、少し寂しげにポップが夜空を見上げて呟いた。ゴメちゃんもアバン先生が恋しいのか、小さく「ピィ、ピィ……」と鳴いていた。
「そうじゃのう。アバン殿もお風呂に入りたくなって、今頃天国でやきもきしておるかもしれんのう」
爺ちゃんが両手でお湯をすくい取り、ざぶんと顔につけて気持ちよさそうにしている。湯船の縁にもたれ掛かってこちらも気持ちよさそうに伸びをしていたポップが、壁の向こうに声を掛けた。
「ははは、それは良いですね、ブラスさん。……そう言えば、マァム。チウの姿が見えないけど、何処に行ったのか知らないか?」
ポップがマァムにそう声をかけると、マァムから「知らないわよ。この島の魔物達と仲良く遊んでいるんじゃない?」と返事があった。
そう言えば、ご飯の後チウの姿を見かけないな。マァムが言ったように、森の中に遊びに行ったのかな? 森の中にいる魔物は皆、見かけは怖いけれどとっても優しい魔物達だから、きっとチウの良い友達になってくれているのだろう。
「よく考えたら、チウって凄いね。魔物なのに、種族を全然気にしないで人間とも、魔物ともどんどん溶け込んでいって。なんかチウを見ていると、自分が人間じゃないとか悩んでいたのが、馬鹿らしくなってくるよ」
「……ふむ。ダイも少し見なかった間に、ずいぶんと成長したようじゃのう。いい顔をするようになった」
爺ちゃんが俺の顔をじっと見て、そう言ってくれた。
「えへへ。でも、皆がいてくれたからだよ。俺には最初からポップとゴメちゃんが傍にいてくれたし、ロモスではマァムが、パプニカでは今はいないけれどヒュンケルとクロコダインが、テランではメルルが一緒に来てくれるようになった。俺、皆と会えて本当によかったよ」
本当にそう思えるんだ。皆がいたから、俺は成長できた気がする。
「くすくす。ダイったら、その中にレオナを入れるのを忘れちゃ駄目よ。きっとレオナの事だから、私達がデルムリン島でこうしている事を知ったら、また気球で飛んで来ちゃうわよ」
壁の向こうから聞こえてくる楽しそうなマァムの声に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。本当だ。今は忙しそうだけど、きっとレオナは今日の事を知ったら悔しがっただろうな。
「ははは、確かに姫さんならやりかねないな。じゃあ、魔王軍との戦いが終わったら、皆であの湖でまたキャンプしないか。今度はヒュンケルもおっさんも呼んでさ。ああ、その時はブラスさんも島から出られるだろうし、ブラスさんも是非。ダイは、親父さんを呼んで仲直りすると良いさ」
「ふふ、それは良いわね。じゃあポップ。また、『うぉーたーすらいだー』を作ってね。私、もう一度あれで遊びたかったのよ」
「くすくす。それは楽しそうですね。私もキャンプの話をマァムさんから聞いて、羨ましかったんです。是非、連れて行ってくださいね、ポップさん」
「うーむ、儂などが行ってよいか分からぬが、平和な世界になったのならそれも良いのう」
「ピィー、ピィー♪」
「うん、絶対に皆で行こうよ、ポップ!」
今度は爺ちゃんも一緒に、あの湖で遊びたいな。だけど、あの人は『うぉーたーすらいだー』を滑るのかな? ちょっと想像できないんだけど……。
「そうだな。それじゃあ、誰一人欠けることなく、その日を迎えられるように頑張らなきゃな」
ポップのその言葉に、俺は大きく頷いた。
「うーん、いい湯だなー。ところで、マァム、メルル。恋人同士になったら、お風呂って一緒に入ったりするものなのかな?」
「は……、入るわけ無いでしょ! 何言っているのよ!」
「そ、そうですよ! そういうのは、ちゃんと夫婦になってからです……!」
「え、夫婦だったら良いの!? うーわ、めっちゃ楽しみになってきた!」
「……い、意外に積極的なのね、メルルって……」
「えっ!? あっ、ち、違います! ま、間違えました! さっきのは無しです、ポップさん! も、もう! 聞いてください!」
ポップとマァム達が壁越しにそんな会話を交わしているのを俺が何とはなしに聞いていると、布を額に乗せた爺ちゃんが「ほっほっほ」と楽しそうに笑った。
「うむ、ポップ君も実に幸せそうで良い事じゃ。アバン殿がお亡くなりになった時は声もかけられんほど落ち込んだ様子じゃったポップ君が、これほど明るい表情をするようになるとは。のう、ダイ」
「うん、俺も笑っているポップを見るのが大好きだよ」と答えながら、でも多分それは皆が思っている事だろうなって思っていた。
マァムとメルルだけじゃない。今この場にいないクロコダインとヒュンケルもきっとそう思っているはずだ。だって、俺達の中心にいるのはポップだから。ポップは、俺がパーティーの要だって事あるごとに言うけれど、それは違う。絶対に違う。ポップが要で、ポップが皆を繋いでいるんだ。
だって、ヒュンケルもクロコダインも、ポップと真剣に向き合ったからこそ、俺達の仲間になったんだ。ポップが、2人の心を解きほぐしたんだ。ううん、2人だけじゃない。俺だって、マァムだって、メルルも、……そうだ、ロモスで会ったノヴァという剣士もだ。皆が、何かしらの影響をポップから受けている。だから、俺も含めて皆がポップの事を意識している。
「ふむ……。ポップ君は、どこか纏う空気がアバン殿に似てきたような気がするのう」と、爺ちゃんが目を細めてポップを見つめる。俺は、爺ちゃんと同じようにポップに視線を向けたまま口を開いた。
「……ねえ、爺ちゃん。俺、この島を出てからつらい事も沢山あったけど、皆がいたからそれ以上に楽しい事が沢山あって、だから……俺、今とても幸せなんだ」
俺の言葉に、爺ちゃんはとても優しい目をして俺を見つめた。
「ふむ……。『かわいい子供には旅をさせよ』という人間の格言があるが、あれは誠であったようじゃな。ほっほっほ」
「何だよ、爺ちゃん。そんな事を言って、年寄りみたいだよ。あははは」
そう爺ちゃんに笑い返しながら、俺は内心でこう思っていた
……ねえ、爺ちゃん。俺、皆に聞かれたら怒られちゃうかもしれないけれどさ、心のどこかでこの魔王軍との戦いが終わってしまうのを、残念に思ってたりもするんだ。もちろん、アバン先生の仇をとりたいし、勇者として悪い奴らをやっつけて皆を安心させてやるんだっていう気持ちもあるんだけど、もう少し、……もう少しだけ、このままポップ達との旅を続けていたいって言う気持ちもあるんだよ。……ごめんね、爺ちゃん。こんな風に思うなんて、勇者失格だよね。
「じゃあ、結婚前の予行演習って事で、この壁を取り除いたりは――」
「するわけ無いでしょ! ポップは直ぐに調子に乗るんだから!」
相変わらず暢気な会話を壁越しにしているポップ達。このまま穏やかな時間がデルムリン島を包み込んで行く気配に、俺は心から安堵した。前にアバン先生とこのお風呂に入った翌日はハドラーが襲撃してきて大変だったけど、どうやら今回はそういう事にならずにすみそうだ。
安心したら思わず眠気がよぎって、俺は大きく口を開けてあくびをした。
心地いい眠気を感じながら、久しぶりのデルムリン島の夜はゆっくりと更けていった。
後1話、閑話を投稿予定です。