転生大賢者の冒険   作:怪盗218

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134話 未来への展望

コン、コン……。

 

俺が自室のベッドに寝そべって手帳を眺めていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。俺が振り返るのとほぼ同時に、「ポップ、いる?」というマァムの声が扉の向こうから投げかけられる。

 

「ああ、いるよ。鍵はかけてないから、入ってよ」

 

俺のその言葉に、マァムとメルルが扉を開いて部屋に入ってきた。2人は俺と同じくゆったりとした無地の白いローブの形状をした寝間着に着替えていた。

 

「こんな時間にどうしたの、2人とも? い、いひゃいんだけど……」

 

俺がベッドの上で上半身を起こし、そのまま胡座を組んで近づいてくる2人を見上げていると、マァムがおもむろに俺の頬に手を伸ばし、その頬をつねってきた。いや、普通に痛いからね……。あなた、自分の力を分かってます?

 

「……どうやら本物みたいね。いつかのように、あなたが姑息な偽装工作をして夜の町に繰り出していないか確認しただけよ」

 

「行くわけないだろう!? それに、マァムは闘気で見分けがつくんだから、つねる必要ないじゃないか!」

 

俺のその突っ込みに、マァムは「それもそうだったわね」と悪びれる事もなく笑う。まったく……、と俺がブツブツ文句を言いながら頬を押さえていると、その様子を見ていたメルルがクスクスと笑った。

 

「ふふふ。ポップさん。マァムさんは、ポップさんが一人でこの部屋にいて、昨日のような魔王軍の暗殺者に狙われないか心配されていたんですよ」

 

「ちょ、ちょっとメルル! 私はそんな事を心配なんかしていないわよ!?」

 

そう声を荒げたマァムは、プイッと赤面した顔で明後日の方を向いた。

 

「ふふふ、私も心配していたんですよ。……あとちょっとだけ、ポップさんが夜の町に出歩いていないかも心配していましたけれど」

 

「だめですよ」と指をピッと立てて、俺をかわいらしくねめつけるメルル。

 

まあ、前科があるからそんな疑いをかけられても仕方がないところだな。俺はそんな2人の様子を苦笑いしながら見つめ、頭をかいた。

 

 

その後2人は、俺が胡坐をかいているベッドの上に上がり、左右から俺が開いている手帳を身を乗り出すようにして覗き込んだ。湯上がりなのか、俺の鼻腔を2人の髪から漂うフローラルな良い匂いがかすめ、思わず赤面したのを俺は自覚した。

 

「これ、ポップさんが時々書き込んでいる手帳ですよね? 読み取れない言葉で書かれているんですね」

 

左右から漂ってくる良い匂いに鼻をヒクヒクさせていた俺は、メルルのその問いに我に返った。

 

「うぇ!? あ、ああ、そうだね。魔王軍に対する考察も書き込んであるから、万が一を考えて俺以外には判読できない言葉で書いているんだよ」

 

「そんな事まで考えて書いているんですね。やっぱりポップさんは凄いですね」と、俺をたたえるメルルに、ただ前世の言語である日本語で書いているだけだから、そんな大した事でもないんだけどな、とむずがゆく感じる俺。

 

そんな事を考えていると、俺の手渡した手帳をパラパラと捲っていたメルルが「たとえば、ここは何を書いているんですか?」と、手帳のとある1ページを開いて俺に尋ねる。

 

「あ、ああ。そこはちょうどベンガーナでメルルと再会した時の事を書いているね。メルルの髪が長くなっていたとか、見違えるほど綺麗になった事に驚いた事とか、出会った時に感じた感想が中心かな。」

 

俺の言葉にメルルが、「そ、そうですか……」と赤面して顔を俯けると、その様子を見ていたマァムが口を開く。その瞳には、ほんの少し不満の色が含まれている気がした。

 

「……ちょっとポップ。私の事は書いていないわけ?」

 

「ん? ちゃんと書いてあるよ。あれは忘れもしないからね」と返しつつ、俺はメルルに返してもらった手帳のページをパラパラとめくる。ああ、ここだ。これはロモスからパプニカに向かう船上で、過去を振り返る意味で書き付けたページだ。

 

「ほら、ここにしっかりと。マァムに卑怯者と罵倒されたあげく、不幸な事故から頬をひっぱたかれて意識を失ったって」

 

「――そ、そんな事は記録に残さなくて良いわよ!」

 

顔を真っ赤にして詰め寄るマァムに、俺は思わず吹き出した。その様子を見ていたメルルもクスクスと笑い、マァムもいつしか笑みを浮かべていた。ちなみに、そのページに『Dカップ?』と書き残している事は黙っておいた……。

 

 

 

「じゃあポップは、この戦いが終わったらカール王国に仕官しながら、その医療魔法の普及に力を注ぐつもりなのね」

 

「そうなるね。まあ、医療魔法の普及はともかく、カール王国への仕官の話はあくまで相手さんが俺を雇ってくれたら、の話になるけどね」

 

「雇ってくれたらと言うより、ポップさんならきっと、どこの国からも引っ張りだこになると思いますよ」

 

メルルの言葉に俺は、「そうだと良いけれどね」と言葉を返す。さて、果たしてそうなるかな。つい昨日、俺は各国の王を相手に結構な不敬を働いた気がするしな。だいたい俺は、人の命を自由に左右できる王族ってのに苦手意識を持っているんだから、カールが駄目だったら、もうどこにも仕官しないという選択肢も全然有りだと思っているんだけど。

 

今、俺達はベッドの上でこの戦いが終わった後に、それぞれがやりたい事を語り合っていた。

 

魔王軍との戦いに勝つ事が最優先事項ではあるけれど、決してそれが俺達の終着点じゃないんだ。この戦いに勝つという確固たる意思を固めるためにも、その後の目標を持っておく事は大事な事だと思う。

 

……ちなみにそういう意味では、俺の目標の1つには『大魔王なんてさっさとぶっ飛ばして、メルルとマァムの2人とお付き合いするんだ』、という不埒な目標も含まれているんだけど、それは内緒の話だ。

 

あっ、これ美味しいな。俺は昨日港で瓦礫の撤去中に会った灯台の守人から頂いた鮭とばに似たつまみに、舌鼓を打った。俺がそれを葡萄ジュースで喉に流し込んでいると、メルルが真剣な表情で俺の顔を見つめた。

 

「あの、ポップさん。この戦いが終わったら、私も医療魔法の普及を手伝わせていただけませんか?」

 

「……メルル?」

 

「私、ランカークス村でライカちゃんやルッツ君に、一緒に医療魔法を普及するための活動をしないかって誘われたんです」

 

なんと、メルルはランカークス村でライカ達に誘われていたようだ。医療魔法の有用性を目を輝かせて語るメルルに俺は気恥ずかしさを感じるが、他ならないメルルに手伝ってもらえるのなら、俺としてもこんなに嬉しい事はない。

 

「ありがとう、メルル。そう言ってくれるのは凄くうれしい。メルルさえ良かったら、是非一緒にやろう」

 

そんな俺達のやりとりを見つめていたマァムが少し寂しげに呟いた。

 

「良いわね、メルルは。私もポップが書いたあの本をライカから見せてもらったけれど、私にはさっぱりだったわ。私にはちょっと難しいみたい」

 

「良いんだよ、マァム。別に皆が同じ事を目標にする必要はないんだ。マァムはこの戦いが終わったら何がしたいんだ? 前に、ロモスの町に働きに行くみたいな事を言っていなかったか?」

 

俺の言葉にマァムは少し考えた後、自分自身に言葉を落とし込むかのように、ゆっくりと口を開いた。

 

「私は、老師から伝授された武術と、父さんから受け継いだ技に、今心から感謝しているわ。ううん、それだけじゃない。それを私まで繋いでくれた老師やカール騎士団の先達にも、とっても感謝しているの。だから私もこの技、ううん、技だけじゃなくて技に込められた志も含めて未来に紡いでいきたい。いつか遠い未来で、その紡いだものが正しい事を成したい誰かの力になれるかもしれないと思うと、とても嬉しく思うわ」

 

……そうか。マァムはその道を選ぶか。やっぱりな。以前パトス湖でその話をした時、マァムはまんざらでもない顔をしていたからな。

 

「うん、とてもマァムらしくて良いと思う。マァムなら、いや、きっとそれはマァムにしか出来ない事だと思うよ」

 

「私もそう思います。マァムさん、ロモスでも子供さんにとても慕われていましたし、きっとお似合いだと思います」

 

マァムは、口より手が先に出る所が玉に傷だけど、俺達アバンの使徒のうちで誰よりも優しい女性だ。その優しさには打算がないんだよな。俺なんて、その優しさがどこかでメリットを生まないかなどを常に頭の片隅で計算している気がするが、マァムにはそれがない。誰にでもかけられる無条件の優しさ。それを自然と身に着けているのがマァムだ。

 

「も、もう! ま、まだ何もしていないんだから、おだてないでよ、2人とも」

 

「ははは、ごめんごめん。だけど、マァム。マァムの目標がそれなら、この戦いが終わったら一度ロモスのシナナ王に謁見して希望を述べてみると良いよ。きっと悪い事にはならないから」

 

マァムは俺の言葉に首を傾げながらも、了承を示した。

 

ふふふ。なんか良いな。現実逃避じゃないけれど、魔王軍との戦いが終わった後の事を語り合うのはとても楽しい。皆のやりたい事は分かった。じゃあ次は住居だな、と思った俺は2人に尋ねる。

 

「でも、そうすると俺達何処で暮らそうか? えっと、2人の気が変わっていなかったら俺達、その、この戦いが終わったらお付き合いするんだろう? 遠距離恋愛も悪くはないけれど、色々助け合えるし互いに近くにいた方が良いのではと思うんだけど……。……えっ。もしかして、もう気が変わった?」

 

この戦いが終わったら、改めてお付き合いから始めようと決めていた話を俺が持ち出すと、2人は微妙な顔で見つめ合う。

 

……あ、これやばいやつかも。もしかしたら、もう愛想を尽かされたかもしれない。心当たりは……ありすぎるな。ロモスの夜の町探訪、エルフの女性浮気疑惑、マリーさんやパンとのあれやこれや。

 

駄目だ、こりゃ。途端に、大魔王に何が何でも勝つぞという気概が薄れてきた気がする。いや、これではいけない。この失恋の怒りは、八つ当たりでも何でも大魔王にぶつけてやらねば……!

 

 

「な、何を言っているのよ! 気は変わってなんかいないわよ!」

「そ、そうですよ、ポップさん!」

 

がっくりと肩を落とし絶望しきった様子の俺を見て、焦ったように2人が声を上げる。

 

「……え、違うの? 俺はてっきり、付き合う前から振られたとばかり……」

 

「違うわよ! どうして、あなたはそう自己評価が低いのよ。……我ながら不本意だけど、心変わりはしていないわ。ねえ、メルル?」

 

「ふふふ。私は不本意ではなく心変わりはしていませんよ。逆にポップさんの気持ちが変わっていなくて安心しました」

 

どうやら、先ほどの2人の様子は見限った俺に別れ話をどう切り出すかという相談では無かったようだ(そもそもまだ付き合ってもいないが……)。しかし、だったらあれは何だったんだろうな。2人の視線は、何故か俺が左手首に巻いているミサンガに向けられている。

 

「なあ、このミサンガ――」

 

「そ、そうだわ! 私達、ポップに新しいミサンガをあげようと思って、持ってきたのよ。ね、ねえ、メルル!」

 

「は、はい。そうですよ、ポップさん。良かったらこれ、受け取ってください」

 

そうメルルがおずおずと手渡してきたミサンガを受け取る俺。マァムも同じように俺にミサンガを差し出す。メルルのミサンガは黒を基調としたシックなミサンガで、マァムのそれは暖色系の糸を多く巻いた暖かみのあるミサンガだった。

 

「あ、ありがとう……。だけど、どうしたの、いきなり? 今までミサンガに関心なんてなさそうだったのに……」

 

これまで2人が俺にミサンガを渡そうとする素振りは無かったのに、どうして今になって渡してくれるのかを不思議に思った俺は、2人にそう問いかける。

 

「それは、1個より3個の方が虫除けの効果があるんじゃないかって……」

 

「虫除け? ミサンガに虫除けの効果ってあったっけ?」

 

おかしな事を言いだしたマァムに、首を傾げる俺。その俺の言葉にマァムは焦ったように言い直した。

 

「あっ、ち、違うわ! こ、これからは……そ、そう、負けられない戦いが続くから、1つより3つの方がよりご利益があると思って……」

 

「まあ、確かにミサンガはたくさんあって困るものじゃないよな……」と、前世で女の子から貰ったミサンガをたくさん手首に付けていたイケメンサッカー選手を思い出す俺。うん、良いかも。

 

納得した俺は、左手首に新たに2人から貰ったミサンガを通す。これで3つだ。どうか、魔王軍との戦いに勝利しますように! 目を瞑り両手を合わせるようにして祈った後目を開くと、マァムとメルルは何故かホッとした様子で互いに顔を見合わせていた。

 

 

 

「そ、そうだ、ポップ! ネイル村はどうかしら!?」とマァム。

 

「ネイル村? 何の話?」

 

俺が手首のミサンガを見つめて1人ニマニマしていると、突然マァムがそんな事を言いだした。あれ、何の話をしてたんだっけ?

 

「ほら、さっきの何処に住むかっていう話よ。ネイル村の外れにね、父さんと母さんが昔ロモスの王様から頂いて修行場として使っていた広い土地があるのよ。そこに家を建てて、皆で住むのはどうかしら?」

 

なるほど、そういう話か……。土地があるのは良いな。俺が就職先として希望しているカール王国は海を挟んだ遠方になるが、俺は瞬間移動呪文(ルーラ)が使えるから、遠距離通勤は苦にならないしな。

 

「へー、良いね。じゃあ、将来的には子供が出来たりする事も考えて、2家族ぐらいが住める大きさの家を作ろうか」

 

マァムとメルルが顔を赤らめて「子供……」「2家族……」と呟いていたが、不意にハッとしたように顔を上げた。

 

「い、いけません、ポップさん! 3家族が住めるぐらいの大きさにしましょう!」

 

「そ、そうよ、ポップ! 3家族分にしましょう!」

 

「……? 何故、3家族?」

 

俺が首をかしげていると、マァムが「念のためよ! あなたの事だから、私達以外に浮気するかもしれないでしょ。あの女僧侶とか、マリンさんとか、マリーさんとか、クラリスさんとか、パンとか怪しい人がいっぱいいるじゃない!」などとのたまう。

 

「失礼な事を言うな! だいたいマリーさんは人妻だ! 後、しれっとパンを入れるんじゃないよ!」

 

しかし俺はそう答えながらも、余裕を見て大きめに作っておくのは良いかもしれないとも思い始めた。

 

「でも、確かにそうだな。ダイやヒュンケル、クロコダインのおっさん達も希望するなら一緒に住めるように、最初から部屋を多めに誂えておくのも良いかもしれないな。うん、言ってみればシェアハウスって奴だな」

 

俺が浮気する事が前提で3家族が住めるような大きさの家にされるのは不本意だけど、ダイ達も一緒に住むのは楽しそうだな。どうせダイも、すぐに姫さんとそういう仲になるわけじゃないんだし。あいつらの希望も聞く必要があるが、希望するなら一緒に住めるように住居を構えるのも良いかもしれない。

 

「あら、シェアハウスがどういうものかは知らないけれど、それも楽しそうね。きっとダイも喜ぶわ」

 

「そうですね。ダイさんは、ポップさんの事が大好きですものね。きっと賛同してくれると思います」

 

どうやら2人も、シェアハウス『アバン荘』計画に賛成のようだ。その後俺達は、俺の弟候補は後2人もいてノヴァまでそこに割り込もうとしている話や、メルルの旅の話、マァムの幼少期の話など雑多なおしゃべりをして、楽しく過ごした。

 

 

 

「あれ、メルル? ちょっとメルル。ここで寝ちゃだめだって」

 

尽きぬおしゃべりの最中、俺が気づいた時には、俺の右手をぎゅっと握ったままのメルルが、俺のベッドに横たわっていた。え、さっきまで起きていたのに、急に寝入っちゃったの? 俺がメルルの顔に、自分の顔を近づけると「スー、スー」と可愛らしい寝息が聞こえた。……本当に寝ちゃってるよ。ずいぶんと寝付きがいいな。あれ、でもメルルの吐息から、ちょっとお酒の匂いがするような……。気のせいかな……?

 

「……ちょっとポップ。メルルが急に寝入っちゃったの、多分これが原因よ」

 

その様子を見ていたマァムが、メルルの側にあった空の瓶を手に取った。……? 葡萄ジュースの瓶がどうかしたのか、と訝しげに思った俺がその瓶に顔を近づけると、何とその瓶には葡萄ジュースのラベルではなく、ワインのラベルが貼られていた。

 

「え!? 何でワインになってるんだ!? 俺のは葡萄ジュースだったぞ」

 

「私のもよ。どうやら、葡萄ジュースの瓶の束の中に1本だけワインが混ざっていたみたいね。この葡萄ジュースの瓶が入ったケースは誰が持ってきたの?」

 

「……誰って、これは昨日姫さんが差し入れだって……。……」

 

俺はこんな悪戯を誰が仕組んだのか理解し、「やられた……」と天を仰ぎながら額に手を当てた。全く、あのおてんば姫は……。忙しい最中、こういう事だけは手を抜かないんだから。後でテムジンに言いつけてやるからな。

 

マァムは俺の様子を見て苦笑いを浮かべながら、メルルの肩に手を置きゆさゆさと揺り動かす。

 

「全くレオナったら。……ほら、メルル。起きないと。こんな所で寝ちゃったら、悪いオオカミに襲われちゃうわよ」

 

「誰が悪いオオカミだ、誰が!」

 

俺の遠吠えを軽く流すマァムはメルルの肩を何度か揺するが、そのうち大きくため息をつき「仕方ないわね……」と呟いた。

 

「ちょ、何が仕方ないんだよ? ここ男部屋だぞ。連れて帰らないと」

 

「でも、メルルのこの寝顔を見てごらんなさいよ。このメルルを無理矢理起こして連れ帰るなんて、私にはできないわ」

 

そう言われた俺は、メルルの寝顔をまじまじと見つめる。……マァムの言いたい事は分かった。いったいどんな夢を見ているのか、メルルは蕩けそうな程の笑みを浮かべて寝入っていた。ふふふ、どんな夢を見ていたらこんな幸せそうな笑みを浮かべていられるんだろうな。

 

「ああ、本当だな。これは動かせないわ……」

そう言いながら、俺が自分までほっこりするなと思ってメルルの寝顔をジッと見つめていると、突然後頭部をパシッとマァムに叩かれた。

 

「ちょっと、女の子の寝顔をマジマジと見るもんじゃないわよ! いい加減にしなさい」

 

マァムが見てみろって言ったんじゃないか、とブツブツ言いながら背後のマァムを振り返ると、そのマァムは昨日までダイが寝ていた隣のベッドをいそいそと整えていた。

 

「……え? もしかして、マァムもこの部屋に泊まるつもりなのか?」

 

俺の言葉に、ベッドメイキングをしていたマァムが呆れた表情で振り返った。

 

「当たり前でしょう? メルル一人をこの部屋に残したら、どんな間違いが起きるか分からないじゃない。私も残って、あなたが変な事をしないか監視する必要があるでしょう?」

 

その失礼な言いように、「メルルにそんな事、するわけないだろう! どんだけ信用ないんだよ!?」と反論するが、マァムはその俺の言葉を右から左に華麗にスルーする。

 

「そんな事より、ほらそろそろ寝ましょう。ずいぶん話し込んじゃったから、もうすぐ日が変わる時間よ。あなた、明日からはどうせまた何か危ない呪文の修行をするんでしょう? 寝不足でそんな事をして、怪我をしたりしたら大変よ」

 

そう言い放つマァムはてきぱきと寝る準備を整え、照明呪文(レミーラ)の呪文が刻まれた魔道具を手に取り、「消すわよ。……お休みなさい、ポップ」と言った。

 

途端に部屋の光量が落ち、月明かりがうっすらと部屋を照らす程の薄闇に周囲が包まれた。

 

俺がその言葉を挟む隙も無い怒濤の展開に固まっていると、いつの間にやら俺のベッドとマァムの寝ているベッドがくっついている事に気づいた。え、このベッド、ベッドとベッドの間隔が1mぐらいあったはずなのに、何でくっついてるの? これじゃあ、シングルベッドじゃなくて、まるでダブルベッドみたいじゃないか。

 

そんな疑問の言葉が喉元までこみ上げたが、質問を投げかける対象は既にベッドにころんと横になっており、完全に寝る体勢になっていた。……監視の話はどうなったんだろうか?

 

……。

 

俺は自由な左手でポリポリと頭をかいた後、無我の境地になって2人の間に横になった。

 

 

 

「スー、スー」「クー、クー」という規則正しい寝息が、ダブルベッドの真ん中で横になった俺の左右の耳朶を毛筆が撫でるようにくすぐる。どちらの腕が先だったか忘れたが、俺の左右の腕はいつの間にやらマァムとメルルによりホールドされており、完全に俺は二人の抱き枕状態になっていた。

 

薄い寝間着しか着ていないためか、俺の腕にダイレクトに伝わるまるでマシュマロのような柔らかな感触。同時に、俺の鼻腔に左右から漂う微妙に異なる2種類の甘い体臭。

 

俺は中断していた羊を数える作業を再開する。羊が9,307匹、羊が9,308匹、羊が9,309匹……。

 

 

――って、寝れるかー!!!

 

何が、寝不足で怪我をしたら大変だ! 一睡もできる気がしないわ!

 

誰か俺に睡眠呪文(ラリホー)、いや、睡眠呪文(ラリホーマ)の魔法プリーズ!!

 

俺は暗闇の中、眼をギラギラと血走らせ、そう心の中で叫んでいた。

 

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