『……どうしても、ポップさんのようにたくさんの氷の槍を作り出せないです。これが私の限界なのでしょうか……?』
『いやいや、俺の
『でも、数が多くなると、その分多くの人を守る事ができますし、たくさんの悪魔神官も狙えます……。……私も、ポップさんの半分、ううん、もっと少なくてもいいので、今よりも多くの魔法の才能を持って生まれたかったです……。そうすれば私も……。……? どうかされましたか、ポップさん?』
『ん……? ああ、いや、どうもしないよ。エルサさんはそう言ってくれるけど、俺はどちらかというと――』
カン、カン、カン、カン!
突然脳裏に響いたけたたましい金属音に、微睡の中にあった私の意識は瞬時に覚醒する。間違いない。この音は、敵を発見した際に鳴らされる物見櫓の鐘の音だ。昨日リックさんとヘンケンさんから聞かされた話を心の中で咀嚼できずに浅い眠りのまま寝袋にくるまっていた私は、素早く起き上がり、顔だけをテントから外に出す。外はまだ暗いが、広場を取り囲む高い城壁の周りだけ篝火が煌々と闇夜を照らしていて、それはまるで橙色から漆黒へと変わる薄いグラデーションが空にかかっているようだった。
「敵襲―!! 総員、持ち場につけー!」という怒声のような大声が、その城壁の上から聞こえてくる。同時に、「姉ちゃん、敵襲か!?」という声が背後に聞こえ、私は顔をテントの中に引っ込めた。
「そうみたい! 行きましょう、ルーン!」
「分かった!」
寝る前に髪を洗髪しなくてよかった。昼に髪を結んだままだった私は、動きやすい服に手早く着替え、ルーンとともにテントの外に飛び出した。砦から広場に出てきた完全武装の兵士の皆さんが、足早に城壁の上に続く階段を駆け上がっていく。
既にこの砦に来てから襲撃を5回経験している。自分のやるべき事が分かっている私も、大勢の兵士さんに続いて階段に向かった。城壁の上まで続いている手すりなど無い武骨な階段を、全力で駆け上がる。階段の途中で息を切らしたりしたら、後にも続いている兵士さん達の邪魔になる。ルーンも同じ事を考えているのか、私に遅れる事なくぴったりと背中について来ている事が、背後から感じる息づかいで分かった。
30mはある壁の上に続く階段を駆け上がりながら横目で眼下の広場を見ると、同じラドルの村で戦える人達がやはりこちらに駆け出しているのが見えた。その中には、大きな斧を持ったリックさんもいた。ヘンケンさんは、自分のテントの前にシートと薬草らしき物をいくつも並べて、いつ怪我人が運ばれてきても大丈夫なように準備をしていた。
『最後の時は、30歳以下の村人を率いて転移しろ』
昨日2人から言われた言葉が、思わず脳裏をよぎる。
最後になんかしないわ。……絶対に!
城壁の上にたどり着いた私は、兵士の皆さんが向いている方向を見る。月明かりと篝火で、周囲の状況がよく見て取れた。眼下に見える魔物の数は、前回の襲撃時とさほど変わっていない。おおよそ30体から40体ぐらいだろうか。ただ一つだけ違うのは、魔物の集団の中央にひときわ目を引く巨大な魔物がいた事だった。肌は青白く15mにも達しそうな巨体で、肩から腰にかけて粗末な布を巻いただけだ。その左手には、大人の身長ほどの太さにもなる巨大な棍棒が握られていて、頭部にはやはり巨大な目が一つと、大きく裂けた口があった。
……なんていう魔物だろう? 名前も知らないその魔物が、ゆっくりと砦に近づいてくる。その足が一歩踏み出される度に、砦の城壁がわずかに振動する。
「おい、あれ、……まさかギガンテスじゃないのか?」
「冗談だろう……? あんな魔物、この辺りじゃ見た事ないぜ?」
周囲にいる兵士さん達が話す声が耳に入ってくる。ギガンテス……。聞いた事が無い魔物だわ。他の魔物は……とその周囲にいる魔物に目をやって、私はやっぱりかと思った。
前々回の襲撃の時ぐらいから、そんな気がしていた。氷結呪文に対して耐性のある魔物の数が徐々に増えてきている、と。
現に今回も、そのギガンテスという魔物の側には、ブリザードマンという頭部と両手から氷の冷気を立ち上らせた人型の魔物がたくさんいた。多分、あの魔物には氷結呪文はほとんど通用しないだろう。あれではまるで、ギガンテスを氷結による攻撃から防護しているようだった。
城壁の上で指揮を執っていた中隊長さんが「放てー!」と声を上げて手を振った。その声と同時に、接近してくる魔物に対して城壁の上から次々と火矢が射られていく。
私達ラドルの村の有志のうち、攻撃魔法を使える人達も同じように魔法を飛ばす。村の人間で攻撃魔法を使える人はそれほど多くない。私を含めても5人といった所だ。回復魔法が使える2人の私の友人は、今頃はヘンケンさんの側で待機しているはずだ。リックさんを始めとする接近戦の得意な人は、私達魔法使いの護衛としてそばに控えている。
「エルサ、避けろ!」
リックさんの言葉に、私はとっさに横に飛んでその場から離れた。言われるがまま転がるように回避した私が背後を振り返ると、上空から降ってきたのか、片膝を着いていたブリザードマンがニヤニヤと不快な笑みを浮かべて立ち上がる所だった。咄嗟に私は自分の周囲に浮かべていた氷の槍をそのブリザードマンに叩き付ける。グサグサと、槍が次々に体に刺さって苦痛に顔をゆがめるブリザードマンだけど、氷結自体によるダメージは受けていないようだ。
ブリザードマンはこちらを憎々しげに睨んで、右手を私に向かって突き出した。何かするつもりだ、と私が身構えた時、その突き出された右腕にリックさんが側面から斧を振り下ろした。ひと息で斧に切断された魔物の腕が、宙をクルクルと飛んだ。
絶叫の声を上げるブリザードマンの腹部をルーンが殴りつける。動きの止まったブリザードマンの頭部に私は再び氷の槍をたたき付けて、やっと1体倒す事ができた。
「エルサ嬢! 広域魔法を放ってくれないか!?」
敵の1体を倒しても息をつく暇もなく、城壁の上にいる隊長さんがそう声を張り上げる。その声に私は、「分かりました……!」と返事をして目を閉じ深く集中する。ルーンとリックさんが私の両隣について周囲を警戒してくれるのを感じる。
私は、頭の中で
加えて、私はこの砦に来てから自身の魔法力がグングンと上昇している事を感じていた。体感的には、1年前と比べると、3倍ぐらいにまで伸びている気がする。実戦を短期間に何度も経験したからだろうか? もしかして、私には魔法の才能があったのだろうか? もしそうなら嬉しい。この力で、大勢の人を助けられるから。
私は、右手を城壁の上から砦の外にいる眼下の魔物達に向ける。そして目を開き、呪文を唱えた。
「――
私の手から放たれた氷雪の冷気が足下にいる魔物達に降り注ぐ。氷系呪文に耐性がある魔物がいるといっても、全てではない。この魔法で確実に倒せる魔物もいるはずだった。降り積もった白い氷雪が風に流されて散った後、攻めてきていた魔物のうち、1/3ほどが氷の彫像となって絶命していた。
「ヒュー! さすが氷の女王! 見事なもんだぜ」
周囲の兵士の皆さんから、そんな称賛の声が漏れ聞こえる。『氷の女王』……。『悪魔神官キラー』の次は、そんな異名で呼ばれる事が増えていた。女王なんて、平民の私につけられるあだ名であって良いはずがないから、正直やめてほしいと思っているけれど、私のその言葉はいつも却下され、一向に改善の様子が見られない。
今もリックさんやルーンまで皆と一緒になってそんな風に叫んでいるものだから、私は2人を軽くねめつけた。
直後、私の耳朶に「――ズシャッ」と鋭い刃物が肉と骨を断つ音が届いた。振り返ると、ジャン隊長が別のブリザードマンの肩から袈裟切りに剣を振り下ろした所だった。剣が胸の半ばまで達しているブリザードマンは、口から泡をブクブクと吐き出して青息吐息の様子だった。
しかし、ジャン隊長の後ろには別のブリザードマンが密かに近づき、何か呪文を放とうとしていた。ジャン隊長もそれに気づいたのか、目の前のブリザードマンに切りつけた剣を引き抜こうとするが、骨か何かに引っかかってしまったのか、うまく引き抜けないようだった。
一刻の猶予もないと考えた私は
氷の槍で私が援護した事に気がついたのだろう。ジャン隊長がこちらを振り返り、大きな声で「エルサ、ありがとう!」と叫んだ。
私はその言葉に少しだけ会釈で返し、まだ周囲にいる魔物に視線をやった。
どれほど時間が過ぎただろうか。徐々に敵の数は減ってきており、このままいけば今回の襲撃も防げるだろうと私が思った時だった。
突然、「ズズーン!」という思わず耳を押さえたくなるほどの大きな音と、激しい縦揺れが城壁の上を襲った。
驚いたのは私だけではなかった。城壁の上にいる兵士の皆さんも突然のことに驚き、皆が壁際に張り付いて眼下を見下ろした。すると、いつのまに取り付いていたのか、城壁の下部にある丸太を横に束ねて作った大きな城門の前に、先ほど遠目に見たギガンテスという名の巨大な魔物が悠然と立っていた。
私が見ているそばからそのギガンテスは、左手に持った棍棒を再び振り上げたと思うと、それを勢いよく城門に振り下ろす。再び発生する激しい振動。先ほど感じた振動はこれだったのだ。
あの丸太を束ねた城門は、この砦と外を繋ぐ出入り口だ。門の内側にある大きな滑車を、大の大人10人がかりで操作して開閉している所を見た事がある。とても丈夫だから、すぐに破壊されるとは思わないけれど、万が一破壊されると、そこから魔物に砦内に入り込まれてしまう。そうすると、広場にいるラドルの村の人達は大変な事になる。
「ギガンテスは、まれに痛恨の一撃を放つぞ! その前にやつを仕留めろ!」
身を乗り出すようにして眼下のギガンテスを睨んでいた隊長さんが、大声を上げる。すぐに真下のギガンテス目がけて矢が雨のように降り注がれる。しかし、体表が分厚いのかギガンテスはそれらの矢を身体に受けても、ものともしない。私も氷の槍をギガンテスに飛ばすが、氷が体表に触れた途端、粉々に砕かれてしまった。
攻撃がまるで効いていない様子に皆がうめき声を上げるが、そのうめき声をかき消すように大きな破壊音が響いた。
皆が驚き城門を見下ろすと、これが先ほど隊長さんが言っていた痛恨の一撃なのか、丸太を重ねて作った城門の中程に大きな穴が空いていた。砕かれた木の破片が周囲にバラバラと散乱している。まだ魔物が通れるほどの大きさではないけれど、もう一度あれを受けたら城門は完全に破壊されてしまうかもしれない。ギガンテスの後ろには、その時を今か今かと蹄を鳴らして待っているホースデビルを中心とした魔物の集団が見えた。
もしそうなってしまったら……。私は、昨日聞いたリックさんの話が脳裏をよぎった。思わず側にいたリックさんの顔を見る。するとリックさんも同じ事を考えていたのか、私と目を合わせるとゆっくりと頷いた。それは、「やるべき事をやれよ」と言っているように思えた。
……嫌だ、村の皆を置いて私達だけで逃げるなんて。30歳以下だなんて言っても、近所に住んでいたまだ8歳になったばかりのリコリスのご両親は30才を超えている。あんな小さな娘から、ご両親を取り上げる事なんてできない。それに足腰の弱ったアンナ婆さんだって、元気になってベンガーナに住んでいる孫夫婦の所に行くんだと、毎日健康に気を遣っている。お年寄りだとか、若いとか年齢は関係ない。まだ誰も生きる事を諦めたりしていないのだから。
――年齢で逃げ出す人を選別するなんて、するのも、させるのも嫌よ!
「姉ちゃん! 俺に良い考えがある!」
私が一人葛藤していると、ルーンが私の両肩を押さえて顔を近づけた。そして、ルーンがその後提案した良い考えというのは、無茶も良いところだった。
「無茶よ、ルーン! そんなの出来るわけ無いわ!」
「だけど、姉ちゃん! 今やらなかったら、あいつらに砦の中に入り込まれちゃうよ。そうしたら、姉ちゃんがやりたくない事も考えないといけなくなる!」
私はルーンのその言葉に、驚きのあまり思わず口を押さえた。どうして、ルーンがその事を!? 私の疑念を感じたのか、ルーンがいたずらっぽく笑った。
「あんな大事な話をするなら、テントの外に声が漏れていないか気をつけないと。姉ちゃんがどこか抜けているのは前から知っていたけれど、リックさんもヘンケンさんもダメダメだよ」
……驚いた。あの時のリックさんのテントでの会話をルーンは聞いていたんだ。リックさんが、ばつが悪そうに私の隣で頭を搔いていた。私が、自分が抜けていると言われた事にも気付かず目を瞬いていると、再びズズーンというくぐもった振動が伝わってきた。
再びギガンテスが棍棒を城門に打ちつけたんだ、とすぐに分かった。
「姉ちゃん!」とルーンが焦ったように私に叫ぶ。そんな事を言われたって、私には出来ないわ! 私がもし失敗したらルーンが死んでしまう。父さんと母さんの
私は顔を両手で押さえ、首を振る。出来ない、出来ないわ……。
「――姉ちゃん!」
ルーンの顔を直視できない私は、顔を地面に落とし、固く目を閉じる。駄目、できないわよ、そんな事! もし私が失敗したら、ルーン、あなたは魔物達に八つ裂きに……。
お願い、ポップさん! どうか、助けてください! あの時、私たち姉弟を助けてくれたように!
そう切に願った私の脳裏に、ポップさんの優しいけれど、どこか寂しそうな笑顔が思い起こされた。そうだ、あの時ポップさんは、こんな表情で私に言葉を返してくれた。
私はなぜか突然、以前ポップさんが発した言葉を思い出した。ああ、あの時ポップさんは、才能が無い事を嘆く私に、呟くようにこう言ったんだった。
『……俺はどちらかというと、才能よりも、勇気を持って生まれたかったな……』
どうして忘れていたんだろう。……それはおそらく、あの時にはそのポップさんの言葉の意味が理解できていなかったからだ。
でも今なら分かる……。今の私は、才能なんかより、勇気が欲しい。
先ほど私は自分に魔法の才能があるかもしれない事に喜んだ。でも、今は自分の中に勇気が無いせいで苦しんでいる。私は、ようやくあの時のポップさんの言葉の意味を本当に理解できた気がした。
最初から勇気を胸に抱いて生まれて来たわけじゃない。いつもくじけそうになる心を必死で奮い立たせているポップさんだからこそ、才能よりも勇気を希求したんだろう……。私は何も分かっていなかった。ポップさんは最初から
ポップさんも一緒なんですね。……私も、私も勇気を持って生まれたかったです、ポップさん。
そう心の中でポップさんに語りかけた瞬間、私の記憶の中のポップさんが照れたように笑ってくれた気がした。
「ルーン! チャンスは一度よ! スピードは緩めずギガンテスの背後をかすめるから、その瞬間にやるのよ! 良いわね!」
私の言葉に、ルーンが「ああ、分かっているよ、姉ちゃん!」と声を張り上げる。周りにいる兵隊さんやリックさんは私達が何をやろうとしているのか分からないみたいで、不思議そうな表情を浮かべている。
だけど、ゆっくり説明している時間はなかった。私は、
……ポップさんなら、きっと私より上手に操るんだろうな。ううん、何を考えているの、エルサ。今私に必要なのは、勇気でしょう……!
「――行きなさい!!」
私の言葉と共に氷の槍がふわっと城壁から浮かび上がり、途端に速度を上げて城壁の外に飛び出した。
ギガンテスは、少ない脳みそでただ目の前にある木の扉を壊す事だけを考えていた。先ほど特別上手に叩けた穴からは、扉の向こうの様子がよく見えた。広い場所がある。その広い場所にたくさんの人間が蠢いている。こっちを指さして腰を抜かす人間共がいる。思わずニヤーと笑みが浮かんだ。あれを叩きたい。何度も何度も叩いて、青い俺の身体を返り血で真っ赤に染めたい。
強い殺戮衝動を抱きながら、再び左手の棍棒を振りかざす。おっ、今回は調子が良さそうだ。次の一撃に期待して、さらに笑みを深めるギガンテス。
しかし、目の前の門にばかり意識を向けていたギガンテスは、城壁の上から緩やかな楕円軌道を描きながら向かってくる1本の氷の槍に全く気づかなかった。
高速でギガンテスに迫る氷の槍。いや、それはただの氷の槍ではなかった。なぜなら、その槍の上には小さな子供が乗っていたからだった。その姿をもしポップなどが見ていたら、「ナイス、リフライディング!」と、親指を立てた事だろう。
子供の乗った氷の槍が一瞬だけギガンテスの背後でスピードを緩めるが、すぐに急加速して再び空に向かって上昇していく。氷の槍がギガンテスの背後にあった瞬間、ギガンテスの耳は何かの言葉を捉えたが、少ない脳みそではその言葉を頭にとどめておく事ができなかった。
直後、城壁から再びギガンテスに降り注がれる空を覆わんばかりの数の矢。先ほど注がれたそれらはギガンテスの体表にまるで傷をつけることなく弾かれていった。当然、今回もそうなるはずだった。
しかし、そうはならなかった。まるで、ハリネズミのようにギガンテスの身体に次々と突き刺さる矢の嵐。大きな体躯故にその痛覚も鈍かったが、一時を置いて感じる激痛。
「グゥオオオオオーーー!!」
思わず左手に握った棍棒を手放し、絶叫するギガンテス。ギガンテスは気づかない。自身の鉄壁の防御が、
そして、何も知らないギガンテスの絶叫は長くは続かなかった。
ビクンッと大きな身体を僅かに痙攣させたかと思うと、大きな一つ目の漆黒の目が徐々に色を失い、次の瞬間ギガンテスは背後に地響きを立てながら、仰向けに倒れていった。ギガンテスが城門を破壊する事を今か今かとその背後で待っていたホースデビルの集団は、倒れたギガンテスの下敷きとなって右往左往している。
倒れたギガンテスの頭部には、7本の氷の槍が深々と突き刺さっていた。
それを見て、背後に控えていた魔物達は戦々恐々と撤退していく。逆に、城壁の上からは、耳をつんざかんばかりの大歓声が巻き起こっていた。
「やったなー、ルーン! 大したもんだぜ!」
「痛いよ、リックさん!」
リックさんが戻ってきたルーンの頭を乱暴にガシガシとかき回し、労いの言葉をかけている。大歓声をあげていた兵士の皆さんも次々に私達の所に来て、よくやったと肩を叩いてくれる。
でも、兵士の皆さんは力が強いから、私は激しく肩を叩かれるたびに痛みに思わず顔をゆがめた。それを見ていた一人の隊長さんが、私達を取り巻く皆さんに声を上げる。
「おい、お前ら。ルーンは乱暴に扱ってもいいが、エルサ嬢には許さんぞ! 直接の接触は禁止だ! もちろん抱きつくなんて、もってのほかだからな! 叩きたいなら、ルーンにしておけよ!」
「それはどういう意味だよ、おっさん!」
ルーンが、そう宣言した隊長さんに食って掛ろうと詰め寄るが、隊長さんの許しを得た兵士の皆さんがそのルーンを抱き上げ、そのまま輪になって胴上げを始めた。
「わっ!? や、やめてってば! これ、怖いよ!」
くすくすくす。さっきまでもっと危ない事をしていたのに、今は胴上げをされて目を回しているルーンを見て、私は大きな口を開けて笑っていた。
気が付いたら、いつの間にか東の地平線から太陽が顔を出していた。
「今日は大活躍だったね、エルサ」
ジャン隊長が、腰ほどの高さの城壁の壁に手を付いて、そう労うように言った。今はもうすっかり暗くなっていて篝火が焚かれている。今日の未明から早朝にかけて発生したあの騒ぎが嘘だったかのように、城壁の上は静まり返っていた。日が出ている間は、怪我人の治療などで人の往来も激しかったが、その治療も日が沈む頃にはひと段落して、落ち着いたものだった。広場に立ち並んでいるテントも、ランプの灯りが外に漏れているテントはほとんど無かった。今頃は皆、疲れ切って眠っているのだろう。
そして私は、周囲に私達以外の人気のない城壁の上で、ジャン隊長と二人きりだった。
「そんな事……」
「いや、謙遜する事はないよ。実際、ラドルの村の人達に我々は助けられている。これは、どちらが守っているのか分からなくなるよ。エルサ達魔法使いの皆さんには特にね。言ってはなんだけど、あんな小さな村にエルサ達魔法使いに加えて、回復魔法を使える人材までいたなんて。いったい、どういう……」
私達の村で回復魔法を使えるのは、タバサとリッカだ。2人とも私と同い年の女性で親友だった。今日も怪我人の治療を魔力が枯渇するまで行い、額に汗して頑張っていた。2人の事を認められたと感じて嬉しくなった私は、ジャン隊長に微笑んだ。
「あの2人は、薄い水色の髪の子がタバサで、金色の髪の子がリッカと言うんです。2人共、ジャン隊長に褒められたと聞いたら喜びます。私達の村には、1年ほど前にアバン様とそのお弟子さんのポップさんが来られたと言う話はしたと思いますが……」
「ああ、聞いているよ。エルサを魔物の手から助け出してくれたんだったよね」
「はい。その後、アバン様とポップさんは2週間ほど私達の村に滞在して、戦うための術を授けて下さったんです。近接戦闘はアバン様が、魔法全般はポップさんが私達の師匠なんです」
「なるほど……、どうりで。これは、我がベンガーナ国も魔法使いの有用性をしっかり見直さないといけないな」
そう言って難しい顔をし始めたジャン隊長を見ながら、私は今日ジャン隊長を呼び出した目的を果たそうと思った。
「ジャン隊長、昨日の話ですが……」
昨日の話と聞いて、ジャン隊長は表情を引き締め、目線で私に続きを促した。ああ、この方は本当に誠実な方だな、と私は思った。
「まず、あの時答えられなかった質問にお答えしますね」
「答えられなかった質問……?」
「……はい。私が、ポップさんにどの程度の思いでミサンガを渡したか、という質問です」
ジャン隊長は、「ああ、そうだったね……」とため息を吐くように呟いた。言おう、正直に。私は息をすーと吸って、一息に言った。
「私は、ポップさんに私を娶って欲しいと思っています」
私の言葉に、目を見開いて固まるジャン隊長。ごめんなさい、私がはっきりしなかったために、誠実な隊長にこんな思いをさせてしまいました。
「ごめんなさい、ジャン隊長。もっと早くに伝えるべきでした。ですから、私はジャン隊長の求愛をお受けする事はできません。本当に申し訳ありません」
そう言って私は、両手をお腹の前で重ねて、ジャン隊長に深く頭を下げた。ジャン隊長は何も言わない。でもしばらくして、頭を下げた私にジャン隊長は優しく声をかけてくれた。
「頭を上げてくれ、エルサ。聞かせてくれないか。彼は、ポップは、君を娶りに来る、と思っているのかい……?」
頭を上げた私は、その問いに思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「本当の事を言うと、その確認までは取れていません。私はミサンガを渡しただけで、ポップさんは受け取ってくれた。ただそれだけなんです。だから、もしかしたらポップさんは私に会いに来るだけのつもりかもしれませんし、ひょっとしたらこのまま来ないなんて事もあるかもしれません」
私の答えに、ジャン隊長はフッと笑みを浮かべて「……来なかったら?」と問いかけた。
その問いに私は、「……迎えに行きます。幸い、有名人ですから、何処に逃げ隠れしていても所在が分からないと言う事はないかと」と笑みを浮かべて応えた。ポップさんにミサンガを渡した時の私は、命を助けてもらったという感謝の気持ちがそこに混在し、純粋にポップさんの事を見る事ができていなかった。
でも、今なら分かる。私は今、誰よりも『死』に対して忌避感を持っているにも関わらず、それから逃げずに立ち向かおうとしているポップさんを、側で支えたいと思っている。
「そうか……。君にそこまでされて靡かない男などいないだろうね。つくづくうらやましい男だ。しかし、そこまで君が好意を抱くのは、やはり彼の強さに惹かれたからだろうか? 『氷の賢者』の?」
その問いに、私はしばしポカンとしてしまった。訝しげな顔を浮かべるジャン隊長。いけない、この誤解はきちんと解いておかないと。
「いえ、ジャン隊長。私はポップさんの強さには惹かれていません。むしろ、逆です」
「……逆?」
「はい、私はポップさんの弱さに惹かれたんです。『氷の賢者』とか、『勇者
全てを最初から手にしている完璧な人ではない、欠点を自覚しそれでもその欠点を克服しようとしているポップさんだからこそ側で支えたい。
ジャン隊長はしばらく私を見つめた後、「……そうか」と寂しげに呟いた。
「まさか、弱さに負けるとはね……。私は、ベンガーナ国の名家 リューガリオン家の跡取りとして、常に強く公平であるように育てられてきた。その教育の中に、弱くあれ、というものは無かったな」
「……そうですね。私は、ジャン隊長を素晴らしい人格者だと思っています。でも、失礼を承知で言わせていただければ……」
「構わない、言ってくれ」
その言葉に私は小さく頷き、言葉を続けた。
「はい……。女性は、男性の弱い所を魅力的に感じる事もあると思います。だって、弱い所にこそ、私の居場所があるんだと思えますから。ジャン隊長は、もしかするともう少しだけ弱くなってみるのも良いのかもしれません。……すいません、失礼な事を言いました」
「いや、逆にありがとう。私はこれでまた一つ強くなれた気がする。あ、いや、強くなってはいけないのだが……」
その言葉に、私は思わず吹き出してしまった。本当に誠実な方だ。ポップさんと出会っていなかったら、私はこの方から差し出された手を取っていたかもしれない。でも私は、ポップさんと出会った。私は、ポップさんと私自身の成長のために、ポップさんの隣を歩いていきたい。
「それじゃあ、明日からもよろしく、エルサ嬢」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ジャン隊長」
私達は互いにそう言葉をかけて、それぞれその場を離れた。これで、本当に長かった1日がようやく終わった。
さあ、この砦を守り切って全てが終わったら、いつまで経っても一向に迎えに来ないポップさんを捜しに行こう。
私はそう決意して、ルーンの待つテントに戻って行った。
~~~~ベンガーナ国 南部 嘆きの峡谷~~~~
かつてアバンとポップが魔物を相手に死闘を繰り広げ、おびただしい数の魔物の血を吸った『嘆きの峡谷』の大地。今その地に再び、魔物の大群が集結していた。
1体の魔物の前に、緑色のローブを纏った数十体のエビルマージが膝を着いていた。
「……そうか。ギガンテスは失敗したか。あ奴め、苦労して魔界から運び込んだと言うのに役立たずな事よ。やはり、いくら図体がでかくとも低能では意味がないな」
「はっ。申し訳ありません、ベルドーサ様」
ベルドーサと呼ばれた男は、ヒュー、ヒューと不気味な風が響く渓谷の奥に構えられた祭壇の前で、瞑目した。その間、全てが細長い蛇に化身している彼の髪は、不気味にうねうねと蠢いていた。主の気分を害すればどうなるか分かっているエビルマージ達はただ片膝をついて、静かに頭を下げている。
「……やはり、その氷結魔法の使い手がやっかいだな。エレメント系の魔物の増援はどうなっている? まさか、あの程度の数のブリザードマンで終わりでは無いだろうな?」
「はっ。フレイザード様が不在となった混乱で出立が遅れたそうですが、後10日もすればこの地に到着するだろうという連絡が先ほど入りました」
そう答えたエビルマージは再び頭を下げた。
「ちっ! 10日だと? 口惜しい事よ。早々にあの砦を落として、妖魔師団復活の狼煙を上げねばならんと言うのに……!」
ベルドーザは、ロックハート砦の方角を憎々しげに睨みつける。ベルドーサの怒気に宛てられたように、その頭部から生えている無数の蛇も爛々と目を光らせ舌をチロチロと出した。
蛇達の行動で幾分冷静さを取り戻したのか、ベルドーサはその頭部から生えた蛇達を愛おしそうに撫でる。
「……まあ、いい。ロックハート砦よ。せいぜい束の間の勝利に浸っているがよい。いずれ皆、我が妖魔師団の糧として喰ろうてやるわ。クックック」
『嘆きの渓谷』から発せられる風の音に、ベルドーサの陰惨な笑い声が加わり、その声は遠くロックハート砦まで届かんとしていた。
はい、これにて途中休載を挟んだ7章も終わりです。長かった……。
次回以降は、新章突入です。8章のサブタイトルは『魔界の神』。いよいよ、物語も大詰めです。1年と半年前に投稿を始めた本作ももうすぐ終わるかと思うと、書き手としては寂しいやら、ほっとするやら、複雑な気持ちです。(本当の意味でほっとするのは完結してからですが)
少し8章の構成を確認して、早ければ来週末から、遅くても2,3週間程度で再スタートしようと考えています。
これまでを通した感想でも、過去の話数の感想でも結構ですので、何かいただけますととても嬉しく思います。
それでは皆様、またお会いしましょう。