~~~~パプニカ郊外~~~~
時折、ガタ、ガタと下から突き上げるような振動をマァムは感じていた。ここは、パプニカの町から西に十数キロほど進んだ街道だった。その街道をゆっくりと西に向かう荷馬車の荷台の上に、マァムは腰を下ろしていた。
もうすぐ日が最も高いところに達する時間帯だった。時折、街道沿いで畑仕事に精を出している人が荷馬車に手を振ってくる。マァムはゆっくりと移ろいゆく景色を眺めながら、ポップはもうマトリフおじさんの所で修行を始めている頃だろうか、と考えていた。いけない……。ポップの顔を頭の中に思い浮かべると、再び自分の顔が赤くなった事をマァムは自覚した。
本当に、昨夜の私はどうかしていた。まさかあんな行動を取ってしまうなんて。いくらメルルとポップを2人きりにしてはいけないと考えていても、いくら何でもあの行動は無かった。いくらあのポップでも、さすがに寝ているメルルに何かするはずは無いのだから、私は自分の部屋に戻って寝ても良かった。でも、どうしてもそうすることが出来ず、まるで何かに急き立てられるようにポップの隣で眠る事を決断してしまった。
そして今朝の事だ。メルルの身じろぎする微かな気配を、マァムはぼんやりと感じた。腕から伝わるポップの体温を感じていたからだろう。とても人には言えない幸せな夢から覚醒するのを僅かに躊躇したマァムは、それでも意思を振り絞って目を開いた。
互いに上半身を起こしたまま見つめ合うマァムとメルル。マァムも動揺しているが、真っ先に眠りについて状況が理解出来ていないメルルの方が、より動揺していた。2人の間には枕が1つ鎮座しており、そこで眠っていたであろう人物はもういなかった。
眠りについていた間感じていた濃厚なポップの気配は薄れているとはいえ、まだそこに揺蕩う残り香で、自分が誰の隣で眠っていたのかをメルルも理解したのだろう。
その後私達は廊下に誰も人がいないのを確認して、いそいそと自分達の部屋に戻っていったのだった。
「おーい、嬢ちゃん。滝に行くのなら、この獣道を歩いて行くと最短で着くぜ?」
不意に御者台からかけられたその言葉に、マァムは我に返った。思考に伏せっていた頭を上げて周囲を見渡すと、確かに以前通った森の奥に続いている獣道が目に入った。
「ありがとうございます、おじさん。ここで結構です。助かりました」
荷馬車の荷台から軽快に飛び降りたマァムは、ここまで送ってくれた親切な行商の男に礼を言った。
パプニカの町からここまでマァムを送った男は、「良いって事よ。俺は毎日この街道を往復しているから、帰りにまた会ったら乗せてやるよ」と、手を振りながら再び荷馬車を出発させる。
遠ざかっていくその荷馬車を見送り、マァムは森に顔を向けた。さあ、これから1週間私はここで自己を高めるための修行を行うんだ、とマァムは人知れず気合いを入れる。
1週間……。1週間互いに顔を会わさないのに、それを気にした風もなく朝起きたらいなくなっていたポップに、マァムは苛立ちを感じたかのように眉間にしわを寄せた。しかし同時に、朝ポップと顔を合わさず、次に会うまで1週間あって良かったと思う自分もいた。とてもでは無いが、今ポップと顔を合わせたら、自分がどうなるか想像できない。
……やっぱり昨日は、メルルの飲んでいた瓶だけじゃなくて、私の飲んだ瓶もワインにすり替えられていたんだわ。そうじゃなかったら、昨夜の私の行動は説明がつかないもの。……全く、レオナったら。メルルだけじゃなくて、私まで間違って飲んじゃったじゃない。
昨夜の自身の取った行動の全ての原因を華麗にレオナに押しつけたマァムは、気合いを入れるためにパン、パンと自身の頬を両手で打った。
そしてマァムは、森の中に一歩を踏み出した。
~~~~ギルドメインの森 ロン・ベルク作業小屋~~~~
キーン、キーン……。
硬質な金属の打ち合わされる音が、ギルドメインの森の中に響いていた。その音を発しているのは、ダイとヒュンケルの2人だった。2人は今、互いの一挙手一投足に集中し、剣技の向上に努めていた。そんな2人を、少し離れた場所でゴメが心配そうに見つめている。
「おい、お前達。夜は家に泊めてやるから、暗くなるまでには村に来いよ。ダイ君は、俺の家の場所を覚えているよな」
2人が互いに距離を取ったタイミングで、その修行の様子を遠巻きに眺めていたジャンクが声をかける。
「はい、大丈夫です! ありがとう、おじさん!」
「……いや、俺はその辺りで寝起きをするので、ダイだけ世話になると良い」
「えー!? 一緒に行こうよ、ヒュンケルも! ポップのお母さんの料理、すっごく美味しいんだよ!」
「ピィ、ピィ!」
「ほら、ゴメちゃんも言っているよ」とダイに声を掛けられても、「いや、俺は……」と固辞しているヒュンケルを見て、ジャンクは苦笑いをしながら口を開く。
「ヒュンケル君、つまらん遠慮はするな。あんた達はこれから魔王軍の本拠地に乗り込むんだろう? 俺達には、これぐらいしかあんたらにやってあげられる事が無いんだ。せめてこの地で修業している間ぐらいは、家で寝泊まりすると良い」
「しかし、あなたには俺の新しい剣まで打ってもらっているというのに、これ以上世話になるわけには……」
「はっはっは。それこそ俺が勝手にやっている事だから、気にするな。それに、もともとアバン殿のために打っていた剣なんだ。同じ流派の君に合うように調整するのに、大した手間はかかっておらんよ。大変なのは、むしろあいつの方だろう」
そう言って、ジャンクはロン・ベルクの小屋に目をやる。その視線につられ、ヒュンケルとダイも小屋に目をやった。
ヒュンケルは、ダイの
「ほう……。お前が、俺の製作した『鎧の魔剣』の所有者だった男か。……なかなか、良い面構えをしているじゃないか」
「あなたの事は、ダイやポップから聞いている。俺の使っていた『鎧の魔剣』を打った魔界一の名工だと。だが、あの剣はバランとの戦いで失われてしまった。あなたには申し訳ない事をした」
ロン・ベルクの小屋の中で、ダイからロン・ベルクを紹介されたヒュンケルは、彼にそう口を開き僅かに頭を下げた。しかし、その様子を見たロン・ベルクは、気にするなとばかりに手を振る。
「くっくっく。いかに『鎧の魔剣』と言えど、神の作った『真魔剛竜剣』が相手では分が悪いさ。むしろ良くやった方だ」
ロン・ベルクの言葉に頷いたヒュンケルは、「あなたの打った剣を失ったばかりで申し訳ないが……」と言葉を続ける。
「ポップから、あなたに新しい武器の相談をすると良いと言われて来たのだが……」
「ああ、聞いている。全く、こいつの剣を打ったばかりだというのに、人使いの荒い奴だ。ジャンク、あいつはお前に似て遠慮が無いな。いったい、どういう育て方をしたんだ……?」
ロン・ベルクは、ダイに目をやった後、小屋の壁に背中を預けて立っているジャンクをジロッと睨む。睨まれたジャンクは、苦笑いをしながら頭をかいた。
「そいつは済まないな。俺としては、気が付いたらあんな風に育っていたとしか言えん。しかし、彼ほどの剣士にその辺に転がっている武器をいつまでも使っていろという訳にもいかんだろう。俺も手伝うから、打ってやってくれんか」
「当り前だ。
ロン・ベルクはそう言って壁にかけていた剣を手に取り、ジャンクに放る。それを見て「あっ、その剣、アバン先生の……」と呟いたダイに、ロン・ベルクが苦々しげに口を開く。
「ちっ。覇者の冠をお前達が持ち込んできた時に、あいつが一緒に持ってきていたんだよ。これを使って、新しい『鎧の魔剣』を作ってくれないかってな」
「ふふっ。俺がこいつを彼の手に合うように調整するのは良いが、俺に任せていいのか? 一から打ち直すのでなく?」
ジャンクの言葉に、ロン・ベルクはふんっと鼻を鳴らす。
「その剣は、俺の目から見ても80点をつけてやれる出来さ。後の20点は、鎧が出来てから俺がまとめて引き上げてやる」
「くっくっく。魔界の名工と謳われるお前に、80点をつけてもらえるとは光栄だな」
ロン・ベルクにそう言葉を返したジャンクは、ヒュンケルに視線を向けた。
「アバン殿の一番弟子である君が装備する新しい『鎧の魔剣』の剣身に、アバン殿の剣を使うんだ。アバン殿も喜んでくれるだろうさ」
「アバンの剣を……。……よろしくお願いします」
「さあっ、休憩は終わり! ヒュンケル、続きしようよ!」
思考にふけっていたヒュンケルに、ダイが元気よく声をかける。ふっと笑みを浮かべたヒュンケルは、そのダイに答えを返すように再び剣を構えた。
「えへへ。ポップもきっと、また強くなって帰ってくるんだ。あいつにこれ以上離されないように、俺ももっと強くならなきゃ!」
ポップなどが聞けば、「だからお前は、とっくに俺を超えているんだよ!!」と叫びそうな事をダイが宣言する。
「そうか。俺も長兄として、あいつの後塵を拝してばかりいては立場がないからな。共に、あいつが目を見張るほどのレベルアップをしてやるとしよう」
「うん、そうしよう、そうしよう!」
そして2人の剣戟が再び始まった。
「いっぱい食べてね、ダイ君もヒュンケル君も」
テーブルの上に次々と湯気の立っている料理が並び、ダイとゴメが目を輝かせた。
「美味しそうー! これ、全部食べて良いの、おばさん!?」
「ピピピィッ!」
「もちろんよ、さあ、早くヒュンケル君も席について。おかわりもあるからたくさん食べてね」
「……すまない。ありがたくいただく……いや、いただきます」
ヒュンケルもそう料理を勧めるポップの母親のスティーヌにそう礼を述べて、席に着いた。
「おじひゃんは、食べ……ないの?」
口に物を詰め込みながら、ダイがスティーヌに尋ねる。その様子を見てクスッと笑みを浮かべたスティーヌが「あの人は先に頂いているのよ。ほら、今はヒュンケル君の剣を仕上げるので頭がいっぱいだから」と、リビングから工房に繋がる扉に視線を送る。
その言葉の通り、扉の向こうの工房からは、「カン、カン……」と剣を打つ小気味良い音が聞こえていた。
「すまない、俺のために」と、頭を再び下げるヒュンケル。
「もう、だから良いのよ。パーティーは家族のような物でしょう? ポップのパーティー仲間なら、私達の家族も同然よ。ほら、育ち盛りの男の子が2人も来てくれるって聞いて、たくさん作ったのよ。さあ、食べて食べて」
「あー、美味しかった! ごちそうさま、おばさん!」
「とても美味しかった……です。ありがとうございました」
食べきれないほどの料理を出されて目を丸くしていた2人だったが、それでもどうにか全てを食した2人はそう礼を言って席を立とうとした。2人はこの後、家の裏口で軽く剣の打ち合いをするつもりだった。しかし、それをスティーヌが留める。
「あっ、待って、ヒュンケル君」
「何か……?」と腰を上げかけたヒュンケルは、再び椅子に腰掛ける。ダイも不思議そうに座り直す。
「修行の邪魔をするつもりはないんだけど、少しだけ私に付き合って。さっ、手を出してみて、ヒュンケル君。あっ、利き腕の方よ」
その言葉にヒュンケルは首を傾げながらも、そっと手をテーブルの上に差し出す。スティーヌは、差し出されたそのヒュンケルの手にテーブル越しにそっと触れ、じぃっとその手を検分する。
「ヒュンケル君……。あなた、小さい頃から剣を握っているわね」
「「――!?」」
「それに、子供の頃から大人用の剣を握っている……」
ヒュンケルの手を見てそう評したスティーヌは、ダイとヒュンケルが驚いている様子に気づいてニコッと笑みを浮かべた。
「こう見えても、主人の打った武器の柄の皮は私が縫っているのよ。手を見たらその持ち主がどんな剣を握って来たかぐらいは、鍛冶師の妻として当然分かるわ」
「へー、おじさんだけが剣を作っているんじゃないんだ……」
「ふふふ、こういうお針仕事は昔から鍛冶師の妻の仕事なのよ。それに、私の柄巻は結構評判なのよ。主人に剣を打ってもらいに来るお客さんと同じ数だけ、私にも注文が入るんだから。ロンさんも、最近では柄巻は私に外注されているのよ?」
「そうだったんだ。えっ、じゃあ、もしかしたら俺のこの剣も……?」と、ダイが足元に立てかけていた『ダイの剣』に目をやった。
「もちろん。この間ロンさんの小屋で、一度ダイ君の手を見させてもらったでしょう? ふふふ、勇者の剣の柄巻を任せて貰えたなんて、鼻が高いわ」
その言葉に、ダイもヒュンケルも感心したようにスティーヌを見やった。
そしてスティーヌは、再びヒュンケルの右手に視線を落とし、時折ヒュンケルの手に触れながら1人独白する。
「とても握力が強いわね。この力に負けないためには、アラグネの2番、ううん、1番の糸が必要ね。皮は、シャークマンタの皮が良さそう。うん、決まったわ。あっ、ダイ君!」
「は、はい!」と、突然名前を呼ばれたダイが驚いて返事を返す。
「ポップから何か預かって来て無いかしら?」
「あっ! そうだ、うん、あるよ。そう言えば、おばさんに渡してって頼まれてたんだ。えっと、確かここに……」
そう言ってごそごそと足元に置いてあった鞄を探るダイ。そして、「ああ、あった、あった」と取り出したのは折りたたまれた1枚の白い紙だった。
「そう、それよ、ダイ君」と、スティーヌは、テーブルに置かれたその折りたたまれた紙を丁寧に広げていく。広げ終わった紙の上には、1本の長い髪がそっと挟まれていた。
「それは……?」とヒュンケル。
「これは守り髪って言ってね、剣の柄に皮を巻く時に、使い手の事を想う人の髪を1本入れるのよ。そうする事で、剣の使い手の武運長久を祈るって言うこの地域に伝わる風習なの。余所ではどうしているか知らないけど、うちの店で商品を購入されるお客様のほとんどは、この風習に従っているわ」
「うん、ポップもそんな事を言ってた。でも、武器を買う人に想い人がいなかったらどうするの?」
「別にご家族でも良いのよ。使い手のお母さんとかも多いかしら。ふふふ、どうしても挟む髪の毛が無かったら、私の髪の毛を入れたりする事もあるのよ」
独り身の男達が時折スティーヌの守り髪を求めてわざわざこの店に来る事を知ってか知らずか、そう笑みを浮かべるスティーヌ。
「……? その髪を俺の新しい剣の柄に挟むのか? ……ダイ。この髪の持ち主は誰だ?」
「え? ポップじゃないよ」
「――当り前だ!」と、天然の回答をするダイに思わず突っ込みを入れるヒュンケル。
「あ、あはは。それはエイミさんの髪だよ」
「やはりそうか……。どうせポップが主導したんだろう。エイミにも迷惑をかけて……」
「え、エイミさん、全然迷惑そうじゃなかったよ。それどころか、エイミさん全部の髪を切ろうとしたから、止めるのに大変だったんだから」
ダイの言葉は正しかった。あれは、ノヴァのお見舞いに行く前の事だった。ポップと2人でエイミの所に赴き、趣旨を説明した上で協力を求めたら、エイミはまずその長髪をむんずと掴んでまとめてバッサリ切ろうとした。
かろうじてその暴挙を止めたポップは1本だけで良いから、と改めて説明すると、今度はエイミはその1本を選ぶのに長い時間をかけた。やれ、これはキューティクルが効いていないとか、枝毛は絶対ダメ、とか選り好みが激しく、ポップとダイはたった1本の髪の毛をエイミからいただくのに随分と時間をかけてしまったものだった。
その話を聞いて、スティーヌは口に手を当てて「くすくす」と笑みを零した。
「ヒュンケル君、良かったわね。それほどあなたの事を想ってくれている人がいて」
その言葉にヒュンケルは憮然とした表情で明後日の方向を向いていた。
「あれ、そういえば、おばさん。もしかして、俺のこの剣の柄にも誰かの髪が挟まれているの?」
「もちろんよ。ダイ君の剣には、ポップから手渡された髪を挟んでいるわよ」
「え、誰の髪だったの? 俺、ポップから何も聞かされていないんだけど……」
もしかして爺ちゃんの髪の毛かな? でも、爺ちゃんの毛はただでさえ少ないから、抜かれるのを嫌がりそうだけどな。あの人……は違うよな。ポップにそんな余裕は無かっただろうし。
「とても綺麗な金髪だったわよ。よくお手入れされている事が分かる髪だったわ」
「よく手入れされた綺麗な金髪……。そっか。うん、分かった、ありがとう、おばさん!」
スティーヌの言葉で、誰が自身の武運長久を祈って髪を提供してくれたのか分かったダイは、スティーヌに大きな声で礼を言った。
~~~~ギルドメイン大陸辺境のとある洞穴~~~~
人が立ち入らない辺境にある山脈の中腹に、竜が通れるほどの大きさの洞穴が存在していた。今、1人の男が、その洞穴の奥深くで先の戦いで受けた傷を癒していた。そして、その男の背後には、男に忠誠を誓うように地面に膝を着いた姿勢のまま微動だにしない1人の魔族。
彼らは、先にテランの地でアバンの使徒達と死闘を繰り広げた
「……戻ったか、ラーハルト。ガルダンディーとボラホーンはどうだった?」
「はっ! 再度確認いたしましたが、2人とも既に腐敗が始まっており、おそらくもう復活は……」
苦渋の表情を見せるラーハルトに、バランは「そうか……」と呟く。報告を聞く前から予想はしていた。ある力を込めた
しかし、それは誰でも蘇るという訳ではなく、蘇る側にも相応の精神力と生への執着力が求められる。これまでバランがその血を分け与えた者は4名。人間に限れば先の賢者を含めて2名だった。皮肉なものだとバランは思った。我に肉体的にも精神的にも痛撃を与えたあの男が息を吹き返し、我が最も生き返って欲しいと願った女性は息を吹き返さなかった。
……何故生き返らなかったのだろうか。幾千回問いかけても答えの出ないその問いに、答えてくれる者はいなかった。あの賢しい賢者なら、その答えをくれるのだろうか。……愚かな事を。バランは自身のその考えを振り払うかのように、僅かに首を振った。
「……ラーハルト。もはや、竜騎衆もお前だけとなった。これまでの忠義に礼を言う。今この時をもって、竜騎衆は解散する。……これからは私ではなく、己のために生きてくれ」
「はっ! では、私はこれからもバラン様のために尽くしとうございます……!」
打てば響くようなその答えに、バランは思わずふっと口角を上げた。思えば、この男の人生にも随分と影響を与えてしまった。最後まで責任を持たねばならぬか、と考えていた時、バランの鋭敏な感覚が何者かの接近を捉えた。
そしてバランは、誰ともなく呟いた。
「……死神か……」と。
その声に誰も反応する者はいないと思われたが、突如「……ワオ!」という驚きの声が、日の光の届かない影から発せられた。その陰からヌッと足を踏み出し現れたのは、魔王軍の暗殺者キルバーンだった。
「……ウッフフフッ。怖い怖い……!」
完全に気配を消していたにも関わらずその接近を悟られたキルバーンだったが、その言葉からは特に驚きや畏怖の様子は見受けられなかった。
「バラン様、ここは私が……」
ラーハルトが槍を構えてキルバーンの前に出ようとするが、それをバランが手を上げて止める。
「……何の用だ? まさか私の命を奪いに来たとでも言うのか?」
「フッ。……死神の仕事が他にあるとでも……?」
そのキルバーンの答えに、ラーハルトの身体より静かな殺気が漏れる。しかし、バランの纏う気配は全く変わらず、さらに彼は言葉を紡いだ。
「……私を……殺すだと……? ……それは大魔王バーンの意思なのか?」
バランは、大魔王バーンとかつて交わした約束を口にする。それは、バーンが地上に理想郷を築くまでは互いに敵対せず、協力関係を取る事を約定したものだった。そして、あの約束は嘘だったのか、と問いかけるバラン。
その問いに、キルバーンは手に持った大鎌をヒュンヒュンと回転させ始め、「……ウッフッフッフ……」と笑いかける。
回転する大鎌が発する不気味な風切音に、僅かに眉をひそめるバラン。
キルバーンは大鎌を回転させながら、バーンの真の望みをバランに伝える。バーンの真の望みとは、地上そのものをこの世から無くし、魔界を地上に浮上させる事だった。そして、バーンの理想を妨害する可能性のある芽は自身が摘み取ると宣言し、殺意をまき散らしながら突如バランに突進するキルバーン。
だが、
次の瞬間、キルバーンの身体は上半身と下半身が泣き別れとなりドウッと横倒しに倒れた。その姿を見下ろしながら、バランが口を開く。
「……大魔王バーン!! ……そういうつもりならこの私にも考えがある……! 行くぞ、ラーハルト」
「……はっ」
それは、これまで協力関係にあった大魔王バーンと
2人はただの一度も後ろを振り返る事無く、洞穴の外へと向かう。
立ち去る2人を、洞穴の隅に潜んでいた1匹の黒い蛇が、その赤い舌をチロチロと出しながらじっと見つめていた。
本日はここまでといたします。